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41.ある晴れた日に
しおりを挟む最後の日が決まった途端、まるで止まっていた刻が動き出したかのように、僕らの世界は足音を立てて動き始めた。
「修了証をもらったんだ。」
サントスがそう言って、小さな金のピンズを見せてくれた。
2㎝ほどの丸いそれには、三日月に佇む梟が彫り込まれている。
その精巧な造りに、僕はほぅとため息が出る。
知恵と成長を象徴する王立学園のモチーフ。過ごした5年間の成果と、その後の幸運を祈るという意味で卒業者に渡されることになっている。
金に輝く闇夜の王。思慮深く、誇り高く、月と共にサントスの手の中にある。
「いつの間に繰り上げ試験を終わらせたの?」
「ついこの間だよ。」
困ったように微笑むサントスの瞳に、酷く情けない顔が映りこんでいる。
「セレスも、来年の夏には卒業だね。」
「それまでには、魔法の暴発が制御できるようになってればいいんだけど。」
僕は肩を竦めておどけてみせる。
「あは! 初めてなった時は驚いたよね!」
「先週もやったよ。教室中に紙が舞い上がって、渦を巻いたんだ。」
サントスが笑う。
僕も、溜息を吐くふりをして、まいっちゃうよね、と笑う。
笑え。
笑え。
情けない顔で、サントスの前に立つな。
「ローワン先生の授業はまだ続くの?」
「うん。今は風の術式の解釈を続けているけれど、次の学年からは光魔法の座学が始まるらしいんだ。」
「いよいよかぁ。どのくらいの学生が授業を受けるの?」
「12、3人っていってたかな?」
「結構いるね。」
「その上の授業もあるらしいんだけど、素質によっては受けられないんだって。」
「セレスなら大丈夫だよ。」
ほほ笑むサントスに、僕もほほ笑んで頷く。
「二人ともー!ごはんだよー!」
呼びに来たエレインがそう言ったのと、食事を知らせるベルがカランカランと鳴ったのはほぼ同時だった。
俄かに廊下が騒がしくなり、みんなぞろぞろと食堂へと向かってゆく。
窓の外は赤く色づいていて、遠くには一番星が瞬いていた。
明かりを消すと、とたんに部屋の中が暗く沈む。
僕らは食堂に向かって部屋を後にした。
夕食は、とても豪華だった。
いつものスープとパンの他に、塊のハムステーキと小さなトライフル。
僕らの食事にはあまり肉が出ないので、みんなは大盛り上がりだった。
わいわいと楽しく食事をしながらも、ふと、全てが遠くに感じた。
急に喉が詰まったようになって、ぼくはそっと、フォークをおろす。
「セレス、食べないの?」
「もう、お腹いっぱいだよ。」
覗き込んでくるエレインに、僕は笑って言葉を返す。
その夜は、三人で沢山笑って話をした。
くだらない、どうでもいいことを次々と。
あとからあとから思い出が溢れてきたけれど、それは全部心の中に仕舞ったままにした。
時折訪れる沈黙に、僕らは静かな微笑みを交わす。
深い闇の中。淡く暖かなオレンジ色の光にくるまれて。
一緒に過ごした日々を振り返りながら、胸が塞がない話題を探す。
僕らは次々に言葉を繋ぐ。
この夜がずっと、いつまでも終らない様にと。
翌朝、4刻の鐘が鳴る頃、教会の前に大きくて立派な馬車が止まった。
今日は光の日で、学園も歌の練習もお休みの日。
王城の中でも、教会の前の道に馬車が通ることは、僕の記憶にある限りでも数度しかない。
いつもなら朝食の後のこの時間はとても静かで、だからこそ、余計にその音が大きく響いて聞こえた。
しばらくすると、部屋をノックする音が聞こえ、サントスが静かに動いてドアを開ける。
「お迎えに上がりました。」
ドアの向こう側で、相手が頭を下げたのが見えた。
サントスは僅かに頷いて、扉を大きく開けはなつ。
「セレス。エレイン。」
「ヴァレット兼護衛のスオウだ。」
紹介されたその人は、濃い茶色の髪を後ろに撫でつけた、がっしりとした男の人だった。
年はオーフェン司祭よりも若く見えたけれど、隙のない身のこなしが、騎士団の人達を彷彿とさせた。
僕らもそれぞれ名を名乗り、それ以上の言葉を失ってしまうと、スオウさんは少しだけ目を和らげて一礼する。
「スオウです。同室のお二人に、主よりお言葉を預かってまいりました。」
『サントスの良い友人となってくれたこと、感謝している。心を結ぶ親交は生涯の宝。遠く離れても、時が経っても、色褪せることはない。何かの折には、どうぞ我が邸を訪れてほしい。』
スオウさんは口を閉じると、優しい眼差しで僕たちを見た。
サントスも、僕たちにふわりとほほ笑む。
僕は、喉が詰まったように、言葉が何も出てこなかった。
隣から鼻をすする音が聞こえて、エレインが泣いているのだと分かった。
荷物は、驚くほど少なかった。
大きなトランクが二つ。
それがあっという間に、運び出されてしまう。
僕らは揃って階下に降り、教会の前に着くとオーフェン司祭をはじめとする助祭や治癒師、そしてコルスの全員が揃っていた。
みんなが次々に挨拶するのを、僕はただ、エレインと並んで黙って眺めた。
最後にオーフェン司祭と話し、握手を交わす。
そして僕とエレインに顔を向け、じっと、僕たちの顔を見た。
それにつられるように、周りの人達も、次々に僕たちを振り返ってくる。
僕もエレインも、動けなかった。
足が重く、土に根付いているかのように。
僕はただ、サントスを眺める。
サントスがスオウさんに話しかけると、彼は頷き御者台に登りそのまま走り出す。
そして僕らにゆっくりと近づいてくると、困ったように、けれど笑って言ったのだ。
「城門まで、一緒に歩こう。」
僕ら三人は、城門までの道を歩いた。
学園まで毎日通った、歩きなれたその道を。
サントスは目に焼き付けるかのように景色を眺めては、僕たちの顔を眺めて、目を細める。
まるで悲鳴のように、エレインが嗚咽をあげる。
辛くてたまらないと。
悲しくてたまらないと。
言葉にならない声が言ってる。
立ち止まってしまったエレインの手をサントスが繋ぎ、その反対の手で僕の手を握った。
交差路の向こうに、馬車が見えた。
王城から真っすぐに抜けた、正門の外に。
あと僅かしかないその道のりを見て、ああ、と、思った。
ああ、もう、駄目だと。
喉がぐぐっと鳴って、詰めた息が、上手く吐き出せなくて。
息を吸い込むたびに、不器量な声がもれる。
目元を覆う自分の掌に、熱いしずくが次々と溢れては、止めどなく頬に零れていく。
食いしばる歯の隙間から、胸の震えに合わせて息がもれる。
待って。
声を限りに、叫びたかった。
待ってくれと、縋りたかった。
言わなくちゃいけない言葉が次々と浮かぶのに。
体中が叫んでるのは、ただ悲しいってことだけ。
君が傍に居ない日々が来るのが、ただただ悲しいってだけ。
手を引かれなければ、僕はもう、一歩も歩けない。
けれど、サントスの手を引く強さは変わらず。
そして止まることもなかった。
僕は前を見ることもできず、手を引かれるままに歩き続け、声を殺して泣き続けた。
繋がれた手の誘引が止まり、正門に着いてしまったのだとわかった。
顔を上げると、サントスは僕らの顔を、ゆっくりと交互に眺める。
苦しそうに顔を歪め、泣きださないように耐えているような顔で。
エレインを抱きしめ、言葉を交わす。
小さく、傍に居る僕でさえ聞こえないような声で。
そして体を離すと、エレインは泣いて腫れた目を真っすぐにサントスに向けて、いつもの無邪気な笑顔で言った。
「また、会おう。」
サントスも、エレインの目に頷きを返し、その肩をぎゅっとつかむ。
その見慣れた仕草に、一旦止まっていた僕の涙が再び溢れ、サントスが僕の前に来る頃にはぼろぼろとこぼれだしていた。
サントスの手が無言で僕の頬の涙をぬぐい、手のひらでそおっと包む。
「セレス……。」
僕の名を呼ぶその声が、涙にぬれて掠れていて。
僕は堪らず腕を伸ばして、サントスの胸に顔をうずめた。
「セレス…っ!!」
サントスの体に抱きこまれ、小さく掠れた声が、耳元で漏れ聞こえた。
震える呼吸を整えながら、サントスは何度も僕の名前を呼ぶ。
僕の涙は枯れることなく溢れ続け、サントスの外套をどんどんと湿らせていった。
「あの日言ったことを、どうか忘れないでくれ。」
苦し気に囁いて、体がきしむほど強く抱きしめた後。
サントスはそっと、僕から離れた。
見上げた顔に涙は見えず、真っすぐに向けられた緑の瞳は、どこまでも真摯に僕を見ていた。
ふいに視線を逸らし、僕の後方を見て僅かに頷く。
引き結んだ口元と、真剣なまなざし。僕も思わず振り返ると、門の側にはランバードさんと、騎士の礼をとったフォルティス様が立っていた。
顔を戻すとそこにはいつもの優し気な顔があり、そっと僕の頬に指先で触れ、そして踵を返して馬車に乗り込む。
僕とエレインは、ただ静かに、走り出す馬車を見ていた。
遠ざかり、小さくなって。消えてしまった後までも。
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