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わたしには、過去の記憶が――無い。
いや、正確に言えばすべての記憶が失われているわけではない。
名前や、村に住んでいたわたしが何者かの襲撃にあって、自分が奴隷にされたことは覚えているし、言葉や常識的な知識も、ある程度なら大丈夫。
しかしそれまで大切にしてきたであろう思い出というものがポッカリ消えてしまっていた。
村の名前、家族、友人などの顔も憶えていない。何故村が襲われ、自分だけが何故一人で奴隷になっているのかも分からなかった。
気づいたら手と足に錠がつけられており、それまで確かに持っていたはずの自由を失ってしまっていた。
それからは酷い毎日だった。貴族や金持ちに売られることなく、奴隷商人から奴隷商人へ、たらい回しのようにされる日々を過ごす。
何でも良い買い手が見つからないということで、ほぼ毎日馬車に揺られるか、檻の中でジッとしているかだった。
最初の頃は奴隷商人に口答えをして反発もした。しかしその度に、手錠にかけられている魔法で身体を痛めつけられる始末。奴隷商人が、魔力を手錠へと流すと、体中の血管が浮き出て痛みを伴う。酷い場合は血管が破れることもあった。
その時の激痛は屈服をさせるには十分なほどだと思う。気が狂いそうになるほどの痛みの中で、わたしはとうとう生きることを諦めた。
この世界での奴隷の扱い方は理解している。きっとこの先、売られた先では、もっと酷いことをされるはずだ。だが奴隷は勝手に死ぬこともできない。
だからすべてを……動くことを……話すことを……生きることを……止めた。
そうすれば廃人同様だ。誰かが役に立たないといって殺してくれるだろう。そんな絶望に似た希望に縋った。
奴隷になった自分を助けてくれる者などはいない。このまま死へ一歩一歩近づくだけだ。
そう……そう思っていた。
何も考えずに、与えられる微量な食事にも手をつけずに横になっていると、大きな音が耳に入ってきたのだ。
奴隷商人が何かやったのかと思っていたが、ふと、自分の身体に温もりを感じた。
それは今まで味わったことのない、穏やかで優しげな温もりだった。気づけば、わたしは誰かに抱えられていたのだ。
赤髪で蒼い衣を着込んだ男の人。歳は自分よりも上……だ。
その人の顔を見た。悲しげで、それでいて明らかな怒りが込められている。驚いたのは、その怒りが自分に向けられているものではないと感じたから。今まで、他者の怒りは全部自分に向けられていたのに。
するとその人は、奴隷商人と揉め始め、あまつさえボディガードである男とも言い合いを始めた。
見た目では明らかに赤髪の人の方が弱そうに見える。でも彼は一片の怯えも震えも見せずに、とんでもないことを言い始めた。
わたしを解放したいと言うのだ。買うために来たわけじゃないと。そんなことを言う人がいるとは夢の世界の話だと思ってしまう。だけど結局……。
彼はわたしを貰うと口にしたのだ。一瞬、買い手がついてしまったのかと絶望を感じたが、何故か、不安はそれほど襲い掛かってはこなかった。
何故なら、彼から伝わる温もりが、明らかにわたしを気遣ってのものだと何となく分かったから。
ただその言葉のせいで、ボディガードを怒らせてしまった。拳が目の前に迫ってくる。殺されると、正直に思った。しかし気づけば、先程いた場所からずいぶん離れた場所に移動していたのだ。
どういうこと? と思ったが、赤髪の人はわたしを地上に優しく下ろしてくれて、少し待っててほしいと言った。とても綺麗で真っ直ぐな目をしている人。邪な気持ちなど微塵もない。ただただわたしを助けるために戦ってくれているのだと……そう思えた。
その人は、またもわたしを驚かせた。それは圧倒的なまでの強さだ。今までどんな者も、ボディガードの力で退けてきていたのは知っていた。だからボディガードも強いはずなのだ。
それなのに、まるで歯牙にもかけないほどの強さだった。そういえば赤髪の人が言っていた。本物の理不尽を教えてやると。確かに彼の強さはまさしくソレだった。
彼は勝利を得て、わたしに向かって来る。お礼を言おうと思ったが、身体が無意識のうちにビクッとしてしまっていた。謝ろうと思った。
だけど……。
わたしはその時のことを一生忘れないだろう。
だって、次に発した彼の言葉が……。
その優しさに溢れた一言が……。
『なあ、オレと一緒に旅館――やってみねーか?』
―――わたしの人生を変えてくれたのだから。
いや、正確に言えばすべての記憶が失われているわけではない。
名前や、村に住んでいたわたしが何者かの襲撃にあって、自分が奴隷にされたことは覚えているし、言葉や常識的な知識も、ある程度なら大丈夫。
しかしそれまで大切にしてきたであろう思い出というものがポッカリ消えてしまっていた。
村の名前、家族、友人などの顔も憶えていない。何故村が襲われ、自分だけが何故一人で奴隷になっているのかも分からなかった。
気づいたら手と足に錠がつけられており、それまで確かに持っていたはずの自由を失ってしまっていた。
それからは酷い毎日だった。貴族や金持ちに売られることなく、奴隷商人から奴隷商人へ、たらい回しのようにされる日々を過ごす。
何でも良い買い手が見つからないということで、ほぼ毎日馬車に揺られるか、檻の中でジッとしているかだった。
最初の頃は奴隷商人に口答えをして反発もした。しかしその度に、手錠にかけられている魔法で身体を痛めつけられる始末。奴隷商人が、魔力を手錠へと流すと、体中の血管が浮き出て痛みを伴う。酷い場合は血管が破れることもあった。
その時の激痛は屈服をさせるには十分なほどだと思う。気が狂いそうになるほどの痛みの中で、わたしはとうとう生きることを諦めた。
この世界での奴隷の扱い方は理解している。きっとこの先、売られた先では、もっと酷いことをされるはずだ。だが奴隷は勝手に死ぬこともできない。
だからすべてを……動くことを……話すことを……生きることを……止めた。
そうすれば廃人同様だ。誰かが役に立たないといって殺してくれるだろう。そんな絶望に似た希望に縋った。
奴隷になった自分を助けてくれる者などはいない。このまま死へ一歩一歩近づくだけだ。
そう……そう思っていた。
何も考えずに、与えられる微量な食事にも手をつけずに横になっていると、大きな音が耳に入ってきたのだ。
奴隷商人が何かやったのかと思っていたが、ふと、自分の身体に温もりを感じた。
それは今まで味わったことのない、穏やかで優しげな温もりだった。気づけば、わたしは誰かに抱えられていたのだ。
赤髪で蒼い衣を着込んだ男の人。歳は自分よりも上……だ。
その人の顔を見た。悲しげで、それでいて明らかな怒りが込められている。驚いたのは、その怒りが自分に向けられているものではないと感じたから。今まで、他者の怒りは全部自分に向けられていたのに。
するとその人は、奴隷商人と揉め始め、あまつさえボディガードである男とも言い合いを始めた。
見た目では明らかに赤髪の人の方が弱そうに見える。でも彼は一片の怯えも震えも見せずに、とんでもないことを言い始めた。
わたしを解放したいと言うのだ。買うために来たわけじゃないと。そんなことを言う人がいるとは夢の世界の話だと思ってしまう。だけど結局……。
彼はわたしを貰うと口にしたのだ。一瞬、買い手がついてしまったのかと絶望を感じたが、何故か、不安はそれほど襲い掛かってはこなかった。
何故なら、彼から伝わる温もりが、明らかにわたしを気遣ってのものだと何となく分かったから。
ただその言葉のせいで、ボディガードを怒らせてしまった。拳が目の前に迫ってくる。殺されると、正直に思った。しかし気づけば、先程いた場所からずいぶん離れた場所に移動していたのだ。
どういうこと? と思ったが、赤髪の人はわたしを地上に優しく下ろしてくれて、少し待っててほしいと言った。とても綺麗で真っ直ぐな目をしている人。邪な気持ちなど微塵もない。ただただわたしを助けるために戦ってくれているのだと……そう思えた。
その人は、またもわたしを驚かせた。それは圧倒的なまでの強さだ。今までどんな者も、ボディガードの力で退けてきていたのは知っていた。だからボディガードも強いはずなのだ。
それなのに、まるで歯牙にもかけないほどの強さだった。そういえば赤髪の人が言っていた。本物の理不尽を教えてやると。確かに彼の強さはまさしくソレだった。
彼は勝利を得て、わたしに向かって来る。お礼を言おうと思ったが、身体が無意識のうちにビクッとしてしまっていた。謝ろうと思った。
だけど……。
わたしはその時のことを一生忘れないだろう。
だって、次に発した彼の言葉が……。
その優しさに溢れた一言が……。
『なあ、オレと一緒に旅館――やってみねーか?』
―――わたしの人生を変えてくれたのだから。
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