『狭間に生きる僕ら 第二部  〜贖罪転生物語〜 大人気KPOPアイドルの前世は〇〇でした』

ラムネ

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幸か不幸か

俺達はまだ、何も知らなかった 

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話し手の目線が、イ・ソクヒョンからウルフに転換しました。お読みの際は、ご注意下さい。

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一昨日、水槽を準備しておいてくれとソクヒョンに頼んでから、音沙汰が全く無い。吸血鬼交信スイッチはオンにしたままなのだが、彼はうんともすんとも言わない。それは俺に限らず、バットに対してもそうだった。


パチャパチャパチャパチャ


夕方の6時。

日も落ちて涼しくなった頃、俺はアパートの近くの散歩道を独りで歩いていた。俺の影が、焦げ茶色の石でできたタイル道の上に前方にニュッと伸びている。道の端には、少量の水がチョロチョロと流れる小さな排水溝。先端が少しだけ枯れた丈の高い雑草が、生暖かい風にザワザワと音を立てて揺れる。


パチャパチャパチャパチャ


排水口には元気な魚が一匹いるようで、数分前から俺の跡をつけるようにずっと泳ぎ続けている。

「気付けよ、アホ!」
「は?!」

元気な魚だと思っていたのは、ウシガエルの姿をしたサファイヤだった。時間帯的に幸い人は近くに誰もいなかった。俺は道端の排水口にしゃがみ込んで、ウシガエルを自分の両手に乗せた。水と泥で湿った、粘液を身に纏ったような身体の重みが、ズシリと重く俺の両手に伝わる。

「ソクヒョンのことで話がある」

ウシガエルの瞳が、水色に爛々と光っている。遠くの方から人の話し声が聞こえた気がして、俺は顔を上げて声の主を探した。俺達の右手約50m先に、習い事の帰りと思われる小学校低学年くらいの男の子が、父親と思われる男性に纏わりつきながら歩いてくるのが見える。

「サファイヤ、今から俺のアパートに来いよ」

俺達から親子が見えるということは、親子の視界に俺達の姿があるということ。ここでサファイヤに人間姿になってもらうわけにはいかない。俺はウシガエルを両手に持って、自分のアパートへと目指した。ウシガエルを素手で持って自宅に帰るのは、小学校以来だ。

「お邪魔しますー」

夕陽に眩しく照らされてオレンジ色に染まった扉を開けると、静まり返った薄暗い玄関が俺達を出迎えた。ウシガエルが俺の両手から飛び降り、ズシンズシンと重そうな身体で玄関を跳ねていく。俺は手についた泥を軽く払い、扉の鍵を閉めて洗面所に向かった。

「ソクヒョンがどうした」

俺は手洗いとうがいを済ませたあと、洗面所を出て部屋に向かった。そこには既に人間姿になったサファイヤが、床の上に長い脚を伸ばして寛いでいた。

「今からバット呼べる?」
「バット?」

エアコンから吹いてくる涼しい風が、俺とサファイヤの前髪を揺らす。

「バットなら今晩はラーメン屋でバイトがあるって…痛え!!」

俺の首に男一人分の体重がのしかかる。首が折れそうになって、俺が咄嗟に地面に伏せると、緑色と銀色の身体の何かがバランスを崩して俺の背中に尻もちをついた。

「あのさ、お前、ホントに異世界に転移する時、もう少し何とかならんの!」
「ごめん、ごめん」

エメラルドがのそのそと俺の身体から退いて、俺の隣に腰を下ろした。

「実は、エメラルドに相談してみたんだ。ソクヒョンの吸血鬼化を治せるかもしれないって」
「マジ?!」

俺達にとっては当然のことでも、人間として生きてきたソクヒョンにとっては苦痛だろう。だが、サファイヤの目もエメラルドの目も曇っている。

「でも駄目だった。ソクヒョンが途中で逃げた」

エメラルドは、居心地悪そうに床に視線を落としている。サファイヤが言うには、ソクヒョンの前世の記憶は無意識下にあるもの。そして、ソクヒョンが気付いていなかっただけで、無意識下には龍獅国の記憶が色濃く残っていた。昨日の夜、ソクヒョンが寝ている間に夢の中で2人で龍獅国を訪れたそうだ。彼らが訪れたのは、王族に仕えたドラゴンの墓場。真実の樹池がある場所だ。ソクヒョンは、そこが自分が昔から見てきた悪夢の場所だと言ったそうだ。

「え?でも、そこって、花畑じゃなかったっけ」

ソクヒョンの言う悪夢とは、殺伐とした戦地跡のような世界。真実の樹池は、広大な美しい花畑の中にあるはず。

「そう。でもね、ソクヒョンもそこが実は花畑だった事には気付いたんだよ。池の水が眼の中に入ったから」

真実の樹池の水にはその名の通り、一時期だけ真実の姿が見えるようになる効果を持つ。

「じゃあさ、なんでソクヒョンには花畑じゃなくて、殺伐とした戦地跡みたいに見えてたわけ?」
「ソクヒョンの記憶に、そう刻み込まれていたってこと」

サファイヤがエメラルドにチラッと視線を向けて続けた。

「それで、夢の中は前世の記憶だから、当然ソクヒョンは青いドラゴン姿だったわけ」

…ホントに、ソクヒョンは宮司龍臣だった。

「そこまでは想定内だったんだけど…青いドラゴンが急に赤くなっちゃって…」

それって…!

「ドラゴン姿で吸血鬼化したってこと」

俺はその後にどうなったのかを聞きたかったが、サファイヤが言うには夜明けが近づいて来て、その日の晩はそこまでにしておいたらしい。

「真実の樹池から池の水が蒸発して、俺の目にも池の水が入った。本来はお前とバットにしか認識できなかったソクヒョンの吸血鬼化を俺が認識出来たのも、それのおかげなんだけど…」

明るい水色だったサファイヤの瞳は、段々と暗い青色になっていき、瞳に宿っていた光も薄くなっていく。サファイヤの声も、ボソボソと、耳をよく澄ませないと何を言っているのかが分からないほど小さくなっていく。

「その時、俺…見えちゃったんだ。ソクヒョンの前世の記憶が。…ソクヒョンが吸血鬼になったのは、ドラゴンの禁忌を犯したからじゃない。そもそも、ドラゴンの禁忌自体を犯していない。あいつの罪の意識が……ソクヒョンを吸血鬼化させたんだ」

罪の意識……?

俺とバットが処刑直前に飲んだ、あの飲み物は宮司龍臣の血だと思っていた。

あれは…単純に、最後の晩餐が美味しく感じただけ…ってことか…?

それなら…いったい他にどのような罪を犯しうるというのか。

俺も気付けばエメラルドと同じように、力無く俯いていた。俺の右手の人差し指が、俺の左足の親指のササクレを弄っていた。

スッ…

サファイヤが静かに息を吸って、静かに言葉を吐き出した。

「覚悟して聞いてほしい」
「一度処刑されてるんだ。覚悟なんて大袈裟な」

涼しい風が吹いて、カーテンが不安気に揺れた。カーテンの膨らみから、不気味な薄紫色の淡い光が差し込んだ。その光が俺の顔を撫でていく。ふと顔を上げた先には、苦しそうな表情を浮かべたサファイヤがいた。

「ウルフとバットを殺した罪悪感が、今もソクヒョンの無意識下に根付いていたんだ」

ドクン…

「はぁ…」

胸の奥が苦しくなって、俺は堪らず息を吐いた。

「……あんた、まさかそれをソクヒョン本人に言ってないだろうな」
「今のソクヒョンの顕在意識からは、その記憶は無くなってる」

俺とサファイヤのやり取りを、隣で黙って聞いていたエメラルドが、ぎこちなく口を挟んだ。

「サファイヤが俺に相談してきたんだ。無意識下の記憶を無くせる方法は無いか、と」

エメラルドは依然として床に視線を落としたまま、元気のない声でそう言った。俺はエメラルドのその言葉を聞いた途端、一気に肩の荷が下りた気分になった。エメラルドには記憶改竄・奪取能力がある。エメラルドがソクヒョンから、俺達を殺したという罪悪感も一緒に前世の記憶を奪ったら、ソクヒョンは吸血鬼化せずに済むと思った。だが、俺の微かな期待は儚くも裏切られた。

「俺達の記憶改竄・奪取能力が及ぶのは、あくまで相手の顕在意識。無意識下はどうにも出来ない。ただ…」

エメラルドは、サファイヤから相談を受けた直後、リオネルに相談したそうだ。というのも、リオネルは俺達で言うPTSDのようなものを治療しているからだそうだ。この広い広い地球には、ソクヒョンと同じように、前世の記憶が無意識下に残っていることで生活に支障をきたしている存在が沢山いるらしい。そこで、リオネルは数年前から、前世記憶残存症候群とやらを治療出来る方法を模索してきたのだ。黒憶虫の特性を応用して。そして最近、リオネルは薬を開発した。黒憶虫の寄生性質を無くして、患者の幸せな記憶までをも奪わないように改良したものだ。そしてその薬は、身体が無くても飲める。つまり、幽体離脱した魂も摂取出来るもの。

「俺が遠隔操作でソクヒョンに突発的な高熱を出させて、ソクヒョンの意識だけを獣神国に連れてきた。それで…」

獣神国第三王子、ラルフが俺の前で土下座をした。

「勝手なことをして済まなかった。やはり…ソクヒョンの吸血鬼化を治せるのは、ウルフとバットの2人だけだ」

チリリン…

太陽が山の向こうに沈んだ。

自転車の物憂げなベルの音が、遥か遠くから生暖かい風に乗って聞こえた。
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