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8 ウォル視点
しおりを挟む俺は毎日王宮へ着いたら騎士の詰所へ行く前にハーデス侯爵に会う為に事務室へ行く。門前払いは当たり前、それでも毎日毎日顔を出す。
三月が経った頃、ようやくハーデス侯爵が会ってくれた。
「グルフ騎士、私に何か用かな?」
侯爵は怖いくらいの笑顔で話しかけてきた。にこにこと優しそうに見える笑顔ではあっても目は笑っていない。
「ハーデス侯爵、俺の話を聞いて下さい、お願いします」
俺は頭を下げた。
「なんだろうね、この前の書類に不備があったのかな?それとも、仕事の用件ではないのかな?」
「お願いします。俺の話を聞いて下さい、お願いします」
俺は頭を下げたままハーデス侯爵に懇願した。
「はぁ、付いてきなさい」
ハーデス侯爵の呆れた声が聞こえ、俺は侯爵の後を付いて事務室から少し離れた廊下まで来た。
侯爵は振り返った。
「私は君に嫌悪しているんだよ?」
「分かっています」
「でも仕方がないよね?君は獣人だ、そうだろ?獣人には我々人には分からない魂の番が存在するね?本来我々は交わらない、交わってはいけない種族なんだよ?」
侯爵の顔から笑顔が消え俺を鋭い目つきで見つめた。
「それでも私が君を許したのは君のメアリへの愛を信じたからだ」
「すみません」
俺は頭を下げるしか出来ない。
「君を許せない、それは私の気持ちだ。だがメアリを思うと…。
メアリの心は今も誰かが離さず持っている。それにメアリも未だにその誰かに心を預けている。
私はメアリには幸せになってほしい。心から愛している人と幸せになってほしいんだ」
「俺はメアリを心から愛しています」
「メアリの手を離したのは君だ」
「魂の番を初めて目の前にして抗えなかったのは事実です。ですが心は抗った。メアリを愛していると、お前が愛しているのは誰だと、お前が欲しいものは誰だと、お前の体は誰を求めているのだと、本能に負けた俺を元に戻してくれました。
俺は捨てたかった。獣の本能を、メアリを好きになり愛した時に捨てたつもりでいました。でも俺の中に獣の部分は存在していて、魂の番を前にして思い知らされました。俺は獣なのだと…。
何度メアリと同じ人になりたいと願ったか、何度獣のこの姿を呪ったか、何度俺は獣なのだと落胆したか、それでもメアリは獣の俺を好きだと言ってくれました。揺れる尻尾を愛おしそうに見つめ、動く耳を見てはいつも笑っていました。
どんなに呪ってもどんなに願っても俺は獣の部分を持つ獣人なのは変わりません。でもメアリは愛してくれた。獣人の俺を、愛してくれました。
……俺の獣の本能はどす黒い。メアリを閉じ込め俺の愛だけの中で囲い、それこそ子供にもメアリの愛を与えたくない。俺だけを愛し俺だけを見つめ俺だけの世界で生きてほしい。俺はメアリを俺という檻の中に閉じ込めたい、それは俺の獣の本能であり人としての心でもあります。
侯爵がメアリに婚約者をと人の男性を会わせているのは知っています。
ですが、
俺とメアリはまだ婚約を白紙にも解消にもしていません。今現在メアリの婚約者は俺です」
「確かに婚約を解消していない。だが解消したようなものだ、違うか」
「したようなものであってしてはいない、違いますか」
侯爵と見つめ合う。
「はぁぁ、分かった。婚約を解消するか継続するかはメアリの気持ち次第だ。一度話し合いの場を設けよう」
「ありがとうございます」
俺は侯爵が見えなくなるまで頭を下げた。
メアリの気持ち次第か…
それが一番難しいのは分かっている。あの日、俺が我を忘れたのは事実だ。メアリの心を傷付けたのは俺だ。
メアリは俺を許してはくれないだろう
それでも俺が出来る事はメアリに許しを乞いメアリを愛していると伝える事だけだ。
次の日、侯爵から『一週間後邸に来るように』と連絡をもらった。
約束の一週間後俺はメアリの待つメアリの邸の庭に足を踏み入れた。ハーデス侯爵家の騎士達や使用人に向けられる目は敵視。それは当たり前だ。
それでも何度も通ったこの庭にもう一度入れた事に涙が出そうになった。
遥か遠く、一人庭を歩くメアリの姿
その姿を見てここまで俺を魅了する女性はメアリだけだ。胸の鼓動がドクドクと脈を打つ。早る足を一歩一歩踏みしめるようにメアリの元に歩みよる。
風がメアリの甘い匂いを俺に運んだ。鼻をくすぐるメアリの甘い匂い、それだけで身体中の血がメアリを求める。
包帯で巻かれた右腕から微かに血の匂いが香った。右腕がズキズキと痛む。まるで俺の心と同じように…。
拒絶されるのは当たり前だ
嫌悪されるのは当たり前だ
俺を恨んで憎んでいるだろう
俺の顔なんか見たくないだろう
でも、
悪いな、
メアリとの絆を、メアリを繋ぎ止める事を、俺は諦められない。
殴られたって罵声を浴びたって、
俺の我儘だ。最後になっても、もう一度、お前の顔が見たい。
メアリ、お前の顔が、お前の声が、
一歩一歩メアリに近付く。
緊張、不安、震える手を隠すように握り拳に力を入れる。ドクドクと胸の鼓動が頭に響く。力が入る握り拳がじわりと汗ばむ。自分の息づかいが鮮明に聞こえる。
メアリに近付くにつれて顔は強張り体は自分の体ではないようだ。今自分はどう歩いているのかどこを歩いているのか、自分の体ではない感覚。それでも右足は一歩前に進むように出て、次に左足も一歩前に出る。断罪へ向かう罪人のように足取りは重く、それでも前に進むものだと足はひとりでに動く。
メアリを目の前にして自然と愛しい人を抱きしめようと、ようやく愛しい人に会えたと腕を回す。
愛しい人の温もりを匂いを、ようやく帰ってきたと実感した。俺の未熟さがメアリを傷つけた。メアリにとっては恐れていた事が起こり、諦めに似た絶望で俺は信用を失った。
それでも目の前にメアリが居る、ただそれだけで俺の心は満たされた。
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