上 下
36 / 43

第三十五話

しおりを挟む
 鼻をつくニオイに思わずコニムは顔をしかめてしまう。
 これは腐臭。しかもモンスターや動物などのそれとは違い、人間のソレ。
 鎖に繋がれ拘束された人間たちが息絶え、そのまま放置されている。

「……酷いです……!」

 いくら人間が憎いといっても、これは酷過ぎる行いだ。人間の身体は傷だらけで、骨と皮しかないくらい痩せ細ってしまっている。

 恐らく何日に食べ物をもらえず、拷問に近い所業をその身に受けていたのだろう。
 今、コニムとノージュもまた、同じように鎖で繋がれて抵抗できなくされている状態。

 ただノージュだけは射殺さんばかりの睨みを、椅子に座って豪快に酒を煽っているビビルアに向けているが。

「っぷはぁ、勝利の酒というものはいつ呑んでも美味え。そう思いませんかな、ノージュ姫。あ、失礼を。確か酒の味も分からぬ小娘でしたな?」
「くっ……ビビルア、貴様だけは必ずこの私の手で打ち滅ぼしてくれる!」
「クハハハハハ! その状態でどうやってですかな? 威勢が良いのも頼もしいですが、そろそろ自分の立場というものを知るといいです」
「……っ」
「お姉ちゃん……」
「大丈夫だ、コニム。お前だけはお姉ちゃんが絶対に守る!」

 その時、不意に風が吹いたと思ったら―――。

「――おやおや、これはビックリ」
「フン、ようやく来おったか」

 そこに現れたのは、一人の魔人。コニムたちの姿を見て驚いている様子。

(誰だろ……?)

 姉を見ても、彼女も分からないのか眉をひそめて、ジッと突如として現れた魔人を見つめている。

「リュゼよ、貴様にとって残念な知らせがある」
「ほほう、お聞きしましょうか」
「もうこの状況で理解できていると思うが、すでに貴様の情報は必要なくなった」
「……のようですねぇ」
「さらに、黒髪のガキだが、奴は――死んだ」
「! ……死んだ?」
「ああ、崖下から落ちてな」
「…………」
「ククク、まさか“異界者”のガキが、姫たちと同行していたとは驚きだったがな」
「同行……? ああ、なるほどぉ~、僕が最近手に入れた情報では、姫様たちが護衛を雇ったということでしたが、それが“異界者”の少年くんでしたか。いやはや何とも驚きですねぇ~」

 コニムは言い知れぬ寒気を感じていた。それはビビルアの殺気を感じた時や、ウェンガに見つかった時と比べても異質的なもの。

 あのリュゼという魔人が醸し出す雰囲気を見て心の奥底から不気味な恐怖を感じてしまっていた。

(な、何……? 何であんな感情オーラが出せるんですか?)

 それはとても昏く、冷たく、負を詰め込んだような、とても生者が出すようなオーラではなかった。得体の知れないナニカを見ているようで、コニムは無意識に身体が震えてくる。

「しかし、そうですか。彼は死んじゃいましたか……」
「ククク、残念だったなぁ、俺に恩が売れなくて」
「いえいえ、ただの暇潰しでしたから。それに恩なんてそんな大層なものを、かのモヴィーク王の重臣のお一人に売ろうとは思っておりませんよ。おこがましいですから~」
「……フン、相変わらず食えねえ野郎だ」
「褒め言葉として受け取っておきましょう~。それよりも……」

 リュゼがコニムたちに向かって丁寧に頭を下げてくる。

「お初にお目にかかります、姫様方。僕はリュゼと申します。以後お見知りおきを」
「フン、貴様も魔人のようだが、見たことがない。何故ビビルアと懇意にしている?」
「これはこれはノージュ姫殿下、殿下ともあろうお方がそのような物言い、どうかと思いますが?」
「質問に答えろっ!」
「ンフフ、別に懇意にしているわけではありません。先程も申し上げた通り、僕はただの暇潰しでこちらに足を延ばしただけです。まあ、伸ばし損になりましたが」
「どういうことだ?」
「実は僕、あなた方のお傍にいたという少年に興味があったのです」
「シャラクに?」
「ほう、シャラク……と言うのですか、その少年の名は」

 ニヤリと口角を上げるリュゼ。身震いするほどのねっとりとした笑みである。髪の毛に隠れて目が見えないので尚更不気味だ。

「何故貴様がシャラクを?」
「殿下は彼が“異界者”であることをご存知ですか?」
「知っている」
「ほう、知っていてともに行動を? 彼は人間、なのですよ?」
「だからどうした? コニムが奴を信じた。だから私も信じたのだ」
「なるほどぉ~、殿下の行動原理は、コニム姫殿下に左右されるということですか。くだらないですねぇ~」
「な、何っ!?」
「だってそうではありませんか。人というものはもっと自由ですよ? 自分勝手に生きなければ、人生楽しくないではありませんかぁ~」
「私はコニムを守ると決めた!」
「他人を守る? 他人のために生きる? まあ、それもまた生き方の一つでしょう。しかし、とてもとてもつまらない。ノーグッドです」
「貴様ぁ……っ」
「僕は自分が楽しいと思うことしかしないので。他人を信じることも頼ることもしません。まあ、利用はしますが」
「貴様、それを俺の前で言うか」
「あらあら、聞こえちゃってましたか? もしかして怒っちゃいました?」

 別段焦った様子もなくリュゼはビビルアに顔を向けている。ビビルアも対して気にしていない様子を見るところ、このリュゼは普段からこういう態度なのだということが分かる。

「まあ、とにかく。僕は好奇心に突き動かされて、彼を調べていただけです。だって、彼は死んだはずなのに、生きているんですから」
「っ!? ど、どういうことだ? シャラクが死んだのに生きているだと?」
「おやぁ? 彼から話を聞いてはいないんですか? ではお教えしましょう。彼は【クランヴァール王国】に召喚されてすぐ――殺されています」
「「っ!?」」

 衝撃告白だった。コニムもノージュも言葉を失ってしまう。

しおりを挟む

処理中です...