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静かなる暴走
我々の誇りは何だろう
しおりを挟む『はい、今日はですね、子供がどのようにして作られるのかを勉強します。大事なことなので、しっかりと聞いておいて下さいね』
子供たちが真剣な表情で先生の話を聞いている。思わず緩みそうになる口元を、俺は必死になって引き締めた。
狐はまず子供達に、子供がどのようにして出来ると思うかを前列の3人くらいに尋ねた。
『空から落ちてくる!』
死んでしまうだろ。
『結婚したら出来る』
俺も昔はそう思ってたわ。
『知らない間に出来てる』
お前らはイエス・キリストになるつもりか。
3人の意見を聞き終えると、担任は指示棒を横に振って、黒板に「受精」と書き付けた。
『先生』
教科書の上に乗っている晴馬が、先生の後ろ姿に声を掛けた。
『俺たちは作られる側なのに、なんで作る方法を知らないといけないんですか?』
晴馬の発言を聞いた何人かが、そうだそうだとザワザワし始めた。
『よし。では、こう考えてみてください』
先生は教壇を降りて、教室の中をゆっくりと歩き始めた。
『皆さんがもし、電車に乗りたいとします。どうしますか?』
先生は立ち止まって、偶々近くの席に座っていた子を指名した。
『駅に行く』
『はい。でも、それだけでは足りませんね』
先生は再び歩き始め、数歩先で立ち止まると、同じように近くの席にいる子を指名した。
『駅まで行く方法を調べる』
『勿論。他にも大事なことがいくつかあるけど、分かる人はいますか?』
先生はその場で教室をグルリと見回す。火の玉たちがザワザワと隣の席の子と話し合っている。
『ウルフ、分かる?』
晴馬が必死に教科書を捲って、何処かに答えが書いてないかを探している。
俺は電車に乗る時、どうしているだろうか。
まず…あ、ホントだ。
思い返せば、電車に乗るという単純な行いでさえ、色々な準備をしないといけない。
料金はいくらか。
何分発で何分着か。
何番ホームにいれば良いのか。
駅までどれくらい時間がかかるか。
子供は必ずしも無事に生まれるわけではない。圭吾と同じように、流産してしまうことは決して少なくない。
『命の誕生は、美しくも複雑です。大人でさえ、どうして命が生まれるかは、本当は分かっていないのです』
先生の言葉に、子供たちがどよめき始めた。楓が高く挙手をした。
「先生、それならどうして、大人は子供が作れるんですか?」
楓の言葉に、先生はウンウンと頷きながら教壇に向かって歩いていった。そして、黒板の真ん中に大きな文字で書き付けた。
「偶然」
その言葉に、またしても火の玉たちがザワザワとし始めた。先生は書き終えると、クルリと子供達の方を向いた。
『確かに、子供を作るにはある行為をする必要はあります。それが無ければ子供が出来ないのは事実です』
頬を赤らめていた一裕も、今は真面目な顔をして先生の話を聞いている。
『ですが、もしも大人が本当に子供の作り方をわかっているのなら、そもそも生殖医療は存在するはずがないのですよ』
俺はいったい、何を考えていたのだろう。
俺は、子供の作り方を分かっているつもりでいた。
どうして圭吾が流産してしまったのかを説明も出来ないくせによ。
『私が今日、皆さんに学んでほしいのは、子供を作る具体的な方法ではありません。それは生まれて変わってからで十分です』
先生は黄色のチョークを持って、大きな字で「偶然」の文字の横に書き付けた。
「奇跡」
そうだ。
命の誕生は奇跡なのだ。
地球が誕生して数十億年。地球に生命が誕生したその瞬間から、生命は長い年月をかけて命を繋いできた。弱肉強食の自然界、戦争という人間同士の殺し合い。それでも俺達の先祖は、命を繋いできた。
俺は自分の手のひらを見た。青い静脈、紫色の静脈が、指の第二関節辺りに薄っすらと見える。俺の身体には、数え切れないくらいに多くの先祖の血が、歴史が流れている。
それは、奇跡の連続。
誰か一人でも欠けていたら、俺は生まれていなかった。お父さんも。お母さんも。爺ちゃんも。婆ちゃんも。
子供を作るって…壮大な物語の大事な一部分なんだ。
『でも…』
前の方にいた火の玉から、少女の寂しそうな声が聞こえた。
『奇跡も…死んじゃうの?』
それを聞くと、一裕がキュッと唇を噛んで俯いた。
担任の狐は、寂しそうに浮かんでいる火の玉を見つめていた。彼も夜桜と同じように、真っ白な狐の美しいお面を被っていた。彼は、そっとそのお面を外した。
『え…』
その瞬間。
生者死者を問わず、誰もが息を飲んだ。
狐のお面の奥は、顔ではなかった。
潰れた右眼。
左眼から飛び出した眼球。
右耳はちぎれ、左耳は完全になくなってしまっている。
口は顔を横切るように裂け、粉々に砕けた牙が、血に染まった口の中から見えた。
『私も奇跡だったのです』
彼はお面を外したまま、話し続けた。
『私は20年前、頭部を電車に潰されました。ちょっとした散歩中の出来事です』
彼自身、火の玉たちと同じように、死を経験したことのある魂だった。
『生まれた命は必ず死にます。それが早いか遅いかの違いしかありません』
子供たちはじっと黙って彼の話を聞いている。教科書の隅っこを折って遊んでいた晴馬も、遊ぶのを止めて先生の話に聞き入っている。
『ですが、生まれることは必然ではありません』
彼の話を聞いていた何人かの火の玉が、まるで頷くように光った。彼は教室の中をグルリと見回した。
『皆さんの中には、流産した子、死産した子も大勢いるでしょう』
彼はフッと悲しげに俯いて、暫くの間、床を黙って見つめていた。
『皆さん』
彼は顔を上げ、教室にいる全ての火の玉たち一人一人に視線を向けながら尋ねた。
『自分自身に誇りを持っていますか』
『ほこり…?』
俺の隣から、晴馬の呟く声が聞こえた。
『私は自分自身に誇りを持っています。たとえこの様な醜い顔になったとしても』
彼はお面を左手に、右手で自分の顔に触れた。
『皆さんが死んだということは、生きていたということ』
俺の隣にいる晴馬が次のページをペラリと捲った音がした。単細胞生物から多細胞生物、類人猿を経て俺たち新人になるまでの歴史が挿絵つきで2ページにわたって印刷されている。
『残念ながら生きている時は、人間は自分の命を軽視してしまいがちです。それは何故か分かりますか?』
晴馬の火の玉がスッと上に浮かんだ。
『生きているということが、段々と当たり前になってきちゃうからです』
晴馬の答えに、彼は何度も深く頷いた。
『我々は知っています。災害に度々見舞われ、弱肉強食のこの世界で、生きているということが如何に奇妙なことか』
生きる=奇妙
俺は生まれて初めてこの式を知った。
『我々死者の誇りは、壮大な命の物語のワンシーンに極僅かな間であってもいられたことではないでしょうか。たった一つの生命に、地球が誕生してからの歴史が刻み込まれていることを知っていることではないでしょうか』
段々と彼の話が複雑になってきた。
『ほこり?』
晴馬が俺の人差し指の上を、平行台の上を歩くようにトコトコと移動し始めた。
『なんか俺、よく分かんないや』
彼は最後にふうっと長い溜息をついた。
『私が皆さんに教えたかったのは…』
キーンコーンカーンコーン…
チャイムが鳴った。俺の指の上で晴馬がソワソワとし始めた。早く遊びに行きたいようだ。
『私は皆さんにこうやって教壇に立ち、生まれることの奇跡を伝えることが出来ることに誇りを持っています』
彼は再びお面を付けた。真っ白な肌の狐の顔。俺は彼の本当の顔を知っている。
彼は生前は極普通の狐だった。人間の言葉は話せない。誰も彼の鳴き声に興味など示さない。
でも、彼が亡くなったことで彼は教師として人間の子供たちに、生まれる奇跡を伝えることが出来る。彼は死んだからこそ、死んで得た学んだことを次世代に伝えられるのだ。
『では、来週までに誇りが何なのかを各自考えてみてください。急ぐ必要は全くありません。答えも存在しません。じっくりと考えてみて下さい。皆さんが生まれ変わる時に、大いに役に立つと私は信じています』
彼はそう言って授業終わりの挨拶を済ませると、俺達のところにやって来た。よく見ると、お面の隙間から、原形を留めていない彼の顔が少しだけ見える。
『突然グロテスクなものをお見せして申し訳ありませんでした』
彼はそう言ってペコリと頭を下げた。
「先生…生きるって良いこと?」
楓が一裕と彗星の手を握ったまま、彼を見上げて尋ねた。彼は一瞬だけ真面目な顔になったが、直ぐに優しく微笑んで楓の肩に手を置いた。
「さあ、ゆっくりと考えてごらん」
今回の宿題は、相当考えないと。
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