上 下
7 / 30

第2章 1

しおりを挟む

「今日からこのクラスのお友達になる小野蜜也くんです。みんな仲良くね」

 教壇に立たされた蜜也にクラス中の視線が突き刺さる。好奇心と戸惑いに溢れたその視線に挑むように、蜜也はまっすぐ前を見た。

 市立山越小学校、4年3組。
 都心から電車で2時間ほど離れただけだというのに、この学校は周りを田んぼに囲まれている。

 両親の仕事の都合で転校してきた蜜也は、今まで住んでいた都会とのあまりのギャップに不満を募らせていた。

 自分へ向けられた不躾な視線にその不満はさらに大きくなる。
 児童たちの興味の理由は簡単だ。蜜也が金髪だからである。

 教師も児童も垢抜けないこの学校に、金髪の子供なんて一人もいない。それが関心の的になっているようだった。

「蜜也くんの席は窓側の空いているところね」

 ざわつく児童たちの中を、教師に指示されて席に着く。そこまでの距離がいやに遠く感じられた。

 ――うぜえな。見てんじゃねー。

 そんなに気になるなら直接聞けばいい。聞かれればはっきり答えてやる。似合うから染めてんだよ、と。

 蜜也が髪を金色に染めているのは、単なるおしゃれだった。
 ハーフだとか宗教上の理由だとかそんな難しい問題ではないのだ。だから尋ねられればその通り答えるつもりだった。しかし、遠巻きにひそひそ話されては説明の余地もない。

 女子の間から密かに「怖い」というような声が聞こえてくる。       
 男子からは「小さくね?」という嘲笑も漏れ聞こえて、ますます蜜也は不機嫌になる。いっそこの場で椅子を振り回して暴れてやりたいくらいには苛立っていた。

 蜜也は顔をしかめて、わざと乱暴に椅子に腰掛けた。
 こんなことなら、もっと母親を説得するべきだった。

 世界的にも名の知れていたシューズデザイナーの母親は、結婚してから表舞台からはほとんど姿を消している。というのも大学病院で医者をやっている父親に心底惚れているからだ。

 好きな人に尽くすのが女の幸せ、などと言って主婦として腕を振るっている。

 今度の転校も父が受けた人事異動のせいだ。蜜也は今まで通っていた学校に残りたいと言ったのだが、父についていきたい母の一存であっさり転校が決まってしまった。

 よりによって、こんな田舎に。
 都会の学校ではこんな動物園の猿を見るような目で見られたことはなかったのに。

 頭の中で考えつく限りの呪詛を唱えながら、蜜也は膝の上でスケッチブックを開く。
 もとより授業を聞く気はなかった。どうせ進みが遅いに決まっている。

 書きかけのデザインは自分でもいい出来だと思っていた。ウエストを幅の広いリボンできゅっと絞ったワンピースだ。

 デザイナーになりたい、と物心ついたときから思っていた。その影響は確実に母親から受けている。蜜也の育児をしながら結婚前の人脈で細々と仕事をしていた母親は、目をハートにして父親の世話を焼く姿よりよほどかっこよく見えた。

 するすると線を紡ぎ白紙に一足の華奢なパンプスが描かれ、それが本当に靴になって目の前にあらわれた時の驚きを蜜也は一生忘れないだろう。

「靴って作れるの?」
「なに言ってるの。当たり前でしょ。靴でも服でも、誰かがデザインして、生地を切って縫って作ってるのよ」

 それまで靴は靴のまま、服は服のままそこにあるのだと漠然と思っていた蜜也にとってこの言葉は世界がひっくり返るような衝撃をもたらした。

 元々、服が好きだった。これも母の影響だろうが、幼い頃から自分の衣服はずいぶんこだわって着せてもらっていた気がする。審美眼の養われた蜜也は、男の子にしてはおしゃれに目覚めるのがとても早かった。

 服が似合うってなんだろう。自分をよく見せる服ってなんだろう。そんなことを小さいなりに真剣に考えていた。

 しかし、それはせいぜい既製服の組み合わせを考えていたに過ぎない。

 服が自分で作れる、と聞いてから蜜也の興味は俄然そちらに移っていった。

 はじめは自分が着たい服のデザインをよく描いていた。しばらくすると母の作る靴に合う服を考えるようになった。意外なことに、これが蜜也には楽しかった。
自分が身につけないものだからこそ、だろうか。ひらめくスカートやレースのパターンを考えることは自分の知らない世界を切り開くようでわくわくするのだ。同世代の男の子がオリジナルのロボットや武器を嬉々としてノートの書き付けているのと同じように、蜜也のスケッチブックには女性もののデザインが並ぶ。

 だが、どんなデザイナーになりたいか決めたわけではない。

 母のように靴を専門に描くデザイナーにも憧れるし、もちろん服やバッグを描くのも好きだ。
 自分はなにが好きだ? なにになりたい? 蜜也の夢はそこまで具体性を帯びた悩みにまで成長していた。

「ね、それ可愛いね」

 ささやき声にはっとして顔を上げる。
 隣に座っていた女子が手を口元に当てて、自分に話しかけていた。

「自分で描いたの? すごいね」
「……別に」
「ここの襟のところ、可愛い」

 花模様にカットされた襟元を女子が指さす。それは自分でも特に気に入っているデザインだった。
 知らずに口元が緩む。

「わかってんじゃん」
「ほかには? ほかのお洋服も見たい」

 期待に輝く目を向けられて、知らずに強張っていた身体がほどけていく。同時にどこかくすぐったいような気持ちになる。

 この学校に来てはじめての、好奇や恐怖ではない純粋な興味のまなざし。
 金髪がどうとか、背がどうとかそんなこと関係のない、蜜也の中身に興味を持ってくれた言葉。

 蜜也は書きためていたデザインを一つずつ捲って見せてやる。隣の女子はそのたびに目を輝かせて「ここのリボンが好き」「これ着てみたい」と漏らした。

 自分のほうなど全然見ずに、ただ夢中でスケッチブックをのぞき込む女の子を見ていると嬉しすぎて指先が震えすらしそうだった。蜜也は必死に平静を保つ。

 思えば、前の学校でも自分のデザインをここまで純粋に見てくれたことはなかった。

 自分に好意を抱いた女子から媚びるような感想を言われたことはあったが、それは全然嬉しいと思わなかった。本心からの言葉ではなかったからだろう。

「お前、名前は?」
「私? 花奈実だよ。高田花奈実。よろしくね、蜜也くん」

 心臓が甘く締め付けられるような感覚を生まれて始めて体験した。

 ぱっと顔を上げてにこりと笑った花奈実の表情を蜜也は今でも鮮明に覚えている。

 ほとんど一目惚れ、だったのだと思う。
 脳裏に焼き付いた表情と違って、蜜也は花奈実がこのときどんな服を着ていたのかいくら頭をひねっても全く思い出せなかった。

 デザイナーを目指していた手前、当時特に女子の服装はよく観察していた。癖にすらなっていて、あの転校初日の担任の服や校長のネクタイの柄まで覚えている。なのに、好ましく思った花奈実の服装だけは全く思い出せないのだ。

 それほどまでに笑顔の印象が強烈だったのだろうと、蜜也は思う。





 花奈実が話しかけたことをきっかけに、ほかの児童からも話しかけられるようになった。

 いつもスケッチブックを持っている蜜也がデザイナー志望だということも自然と知れ渡り、なんとなく金髪というのも納得するような空気が漂っていった。

 背のことでからかってくる男子は容赦なくぶん殴ったし、女子は段々と自分に媚びてくることが増えた。「モテるなあ蜜也くんは。ひゅーひゅー」だのはやし立ててくる男子はやっぱり容赦なくぶん殴った。

 学校の空気感なんてどこも一緒だ、と思う。
 都会だとか田舎だとか関係なく、学校は学校だ。中身は大して変わらない。

 でも、もし今前の学校に戻れると言われても断固拒否するだろう。
 前の学校には、花奈実がいないのだから。

 低血圧気味だった蜜也は、母親がびっくりするほど寝起きが良くなった。「もう学校行くの!?」と驚かれるほど早くに登校してしまう。

 花奈実に会えると思っただけで、毎日がこんなに楽しい。

 母親の靴に合わせて描いていたデザインは、いつの間にか花奈実に着せたい服ばかりになった。小学生としてはだいぶ背の高い花奈実は大人っぽいデザインも似合う。

 わざとスケッチブックを席に置いておくとたまに花奈実がのぞき込んでは「かわいい」と目を輝かせている。
 その光景を見るのが幸せだった。

「蜜也くんはすごいね。大きくなったら絶対デザイナーになれるよ」
「は? 当たり前じゃん」

 不機嫌なフリをしてそっぽを向くのはだらしなく緩んだ口元を隠すためで。

 そんな態度を向けながらも、いつ花奈実に告白しようかという算段を考えていた。

 あの話を聞くまでは。



しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

課長が私を好きなんて!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:15

執着溺愛男からの猛烈的な求愛〜私、結婚はしませんよ!!〜

恋愛 / 完結 24h.ポイント:0pt お気に入り:174

犬と猿

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:17

まるで裏稼業の騎士様にでろっでろに甘やかされる話

恋愛 / 完結 24h.ポイント:28pt お気に入り:280

嘘は溺愛のはじまり

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:143

Psychic Revolution 見習いDr.奏音の世直しBattle

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:28

SARAという名の店と恋のお話

恋愛 / 完結 24h.ポイント:14pt お気に入り:55

処理中です...