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第1章 1

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昼食を買いに来る人も少なくなり、ちょうど客の途絶えたコンビニで、花奈実は長い手足を窮屈に折りたたんでカウンターの裏にしゃがみ込んでいた。

 切手に印紙、配送用の伝票。レジ裏の棚に備品を補充するという簡単な仕事も175㎝ある身長が邪魔をしてなかなか素早く終えることができない。

「あれ? 10円切手がない」

 ぐるりと身体をひねると、後ろにある引き出しの取っ手に肘をぶつける。反動で棚の上にあるたばこが1個、2個と頭上に直撃した。

「痛っ。いったぁー……」

 じんじん痺れる肘とつむじを交互にさすり、思わず情けない声が出た。

 大学生のときからこのコンビニでバイトを続けて3年半。コンビニの仕事には慣れたが、23年付き合っている身体は未だに使いこなせていない気がする。

 学生時代に挑んだ就活でも面接では散々聞かれたものだ。「学生時代は何かやっていたの」と。
 あいにくここで言う「何か」、スポーツないし長身を生かせる特技を花奈実は一つも持ち合わせていない。うまく答えられず、いつもまごまごしているうちに面接は終わってしまった。

 内定が取れないまま、エントリーシートを出す会社もなんとなく減っていき、結局ほとんど就活を止めた状態で大学を卒業してしまった。

 それからはフリーターとしてこのコンビニでバイトを続け、早数ヶ月が経つ。

 ――別にスポーツやってなかったから面接に落ちたわけじゃないと思うけど……。

 そんなことは花奈実にもわかっている。
 肝心なのは企業に対する熱意のなさだと。いまいち自分がなにをしたいのかわからないまま漫然と就活しているのを見透かされていたのだと。

 ――でも、なにをやりたいかなんて本当にわからないんだもん……。

 でかいだけで取り柄のない自分になにができるのだろう。
 いつまでも目標もなくフリーターをやるわけにはいかないと考えてはみるのだが、やりたいこともできそうなことも特に思いつかない。

 不意に自分と正反対の、小学校の同級生を思い出した。

 ――蜜也くんみたいに小学生の時からやりたいことがはっきりしてる人もいるんだよね。

 小野蜜也と同級生だった、そう言えば今ならどの女の子からも羨望のまなざしで見られるだろう。蜜也は今や世界的に注目されているウェディングドレスのデザイナーなのだから。

 花奈実が蜜也と机を並べていたのは中学を卒業するまでだ。なにせその後蜜也はフランスに留学してしまったのだから。花奈実が女子校に入学し、友達と「彼氏が欲しい」と嘆き合っていた時、蜜也は現地の人に交じってフランスの高校に通っていた。
シューズデザイナーである蜜也の母親の知り合いがフランスにいて、その人が師匠として蜜也の面倒をみていたらしい。師匠も有名なデザイナーだと地元の情報通の友人が教えてくれた。

 花奈実がその後女子大に進んで友達の彼氏の愚痴などを聞いているとき、蜜也はすでに進学したデザイン関係の専門学校で一目置かれる存在になっていた。なんでも参加した学内コンペで優秀な賞を取ったそうだ。1年生がその賞を取るのは実に30年ぶりなのだと、興奮した友人がまくし立てる情報は全て自分の同級生のものとは思えない、どこかの偉人の来歴を聞いているようだった。

 その後蜜也は学生ながら自らのブランド「サンドリヨン」を立ち上げる。そして一躍日本にも名をとどろかせた。サンドリヨンが有名になったのは若手人気女優の乃亜が結婚式でそのドレスを着たからだ。乃亜の披露宴の様子がテレビで流れると、ドレスに関する問い合わせが殺到したらしい。

 次いでデザイナーとして蜜也が紹介されるやいなや、どこに行けば会えるのかという問い合わせも殺到したそうだ。

 花奈実はいつも15㎝ほど下から、挑むような目つきを向けてきた蜜也を思い出す。
 キラキラと輝きを放つ綺麗に染められた金髪に、猫を思わせるような大きなつり目。すっと通った鼻梁に薄く形の良い唇と、全てのパーツがバランス良く配置された顔。

 顔、放送されちゃったらそりゃあ人気出るよね。
 花奈実も納得したものだ。

 学生時代、蜜也をかっこいいという子もいればかわいいという子もいた。蜜也くん俳優になれば? と言う子も、アイドルになれば? と言う子もいた。

 それほどに小野蜜也という人物は人目を引く整った顔立ちをしていた。
 モデルになれば? と言う子がいなかったのは――

 そこまで考えて、失礼な思考に思わず花奈実はぶんぶんと首を振る。

 ――私が人様の身長にどうこう言えるわけない!

 想像の中の蜜也が「デカ女!」「のろま!」「グズ!」とわめき立ててきて、それがあまりに真に迫っていて花奈実は思わず縮こまる。

 蜜也は、花奈実の天敵だった。
 今でも罵倒の言葉がはっきり思い出されるくらいには苦手意識を抱いている。

 しかし、今やフランスで時の人となっている蜜也に今後会うことはないだろう。それは救いだった。
 そのとき手元に影が落ちて、花奈実は慌てて立ち上がった。レジの前に誰か立っている。

「すみません、お待たせしま――」
「Excuse me, I'm looking for a strawberry whip pancake stuffed with bean jam」

 自分よりも高い位置にある顔を見上げて花奈実は言葉に詰まる。

 レジに立っていたのは外国人で、どう考えても英語を話しているのだ。今までも外国人を接客することはあったが、商品をレジに通すだけのほとんど言葉を必要としない場面だった。

 今目の前にいる白皙の男性はなにも商品を持っておらず、何事かを自分に尋ねている。

 ――どうしよう。全くわからない……。

 だが何度も言葉を繰り返す男性はとても困っているようで、わからないからと言って追い返すのは気が引けた。自分ができることなら協力してあげたい。

「モ、モア……ゆっくり……」
「□&○%$■☆♭*!:○%×$☆♭#▲!※」

 応じてもらえると感じたのか男性は嬉々としてまくし立てるが、「slowly」の単語が出てこないほど混乱している花奈実の頭ではもはや単語すら聞き取れそうにない。

 そのとき、来客を告げるドアのチャイム音が鳴った。

「Do you need any help?」

 入店してきた客が外国人の客に話しかける。男性は嬉しそうにさらに饒舌になった。
 外国語のできる親切なお客さんが来てくれるなんて渡りに船と一瞬安堵した花奈実だったが、その客をみて身体が凍りつく。

「ここにいちごホイップどら焼きがあるかって聞いてるっぽいけど、あんの?」

 輝く金髪と、下から睨みつけるようにまっすぐこちらを向いたつり目。憎たらしいほど整った顔に横柄な物言い。

 ――う、嘘。嘘だ……。

 目の前にいるのはフランスにいるはずの天敵、小野蜜也だった。

「ねえ、どら焼き」

 促されてはっと我に返る。

 ――今は、仕事!

 花奈実のコンビニ店員のしての矜持がかろうじてこの場から逃げ出したい衝動を抑えてくれた。

「あ、えっと、いちごホイップどら焼きはうちじゃ取り扱ってない……です。別のコンビニで1週間前から期間限定で発売されたものだから」
「どこのコンビニ」
「ここからだと角にある店舗が近いかな。あ、問い合わせてみるね」

 その店に行ってもこうして待たされたのでは男性が気の毒だ。制服のバックポケットから自分のスマートフォンを取り出すと花奈実は電話をかけた。

「あ、あるみたいだよ。すみません、今から白人の男性が買いに行くのでよろしくお願いします」

 蜜也が口頭で店の場所を教えると、男性はいたく感激したようで花奈実たちの手をぶんぶん振って握手し、上機嫌で店を出て行った。

「お目当てが見つかって良かった~」

 本来、ほかのコンビニが扱っている期間限定のデザートなど知っているほうが珍しいのだが、花奈実は趣味のコンビニスイーツ巡りが役に立ったとほっと胸をなで下ろす。

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