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第一話
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少年――一堂写楽《いちどうしゃらく》は、順風満帆な生活をしてきたわけではない。
物心つく頃には、すでに実の両親は傍にいなかった。何でも母親らしき人物が、赤ん坊の写楽をある寺院に預けたという。
いや、捨てたといった方が正しいのかもしれない。半ば強引に住職に押し付けて、その人物はそそくさと去っていったらしいのだから。
しかもそこの寺院は田舎にあるさびれた寺で、今にも壊れそうな建物しか存在していなかった。写楽はそこで育てられることになった。
名付け親は住職だ。写楽は彼には感謝している。立派な名前をもらったのもそうだが、今まで育ててもらっているのだから。
かなり貧しい生活を強いられていたが、それでも幼稚園や学校にもちゃんと行かせてもらった。いつか彼には恩返しをしたいと思い、勉強にも励んでいた……が、ある日、住職が病で倒れあっさりと逝ってしまう。
奇しくもその日は、写楽の十八歳の誕生日。
写楽を預かった時は、すでに七十近かったので、大往生といえば大往生なのだろうが、それでも写楽は悔しかった。こんな良い人が死んでいるのに、まだどこかで自分を捨てた親が生きていると思うとやり切れなかったのだ。
育ての親を失った衝撃はあまりにも大きく、一週間ほど何もやる気がせずに落ち込んだ日々を過ごしてしまった。
これではいけないと思いつつも、身体ではなく心が言うことを聞いてくれない。何とか立ち直れるきっかけになったのは、寺に遊びに来る子供たちの声だった。
近所の子供たちとは仲が良かったため、子供たちも写楽を慰めてくれる。そしてそのお蔭もあってか、徐々に立ち直ることができた。
元気を出して学校に出掛けようとした矢先、不意に聞こえた子供たちの声。その声を追うために、自室から外を見てみると、子供の一人が大樹に登っていた。しかも枝にしがみつき泣いている。下にいる子供たちも、助けようと登ろうとし始めるのだ。
「アイツらっ、何て真似をっ!?」
急激に血が冷える思いをした。もし樹から落ちたらとんでもないことになる。写楽は慌てて子供たちのもとへ向かった。
「こらっ! さっさとそこから降りてこいっ!」
写楽が来たことで、樹に昇ろうとした子供たちは動きを止める。
「しゃらく~っ、あいつ、おりられないんだって!」
「何だとっ!?」
「ふえぇぇぇぇんっ! たしゅけてぇぇぇっ! しゃりゃくぅ~っ!」
高さは五メートル以上はある。よくもまあ、途中で諦めずに登ることができたものだ。
「待ってろ! 今助けてやるからっ!」
その時、大樹にしがみついている子供の近くから何かが落ちてきた。それは枝に引っ掛けているようで、垂れ幕のような形をしていた。
“げんきだして! しゃらく!”
そこに書いていた文字を見て、写楽は言葉を失う。
その垂れ幕は、写楽の自室からよく見える位置にあった。
(そうか、コイツら……)
子供たちが自分のために無茶をしたということを知る。
「ひっぐ……ごめんっ……ね……」
「ごめんなさい……」
子供たちが泣きながら謝ってきたので、写楽は彼らの頭を優しく撫でる。
「いや、ありがとな。感謝するぞ」
偽りのない感情だった。子供たちが、自分を元気づけるためにしてくれたということが分かり、胸にとても温かいものが流れ込んできた。だからこそ。
「今、助けてやるからな!」
写楽はすぐに大樹を登り始める。
木登りならお手の物だった。小さい頃から何度も登ったことがあるのだ。
子供がいる場所までもう少し。
「もう大丈夫だ、ほら、手を伸ばしてみろ」
「しゃ、しゃりゃく~っ」
しかしその時、強風が吹き、舞う木の葉が子供の目を塞いだ。
「あうっ!?」
「あ、バカッ!」
慌てて両手を目にやったため、風を受けてバランスを崩してしまい、そのまま落下してしまう。
「ちぃっ!?」
写楽は意を決して枝からジャンプし、落下してくる子供の身体を抱え込む。
だが下は無情にもクッションなど何もない、ただの固い地面。
――一瞬。衝撃は全身に走った。背中から落ちたせいもあり、頭も打ったようだ。特に後頭部が熱されたように感じ、ズキズキと痛みが走っている。僅かに顔を横に逸らし、地面に目をやる。真っ赤な液体が大地を染めていた。
(マジかよ……これ全部、オレの血か……!)
しかしそんなことよりも、写楽には確認しなければならないことがあった。
「……だい……じょう……ぶか?」
「しゃ、しゃりゃくぅっ!」
腕の中にいた子供も、落下の衝撃で投げ出されたようだが、擦り傷一つないようだ。
「ごめん……ごめん! しゃりゃくぅ、ごめんっ!」
「……無事……なら……いい」
本当に無事ならそれで良かった。自分が何かを守れたということが、素直に嬉しかったのだ。
徐々に目の前が真っ白になっていく。子供たちの泣き顔だけが視界に映り込んでいる。写楽は必死で腕を動かして、泣きじゃくる子供の頭に手を置く。
「いい……か。気に……するな。けど……もう……危ないこと……は、する……なよ」
「うん! うんうん! しないから! だからしっかりしてよぉ!」
だがもう子供たちの声も段々と聞こえなくなっていった。
(……おいおい、これでオレの人生も終わりってことか……)
しかし不思議にも落ち着いている自分がいることに気づく。
(まあ、いいか……。やりたいこともなかったし。それに、死んだら向こうにじっちゃんもいるだろうし……な)
死んだ住職が待っていると思えば、それはそれで安心できるものもあった。
(できたら、コイツらが……元気に育ってくれたら…………いい……な)
写楽の意識はプツリと音を立てて消えた――。
――――――――扉は開かれた。
物心つく頃には、すでに実の両親は傍にいなかった。何でも母親らしき人物が、赤ん坊の写楽をある寺院に預けたという。
いや、捨てたといった方が正しいのかもしれない。半ば強引に住職に押し付けて、その人物はそそくさと去っていったらしいのだから。
しかもそこの寺院は田舎にあるさびれた寺で、今にも壊れそうな建物しか存在していなかった。写楽はそこで育てられることになった。
名付け親は住職だ。写楽は彼には感謝している。立派な名前をもらったのもそうだが、今まで育ててもらっているのだから。
かなり貧しい生活を強いられていたが、それでも幼稚園や学校にもちゃんと行かせてもらった。いつか彼には恩返しをしたいと思い、勉強にも励んでいた……が、ある日、住職が病で倒れあっさりと逝ってしまう。
奇しくもその日は、写楽の十八歳の誕生日。
写楽を預かった時は、すでに七十近かったので、大往生といえば大往生なのだろうが、それでも写楽は悔しかった。こんな良い人が死んでいるのに、まだどこかで自分を捨てた親が生きていると思うとやり切れなかったのだ。
育ての親を失った衝撃はあまりにも大きく、一週間ほど何もやる気がせずに落ち込んだ日々を過ごしてしまった。
これではいけないと思いつつも、身体ではなく心が言うことを聞いてくれない。何とか立ち直れるきっかけになったのは、寺に遊びに来る子供たちの声だった。
近所の子供たちとは仲が良かったため、子供たちも写楽を慰めてくれる。そしてそのお蔭もあってか、徐々に立ち直ることができた。
元気を出して学校に出掛けようとした矢先、不意に聞こえた子供たちの声。その声を追うために、自室から外を見てみると、子供の一人が大樹に登っていた。しかも枝にしがみつき泣いている。下にいる子供たちも、助けようと登ろうとし始めるのだ。
「アイツらっ、何て真似をっ!?」
急激に血が冷える思いをした。もし樹から落ちたらとんでもないことになる。写楽は慌てて子供たちのもとへ向かった。
「こらっ! さっさとそこから降りてこいっ!」
写楽が来たことで、樹に昇ろうとした子供たちは動きを止める。
「しゃらく~っ、あいつ、おりられないんだって!」
「何だとっ!?」
「ふえぇぇぇぇんっ! たしゅけてぇぇぇっ! しゃりゃくぅ~っ!」
高さは五メートル以上はある。よくもまあ、途中で諦めずに登ることができたものだ。
「待ってろ! 今助けてやるからっ!」
その時、大樹にしがみついている子供の近くから何かが落ちてきた。それは枝に引っ掛けているようで、垂れ幕のような形をしていた。
“げんきだして! しゃらく!”
そこに書いていた文字を見て、写楽は言葉を失う。
その垂れ幕は、写楽の自室からよく見える位置にあった。
(そうか、コイツら……)
子供たちが自分のために無茶をしたということを知る。
「ひっぐ……ごめんっ……ね……」
「ごめんなさい……」
子供たちが泣きながら謝ってきたので、写楽は彼らの頭を優しく撫でる。
「いや、ありがとな。感謝するぞ」
偽りのない感情だった。子供たちが、自分を元気づけるためにしてくれたということが分かり、胸にとても温かいものが流れ込んできた。だからこそ。
「今、助けてやるからな!」
写楽はすぐに大樹を登り始める。
木登りならお手の物だった。小さい頃から何度も登ったことがあるのだ。
子供がいる場所までもう少し。
「もう大丈夫だ、ほら、手を伸ばしてみろ」
「しゃ、しゃりゃく~っ」
しかしその時、強風が吹き、舞う木の葉が子供の目を塞いだ。
「あうっ!?」
「あ、バカッ!」
慌てて両手を目にやったため、風を受けてバランスを崩してしまい、そのまま落下してしまう。
「ちぃっ!?」
写楽は意を決して枝からジャンプし、落下してくる子供の身体を抱え込む。
だが下は無情にもクッションなど何もない、ただの固い地面。
――一瞬。衝撃は全身に走った。背中から落ちたせいもあり、頭も打ったようだ。特に後頭部が熱されたように感じ、ズキズキと痛みが走っている。僅かに顔を横に逸らし、地面に目をやる。真っ赤な液体が大地を染めていた。
(マジかよ……これ全部、オレの血か……!)
しかしそんなことよりも、写楽には確認しなければならないことがあった。
「……だい……じょう……ぶか?」
「しゃ、しゃりゃくぅっ!」
腕の中にいた子供も、落下の衝撃で投げ出されたようだが、擦り傷一つないようだ。
「ごめん……ごめん! しゃりゃくぅ、ごめんっ!」
「……無事……なら……いい」
本当に無事ならそれで良かった。自分が何かを守れたということが、素直に嬉しかったのだ。
徐々に目の前が真っ白になっていく。子供たちの泣き顔だけが視界に映り込んでいる。写楽は必死で腕を動かして、泣きじゃくる子供の頭に手を置く。
「いい……か。気に……するな。けど……もう……危ないこと……は、する……なよ」
「うん! うんうん! しないから! だからしっかりしてよぉ!」
だがもう子供たちの声も段々と聞こえなくなっていった。
(……おいおい、これでオレの人生も終わりってことか……)
しかし不思議にも落ち着いている自分がいることに気づく。
(まあ、いいか……。やりたいこともなかったし。それに、死んだら向こうにじっちゃんもいるだろうし……な)
死んだ住職が待っていると思えば、それはそれで安心できるものもあった。
(できたら、コイツらが……元気に育ってくれたら…………いい……な)
写楽の意識はプツリと音を立てて消えた――。
――――――――扉は開かれた。
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