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番外編 : 世界を救った姫巫女は、眠れる竜と出会う 【前編】

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「祠の竜神さまを、祀るぅ……?」

 これはまだ、世界が邪気に包まれていた頃のお話。

 世界の浄化の旅の途中――間借りしている家の一室で、後に世界を救った姫巫女となる在澤理世(ありさわりよ)は、|守り人(もりびと)に言われた言葉を復唱した。


【 世界を救った姫巫女は、眠れる竜と出会う 】


「竜神さまって……竜、ってこと……? ここって、そこまでファンタジーな世界なんだ……?」
 口をぽかりとあけ、目をぱちくりして、理世が尋ねる。それに対し、守り人の一人である学者、オスカーが頷いた。

「なんだそのだらしのない返答は。もう少ししゃきっとしろ」
 堅物偏屈学者のオスカーは、眉間に深く皺を刻んで理世を睨む。理世は慌てて佇まいを直す。
 口と足を閉じて神妙な顔つきになった理世に、オスカーは続けた。

「元々、竜神祀りは村長からの依頼だった。しかし我々には優先すべき大義がある」
「世界の浄化だよね?」
「そうだ。大義をほっぽって慈善活動する馬鹿はいない。断ろうと思っていたのだが――どうやら、避けては通れないらしくてな」
「その説明は、僭越ながら僕がいたしましょう」
 びくびく震える理世を気の毒に思ったのか、オスカーの後ろから天使もかくやと言うほどの美少年、神官マリウスが顔を出した。途端にほっとして肩の力を抜く理世を、オスカーが睨み上げる。理世は再び、ピシリと背筋を伸ばした。

「難しい話ではありませんので、どうぞご安心を……。ここら一帯の空気が酷く邪気に蝕まれていることは、既にお伝えしたと思いますが――」
 マリウスの柔らかい物言いに、理世はうんうんと首を縦に振って応える。

 理世たちがいるのは、出発した国からちょうど真反対に位置する、最果ての町。
 さすがに最果ての町と言うだけあって、緑はほとんどなく、荒れ果て何もない荒野が広がっていた。こういう場所は常ならば、理世の力が届きやすい。山も川も谷もなければ、それだけ理世の浄化の力が阻まれるものがないからだ。
 にもかかわらず、ここいら一帯を浄化するのに、ひどく手間と時間がかかった。理世が移動しても移動しても上手く浄化できずにいた。

 その原因が判断できぬまま、この地域で足止めを食らっていた。放置して先へ進むわけにはいかない。理世たちの目的は世界一周旅行ではなく、全ての地域を浄化することにあったからだ。
 そんな時、何もないと思われていた大地に、ほんの小さな村があった。ともすれば見落としてしまいそうなほど小さな村は、ずっと昔から祠の番としてここにあり続けているらしい。

「この邪気の強さは、先ほど申し上げた竜神の祠と関係があるようなのです。村長殿が言うには、竜神さまを称えていた頃はこんな風に邪気が萬栄することはなかったと……」
「どうして今は称えてないの?」
 全ての邪気の原因ではないにしろ、この場所から漂う邪気は相当な影響を世界に与えているらしい。到底看過できるものではないだろう。
 その原因がわかっているのならば、さっさと取り除けばいいだけの話である。不思議そうに首を傾げる理世に、マリウスは口籠った。

「なんだ、どうした黙り込んで」
 マリウスの沈黙を不思議に思ったのはルーカス殿下だった。村長との話を面倒臭がり、視察と言う名の散歩に出かけていたルーカスは、その全容を把握していないのだろう。静かにマリウスの説明を待つ。
 マリウスは守り人を見、そして理世を見て、ほんのりと頬を赤く染めて口を開いた。

「……3年ほど前から、清らかなる者がこの集落におらぬようで……」

「清らかなる者?」

 復唱する理世に、マリウスは俯きつつ頷いた。

「ははーん。なるほどな。けど、ここにいないとしたって、今まで通ってきた街には最低一人二人ぐらいはいるだろ?」
 守り人の一人である、騎士セベリノがしたり顔でそう尋ねた。その意見に理世もうんうんと同意する。
 いくら最果ての町とは言え、理世たちも三日ほど前に隣の町からやってきたばかりだ。
「最近では、この辺境の地を捨て、若い者はどんどんと都会に行ってしまっているようで……」
「更に、竜神に求められる清らかなる者――という噂が先行し、誰も祠に入りたがらない、という訳だ」
 マリウスの説明に「どう聞いても生贄だからな」とオスカーが続けば、ルーカスはなるほどと納得する。

「それで、お鉢が回ってきたと」
「あの祠からは、非常に濃い邪気を感じます。浄化に無関係だとはどうしても思えないのです」
 閉口するルーカスに、マリウスが必死に縋った。理世は喧嘩になりそうな二人を見て、肩に耳がつきそうなほど大きく首を傾げた。

「どうして揉めてるの? 行ったらいいだけだよね?」

 理世は心底不思議そうな顔をしてそう言った。
 しかし、あっけらかんとした理世とは反対に、部屋には重い沈黙が広がっている。

「……私は反対です」
 騎士であるテオバルトの突然の反対に、理世は驚いた。
「反対……? 竜ってそんなに強いの?」
「竜と争いになることは、まずないでしょう」
「? じゃあどうして駄目なの? そこを浄化しないと、ここら一帯は浄化できないってことだよね?」
 
 本当にどうしたの? お腹でも痛いの?
 声に出さずとも、心底不思議そうな理世の心を悟ったのだろう。理世を直視できずに、テオバルトはうっと固まった。

 ビョロロロン。
 今まで静かに聞いていた吟遊詩人のディディエが、リュートを鳴らした。全員が注目する中、彼は苦笑を浮かべながら言葉を放つ。

「問題は、この中の何人が――」

 ドゥロロ、ローン。

「清らかなる者か、ってところだよねぇ」

 吟遊詩人らしく、聞く者すべてを魅了するような魅惑的な声が、部屋に響いた。

「……え? なんで? 姫巫女一行だよ? 皆清らかに決まってるじゃない」
 何言ってんの、この人達。理世はその言葉を寸でで呑み込んだ。「いい子のアリサ」は、こんなことを言わない。
 可愛い心を取り戻したいい子の理世は、心底意味が分からないと言う風に首を傾げる。そんな理世を、守り人の皆が眩しそうに目を細める。

「皆、自分の心が清らかじゃないか心配してるってこと? 意地悪する人もいるけど、心はとっても優しいって私思ってるよ。それに、私がいつもそばにいるんだし、なんかこう邪気的なものは浄化されてると思うんだ」

 居心地悪そうに、皆、 理世と視線を合わせない。
 そんな中、一人の勇者が手を上げた。

「……私は、もちろんのことながら同行できます」
 神官マリウスだった。理世がうんうんと頷く。

「お前一人じゃ戦力にならん」
「祠の中では、何が起こるかわかりません。せめて戦える者が一人でもついて行かねば……」
 ルーカスとテオバルトが、せっかくのマリウスの勇気を踏みにじるような言葉を投げかけた。

 いやさ。「清らかなる者」なんて中二病的な存在、なるのが嫌だって気持ちもわからなくもないけど……世界の危機じゃん。何をそんなにもたついてんだ。理世は心の中で悪態をつく。

「なんにせよ、唯一邪気を察知出来るマリウスが随行できるのは、まずまずと言ったところか――セベリノ、見栄を張ってる場合じゃないことはわかったな。潔く手を上げろ」
 オスカーが厳めしい顔をしてセベリノを見下ろした。
 名指しされたセベリノは「ええっ!?」と驚いた後、観念したように両手で顔を覆う。

「……実は、俺……浄化の旅の前夜に……餞別だって、隊長がお得意さんとこ連れてってくれて……」
「役に立たない! 第五部隊は全員減俸だ!」
「やめたってください! 隊長、なけなしの小遣いで激励してくれたんっす!!」
 ルーカスに縋るセベリノを見て、テオバルトがにっこりと微笑んだ。
「商売女は数に入らないだろう。大丈夫、貴方は清らかなままだ。最悪その身が裂けてもいい。アリサをお守りしろ」
「っはーーああ!! これだからヒエラルキーの一番下は嫌だよねーー!!」
 セベリノは頭を抱えて絶叫した。

「オスカーさん! あんたほら、年は一番食ってるけど陰気だし、ずっと地下室いたんだろ!? それに神殿ってことは、そっちのほうは……」
「大人にはな、抜け道位いくらでもある」
 フン、とオスカーは鼻を鳴らす。相手にもしてもらえないセベリノは、地面に倒れ伏した。

「……ディディエさん、あんた」
「……今回ばかりは、僕も力になれなくて……」

 ビロロロン……物悲しい音が響く。

 その音を聴きながら、理世は唖然として部屋を見渡していた。
 理世の隣には、顔を真っ赤にして俯いているマリウス。椅子に腰かけ、心底面倒くさそうに肘をついているルーカス殿下。珍しく厳しい顔をしてセベリノを見下ろしているテオバルト。打開策を考えようとしているのか、眉間に皺を寄せ、何かを考え込んでいるオスカー。皆を元気づけようとリュートを撫でるディディエ。――そして、地面に倒れ伏したまま起きてこないセベリノ。

「……どうしたの、皆……」

 一体、この部屋で何が起きているのか。
 全く理解できていない理世は、この惨状にポカンと口を開くことしかできない。

「……俺ぁ、腹括った」
 呆然としている理世の前で、セベリノがそう呟いた。顔を真っ青にして、地面から立ち上がる。腰にはいた剣を取り、理世に差し出した。

「どうせ捨てるなら、せめて女の手で捨てたい! アリサ! ―― 一思いに、俺の男を斬ってくれ!」

 意味のわからないまま剣を差し出された理世の前で、セベリノがテオバルトに蹴られて沈んだ。


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