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第24話 血の香り

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 そうして、僕とジンユーは二人で、夜の校舎を探索した。

「おぉ! シーロ、ピアノ上手!」
「ふっふっふ、昔、暇つぶしでやってたからね。ジンユーもやってみる?」
「ま、まったく知らないヨ?」
「いいの、いいの。僕が軽く教えてあげるから」

 と、音楽室のピアノを勝手に弾いたり。

「視聴覚室って、なにに使うんだろうね?」
「知らナイ。それに、シチョーカク室って名前が、難しい」

「……ん? 人の声? 誰かいるのかー?」

「まずい……! 隠れよ……っ!」
「ウン……っ!」

 と、教卓の下に二人で、ぎゅうぎゅう詰めになって隠れたり。

 それなりに、夜の校舎を満喫した。
 もはや、最初の目的である、窮極派の捜索は完全に忘れていた。

「ははは、楽しかっタ!」
「ふふふ、僕もだよ」

 既に真夜中。
 時刻は、深夜十二時を回ろうとしている。

「そろそろ帰ろうか」
「リョーカイ!」

 明日は平日で、授業はある。
 吸血鬼としては最悪な事だけど、朝早い。
 ここいらで帰らないと、起きれなくなっちゃうからね。

 雑談を交わしながら、出口目指して、廊下を歩いていた僕だったけど、

「……ん?」

 まるで、石になってしまったかのように、足が止まった。

 というのも、給湯室の前を通ろうとしたところで、大好きな香りが漂ってきたのだ。

「まだ、やってるのかな? ……ごめんね、ジンユー。ちょっといい?」
「いいヨ。気にしナイ」

 僕はそっと給湯室の扉を開き、中を覗いてみた。

 イス。イス。シンク。マグカップ。ゴミ箱……。
 誰もいない。
 あるのは無機物だけ。

「いや、香りが確かにしたはずだ……」

 気が付くと、僕は給湯室の中に入っていた。
 ジンユーも、恐る恐る僕の背後をついてくる。

 しかし、これはどういう事だろうか?
 間違いなく血の香りはする。
 だけど、どこかに付着している、なんて事はない。

 服は……隠されている?
 そう考え、棚を開けたり、隅を探したりするけど、目ぼしいものは見つからない。

「おかしいな。あるはずなんだけど……」
「ウーン……何も、無いネ」

 一緒に探してくれていたジンユーも、目ぼしいものが見当たらず、僕の方へと振り返った。
 すると不意に、僕は足に衝撃を覚え、バランスを崩して、宙に浮いてしまう。

 ジンユーの尻尾が、僕の足を薙ぎ払ったのだ。

「ゴメン!」
「うわっとぉ!」

 制御の効かない僕の身体は、ジンユーへとダイブする。
 反射的に抱き着いて、そのまま二人で倒れ込んでしまった。

「痛……くない。ごめん、クッションにしちゃって……」

 その場で目を開くが、何も見えない。真っ暗だ。
 何故か、いい香りがする。心が落ち着きそうな、優しく甘い香りだ。

 もしかして、何かに覆われている……のかな?
 確かに、両頬のあたりに、柔らかい感触がする。
 どこか惹き込まれそうな、それでいて癒されそうな触感……んにゅ!?

 こ、これは……っ!
 まさか……!

 僕は顔をばっと上げ、ジンユーの"胸元"から急いで離れた。

「危ない……! 手で何なのかを確かめるところだった……」

 しかし、顔を上げると、違和感を覚える。

 先程までいた給湯室と、明らかに景色が異なるのだ。

 本がびっしりと詰まった本棚。
 壁に描かれている、怪しい魔法陣。
 机の上に、開いたまま置かれている本の数々。
 そして、イスに座って読書する、二人の男性。

「……え?」
「は?」
「ん?」

 痛そうに後頭部を抑えるジンユー以外の、三人の空気が、一瞬にして固まった。

 ……おそらく、ここは隠し部屋だ。
 それも、幻影の壁に隠された、魔法使いの隠し部屋だ。
 倒れた拍子に、運よく入ったのだろう。

 なら、そんな場所に始めからいたあの二人は、果たして誰なんだろうか?

 背格好に、どことなく見覚えがある。
 脇に置いてあるローブも、なぜか見覚えがある。
 あっ、そうそう!
 あの服の裂けてる場所、僕が魔法でやったんだっけな! ……って、

「窮極派の二人組!」
「「今朝のクソガキ!」」

 僕はジンユーの上から跳ねのき、窮極派の二人は僕を指差す。
 互いに、互いが誰であるかに、気が付いたようだ。

「クソガキ! どうしてここがわかった! というか、その女と何をしてたんだ!?」
「いや、僕とジンユーは夜の校舎を二人で探検していただ
「押し倒されタ」
「ここで誤解を招く言い方、やめてくれるかな!?」
「事実だヨ」

 ジンユーは起き上がり、服についた汚れを手で払った。
 男二人は、彼女の深緑の尻尾を見るなり、額に脂汗を滲ませる。

「チッ、龍(ドラゴン)か……。面倒な奴が相手だぜ」
「何を迷ってやがる! ここを見られたからには、やるしかねぇだろ!」

 腕を前方に構え、直後。二人は詠唱を開始する。

「《火(イグニス)》・《前方(アンティー)》──
「《土(テラ)》・《前方(アンティー)》──

 僕は既に魔力を、全て使い果たした。
 しかし肝心のジンユーは、驚いた様子。突然の事に、反応できていない。

 どうすれば彼等の攻撃を防げるか。
 僕は短い時間でとっさに考え、

「うおおぉぉ!」

 本の置かれた机を、思いっきり蹴飛ばした。

「「──《射出(イエセレ)》!」」

 それと同時。
 彼等の腕から魔術が発動し、僕らに飛び迫る。
 だが途中で、空を舞う机に衝突。机の破片を撒き散らしながら、魔術は霧散した。

「くそっ……!」

 男二人は、悔しそうな表情だ。
 再度、構え直して、魔術の詠唱を始める。
 だけど僕は、この間の隙を見逃さない。

「ジンユー! 右の奴を頼む!」

 ジンユーに指令を発した瞬間。全速力で駆け、左側の男との距離を縮める。
 しかしそう甘くはなく、男は腰から短剣を取り出した。

「アーギンもそうだったんだ。そう来ると……思ってたよっ!」

 僕は走りながら、床に落ちた本を拾い上げ──投げた!
 飛来する本から顔を守ろうと、男は顔を両手で覆う。
 いや、覆ってしまった。

「胴体ががら空きだね!」

 距離を詰めた僕は、男の胴体に組み付く。
 そして、彼の身体を上に持ち上げ──後ろに投げる!

「ごぎゃァ!?」

 男は顔面から床に突っ込み、情けない声を出して気絶。

 僕の方は片付いた。
 ジンユーを助けようと、そちらを向くと、

「《かぜ》」

 ジンユーの発した一言によって、暴風が吹き荒れる。
 それはジンユーの腕の前に収束し、何の詠唱も無く、射出。
 もう一人の男を吹き飛ばし、壁に叩き付けた。

「がは……っ!」

 彼は背中と後頭部を壁に打ち付け、風が止んで床に落ちても、起き上がることはなかった。

 と、最後に立っていたのは、僕とジンユーの陣営だった。

「ふぅ……。ジンユーに怪我がないようで、良かったよ」
「あーしも、シーロに怪我がなくて、ヨカッタ。すごく、"キテン"が利いてたネ」
「ふふっ、ありがとう。ジンユーの魔法も、すごかったよ」

 確かに、机と、そこから落ちた本を駆使したのは、我ながら機転が利いていると思った。
 だけど、あの龍魔法(ドラゴンマギア)を見た後では、多少の事も霞んで見える。

 賢術で、何節も使った文並みに威力があり。
 発動に必要な単語数は、たったの"一"。
 しかも、

「でも、手加減しタ。死んじゃったら悪いカラ」

 あれで、手加減していたらいい。

 本当、龍って存在は、どこまでも規格外だ。
 そりゃ、魔法の無い頃の人間が、数百人で束になってかかろうと負けてしまうのも頷ける。
 これに勝てる存在といえば、魔法を極めた極一部の人間か、吸血鬼魔法(ヴァンパイアマジック)を使える吸血鬼くらいのものだ。

「仲間でよかったよ……」

 と、心底から感じ、僕はその場にしゃがみ込んだ。
 気絶した男二人を、縛り上げるためだ。

 僕は、床に落ちていたローブを拾い、彼等の手を後ろで縛っていく。
 と、その瞬間。

「《起動(アペリ)》」

 知らない男の声が、響いた。

 時を同じくして、僕の頭上を一陣の風が通り過ぎる。
 ぱらぱら。舞い落ちる、少量の白髪。
 高速で放たれた風は、鎌のように僕の髪を薙いだようだ。

 おそらく、罠だ。
 そういえば、壁に怪しい魔法陣が描かれていたはずだ。
 それを、誰かが外から起動したんだろう。

 だけど、当たらなくて本当によかった。
 一安心……とは、ならなかった。

「──ゥッ!」

 肩を切られ、痛みに顔を歪めるジンユー。
 勢いよく舞い散る、血の飛沫。
 その直後、ふっと力が抜けたように、膝から崩れ落ちる。

「ジンユー!」

 僕はとっさに、彼女の元に駆け寄り、身体を抱き起こす。

 見れば、傷口は浅い。
 決して、致命傷にはなり得ない。

 なら何故なんだ!?
 龍(ドラゴン)という種は、この程度で倒れるような、やわな存在じゃない。
 多少の怪我ではびくともしないし、毒への耐性も強い。
 それは、百年戦争で龍と戦った僕が、身をもって知っている。

 だけど、現に、目の前の少女は、瞼を閉じて、苦しそうな呼吸を繰り返している。
 何かあるとすれば、この傷が原因だろう。

「ごくり……」

 傷を塞げばそれで治るのか分からないけど、とりあえず塞ぐ策はある。
 だけど、それは……僕の今後に響くかも知れない。
 彼女が龍であるなら、なおさらだ。

「ここ二日で、仲良くなっただけじゃないか……」

 いや、助けたい。

「そっ、そもそも、この傷でジンユーが死ぬとは限らないし!」

 駄目だ。
 これ以上苦しむ彼女を見たくない。

「……シー、ロ」

 ジンユーの、そのうわごとを聞いた瞬間。僕の身体は勝手に動いていた。
 彼女の傷口に口を付け、龍の"血"を吸い上げていた。

「──っ!」

 尋常ではないほど、魔力がみなぎる。
 全身に高揚感が訪れ、どこからともなく全能感が湧いてくる。
 髪は朱に染まり、骨格から全身が変わる。

 そして僕は……いや我は、シロガネ・フォン・シュテルプリヒとしての姿を取り戻した。

「我も、馬鹿であるな……《塞がれ》」

 そう告げるやいなや、ジンユーの傷口はみるみるうちに閉じ。二秒と待たず、一滴の血もこぼれ出なくなった。
 すると何故か、ジンユーの息遣いも穏やかになり、表情も心なしか和らぐ。
 我は、ほっと胸を撫で下ろした。

「ふっ、龍の小娘に一喜一憂させられるとは、我も落ちぶれたものだな……」

 誰に返事して欲しいでもなく、そう呟いた直後。

「そう仰るわりには、嬉しげな声ではありませんか」

 壁の向こうから、男の声が届く。

 おそらく、ジンユーと通った幻影の壁越しに、話しかけてきているのであろう。
 ジンユーを抱く腕に力を籠め、身構える。

「何奴だ? 顔も見せず、この偉大なる我と語らおうとは、些か無礼が過ぎるぞ」
「申し訳御座いません。しかしながら、今はあなた様に顔を見せる訳にはいかないのです。なにせ、魔法陣を起動したのは私なのですから」
「……あの魔法陣はなんだ? 龍を殺せる魔法など、我は知らぬ」
「おや、煽り立てましたのに、怒りも動揺も無しですか。さすが、肝が据わってますね」
「我の質疑に答えよ。あの魔法陣はなんだ?」
「はは、頑固ですね。仕方ありません、種明かししてあげましょう。あの魔法陣は、呪術の類ですよ。相手の傷口と血を触媒として、生命力を奪うものなんです」

 故に、傷を塞ぎ、血を止めれば、効果が失われた、と……。

「くだらん事をしてくれる。そうも冥土が恋しいか、匹夫よ?」
「おぉ、怖い怖い。では、死神に狙われる前に、帰るとしますか」
「……次に会う時が貴様の命日だ。覚えておけ」
「ははは、そうならないように祈っておきますよ、不死王(ノーライフキング)さん」

 かつ、かつ。
 遠ざかっていく足音。

 我は、壁を睨んでいた。
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