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第二章
ここ何処!?
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「大丈夫か、女。怪我はないか? 目を覚ませ、女」
誰かに抱き起こされながら肩を叩かれる感覚に鈴は、深い眠りから覚醒。朦朧とした頭の中に一筋の光が点る感覚を味わう。
頭の中が何も整理されないまま、クラッとする感覚を味わいながら目を開けた鈴の目に映ったのは、自分を抱え上げて肩を叩く若い男の顔。
そして、少し離れた場所に立ち、自分を見下ろしている初老の男の姿。
身体の感覚も徐々に確かなものになった鈴は、背中に自分を抱え上げた男の腕や麻布のズボンをはいたようなザラザラとして脚が当たる感覚を覚える。尻から太股、脹ら脛には、固く冷たい床にベッタリと座った時と同じような感覚と、少し冷たいヒラヒラとした物が身体にまとわりついてくる感触。
その何ともいえないひんやりした感触で一気に目を覚ました鈴は、自分が部屋で全裸になってオナニーしていた事を一気に思い出す。月明かりの薄暗い夜道で二人の男に見つめられながら倒れているらしい自分という、その整合性の無さにただただ混乱していた。
「どうしたしましょう、親方様。この女、なにやらかなり惑っている様子。気絶でもさせられて家から連れ出され、そのままここに、服を脱がされ放置でもされたのでございましょうか…」
「そのようなことかもしれん」
男達の言葉に鈴は聞き捨てならない言葉を見い出す。それは「服を脱がされて放置…」という言葉。
その言葉に鈴は、自分の身体を改めて見下ろした。目に入ったのは、務めている風俗店のプロフィール欄には「F」と表記され、実際のカップサイズはEカップの乳房。そしてその谷間の間からは黒々とした陰毛が覗き、その左右から素足が真っ直ぐと伸びている光景。
頭の中が「なぜ? どうして?」の連続に苛まれ混乱をきたした鈴は、瞼を開けているはずなのに目の前が真っ暗になるという体験を初めて味わいながら気絶。
「ほら、女、どうした起きろ、どこか痛いところでもあるのか? 苦しいのか? 何かあるなら言ってみよ」
そんな言葉を遠くに聞きながら、徐々にその言葉が耳の中に大きく響く感覚を味わい目を覚ます鈴。
再び自分が全裸であることを思い出し、すぐに自分の身体を見る。そこには普段着ている服というのとは何かがちょっと違うザラザラした感触の羽織物がかけられていた。
それ以外に見えたものは、その羽織物の下に伸びる膝から下の素足。
鈴は素っ裸の自分を見ていた男達がとった紳士な行動に安心感を覚え、ホッと息を漏らした。
しかしその分、頭の中では改めて自分がどうしてここにいるのか? ここはどこなのか? という疑問にとらわれる。
そしてまた、この男達は誰なのか? という疑問が改めて浮かぶ。
「あの、ここってどこなんですか?」
頭の中は疑問だらけだったけれど、鈴はただ慌ててしまうようなタイプではなかった。冷静に少しずつ頭の中を整理しながら、まずは目の前の男達が答えられると思える質問をする。
「ここか? この辺りは、そうよな。儂の館、亀岡の近くだ。半時も歩けば館に着くという辺りの所だな」
「亀岡? 京都の亀岡市?」
「京の都からは少し遠いが…。もしかして女、おぬしは京からここまで連れて来られたのか?」
「いえ、私は大坂に住んでいて…」
「大坂とは、またそれ以上に遠い所から。そうか、大変であったな。これから帰るのも難儀。今宵は私の館に来るがよい。のう、内蔵助」
「しかし親方様。いまは大殿様が大事な時期。素性も分からぬおなごを館へなど、すこし軽率ではございませんか」
「大事はなかろう。儂らはこの女が何も持っていたかったことはすでに見知っておる。内蔵助も見ているだろう。行き倒れの女一人、せめて着物くらいは着せてやらんと、この日向守の名も廃ろう」
「分かりました、親方様」
そう言うと内蔵助は、抱き起こし座らせた鈴から一度離れ、すでに鈴の身体にかけてあった羽織はそのまま、さらに自分の着物を脱ぎ、フンドシ一枚になって、その着物を鈴の身体にかけた。そうしながらなるべく身体が見えないように鈴の羽織を脱がせ、それを自分が着て鈴を立たせる。
「親方様のご厚意だ。館まで連れていってやろう、女。自分で歩けるか?」
そう言うと内蔵助は、草履を脱いで自分は裸足になって鈴の足元にそれを置いた。
「あっ、ありがとうございます」
「では、まいろうか、女」
鈴は頭の中はまだ疑問だらけではあったけれど、とりあえず出会ってここまでの行動で、この男達に害意は無いと思うことを自分に言い聞かせるように決める。全裸に文字通りの着物を羽織った姿で、電灯すらなく灯りと言えば闇夜に浮かぶ月明かりという、木々に囲まれた林の中のあぜ道を、二人の男に挟まれるように歩いた。
しばらく歩いて目の前に現れた家…というより、確かに館と呼ぶに相応しい門構え、その中に見える瓦屋根を見た鈴。その頭の中は、先ほど以上に疑問…というより〝ここってどこよ?〟という混乱。
思わず目眩に襲われてまろびそうになった鈴を、横に立ち一緒に歩いていた内蔵助が手をさしのべ支える。
前方を歩いていた〝親方様〟と呼ばれていた男が、板塀に囲まれた中の一角だけが囲まれている扉を開け、自分が先に中に入る。扉を開けたまま内蔵助に支えられて歩いている鈴を迎え入れる。
「女中、何か女の着物を一着用意せい。ここへ持って参れ」
親方様がそう叫ぶと、屋敷の中が慌ただしくなり、現れた何人かの女達が鈴の周りに群がり、手を引くように屋敷の中へと連れて行く。
親方様と呼ばれた男と内蔵助は、それを見送ると自分達も草履を脱いで屋敷の渡り廊下に上がり、部屋の奥へと進む。親方様と呼ばれた男が部屋の奥に座り、その斜め前に横向きに内蔵助が座る。
「あの女はどうしてあのようなところにいたのでしょう?」
内蔵助が言うと親方様が答える。
「とりあえず女ことは女中達に任せるとしよう」
風呂に入り、着物に着替えた鈴が女中に導かれて親方様と呼ばれた男と内蔵助の前にやってきたのは、それからしばらく時間が経ってからのこと。
空は完全に月だけが光り、地上をやんわりと照らすだけの夜の闇に閉ざされた世界。
ゆらゆらと揺れるほの明るい光が渡り廊下に漏れる部屋の前に連れて行かれ、女中に言われるまま横に座り、障子の前で「親方様、連れてまいられましたおなごの着替え終わりましてございます」と言いながら女中が開けた障子の隙間から入るように指示された鈴は、立ち上がった部屋に入る。
「ほう、見違えるな。髪は結わなかったか」
そう言われながら障子のすぐ前に正座して座る。鈴は正座には全く慣れてもいなければ普通はしないところだが、その場の驚くほどの(和)の世界に自然とそうした。
「本当にありがとうございました。内蔵助、え~と、あの…親方様…」
鈴はそう言いながら二人に向かって頭を下げる。
「そうだったな。儂の名前を教えておらんかった。儂はここでは十兵衛で通っておる。その名で呼ぶがよい」
「あっ、十兵衛様、ありがとうございました」
「ところでそちは何という名だ」
「蒔田鈴です」
「蒔田。聞かん名の土地だな。そこの鈴か」
「えっ、あの~蒔田は地名じゃなく苗字ですけど」
「苗字。やはりどこぞの家の娘か?」
「どこぞの…と言われても、うちはごく普通の家柄ですけど」
「家柄。やはり名のある家のものか」
「いえ、今はもう孤独な一人暮らしです」
「女の一人暮らし。それで夜盗に狙われたか。まあ良い、詳しく話したく無ければこちらも聞くまい」
「親方様は本当に人を疑わぬ寛大な方でございますな」
二人の会話を聞いていた内蔵助が言う。
そんな会話をしながら鈴はずっと考えていた。この状況がどういうことなのか…を。真っ裸で灯りも無い山道に倒れていた自分。それを助けてくれた二人の男は、どう見ても時代劇の世界そのままの服装をした人物。名前を聞いてもそれはもう間違いなく時代劇の役名のよう。連れて来られた家は、まさに屋敷と呼ばれるに相応しい純和風な古屋敷。風呂から台所までまさに時代劇の中で見たような所で、自分が着せてもらった着物もごわごわした目の荒い布製…。
私はもしかして夢を見てるの? と思いながら、正座した太股の上に乗せていたこっそりと左手の甲を右手で抓ってみれば、間違いなく痛さを感じる。
そんなドラマや漫画での夢を確かめる行動をしてみるまでもなく、全てのものが生々しい感じ、触れられるこの世界は現実としか思えなかった。
「あの、十兵衛様。今は何年でしょう?」
このような質問が通じるのだろうか? と、ちょっと悩みながらそう聞いた鈴の耳に十兵衛の返答が聞こえる。
「天正10年だ」
「天正?」
それってもしかして年号? と思ったものの鈴は、それが西暦に直すと何年になるのかさっぱりわからない。
しかし、自分の、寝るときに考える妄想以上に今すごい事になっているということだけは何となく分かってきた。
(もしかして私、タイムストリップしちゃったの?)
そう思いながら鈴は改めて目の前の二人を見た。
(親方様って呼ばれる十兵衛って名前の人と、その家臣らしい内蔵助って名前の人…。って、誰なんだろう? 全然分かんないよ。そもそも歴史に名を残すような人にホイホイ出会えるわけないか…。それにしても私、これからどうしたらいいの…)
色々と考えながらも、今後どうしたらいいのか考えあぐねていた鈴の耳に十兵衛の言葉が聞こえた。
「鈴とやら、今宵はこの館で過ごすとして、そのあとはどうするつもりだ」
まさに鈴が今考えあぐねていた質問を受ける。
「えっ、あっ、あの…」
「屋敷のものに送らせた方がよいか? 昼間ならこの辺りは物騒ではない。女中でも付けて家まで行かせてもよいぞ」
「あっ、それは…。というか、私はどこに帰ったらいいのか…。多分、この時代には私の帰る家はないだろう…と」
「帰る家を持たぬとは、おぬしは家を出てきたあと追いはぎに遭って身ぐるみ剥がされたということか?」
「そうです。そんな感じです」
「ならば詳しくは聞かぬが、ではこれからどうするのだ?」
十兵衛に聞かれ、鈴は少し考える。
「しばらくここに置いてもらうことはできないでしょうか?」
十兵衛より先に内蔵助が答える。
「素性も分からぬ者をこの屋敷に留め置くことはさすがに出来ぬ」
「ですよね。そんなに都合よくはいきませんよね。それなら、もしよかったらこの近くの大きな街まで送ってもらったりしてもらえると」
「樫原なら近い。親方様がいま栄えさせようとしている所でもある。そこにでも行ってみるか」
「そこは何か働けるところはあるでしょうか?」
「女の独り身で生き、住処もなく働く所か」
内蔵助もさすがに思案顔になる。
「働く気はあるのか、鈴」
十兵衛が聞く。
「もちろんです。働かざる者喰うべからずですから」
それは鈴がいつも母親に言われていた言葉だった。
その言葉通り、母は仕事から家事まで座ることが無いというほど働き、女手一つで鈴を育てた。それゆえ鈴も生活するためには働かなければいけないという考え方だった。
「ほう、おぬしはその言葉をどこで?」
「母親から散々言われました」
「母からか。その母はいまどこにいるのだ?」
「もう離れて暮らしています。ずいぶん前から」
「そうか、その母の教えはお前も信じているのか?」
「教えと言われるようなことまでは何も教わってないですけど…。ただ一所懸命に働く母の姿は好きでしたし、尊敬もしていました」
「母を敬っていたということだな」
「儂の娘も最近そのような教えを知ったことを話しておったわ。よかろう。お主がしっかりと働く気があるなら。女中としてこの屋敷に置いてやろう。その代わり人一倍働くのだぞ」
「えっ、本当ですか? 本当にいいんですか」
「親方様、それは、しかし…。素性も分からぬ女をこの屋敷に置くというのは」
「何を心配しているのだ、内蔵助は」
「武田を滅ぼした松平殿の勢力が大きくなっていることもあります。忍び者を囲っているという噂もございます。もう少しで天下も治まるというこのような時期は、表立った戦よりも暗闘が喧しいものでございます。努々油断は禁物かと」
そう顔を少し近づけながら言った内蔵助に対して十兵衛が小声で言う。
「分かった、分かった。鈴の女中としての心得の教育と監視はおぬしに任せる。よろしくたのんだぞ」
「親方様、そういうことでは…」
「鈴を見ていると娘を何か思い出すのだ。これは儂の感だが悪い娘には見えん。それに儂が誰かも分かっておらん様子だ。家を出て金も無く路頭に迷っているおなごをここからほっぽり出して女郎しては夢見も悪かろう。少しばかりは給金を稼がせてやって、街に出て仕事に就けるようにしてやる程度はできるのではないか」
「親方様は本当に誰にでも気配りをなさる方ですな。どうしてあの西欧かぶれで野放図な大殿の配下に入られたのか不思議でなりません」
「内蔵助。人にはのぉ、餅は餅屋と言って向き不向きがあるものよ。荒れた天下を治める者、治まった天下を統べる者とな」
こうして鈴は、十兵衛の屋敷で女中として働くことになった。
誰かに抱き起こされながら肩を叩かれる感覚に鈴は、深い眠りから覚醒。朦朧とした頭の中に一筋の光が点る感覚を味わう。
頭の中が何も整理されないまま、クラッとする感覚を味わいながら目を開けた鈴の目に映ったのは、自分を抱え上げて肩を叩く若い男の顔。
そして、少し離れた場所に立ち、自分を見下ろしている初老の男の姿。
身体の感覚も徐々に確かなものになった鈴は、背中に自分を抱え上げた男の腕や麻布のズボンをはいたようなザラザラとして脚が当たる感覚を覚える。尻から太股、脹ら脛には、固く冷たい床にベッタリと座った時と同じような感覚と、少し冷たいヒラヒラとした物が身体にまとわりついてくる感触。
その何ともいえないひんやりした感触で一気に目を覚ました鈴は、自分が部屋で全裸になってオナニーしていた事を一気に思い出す。月明かりの薄暗い夜道で二人の男に見つめられながら倒れているらしい自分という、その整合性の無さにただただ混乱していた。
「どうしたしましょう、親方様。この女、なにやらかなり惑っている様子。気絶でもさせられて家から連れ出され、そのままここに、服を脱がされ放置でもされたのでございましょうか…」
「そのようなことかもしれん」
男達の言葉に鈴は聞き捨てならない言葉を見い出す。それは「服を脱がされて放置…」という言葉。
その言葉に鈴は、自分の身体を改めて見下ろした。目に入ったのは、務めている風俗店のプロフィール欄には「F」と表記され、実際のカップサイズはEカップの乳房。そしてその谷間の間からは黒々とした陰毛が覗き、その左右から素足が真っ直ぐと伸びている光景。
頭の中が「なぜ? どうして?」の連続に苛まれ混乱をきたした鈴は、瞼を開けているはずなのに目の前が真っ暗になるという体験を初めて味わいながら気絶。
「ほら、女、どうした起きろ、どこか痛いところでもあるのか? 苦しいのか? 何かあるなら言ってみよ」
そんな言葉を遠くに聞きながら、徐々にその言葉が耳の中に大きく響く感覚を味わい目を覚ます鈴。
再び自分が全裸であることを思い出し、すぐに自分の身体を見る。そこには普段着ている服というのとは何かがちょっと違うザラザラした感触の羽織物がかけられていた。
それ以外に見えたものは、その羽織物の下に伸びる膝から下の素足。
鈴は素っ裸の自分を見ていた男達がとった紳士な行動に安心感を覚え、ホッと息を漏らした。
しかしその分、頭の中では改めて自分がどうしてここにいるのか? ここはどこなのか? という疑問にとらわれる。
そしてまた、この男達は誰なのか? という疑問が改めて浮かぶ。
「あの、ここってどこなんですか?」
頭の中は疑問だらけだったけれど、鈴はただ慌ててしまうようなタイプではなかった。冷静に少しずつ頭の中を整理しながら、まずは目の前の男達が答えられると思える質問をする。
「ここか? この辺りは、そうよな。儂の館、亀岡の近くだ。半時も歩けば館に着くという辺りの所だな」
「亀岡? 京都の亀岡市?」
「京の都からは少し遠いが…。もしかして女、おぬしは京からここまで連れて来られたのか?」
「いえ、私は大坂に住んでいて…」
「大坂とは、またそれ以上に遠い所から。そうか、大変であったな。これから帰るのも難儀。今宵は私の館に来るがよい。のう、内蔵助」
「しかし親方様。いまは大殿様が大事な時期。素性も分からぬおなごを館へなど、すこし軽率ではございませんか」
「大事はなかろう。儂らはこの女が何も持っていたかったことはすでに見知っておる。内蔵助も見ているだろう。行き倒れの女一人、せめて着物くらいは着せてやらんと、この日向守の名も廃ろう」
「分かりました、親方様」
そう言うと内蔵助は、抱き起こし座らせた鈴から一度離れ、すでに鈴の身体にかけてあった羽織はそのまま、さらに自分の着物を脱ぎ、フンドシ一枚になって、その着物を鈴の身体にかけた。そうしながらなるべく身体が見えないように鈴の羽織を脱がせ、それを自分が着て鈴を立たせる。
「親方様のご厚意だ。館まで連れていってやろう、女。自分で歩けるか?」
そう言うと内蔵助は、草履を脱いで自分は裸足になって鈴の足元にそれを置いた。
「あっ、ありがとうございます」
「では、まいろうか、女」
鈴は頭の中はまだ疑問だらけではあったけれど、とりあえず出会ってここまでの行動で、この男達に害意は無いと思うことを自分に言い聞かせるように決める。全裸に文字通りの着物を羽織った姿で、電灯すらなく灯りと言えば闇夜に浮かぶ月明かりという、木々に囲まれた林の中のあぜ道を、二人の男に挟まれるように歩いた。
しばらく歩いて目の前に現れた家…というより、確かに館と呼ぶに相応しい門構え、その中に見える瓦屋根を見た鈴。その頭の中は、先ほど以上に疑問…というより〝ここってどこよ?〟という混乱。
思わず目眩に襲われてまろびそうになった鈴を、横に立ち一緒に歩いていた内蔵助が手をさしのべ支える。
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「女中、何か女の着物を一着用意せい。ここへ持って参れ」
親方様がそう叫ぶと、屋敷の中が慌ただしくなり、現れた何人かの女達が鈴の周りに群がり、手を引くように屋敷の中へと連れて行く。
親方様と呼ばれた男と内蔵助は、それを見送ると自分達も草履を脱いで屋敷の渡り廊下に上がり、部屋の奥へと進む。親方様と呼ばれた男が部屋の奥に座り、その斜め前に横向きに内蔵助が座る。
「あの女はどうしてあのようなところにいたのでしょう?」
内蔵助が言うと親方様が答える。
「とりあえず女ことは女中達に任せるとしよう」
風呂に入り、着物に着替えた鈴が女中に導かれて親方様と呼ばれた男と内蔵助の前にやってきたのは、それからしばらく時間が経ってからのこと。
空は完全に月だけが光り、地上をやんわりと照らすだけの夜の闇に閉ざされた世界。
ゆらゆらと揺れるほの明るい光が渡り廊下に漏れる部屋の前に連れて行かれ、女中に言われるまま横に座り、障子の前で「親方様、連れてまいられましたおなごの着替え終わりましてございます」と言いながら女中が開けた障子の隙間から入るように指示された鈴は、立ち上がった部屋に入る。
「ほう、見違えるな。髪は結わなかったか」
そう言われながら障子のすぐ前に正座して座る。鈴は正座には全く慣れてもいなければ普通はしないところだが、その場の驚くほどの(和)の世界に自然とそうした。
「本当にありがとうございました。内蔵助、え~と、あの…親方様…」
鈴はそう言いながら二人に向かって頭を下げる。
「そうだったな。儂の名前を教えておらんかった。儂はここでは十兵衛で通っておる。その名で呼ぶがよい」
「あっ、十兵衛様、ありがとうございました」
「ところでそちは何という名だ」
「蒔田鈴です」
「蒔田。聞かん名の土地だな。そこの鈴か」
「えっ、あの~蒔田は地名じゃなく苗字ですけど」
「苗字。やはりどこぞの家の娘か?」
「どこぞの…と言われても、うちはごく普通の家柄ですけど」
「家柄。やはり名のある家のものか」
「いえ、今はもう孤独な一人暮らしです」
「女の一人暮らし。それで夜盗に狙われたか。まあ良い、詳しく話したく無ければこちらも聞くまい」
「親方様は本当に人を疑わぬ寛大な方でございますな」
二人の会話を聞いていた内蔵助が言う。
そんな会話をしながら鈴はずっと考えていた。この状況がどういうことなのか…を。真っ裸で灯りも無い山道に倒れていた自分。それを助けてくれた二人の男は、どう見ても時代劇の世界そのままの服装をした人物。名前を聞いてもそれはもう間違いなく時代劇の役名のよう。連れて来られた家は、まさに屋敷と呼ばれるに相応しい純和風な古屋敷。風呂から台所までまさに時代劇の中で見たような所で、自分が着せてもらった着物もごわごわした目の荒い布製…。
私はもしかして夢を見てるの? と思いながら、正座した太股の上に乗せていたこっそりと左手の甲を右手で抓ってみれば、間違いなく痛さを感じる。
そんなドラマや漫画での夢を確かめる行動をしてみるまでもなく、全てのものが生々しい感じ、触れられるこの世界は現実としか思えなかった。
「あの、十兵衛様。今は何年でしょう?」
このような質問が通じるのだろうか? と、ちょっと悩みながらそう聞いた鈴の耳に十兵衛の返答が聞こえる。
「天正10年だ」
「天正?」
それってもしかして年号? と思ったものの鈴は、それが西暦に直すと何年になるのかさっぱりわからない。
しかし、自分の、寝るときに考える妄想以上に今すごい事になっているということだけは何となく分かってきた。
(もしかして私、タイムストリップしちゃったの?)
そう思いながら鈴は改めて目の前の二人を見た。
(親方様って呼ばれる十兵衛って名前の人と、その家臣らしい内蔵助って名前の人…。って、誰なんだろう? 全然分かんないよ。そもそも歴史に名を残すような人にホイホイ出会えるわけないか…。それにしても私、これからどうしたらいいの…)
色々と考えながらも、今後どうしたらいいのか考えあぐねていた鈴の耳に十兵衛の言葉が聞こえた。
「鈴とやら、今宵はこの館で過ごすとして、そのあとはどうするつもりだ」
まさに鈴が今考えあぐねていた質問を受ける。
「えっ、あっ、あの…」
「屋敷のものに送らせた方がよいか? 昼間ならこの辺りは物騒ではない。女中でも付けて家まで行かせてもよいぞ」
「あっ、それは…。というか、私はどこに帰ったらいいのか…。多分、この時代には私の帰る家はないだろう…と」
「帰る家を持たぬとは、おぬしは家を出てきたあと追いはぎに遭って身ぐるみ剥がされたということか?」
「そうです。そんな感じです」
「ならば詳しくは聞かぬが、ではこれからどうするのだ?」
十兵衛に聞かれ、鈴は少し考える。
「しばらくここに置いてもらうことはできないでしょうか?」
十兵衛より先に内蔵助が答える。
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「ですよね。そんなに都合よくはいきませんよね。それなら、もしよかったらこの近くの大きな街まで送ってもらったりしてもらえると」
「樫原なら近い。親方様がいま栄えさせようとしている所でもある。そこにでも行ってみるか」
「そこは何か働けるところはあるでしょうか?」
「女の独り身で生き、住処もなく働く所か」
内蔵助もさすがに思案顔になる。
「働く気はあるのか、鈴」
十兵衛が聞く。
「もちろんです。働かざる者喰うべからずですから」
それは鈴がいつも母親に言われていた言葉だった。
その言葉通り、母は仕事から家事まで座ることが無いというほど働き、女手一つで鈴を育てた。それゆえ鈴も生活するためには働かなければいけないという考え方だった。
「ほう、おぬしはその言葉をどこで?」
「母親から散々言われました」
「母からか。その母はいまどこにいるのだ?」
「もう離れて暮らしています。ずいぶん前から」
「そうか、その母の教えはお前も信じているのか?」
「教えと言われるようなことまでは何も教わってないですけど…。ただ一所懸命に働く母の姿は好きでしたし、尊敬もしていました」
「母を敬っていたということだな」
「儂の娘も最近そのような教えを知ったことを話しておったわ。よかろう。お主がしっかりと働く気があるなら。女中としてこの屋敷に置いてやろう。その代わり人一倍働くのだぞ」
「えっ、本当ですか? 本当にいいんですか」
「親方様、それは、しかし…。素性も分からぬ女をこの屋敷に置くというのは」
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誰なの……?
その人はいったい誰なの、隼理くん。
ドキドキとわくわくの連続だった私に突如現れた隼理くんへの疑惑。
その疑惑は次第に大きくなり、私の心の中を不安でいっぱいにさせる。
でも。
でも訊けない。
隼理くんに直接訊くことなんて。
私にはできない。
私は。
私は、これから先、一体どうすればいいの……?
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