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乗っ取り
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景虎に上杉家を継がせて、景勝に長尾家を任せる。
それは二人の資質だけを見て、決めた事ではない。
確かに景虎には人を惹きつける魅力があり、景勝には戦さの才がある。
しかし景虎は北条の人間、家中には疑いの目を向ける者も多い。
幾ら憲政が許しても、他の者が納得しないだろう。
しかし謙信は、景虎に上杉家を継がせた。
何故なら策があるからだ。
北条氏康が没し、跡を継いだ氏政が上杉と断交した時の事。
「三郎さまの事、感謝いたします」
景虎の叔父で付き家老の遠山康光が、そう言って頭を下げる。
「姉上に頼まれてな・・・・・」
景虎を小田原に返すのをやめてくれと、姉の綾が頼んで来たのだ。
謙信はそれを受け入れ、景虎を返さなかった。
「何が狙いだ?」
康光をジッと見つめて、謙信は問う。
景虎が小田原に戻りたくないと妻の華に言う。華が綾に訴え、綾が謙信に頼んできた。
謙信が綾に弱いのを読んでの策だ。
策を立てたのは景虎か?
いや、違う。
「・・・・・・・・」
黙って康光は謙信を見つめている。
「狙いはなんだ?」
「・・・・・・・」
「当家を乗っ取るつもりか?」
「・・・・・・・」
康光は何も答えない。
甥の景虎とよく似た切長の目で、ジッと謙信を見つめるだけだ。
「お前さんの策ではなかろう」
謙信は薄く微笑む。
「小田原の相模守の指図か?」
相模守とは氏政の事だ。
違うな、と謙信は呟く。
明らかに氏政は景虎を見捨てている。
見捨てた弟に、乗っ取りなどさせる訳がない。
「では先代か・・・・・」
氏康の策だろう。そう考える方が真っ当だ。
「当家を乗っ取って、その後どうする?」
「・・・・なぜ・・・・・」
低い声で康光は応じる。
「その様な事を・・・・・・?」
くくくっ謙信は苦笑する。
「わしが知りたいのは小田原にどのくらい、三郎に味方する者がおるかだ」
「・・・・・・・・」
唇を噛み、ゆっくりと少しだけ、康光は首を傾ける。
「先代に従い、当家を三郎に乗っ取らさせ、そして・・・・・・」
謙信は不敵に微笑み、目を細める。
「当代の相模守をどうにかしようと思っている者、その首魁は誰だ?」
顎を引き、上目遣いで康光は謙信を見つめる。
対して謙信は、顎を上げて康光を見下ろす。
「三郎の味方がお主だけなのか、そうでないのかで、三郎の扱いは変わってくる」
ふっ、と謙信は鼻で一つ笑う。
「どうじゃ?」
「・・・・・・」
康光は何も答えない。
「そうか」
軽い口調で謙信は告げる。
「なら話は終わりだ。退がれ」
ふううううううううっ、と息を大きく吸い、腹に力を入れて康光は、
「お人払いを」
と言った。
謙信はチラリと、そ側に控える直江景綱を見る。
景綱は眉を寄せて、目を細める。
駄目だ、と謙信が断る。
「・・・・・・・」
黙ったまま、ジッと康光は謙信を見つめる。
「殿」
景綱が声を上げる。
「拙者、退がっております」
そう告げると景綱は謙信の許しも聞かず、さっさと部屋を出ていく。
っあ、と謙信は一つ、舌打ちをして謙信が言う。
「これで望み通りだ」
少しの間の後、
「幻庵宗哲さまにございます」
と康光は応えた。
だろうな、と謙信は笑う。
幻庵宗哲とは氏康の叔父である、北条長綱の事である。出家して幻庵宗哲と名乗っているのだ。
八十を超える北条一門の長老で、小机城主である。
そして景虎の元舅である。
長綱には息子がいたが、若くして亡くなった。それで甥の息子である景虎を、婿養子に迎えたのだ。
それなのに氏政が、自分の息子を越後に送りたくないからと、無理矢理景虎を離縁させたのである。
長綱からすれば、一族の長老たる自分の顔に泥を塗ったのだ。当然怒る。
氏政もそれは分かっている。長綱を遠ざけ、弟の氏照、氏邦、そして家老の松田憲政らを重用するようになった。
そうなれば当たり前だが、長綱の怒りは増す。
氏政派と氏康派で対立してた北条家は、氏政派と長綱派に変わったのである。
とは言え氏康と長綱では、その派閥の大きさが違う。
「味方は少なかろう」
謙信がそう言うと、表情を変えずに康光は答える。
「人の心は碁石のように、黒なら黒、白なら白とハッキリしておりませぬ」
ほぉ、と謙信は声を漏らす。
「黒に近いとか、外見は黒だが拭いてみれば白であるとか、そういうものです」
なるのどな、と謙信は頷く。
今北条家中は氏政に従う者が殆どだが、風向きが変わればどうなるか分からないと言うことだ。
「弾正少弼さま」
康光は床に手を付き、深く頭を下げた。
「我らにとって、敵は小田原の相模守・・・・・・決して弾正少弼さまを騙しはいたしませぬ」
顔を上げた康光の目は、ここが勝負どころという強い眼差しだ。
「当家を乗っ取るつもりなのにか?」
勝負どころと攻めかかる康光を、皮肉な言葉で謙信はいなす。
「弾正少弼さまに、損は決してさせませぬ」
低く鋭く、そして力強い声で、康光は訴えた。
「・・・・・・・」
謙信は黙って立ち上がり、康光に近づく。
そして顔を近づけ、その目をジッと見る。
「・・・・・・・」
康光も目を逸らさず、ジッと謙信の目を見つめ返す。
「・・・・・・良いだろう」
そう言うと謙信は、席に戻る。
「その策、乗ってやる」
それは二人の資質だけを見て、決めた事ではない。
確かに景虎には人を惹きつける魅力があり、景勝には戦さの才がある。
しかし景虎は北条の人間、家中には疑いの目を向ける者も多い。
幾ら憲政が許しても、他の者が納得しないだろう。
しかし謙信は、景虎に上杉家を継がせた。
何故なら策があるからだ。
北条氏康が没し、跡を継いだ氏政が上杉と断交した時の事。
「三郎さまの事、感謝いたします」
景虎の叔父で付き家老の遠山康光が、そう言って頭を下げる。
「姉上に頼まれてな・・・・・」
景虎を小田原に返すのをやめてくれと、姉の綾が頼んで来たのだ。
謙信はそれを受け入れ、景虎を返さなかった。
「何が狙いだ?」
康光をジッと見つめて、謙信は問う。
景虎が小田原に戻りたくないと妻の華に言う。華が綾に訴え、綾が謙信に頼んできた。
謙信が綾に弱いのを読んでの策だ。
策を立てたのは景虎か?
いや、違う。
「・・・・・・・・」
黙って康光は謙信を見つめている。
「狙いはなんだ?」
「・・・・・・・」
「当家を乗っ取るつもりか?」
「・・・・・・・」
康光は何も答えない。
甥の景虎とよく似た切長の目で、ジッと謙信を見つめるだけだ。
「お前さんの策ではなかろう」
謙信は薄く微笑む。
「小田原の相模守の指図か?」
相模守とは氏政の事だ。
違うな、と謙信は呟く。
明らかに氏政は景虎を見捨てている。
見捨てた弟に、乗っ取りなどさせる訳がない。
「では先代か・・・・・」
氏康の策だろう。そう考える方が真っ当だ。
「当家を乗っ取って、その後どうする?」
「・・・・なぜ・・・・・」
低い声で康光は応じる。
「その様な事を・・・・・・?」
くくくっ謙信は苦笑する。
「わしが知りたいのは小田原にどのくらい、三郎に味方する者がおるかだ」
「・・・・・・・・」
唇を噛み、ゆっくりと少しだけ、康光は首を傾ける。
「先代に従い、当家を三郎に乗っ取らさせ、そして・・・・・・」
謙信は不敵に微笑み、目を細める。
「当代の相模守をどうにかしようと思っている者、その首魁は誰だ?」
顎を引き、上目遣いで康光は謙信を見つめる。
対して謙信は、顎を上げて康光を見下ろす。
「三郎の味方がお主だけなのか、そうでないのかで、三郎の扱いは変わってくる」
ふっ、と謙信は鼻で一つ笑う。
「どうじゃ?」
「・・・・・・」
康光は何も答えない。
「そうか」
軽い口調で謙信は告げる。
「なら話は終わりだ。退がれ」
ふううううううううっ、と息を大きく吸い、腹に力を入れて康光は、
「お人払いを」
と言った。
謙信はチラリと、そ側に控える直江景綱を見る。
景綱は眉を寄せて、目を細める。
駄目だ、と謙信が断る。
「・・・・・・・」
黙ったまま、ジッと康光は謙信を見つめる。
「殿」
景綱が声を上げる。
「拙者、退がっております」
そう告げると景綱は謙信の許しも聞かず、さっさと部屋を出ていく。
っあ、と謙信は一つ、舌打ちをして謙信が言う。
「これで望み通りだ」
少しの間の後、
「幻庵宗哲さまにございます」
と康光は応えた。
だろうな、と謙信は笑う。
幻庵宗哲とは氏康の叔父である、北条長綱の事である。出家して幻庵宗哲と名乗っているのだ。
八十を超える北条一門の長老で、小机城主である。
そして景虎の元舅である。
長綱には息子がいたが、若くして亡くなった。それで甥の息子である景虎を、婿養子に迎えたのだ。
それなのに氏政が、自分の息子を越後に送りたくないからと、無理矢理景虎を離縁させたのである。
長綱からすれば、一族の長老たる自分の顔に泥を塗ったのだ。当然怒る。
氏政もそれは分かっている。長綱を遠ざけ、弟の氏照、氏邦、そして家老の松田憲政らを重用するようになった。
そうなれば当たり前だが、長綱の怒りは増す。
氏政派と氏康派で対立してた北条家は、氏政派と長綱派に変わったのである。
とは言え氏康と長綱では、その派閥の大きさが違う。
「味方は少なかろう」
謙信がそう言うと、表情を変えずに康光は答える。
「人の心は碁石のように、黒なら黒、白なら白とハッキリしておりませぬ」
ほぉ、と謙信は声を漏らす。
「黒に近いとか、外見は黒だが拭いてみれば白であるとか、そういうものです」
なるのどな、と謙信は頷く。
今北条家中は氏政に従う者が殆どだが、風向きが変わればどうなるか分からないと言うことだ。
「弾正少弼さま」
康光は床に手を付き、深く頭を下げた。
「我らにとって、敵は小田原の相模守・・・・・・決して弾正少弼さまを騙しはいたしませぬ」
顔を上げた康光の目は、ここが勝負どころという強い眼差しだ。
「当家を乗っ取るつもりなのにか?」
勝負どころと攻めかかる康光を、皮肉な言葉で謙信はいなす。
「弾正少弼さまに、損は決してさせませぬ」
低く鋭く、そして力強い声で、康光は訴えた。
「・・・・・・・」
謙信は黙って立ち上がり、康光に近づく。
そして顔を近づけ、その目をジッと見る。
「・・・・・・・」
康光も目を逸らさず、ジッと謙信の目を見つめ返す。
「・・・・・・良いだろう」
そう言うと謙信は、席に戻る。
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