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「――――ほう、今何て言った?」

 不機嫌そうに眉をひそめたザラードの言葉がシンカの耳朶を打った。
 シンカがいるのは、彼が寝食を行う拠点がある七十階層である。とても鉄の塊の中にあるとは思えないほど、ここの内装は豪華に整っていた。

 床には赤い絨毯が敷き詰められ、壁にも白銀色をした壁紙が張られている。また幾つもの本棚やソファ、それにベッドなどもあって、何よりも部屋自体が相当に広い。
 さすがは領域長の住む場所と言えるだろう。
 そんなザラードだが、ソファに座り両脇に美女を侍らせ、背後には腕の立つ部下を控えさせつつ、報告にやってきたシンカに対応していた。

 では報告とは何か。
 それは先日のザラードの勧誘に対する返事をするためだ。
 そしてその答えは――。

「悪いけど、オレはあんたの直属にはならない」

 ピクリとザラードの眉が上がり、周囲の気温が一気に冷えたような寒気が漂う。
 ザラードもそうだが、部下たちから発せられる殺気も並ではない。許可が出れば、今すぐにでも襲い掛かってきそうだ。

「はぁ……お前はガキの割りには賢い方だと思ってたんだがなぁ」
「高評価はありがたいけど、オレは今の生活を捨てるつもりはないんだよね」
「……撤回するつもりはねえんだな?」
「そう決めたから」

 ハッキリ言って気持ち的にはザラードの勧誘へ流れていた。自分が彼の直属になれば、その見返りとしてニヤたちの安全が買えるのだとしたら安いものだと。
 だから少し前までは、ニヤたちへどういう言い訳をしようか悩んでいたのである。

 しかし昨日、ニヤと二人きりで話してハッキリ自分の気持ちを確かめることができた。
 たとえ裕福になれずとも、毎日が危険で不安定だとしても、自分はニヤたちから離れたくないのだと。
 それを教えてくれたニヤには感謝してもし切れない。故にもう悩むことはない。

 ――ニヤたちとともに生きる。

 それがシンカの見出した答えだった。

「ええいっ、もう我慢できんっ!」

 怒りを爆発させたのはザラードではなかった。
 その背後で控えていた部下の一人が、風のような動きで瞬く間にシンカの懐へ接近すると、そのまま右足で蹴り上げてきた。

「ぐふぅぁっ!?」

 腹に痛撃な一撃を受け、小さな身体が宙へ浮く。そしてそのまま床に落下した。

「げほっ、げほっ、げほっ」

 幾らか腹に力を入れていたとはいえ、とんでもない衝撃である。
 ただ避けようと思えば避けられた。彼の動きは見えていたから。しかしシンカはわざと避けなかったのだ。
 シンカは腹を押さえながらも立ち上がり、ギロリと蹴ってきた部下を睨み付ける。

「一撃……は、甘んじて……受けた」
「! 何……だと?」
「領域長……に、恥をかかせた……事実も……認める。だから……受けた」

 こちらに非はないと心では思っていても、ザラードのメンツがあるだろう。何せ直々の領域長からの誘いを、底辺にいるはずの輩が断ったのだから。
 だからせめて一撃くらいは黙って受けてやろうと思った。

「でも……一撃……だけだ。それ以上は……オレも黙ってられない」

 シンカは全身から溢れんばかりの魔力を放出し、見る者をたちを圧倒させた。
 部下もそこで生半可な存在ではないと理解したのか、一旦後方へ下がりシンカから距離を取り警戒を強めている。

 だがそこへ――。

「止めろ、お前ら」

 ザラードからの制止が届く。

「し、しかしこのガキはザラード様のご厚意を無下に――」
「いいから黙れ、ガスト」

 ガスト……その名を聞いて思い出す。確かグレイの店でも突っかかってきた奴だった。随分と短気なようだ。
 ザラードに睨まれ、釈然としない様子ではあるが「了解しました」と再びザラードの背後へと戻った。

「さて、シンカ……だったな。俺の誘いを断るってことは、多くを敵に回すことにも繋がるぜ? ここにいる部下たちみてえにな」

 侍らせている女たちからも敵意を感じる。相当ザラードに入れ込んでいるのだろう。
 ここでは力ある者が絶対の正義だから、ザラードに心棒しているのだ。

「ならジュダ……オレの家族も直属にしてくれるか?」
「はっ、冗談だろ。弱え奴らに興味はねえ。あくまでもお前が俺のものになれば、その家族とやらに幾ばくかの見返りを与えてやるってだけだ。これでも大盤振る舞いのつもりなんだぜ?」

 そこまで見込まれている事実はありがたいが、やはりそんなことを言う彼を信用することができない。

「言葉を覆す気は……ない」
「っ…………残念だ。もういい、帰れ」

 失望したかのように大きな溜め息とともにハエを追い払うみたいに手を振るザラード。 
 シンカはふぅっと小さく息を吐く。
 部下たちからの刺すような視線を背中に受けながら、そのまま部屋から出ていった。

 だがシンカは完全に読み違いをしていたのである。
 頂点にいる存在が、これ以上底辺で蠢いている弱卒にこだわるとは思っていなかったのだ。だからこれで面倒事は終わったと、油断していた。

 しかし数日後――シンカは地獄を見ることになる。




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