世界を救った姫巫女は、

六つ花えいこ

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番外編 : 世界を救った姫巫女は、桃を所望す 【中編】

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 それから、さほどの時間はかからなかった。
 寝苦しさから目が覚めた理世は、ごほごほと咳き込む。辛さを堪え、肘をつき、体を起こしてサイドテーブルに置いた飲み物に手を伸ばした。
 彼女を支え、体を起こす手助けをしたテオバルトは、座りやすいように理世の背に枕を敷いてやる。
 寝起きのせいか、目を白黒させている理世にテオバルトがコップを差し出した。先ほど温かかった蜂蜜湯は、すでにぬるくなっている。理世は口をつけ、ゆっくりと喉を潤した。

「……ありがとう」
「しゃべらずともよいですよ。桃を持ってまいりました。遅くなってすみません。今から切りますからね」
 氷はほぼ溶けていた。しかし、桃はキンキンに冷えているだろう。冷たい桃をものともせずテオバルトが掴むと、慣れた手つきで皮を剥いでいく。
 テオバルトは丸い実を削ぐように、果肉を皿に落としていった。全てを剥き終えると、手についた果汁を水でさっと洗い流す。皿に盛られた果肉を一口サイズに丁寧に切り分けると、テオバルトは小刀からフォークに持ち替えた。

「無理じゃない程度に、口を開けてください」
 理世は震える唇を、薄く開いた。開いた隙間は、大きくない。しかし、テオバルトは器用に果肉を詰め込むと、唇から漏れた果汁をさっと布巾でふき取った。

「お辛くないのなら、いくらか噛んでくださいね」
 理世が、もぐと口を動かした。もぐ、もぐもぐもぐ。テオバルトは決して急かすことなく、その様子を見守っている。
 小さな唇が動きを止め、喉に負担がかからないようにゆっくりと飲み込んでいった。テオバルトはフォークに桃を突き刺し、理世の口へ運ぶ。理世はまた薄く口を開けて、果肉を迎えた。

 それを何度も繰り返して、ようやく皿の中の桃が半分になった。理世は食べ疲れたのか、口に桃を頬張ると、もういらないと首を横に振る。全てを食べきれなくて申し訳なさそうな顔をする理世に、テオバルトは優しく微笑んだ。

「では残りは、私がいただきましょう。皆には内緒にしてくださいね」
 守り人達の苦労を知るテオバルトは、彼らに理世が残したと伝えたくなかった。お互いの利害の一致により、桃はテオバルトの腹に収まった。

 もぐもぐもぐ、ごっくん。
 理世が小さな一切れを食べ終えた。さぁ口元を拭ききましょうか、と布巾を手に取ったテオバルトが固まる。

 ぽたぽたぽた。
 理世の両の目から、大量の涙が零れていたのだ。

「ア、アリサ……どうしました。も、桃が、渋いのですか?」
 狼狽するテオバルトに、理世は小さく首を横に振る。
「では、骨――いえ、種が? 口に刺さりましたか?」
 理世は再び、首を横に振った。

「ふ、ぐ、え」
 喉の痛みのせいで、理世が発した声が裏返る。耳触りの悪いその声に、テオバルトが感じたのは憂慮だけ。それを感じ取った理世は、更に涙を流した。

「ふ、う、うーーー」

 本当は、辛かった。
 ずっとずっと、辛かった。

 この世界に突然やってきたことも、日本の自分が死んでいるかもしれないと考えることも、日本に戻る方法がないかもしれないということも、もう二度と父や母に会えないかもしれないということも、身の丈に合わない大きな使命も。
 「なんて乙女ゲー」そんな言葉で片付けるには、理世は幼すぎた。

 更には、いやでも感じる邪魔者扱い。実績のない姫巫女に対する人々の風当たりは、イケメン守り人達が暴風壁になろうとも、いやでも理世にまで吹き荒んだ。

 その全てを理世は笑顔で耐えてきた。
 何故か? そんなのは簡単だ。

 これが乙女ゲーなら、ヒロインはそうするだろうから。

 本当は、きつい視線一つ投げられるたびに。嫌な言葉一つ放たれるたびに。その場に座り込んでストライキ起こしたいぐらい、傷ついていた。そうしても許される立場を、この世界は誂えてくれているのだ。そうして、何が悪い。そう思ったことが何度あっただろうか。何度布団の中で、次こそそうしてやると思っただろうか。

 そうできなかった理由は、更に簡単だった。

 絶対的な味方でいてくれる守り人の彼らに、疎まれたくなかったからだ。
 彼らが理世を可愛がってくれるのは、姫巫女を率先して守ってくれるのは。「アリサ」が聞き分けのいい甘えんぼだからだ。彼らの許容範囲内の我儘しか、「アリサ」が吐かないからだ。

 この世界で、理世は彼らに頼るしかない。その彼らに、疎まれるようなことが、出来るはずがなかった。

『具合はどうです?』
 そんなもの、見てわかるだろうと本当は言いたかった。
 辛いのだ。きついのだ。苦しいのだ。
 背をさすってほしかった。もう大丈夫だと、すぐに治ると、無責任な励ましがほしかった。布団は暑くないか、逆に寒くないか。自分をもっと、気にかけてほしかった。
 苦い薬を飲んだとき、よくやったと褒めてほしかった。ご褒美に口直しがほしかった。

『アリサ、座れるか?』
 座れることが前提で、そう聞いてほしくなかった。
 手を貸してほしかった。体を引っ張ってほしかった。座り続けることが辛かった。支えていてほしかった。
 取っ手もついていないカップに熱いものを注いでほしくなかった。喉のために温かい物、といっても、もう少し冷ましておいてほしかった。

『どうした。辛いか?』
 辛いに、決まっている。そんな馬鹿馬鹿しい質問を、しないでほしかった。

『ご無理なさらずともいいのですよ』
 ご無理をしなければ、何一つしてくれないではないかと、声を荒げて叫びたかった。私はもう、ずっとずっとずっと、ずっと無理をしてたのに。

 拗ねて壁を向く自分を放置するのでなく、ずっと話しかけてほしかった。彼らに心を解くきっかけを、彼らから与えてほしかった。頑なになった心が解きほぐれるまで、甘やかし、謝り続けてほしかった。

 全部全部、彼らにとって許容を超えた我儘だと、わかっていた。八つ当たりだと、わかっていた。彼らはこれを受け入れられないだろうと。困るだろうと。だから我慢した。だから黙った。だから殻に潜り込んだ。

 耐えるのは辛かった。けどそれ以上に、こんな時まで「いい子のアリサ」でなんて、いたくなかった。

 桃を頼んだのは、ただの習慣だった。風邪を引いたら、桃の缶詰。そういう家庭で理世は育った。
 けれど、桃と答えて固まった空気から、入手が難しいのかもしれないと理世は感じた。それでも理世は願いを取り消さなかった。この願いまで取り消してしまったら、自分を維持することさえ出来なくなってしまいそうなほど、心が苛まれていた。

 風邪を引いた時に、ほんの一口、桃を齧りたいだけだった。

 そんな、たったそんな平凡な願いさえ、望んではいけない現実など、理世は絶対に受け入れたくなかったのだ。

 それを叶えてくれたのは、桃と同じほど甘い言葉で理世の心を撫でた、テオバルトだった。
 彼は理世の意志を察し、起き上がる手助けをし、体を支えてクッションを敷いてくれた。遠くにあるカップを取ってくれて、理世を慮ってしゃべらなくていいと言ってくれた。桃を小さく切ってくれ、動かしにくい口を気遣ってくれた。べたつく口元を何度もぬぐってくれた。

「い」
「い?」
「いたいの、からだが、のどが、あたまも」
 いたいの、いたいの。涙を流しながらそう呟く理世に、テオバルトが眉を下げた。

「お辛いでしょうね、でもきっとすぐによくなりますよ。アリサは薬を上手に飲めましたからね。今もほら、こんなに沢山桃を食べられた。明日にはきっと、もっと沢山、食べられるようになってますよ」

 過度な子ども扱いも気にならないほど、テオバルトのいたわりが嬉しかった。そう、そうなの。私は今、とても頑張った。理世は、何度も首を立てに振った。

 お父さん、お母さん。
 理世は寸でで言葉を飲み込んだ。言ってしまったら、もう、自分が彼らに二度と会えないことを、受け止めなければいけないような気がした。

 辛い、苦しい、と。悲鳴をあげたかった。
 風邪は、苦しいのだ。風邪は、きついのだ。そんなこと当たり前で、そんな時に甘えられるのも、また当たり前だった。そんな当たり前の優しさを、自分はもしかしたら、永遠に失ってしまったのだと――理世はどうしても認めたくなかった。

 きつい時に機嫌が悪くなることも、甘えたくなることも、ほんの少しの八つ当たりも。

 当たり前の、日常だった。手を伸ばさずとも手に入る愛だった。意識なんてしたことなかった、なのに。

「痛いですね、お辛いですね。この身に受けられればよいのですが……」
 テオバルトはぐっと拳を握りしめる。
「テオバルトの不始末です。アリサがあまりにも頑張るのがお上手なので、甘えてしまいました。これからは、もっとしっかり、アリサをお守りいたします」
 申し訳ございません。そう頭を下げるテオバルトを見て、理世は涙を流した。

 どうして、この世界で誰もくれなかった優しさを、貴方がくれるの。
 どうして、この世界にはないと思っていた愛の形を、貴方はしてるの。

 テオバルトの胸を、理世がぺしんと叩いた。

「いたい」
「はい」
「いたい、つらい、きつい、もう、やだ」
「はい、はい」
「もう、やだ。次は、いや。いたいの、いや」
「はい、はい。もちろんです」
 いや、いやだからね。いや。
 涙を流しながらの理世の八つ当たりを、テオバルトは甘受した。

 一通り殴り終えて気が済むと、理世は横になるために手をついた。すぐに察したテオバルトが、体を抱いて横たえらせる。
 泣き疲れ、ぼうとした顔で理世がテオバルトを見つめた。テオバルトは、真摯な表情で理世を見つめ返している。

 理世が、すっと手を差し出した。小さな小さな、子供の手だった。

「……手、繋いでて」

 テオバルトは一度目を見張った後、嬉しそうにそれを細めた。そして、低く、小さく、「はい」と神妙に返事をした。




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