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時と色が死んだ世界
時と色を失った世界〜私達は「違う世界」から来た人〜
しおりを挟む蓮くんが前に教えてくれた、「時間が止まったままの住人」がいる世界が今、蓮くんと私を待ってる。
蓮くんと私は石碑のあの蝶の姿を見上げた。その瞬間、蝶々が柔らかな白い光を放った。そこから生まれた光の粒が、またあの扉を作り始めた。あの夜の光景がまた、ここにある。
ついに、扉を開ける時が来た。
あの夜のように、扉は今日も私たちを待っている。蓮くんが私に目配せをした。
今度はお前だけで開けてみろ。
そう言っている気がした。本当は自分の知らない世界に行くのは怖かったけど、蓮くんがすぐ後ろにいてくれるだけでその恐怖心は和らいだ。ドアノブを握る。氷水のような冷たさが手に伝わってくる。ドアノブを回して扉を軽く押してみた。
そこには、歴史の資料集に載っているような、モノクロ写真みたいに生気のない世界が広がっていた。
空気が止まっていた。音も風も匂いもない。まるで時間そのものが、どこかに隠れてしまったようだった。
一歩、足を踏み出す。乾いた砂のような地面が、私の体重に抗うこともなく、音ひとつ立てずに沈んだ。蓮くんも、すぐ後ろに続いているのが気配でわかる。振り返らなくても、ちゃんとわかる。
あたりを見渡すと、そこには建物らしきものが並んでいた。だけど、どれもこれも灰色がかっていて、まるで空気中の光がすべて吸い取られてしまったみたい。窓の向こうには人影がいくつも見える。だけど、その人たちは、ただ立っているだけだった。誰も動かない。誰もしゃべらない。
蓮くんが、ぽつりと呟く。
「これが……止まったままの住人。」
私はうなずくしかできなかった。
近くにいた女の子は、小さなランドセルを背負っていた。走り出そうとしたその瞬間の姿勢のまま、固まっていた。長い時間、その場に立ち尽くしていたはずなのに、制服の裾も、髪の毛も、微動だにしない。まるで彫刻みたいだった。
「蓮くん……なんで、こんな世界があるの……?」
私の問いに、蓮くんは答えなかった。でも、代わりに一歩前へ進んで、止まったままの女の子の前にしゃがみ込んだ。そして、そっと声をかけた。
「……君の名前は?」
もちろん返事はない。けれど、蓮くんはそれでも静かに続ける。
「ここには、過去に閉じ込められた人たちがいるんだって。本の中ではそう書いてあった。――時間が止まる瞬間、自分の存在を信じてもらえなくなったときに、この世界に来るって。」
「存在を……信じてもらえなくなった?」
蓮くんは立ち上がり、こちらを向いて言った。
「たとえばさ。誰にも気づかれないまま過ごして、誰にも思い出されなくなった人。あるいは、自分でさえ、自分のことを信じられなくなった人。」
その言葉が胸の奥で響いた。痛みのような、でもどこかで覚えのある気持ち。
「……だから、僕たちがここに来たのかもしれない。」
「なんで?」
「この人たちに、“君はここにいる”って、誰かが言わなきゃいけないから。」
蓮くんはそう言って、もう一度女の子の手にそっと触れた。
その瞬間、女の子のまつげが、ほんのわずかに震えた。かすかに風が吹いた気がした。砂の粒が舞って、世界が、ほんの少しだけ色を取り戻し始めた。
「蓮くん待って!」
灰色の世界に私の叫び声がビンビンと響いた。蓮くんは、いまだかつて聞いたことのないだろう私の叫び声にビクッと身体を揺らした。色を取り戻し始めていた世界も私の叫び声に驚いてしまったようで、本当はみんな微動だにしていないはずなのに、街中で突然叫んだ人がいた時みたいに、この世界の住人が一斉に私を見たような気がした。
「もし、この子だけが時を取り戻せたとしても、他の人はどうなるの?今ここにいる人達だけでも、多分数千人はいるよ。」
ビルの中、歩道橋、車の中の人。みんな動いていないだけで、間違いなくこの世界のどこかで生きている。
「この女の子、自分以外の人間がみんな、マネキンみたいに動かないでいたら絶対寂しい思いするでしょ。もっと、別のところに鍵があったりしないの?」
蓮くんは私の問いかけには答えず、しばらく乾いた土をじっと見つめていた。蓮くんまでが時間を失ってしまったかのようだった。
「……うん、そうだな。」
しばらく沈黙していた蓮くんが、ぽつりと呟いた。それは、私の言葉をちゃんと受け止めたっていう証だった。私は少し、ほっとした。
「俺……なんか急いでたのかもしれない。鍵を見つけて、誰か一人でも目を覚まさせられたら、何かが変わると思ってた。だけど……お前の言う通りだよ。ここには、あまりにも多くの“止まった人”がいる。」
蓮くんが小さく息を吐く。その吐息が、ほんの少し色を帯びていた。まるでこの世界が、彼の心の変化に呼応しているみたいに。
「もっと、深いところに鍵があるのかもしれない。いや……“鍵”じゃなくて、“問い”かもしれないな。」
「問い……?」
「うん。“なぜ彼らは止まってしまったのか”っていう問い。誰かを無理に目覚めさせるんじゃなくて、どうして止まってしまったのかを知ること。まずは、そこからなんじゃないかな。」
蓮くんはそう言うと、もう一度女の子の方に目を向けた。私は、ゆっくりと歩き出して、蓮くんの隣に並ぶ。
「――じゃあ、聞いてみよう。」
「でも、この子は話せないよ?」
「ううん、そうじゃなくて。言葉じゃなくても、“想像”するんだよ。」
私は女の子の顔をじっと見つめる。ランドセルの色。小さな手に握られた、少し破れかけた紙の切れ端。くしゃっと潰れたおにぎりの包み。――お昼ごはん、誰かと一緒に食べたかったのかな。
「たとえばさ。この子は、ほんの一言だけでも“おかえり”って誰かに言ってもらいたかったんじゃないかなって。想像してみたら、そんな気がした。」
蓮くんは驚いたように私を見て、それから、ふっと微笑んだ。
「……お前、すごいな。」
「そうかな。」
「うん。もしかしたら、そうやって“誰かの止まった時間”に寄り添うことが、この世界を動かす方法なのかもしれない。」
その時だった。
空に、ほんのひとすじの金色の線が走った。
それは流れ星のように見えたけど、よく見るとそれは一匹の蝶だった。
白く透き通る羽に、うっすらと虹のような輝きをまとった蝶が、私たちの頭上をゆっくりと舞っていた。そしてその蝶は、止まった女の子の上にふわりと降り立った。女の子のまつげが、今度ははっきりと震えた。その瞬間、空気の奥で“カチリ”と、時計の針が一つ動いたような音がした。
世界のほんの端っこから、色がにじみ出してくる。
まだ薄く、まだ淡いけど、確実にそれは広がっていた。
私は蓮くんの方を見た。
「ねえ、きっとこれ、“わたしたち”じゃないとできなかったんだよ。」
「……うん、そうかもな。」
彼の声は、どこか嬉しそうで、でも少しだけ涙がにじんでいるようだった。
だあれ?
灰色の世界に蓮くんでも私でもない、幼い声がした。今にも消え入りそうなか細い声だったけれど、時間の止まったこの世界に突然現れた流れ星みたいだった。
その声は、ランドセルの少女からだった。こげ茶でフワフワの柔らかそうな髪がその子の幼さを示している。蓮くんはその子と目線を合わせるようにしゃがむと、その子の肩に右手を軽く添えた。
「俺、蓮っていうんだけど。あ、後ろにいるのは佳奈美って言って、昔、ああ、ま、良いや。」
そう言って一度私の方を見ると、口元が少しいたずら少年のようにニヤリと歪んでいた。そして、もう一度少女の目をしっかりと見て神妙な面持ちで言った。
「俺たち、違う世界から来たんだよ。」
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