1 / 1
わたし以外、いてはいけない
しおりを挟む
「いごもり様、それでは失礼いたします」
わたしと外界を分かつ冷たい鉄格子から、老婆が離れていきました。
食事を置いていったのです。
ここは洞窟の奥にある、暗い牢屋。
わたしが生まれてすぐに入れられた、忌籠りの部屋です。
わたしは、いごもり様と呼ばれています。
清らかな身のまま成人して巫女となるため、忌籠りと呼ばれる風習によって、完全に隔離されて育ちました。
正確なところはわかりませんが、もう16年以上は経っているのではないでしょうか。
このあいだ着物が入らなくなったときに、「もう大人用の着物でいい」と言われたので、そろそろ成人も近いのかもしれません。
何もない部屋で、ただ運ばれてくる精進料理を食べるだけの生活。
わたしにとってはこれが普通で、日常でした。
でもーー
「よ、元気そうだな」
男が周りを気にしながら入ってきました。
洞窟の外で、見張りをするのがこの男の役割のはずです。
「あなた、またお役目を放棄しているのですか?」
「放棄? そんなことしてないさ。こうやってきみを見張っているし、外から誰かが入ってくればすぐにわかる。夜中だから誰も来やしないけど」
「じゃあなぜ、そんなに人目を気にしているのです?」
男は少年のようなはにかんだ笑顔を見せ、
「まあ、婆様たちに見つかったら怒られるからな。おれがきみと話をしただけで、ケガレだとか言われるのは目に見えてる」
「そこまでして会いにくる意味は?」
「だってきみ、つまらないだろう?」
当然のことのように言われました。
わたしは即座に否定します。
「つまらないというのはわたしにはありません。ここにいることがお役目で、わたしの生まれた意味だから」
「そうかな。おれがさっき入ってきたとき、すぐに目が合った気がしたんだけど。待っててくれたと思うのはおれの自意識過剰かな?」
「あれは……あなたが来る日だと思ったから……」
わたしは男が夜中の当番となる日を、食事の回数で把握していました。
指折り数え、さっきも「今日は来る日」と思っていたことは否定できません。
わたしは、男が話す外界の話を楽しみにしていました。
「じゃあ今日も、まずは外の話をしようか」
「ええ、聞かせてください」
外で起こる物事は、この部屋での出来事とはまるで違います。
壁の石がころりと落ちたり、天井のしずくがぽとりと垂れてくるのは、出来事ですらないのかもしれません。
外には多くの人間がいて、互いに関わりを持ち、ときに憎み、ときに愛しあっているということでした。
「愛……。愛のことも、また教えてください」
「ああ、わかってる」
わたしは男と、鉄格子の隙間から唇を合わせました。
頬に当たる格子はひんやりと冷たいけれど、触れあっている唇と指からは熱い体温が伝わってきます。
わたしは、この男と触れるときだけ、鉄格子の存在を忘れることができました。
合わせるのは、唇だけではありません。
わたしは愛を教わりました。
「また来るよ」
つかの間のぬくもりを残し、男は去っていきました。
***
男が、来なくなりました。
来るはずの日が何度も過ぎ、代わりに、食事に変化が見られるようになりました。
「これは……? 植物でなくていいの?」
「はい、いごもり様。これはケガレ落としの薬でございますゆえ。残さずお食べになってくだされ」
ケガレ落としの薬。
それは肉の燻製のようでした。
「わたしはケガレてしまったのですか?」
「いいえ、これを食べ終われば問題ありません。この忌籠りの部屋にいたのは、ひとりの人間だったことになりますゆえ。ささ、食後にはこれも」
「これは粉……?」
体調を崩したときに飲む粉薬のようでした。
「骨を煎じたものです。肉と骨、すべてを身に還したときに、いごもり様のケガレ落としは完了となります」
肉と骨。
わたしはすべてを理解し、涙を流しました。
ケガレ落としによって、男がこの世に存在した事実は消え、わたしは最初からひとりだったことになるのです。
でも、わたしは燻製を拒みません。
毎日出されるそれを、涙を流しながらも残さず食べました。
だって、栄養が必要だから。
精進料理だけでは「愛」が育たないかもしれないから。
「これはわたしの一部だから、ケガレではないわ。絶対にケガレだなんて言わせない」
膨らみはじめた腹部を撫でながら、わたしは強く決意していました。
わたしと外界を分かつ冷たい鉄格子から、老婆が離れていきました。
食事を置いていったのです。
ここは洞窟の奥にある、暗い牢屋。
わたしが生まれてすぐに入れられた、忌籠りの部屋です。
わたしは、いごもり様と呼ばれています。
清らかな身のまま成人して巫女となるため、忌籠りと呼ばれる風習によって、完全に隔離されて育ちました。
正確なところはわかりませんが、もう16年以上は経っているのではないでしょうか。
このあいだ着物が入らなくなったときに、「もう大人用の着物でいい」と言われたので、そろそろ成人も近いのかもしれません。
何もない部屋で、ただ運ばれてくる精進料理を食べるだけの生活。
わたしにとってはこれが普通で、日常でした。
でもーー
「よ、元気そうだな」
男が周りを気にしながら入ってきました。
洞窟の外で、見張りをするのがこの男の役割のはずです。
「あなた、またお役目を放棄しているのですか?」
「放棄? そんなことしてないさ。こうやってきみを見張っているし、外から誰かが入ってくればすぐにわかる。夜中だから誰も来やしないけど」
「じゃあなぜ、そんなに人目を気にしているのです?」
男は少年のようなはにかんだ笑顔を見せ、
「まあ、婆様たちに見つかったら怒られるからな。おれがきみと話をしただけで、ケガレだとか言われるのは目に見えてる」
「そこまでして会いにくる意味は?」
「だってきみ、つまらないだろう?」
当然のことのように言われました。
わたしは即座に否定します。
「つまらないというのはわたしにはありません。ここにいることがお役目で、わたしの生まれた意味だから」
「そうかな。おれがさっき入ってきたとき、すぐに目が合った気がしたんだけど。待っててくれたと思うのはおれの自意識過剰かな?」
「あれは……あなたが来る日だと思ったから……」
わたしは男が夜中の当番となる日を、食事の回数で把握していました。
指折り数え、さっきも「今日は来る日」と思っていたことは否定できません。
わたしは、男が話す外界の話を楽しみにしていました。
「じゃあ今日も、まずは外の話をしようか」
「ええ、聞かせてください」
外で起こる物事は、この部屋での出来事とはまるで違います。
壁の石がころりと落ちたり、天井のしずくがぽとりと垂れてくるのは、出来事ですらないのかもしれません。
外には多くの人間がいて、互いに関わりを持ち、ときに憎み、ときに愛しあっているということでした。
「愛……。愛のことも、また教えてください」
「ああ、わかってる」
わたしは男と、鉄格子の隙間から唇を合わせました。
頬に当たる格子はひんやりと冷たいけれど、触れあっている唇と指からは熱い体温が伝わってきます。
わたしは、この男と触れるときだけ、鉄格子の存在を忘れることができました。
合わせるのは、唇だけではありません。
わたしは愛を教わりました。
「また来るよ」
つかの間のぬくもりを残し、男は去っていきました。
***
男が、来なくなりました。
来るはずの日が何度も過ぎ、代わりに、食事に変化が見られるようになりました。
「これは……? 植物でなくていいの?」
「はい、いごもり様。これはケガレ落としの薬でございますゆえ。残さずお食べになってくだされ」
ケガレ落としの薬。
それは肉の燻製のようでした。
「わたしはケガレてしまったのですか?」
「いいえ、これを食べ終われば問題ありません。この忌籠りの部屋にいたのは、ひとりの人間だったことになりますゆえ。ささ、食後にはこれも」
「これは粉……?」
体調を崩したときに飲む粉薬のようでした。
「骨を煎じたものです。肉と骨、すべてを身に還したときに、いごもり様のケガレ落としは完了となります」
肉と骨。
わたしはすべてを理解し、涙を流しました。
ケガレ落としによって、男がこの世に存在した事実は消え、わたしは最初からひとりだったことになるのです。
でも、わたしは燻製を拒みません。
毎日出されるそれを、涙を流しながらも残さず食べました。
だって、栄養が必要だから。
精進料理だけでは「愛」が育たないかもしれないから。
「これはわたしの一部だから、ケガレではないわ。絶対にケガレだなんて言わせない」
膨らみはじめた腹部を撫でながら、わたしは強く決意していました。
0
この作品の感想を投稿する
あなたにおすすめの小説
完結 愚王の側妃として嫁ぐはずの姉が逃げました
らむ
恋愛
とある国に食欲に色欲に娯楽に遊び呆け果てには金にもがめついと噂の、見た目も醜い王がいる。
そんな愚王の側妃として嫁ぐのは姉のはずだったのに、失踪したために代わりに嫁ぐことになった妹の私。
しかしいざ対面してみると、なんだか噂とは違うような…
完結決定済み
婚約破棄したら食べられました(物理)
かぜかおる
恋愛
人族のリサは竜種のアレンに出会った時からいい匂いがするから食べたいと言われ続けている。
婚約者もいるから無理と言い続けるも、アレンもしつこく食べたいと言ってくる。
そんな日々が日常と化していたある日
リサは婚約者から婚約破棄を突きつけられる
グロは無し
お腹の子と一緒に逃げたところ、結局お腹の子の父親に捕まりました。
下菊みこと
恋愛
逃げたけど逃げ切れなかったお話。
またはチャラ男だと思ってたらヤンデレだったお話。
あるいは今度こそ幸せ家族になるお話。
ご都合主義の多分ハッピーエンド?
小説家になろう様でも投稿しています。
貴方の幸せの為ならば
缶詰め精霊王
恋愛
主人公たちは幸せだった……あんなことが起きるまでは。
いつも通りに待ち合わせ場所にしていた所に行かなければ……彼を迎えに行ってれば。
後悔しても遅い。だって、もう過ぎたこと……
好きな人ができたなら仕方ない、お別れしましょう
四季
恋愛
フルエリーゼとハインツは婚約者同士。
親同士は知り合いで、年が近いということもあってそこそこ親しくしていた。最初のうちは良かったのだ。
しかし、ハインツが段々、心ここに在らずのような目をするようになって……。
大丈夫のその先は…
水姫
恋愛
実来はシングルマザーの母が再婚すると聞いた。母が嬉しそうにしているのを見るとこれまで苦労かけた分幸せになって欲しいと思う。
新しくできた父はよりにもよって医者だった。新しくできた兄たちも同様で…。
バレないように、バレないように。
「大丈夫だよ」
すいません。ゆっくりお待ち下さい。m(_ _)m
人狼な幼妻は夫が変態で困り果てている
井中かわず
恋愛
古い魔法契約によって強制的に結ばれたマリアとシュヤンの14歳年の離れた夫婦。それでも、シュヤンはマリアを愛していた。
それはもう深く愛していた。
変質的、偏執的、なんとも形容しがたいほどの狂気の愛情を注ぐシュヤン。異常さを感じながらも、なんだかんだでシュヤンが好きなマリア。
これもひとつの夫婦愛の形…なのかもしれない。
全3章、1日1章更新、完結済
※特に物語と言う物語はありません
※オチもありません
※ただひたすら時系列に沿って変態したりイチャイチャしたりする話が続きます。
※主人公の1人(夫)が気持ち悪いです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる