捧魂契約のリセットスイッチ

白城海

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第五章 倫理無用のリベンジアクション

6・あまりにも不可解な物だった

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 一匹の蝶が、震えていた。白く美しい羽を、小さな身から精いっぱいに伸ばして。
 ちっぽけな命は、溶けてしまいそうな蒸し暑さの中で必死に生き残ろうとしていた。
 季節は、夏。
 照りつける太陽が肌を焼き、粘りつく湿気が体へと絡みつく。
 見慣れた街並み。
 ビルの群れ。
 規則的に並ぶ街路樹。
 同じく、工場で生産される部品の様に均等に詰められた車の群れと人の波。
 その中で、蝶はただ美しくそこに在った。

 張り巡らされた蜘蛛の巣に、その脆い体を縛られて。

 道行く多くの人々は、誰も見向きはしない。
 パン屋の古びた看板に張られた蜘蛛の巣も、襲い来る死から逃がれようと抵抗する蝶も見えていないようだった。

 僕はただ、観察していた。
 助ける事も目を背ける事も無く、暑さに蝕まれた荒い息でただじっと見つめていた。
 家主である蜘蛛は留守のようだ。
 憐れな生贄が逃げるのは、今しかない。
 しかし。
 彼が暴れる度に糸は全身へと巻き付いていき、自由を奪っていく。

 完全に動きを止めた蝶の前に、麦わら帽子の幼い少女が立ち止まった。
 少女は一瞬首をかしげた後、怒りの形相で蜘蛛の巣を振り払う。
「今、助けてあげるからね」
 地面に転がる蝶を拾い、少女が糸を剥ごうとする。
 だけど彼女はお世辞にも器用とは言えなかったようだ。
 小さな手でどれだけ丁寧に触れても、蝶に自由を与える事は出来ない。

 嫌な音が響いた――気がした。

 音など聞こえるわけがない。だけど、僕の耳には確かに届いた。
 蝶の羽が、引き千切れる音が。
「あっ」
 少女が顔を歪め、涙をにじませる。
 誰かに助けを求めるように左右に眼を泳がすが、やがて顔を俯け、羽を投げ捨て走り去っていった。
 後に残るのは、焼けた地面で動かない蝶だったものと、風に流されて行く二枚の羽。

 僕はただ見続けている。

 何も感じず。

 ただ、ただ。



――あの時と今は、同じだ。
 気付いた瞬間、景色が変わった。世界が、移り変わった。
 真夏の熱気は木枯らしに変わり、駅前の大通りが廃墟の群れになる。
 幼い日の記憶が遠い彼方へ吹き飛び、現実の光景が五感へと帰ってくる。幻の光景とは違い、僕は蝶など見ていない。
 ただ、目の前に広がる光景は、まるで当時と同じに感じられた。

 僕の目の前に這いつくばるのは蝶ではなく、二人の男。
《瀕死の山田と三下》を、《無傷の僕が》見つめていた。

「いいザマだよ。ホントに」
 僕の声は、二人に届いていないようだった。当然だろう。少しばかり遠いし、そもそもどう見ても喋れる状態では無い。

 何故なら、二人は《コンクリートの瓦礫に潰されている》のだから。

 全ては《先程起きた地震》のせいだった。
 先の震災と続く群発地震で随分とガタの来ていた廃墟の一つに限界が来たのだ。
 崩れ落ちた建物の一部は容赦なく二人に襲いかかり、押し潰した。響き渡る絶叫、恐怖の表情、重苦しい衝突音。

 全て、僕は覚えている。
 何故なら僕は隠れて二人が潰されるのを見ていたからだ。
 幼い時の夏の日のように。蝶が死んでいく様を見ていた時と、全く同じ表情で。

 山田はもう生きていないのかもしれない。
 首が折れたのか、頭が奇妙な方向へとねじ曲がっていた。ほんの数秒前までは痙攣していた体も、もう動いていない。
 三下も酷いもので、降り落ちてきた金属片が胴を串刺しにされ身動きが取れない状態だった。さらに左足もあり得ない方向にヘシ折れ、もはや助かるとは思えない。

 全て、僕の望み通りであり《計画通り》だった。死を運命づけられた男たちへと足を進めながら、体感時間で半日ほど前の事を思い返す。
 僕は三下にとどめを刺した後、自らの命も断った。そして日曜日の朝に《戻って》きた。

 既に、二人の《死の引き金》は引かれている。奴らは間違いなく死ぬのだ。例え僕が手を下さなくても。
 僕はただ、携帯電話の電源を切り、部屋にこもって待っているだけで良かった。そうすれば警察の手が及ぶことのない完全犯罪が成立する。

 だと言うのに、僕は二人の呼び出しに応じた。死が確定している二人に近付けば面倒事に巻き込まれるリスクは上がるだけだ。

 ならば何故、僕はここにいるのか。
 理由は、たった一つ。
《僕の気持が収まっていないから》だ。

 殺しても、殺し足りなかった。
 許せない。許せるわけが無い。妹を、九行さんを、見知らぬ女性を汚したこの二人を。そして、その罪全てを死者に擦り付けた鬼畜たちを。
 もう一度二人の死を見なければ気が済まなかった。グリードは止めたが、僕の決意は揺るがない。

 深く、息を吐く。さらに歩を進め、三下の眼前へと姿を見せる。

「……たすけ、てくれ」
 僕は、何も答えない。
「たすけて、くれ。やざわぁ」
 三下の顔面は蒼白になり、唇からも赤みが失われていた。
 例え僕がすぐに救急車を呼んだとしても、もう助からないだろう。九行さんもそうだった。夏秋に刺された後すぐに救急車を呼びはしたが、偶然に偶然が重なって彼女は運命通りに死んだ。

「たす、け」
 やがて声は小さくなって行き、吐き出された血と共に消えた。
 そろそろ救急車を呼んでやらねばならない。あくまでも僕は《山田達と一緒にいて、幸運にも事故から免れた少年》であらねばならないからだ。
 このまま二人を見捨てて立ち去れば、ただでは済まないだろう。
 ポケットから携帯電話を取り出し、電源を入れようとする。

「……?」
 暗転した画面に、見知らぬ男が映りこんでいた。いや、違う。映っていたのは人ですらない。

《悪鬼》だった。

 狂気と凶気に歪んだ酷薄な笑み。だと言うのに、目だけは何かに怯えるように潤んでいる。
 どこか見覚えのある容貌だったが、きっと気のせいだ。人間にできる表情ではない。驚き、後ろを振り向くが背後には誰もいなかった。
 もう一度携帯電話を覗いてみるが、既に電源が入っておりトップ画面が表示されているだけだ。

「何だったんだ。今の」
 きっと、気のせいだったのだろう。気にする事ではないと、パネルを操作し119をタッチする。

 そのまま、発信ボタンを押そうとした時――

――違和感が駆け抜けた。

 何かがおかしい、嫌な予感がする。しかし、その正体が何か分からない。

 不安を感じ周囲を見渡す。異常は無かった。

 当然だ、前後左右を見回しても異常など分かるはずは無い。
 何故なら、《異常は僕の真上にあった》からだ。

 ようやく気付く。
 違和感の正体が音だったことに。
 どこかで聞いた事のある、何かが砕ける音。

 まともに施工されなかったビルに致命的な亀裂が入ったのだ。

「しまっ……」
 気付いた時にはもう遅い。僕の頭上へと、拳ほどの大きさの塊が無数に降り注いでくる。
 
 数が多い。
 間に合わない。
 逃げられない。
 避けられない。

  一秒が十分の一秒に、
 十分の一秒が百分の一秒に。
 百分の一秒が千分の一秒に。

 永遠へと引き延ばされて行く時間。
 ゆっくりと、だが確実に迫りくる危機。
 動かない体。
 それでも、時計の針はは一向に《一》へと達する事がない。

 どこで間違えた。
 何をしくじった。

 焦燥、後悔、失望、不安、恐怖。
 何が何だか分からない。

 火照った頭が急速に冷却して行くのが自分でも分かった。

―― 一体、僕は何をしていたと言うのだろう。

 悪い夢でも見ているかのようだった。
 家族を守るなどと言う大義名分を抱え、僕が行った事は何だ。ただの殺戮、無意味な処刑じゃないか。

 死んだ林田に対して感じた事が脳裏に蘇る。
――あいつが死んだのはただの自業自得だ。劣悪なレイプ犯罪などに手を染めなければ死ぬことなどなかったのだ。

 しかし、後悔は手遅れだった。
 引き延ばされた時間も、終わりが来る。永遠は、無限ではないのだ。

――避ける? 不可能。間に合わない。

――急所を庇う? 無駄だ。それからどうする。障害が残ったら? 一生意識が戻らない可能性は?

――だったら。

 考えるより先に体が動いた。
 頭だけを庇い、無防備な体を晒し地面へと仰向けに倒れこむ。

 降り注ぐ瓦礫。
 全身を打つ衝撃。
 動かない体。
 止まる呼吸。

 最後に僕の頭に残っていたのは、後悔でも、生への執着でも、家族への言葉でも無かった。
 折れた肋骨が肺に突き刺さったのだろう。血反吐を吐きながらただ、僕は祈り続ける。

――どうか、骨が十か所以上折れていますように!

 僕が生き残る方法は一つしか無かった。それは、《死ぬこと》だ。
 今朝に更新されていたリセット条件のメールが脳裏で瞬く。

《本文:リセット条件→全身十か所以上を骨折しての圧死 残り人数:4》

 頼む。
 もう、これしかない。
 死にたくない、死にたくないんだ。

 僕はただ願い続ける。
 その願いは、三下の最期の懇願と全く同じ事である事にも気付かずに。




―――――――――――――――
 第五章 了
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