冬の窓辺に鳥は囀り

ぱんちゃん

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1.教会

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母も歌い手だった。

いつもの見慣れた古びた教会。
木造の壁面にある色味の無いガラス窓からは、柔らかく白い光が降り注ぎ祭壇の前で歌う母を白く浮かび上がらせていた。白の装束はこの街の教会の人なら誰でも身にまとう物だったのに、小柄な母が着るとそれはまるで大きな花びらのドレスのように見える。
ひしめき合う大人たちをかいくぐり、僅かな隙間を見つけて見上げると母の目はベンチにいる誰のことも見ていない。遥か彼方を見透かすように上方を向き、視線をだどって振り返れば、そこには入口上部の大きな丸窓で春らしい青く澄んだ空が見える。

母の声は強く、高く、透明だった。
一目見ようと集まった人々は教会の外にまで溢れ、うっとりとその声に耳を澄ませる。
広い教会内部を満たし、高い高い天井に吸い込まれるように響く音色。その声は僕の心を震わせて、身体の中をも満たしていくようだった。

祭壇で歌う母は、普段の姿とはかけ離れていていつでも見知らぬ人のようだった。母ではなく、性別すらも曖昧で、僕と同じ人かどうかも分からなくなる。

ただ尊く、その存在は遠く。
僕はひどく寂しかったことだけを覚えている。

母を失った、あの一瞬で永遠の日々。
父は、今も変わらず母を愛している。




遠く、王城と向かい合うようにその教会は建っている。
城門から王城へと延びる中央路と交差する、南北大路沿いにある白い石造りの教会は目の前に王城が無ければお城と見まがうように大きい。普段僕らが開けることのない木造の正面門は、背が高く重厚だ。重い扉を押し開けると、見慣れたはずの僕でさえ、内部の広さにいつでも圧倒されてしまう。

目に飛び込んでくる、大きく丸い青のはめガラス。
奥の祭壇の後ろにある青ガラスの上部には、羽を模したような白っぽいガラス窓が三本アプスの半円に沿って高く上に伸びている。
入口から奥の祭壇までの中央回廊の両脇には、10人掛けの木製ベンチが並び、そのベンチの端には遥かに見上げるほど高い天井に向かって、白く太い、豪華な柱が何十本とそびえ立っている。両壁面にある窓や、アーケード、回廊もすべてアーチ型で形作られていて、統一感のあるその丸みが、空間をより一層広く感じさせる。

石造りの床に直に置かれているベンチは、有事の際には取り払われることになっており、この広い空間は傷病者や避難民に開放され簡易的な治療院になるという。そのための備蓄が側廊の奥にあり、治癒の天啓を持つ司祭や助祭も常時教会内に控えている。
魔物の襲撃が頻繁だった時代の名残は今なお残り、人々の記憶の中にも救済の記憶を残している。

中央回廊を通り抜けると、アプスの全容が見えてくる。
祭壇の奥のはめガラスは、一見一枚板のように見えるが、細かな木枠の細工が施されており、濃淡の違う様様な青のガラスがはめ込まれているのだとわかる。
羽の形のガラス窓も同様で、こちらは限りなく透明に近い緑や青、黄色で構成されていて、遠く離れるほどに色味は薄く透明になってゆく。

その大きく丸い青のガラスは光を通し、4刻が終る頃(午前11時頃)の陽の光を受けると、祭壇の前にきらめく青の影を落とす。
その青の中に立つと、秋の抜けるような青空に飛び上がったような、深く澄んだ湖の中に沈み込んだような不思議な気分になる。

なのに呼吸は易く、ほの温かく、視界は柔らかに青く。どこまでも自由だった。
僕の心は青に包まれて静まり返り、身体の中には歌が満ちていた。
この透明な心を、紡ぐ言葉に乗せたいと。どこまでも澄んで響かせたいと。
揺蕩う青の中でいつも思う。
高い高い天井を抜けて、この声が空に吸い込まれればいい。
そして母にも、届けばいい。


教会の威信に係わる国の儀式は、この教会で執り行われることになっている。
僕がここで歌うようになって、7年が経つ。




僕らは日の出の鐘の音と共に起きだして、黒のローブに着替える。
膝丈になってしまったローブの下は、個人で持っている黒のスラックスに、質素な生成りのシャツだ。ボタンはなるべく上まで止めるようにしている。ローブの襟ぐりが広く、だらしなく見えるからだ。

黒のローブは支給品で、制服のようなものだ。
騎士が騎士団ごとに鎧の色が違うように、魔術師たちが部門ごとにローブの色あいが違うように、僕らが教会に所属するコルス(合唱団)の一員である証が、この黒のローブになる。
休日に着ることは義務付けられてはいないが、学園寮の子供と見分けられるよう、敷地内でローブを着ない時には黒のタイを身に着けなければならない。


「また寝ぐせがついてるよ。」

僕の側頭部を撫でながら、同室のサントスが言う。
彼を横目でチラリと見上げると、緑色の綺麗な瞳を眇めて僕の寝ぐせを一身に撫でている。短く刈られた赤毛はきちんと整えられ、彼の几帳面な性格のようだなと僕は思う。
撫でても尚はねる髪を何度も手で直してくれながら、僕らは一緒に部屋を出る。
撫でても撫でても一向に直らないようで、サントスはふぅと鼻で息を吐いて撫でるのを止めた。

「どうしてセレスは髪を梳かないのよ。」

呆れた様に後ろから同じく同室のエレインが言う。
エレインは僕よりも一つ年下で、小柄で肌の色は透き通る様に白い。ふわふわの金色の巻き毛と大きなヘーゼルの瞳。茶色というよりは黄色みが強いその瞳は、髪の色と相まってきらきらする。

僕は「うーん。」と言いながら、特に何も考えていなかったので次に続く言葉が出てこない。
明確な返事を返さなくても、付き合いの長い二人は然程気にする様子もない。
何も考えていないことなどお見通しなのだろう。
身なりは、最低限きちんと見えればいいのだ。
髪も絡まって、鳥の巣みたいになっていなければそれでいい。

食堂に向かって歩く二人を横目で見て、ローブ姿でも個性が出るなぁと僕はぼんやり思う。

エレインは派手だ。外見だけでも十分派手なのに、服や小物も色味の強いものが多い。
王都の中でも老舗の服飾店に生まれた彼は、年に一度差し入れられる荷物のほとんどが衣類に偏っている。
今日の服装は、ふくらはぎまでの焦げ茶色のパンツに濃いピンク色の靴下を合わせている。靴下なんて生成り色しかないと思っていたので、エレインの服装にはいつも驚かされる。そしてその恰好は、とてもよく似合っているのだった。

対してサントスは僕とそれほど変わらない。服にバリエーションはなく、大体いつもシャツにスラックスを合わせている。僕と同じような服装なのにサントスは皆よりも大人びて見える。
身長が高いせいかもしれない。僕よりも背の高い彼は、少年というよりも青年に近い体格になってきてしまっている。僕らは総じて華奢ではあるが、華奢な中でもサントスは少しがっしりしている。

サントスは僕の一つ上で14歳だ。コルスの中で、今は彼が最年長になる。
成長の兆しを見つける度に、『もうすぐ』という気配を、僕は否応なく感じなければならない。



身支度を整え、僕たちは3人そろって学校へ行く。

城壁に囲まれた城内には、一般の市民だけでなく貴族の屋敷も建ってはいない。
あるのは王城の他に、魔術師塔、騎士団の兵舎、王立学園、学園寮、そして王立図書館。
だから見張りのために城内を歩く衛兵の他は、学園に向かう僕たちコルスか、一般の学生の姿しかみえない。

教会から出て南北大路を中央路を越えて進むと右手側の最初の建物は王立図書館で、次に王立学園が見えてくる。
左手側には王城があり、その隣に騎士団の兵舎が並ぶ。学園の正門の前は丁度騎士団の厩舎になっていて、時々馬にまたがった騎士たちが北門から城外に出ていくところが見えたりする。
城内はすごく広くて、城壁の内周を回るだけでもかなりの時間がかかる。

本当は僕が知らないだけで、もっと沢山の施設があるのかもしれない。けれど教会の子である僕が知っておくべきことはこれぐらいで事足りるので、それ以上の散策は不要だ。


僕らは学園の中に入り、其々の教室へ向かうべく「またあとで。」と手を振りながら別れた。





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