捧魂契約のリセットスイッチ

白城海

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第六章 恋理無常のテンダーライアー

1・夢、悔、痛

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「……ッ!」
  悪夢で、目が覚めた。
 喉の奥から漏れる細く荒い息。
 下着が絞れそうなほどに全身を濡らす汗。襲いかかる寒気、止まらない震え。

 最悪の目覚め。

『どうした、ミライ』
「何でも無い。ちょっと悪い夢を見ただけ」
  グリードの心配する声に軽く答えるが、震えは一向に収まらない。
 シャツを替えるべきなのに体が全く動いてくれない。

 どうしてだ。

 全ての懸念は因縁ごと断ち切ったはずだ。確かにアクシデントもあった。落石による僕自身の死亡だ。
 ただ、どうにかリセット条件は満たせたようで、次に目覚めた時は相変わらずの自室だった。

 もう、何も問題無いはずなのだ。

『まだ気に病んでいるのか?』
 スピーカーから、奇妙な質問が放たれた。
 言っている意味が分からなかった。心配事は全て排除したはずだ。

 もう、恐れるものは何も無い。何を気に病むと言うのだろうか。

『二人を殺した事を、後悔しているんだろう』

 まさか、ありえない。殺さなければ、僕たちが殺されていたのだ。

『この世界において、山田光爾と三下信哉を殺したのはお前じゃあない。二人はバイクによる自損事故により死んだのだからな。お前を裁く者はいない。何もしていないのだから』

  その通りだ。二人は勝手に死んだ。僕は何もしていない。
 僕はただ、新聞の隅に書かれている交通事故のニュースを見ただけだ。九行さんは二人の死すら知らないだろう。

『だが、お前を裁くことができる人間がこの世にたった一人だけ存在する』

  一拍の、間。

『それは、お前自身だ』

 体の芯まで凍えるような寒気の中、胸の中心が熱くなった。
 彼の言葉が、余りに鋭く突き刺さったからだ。

『お前は優しすぎるんだよ。無関係だった九行あかりを救うどころか、虎の子の四億を利用して兄まで助けたんだ。
 そんなお前が人を殺して平気な訳がないだろう。どう取り繕った所で《取り消した世界》で直接二人を殺したのはお前なんだ。大方、悪夢とやらも殺した二人に関連するものだったんだろう?』

 図星だった。
 夢の中で僕は、三下達をまた殺していた。
 何度も骨を砕き、肉を裂く。罵倒し、突き刺し、憎悪をぶつけ、ただ殺す。
 目が覚めて大分経つと言うのに、未だに腕にはナイフの感触が残っていた。

 圧死からのリセットから、既に二日。
 金曜日の朝に《戻った》僕はずっと自室に引きこもっていた。食事もほとんど喉を通らず、誰とも話す事も無く自分の殻に塞ぎこんでいたのだ。

 土曜日のニュースで三下達の死亡の報が流れても同じだ。
 それどころか、心を締めつける鎖はさらに力を増し、僕から思考と活力を奪い続けた。
 睡眠はほとんど取れず、例え眠れたとしても悪夢が苛む。もはや、ベッドから動く気力もわかなかった。

『まあ、悪夢を見るのはいいさ。人間の精神衛生上必要な事だからな。そうだ、夢と言えば面白い事を教えてやろうか』
 相変わらずのマイペースさで、グリードの話は全く違う方向へと進んでいく。
 こちらは体が上手く動かせないと言うのに気楽な物だ。

『夢ってのは眠っている間に見る物じゃあない、って事は知っていたか?』
 どう言う意味さ、と目で合図する。
 彼の言いたい事がさっぱり分からなかった。僕の知識によれば、夢と言うのは浅い眠りの内に見るものだったはずだ。

『どうやら、少しは興味を持ってもらえたようだな。人間が浅い眠りであるレム睡眠中に夢を見ると言うのは今や常識だ。しかし、実際は少し違うんだなあ、これが。レム睡眠中に見るのは《夢の源泉》だってことだ』
 源泉。夢そのものではないと言うことだろうか。
 不思議なことに、気付かない内に僕はグリードの話に引き込まれたいた。

「じゃあ、夢はいつ見てるのさ」
『そりゃあ簡単だ。寝てる間に見ていないのなら、起きてからに決まっているだろう』

 何だそれは? さっぱり意味が分からない。

『人間は睡眠中に記憶の整理をする為に夢を見る。だがな、睡眠中の夢は源泉とも言うべき無形のイメージでしか無い。イメージを映像や音声に再構築するのは目が覚める直前から、直後らしいぜ』
「……そんな馬鹿な。ありあえないよ」
 おかしい。絶対におかしい。
 長く重苦しい悪夢や、荒唐無稽な冒険まで、寝ている間ではなく目が覚めた一瞬の間に見ている物だなんてどうしても信じられなかった。

『そのまさかだ。まさに事実は小説よりも奇なり、だな。
 夢の中と現実で同時に目覚ましが鳴った経験があるだろう?
 そいつは、お前が既に目覚めていたからだ。再構築最中のイメージの中に現実の光景が割り込んで来たって事だろうよ』
「……凄過ぎて呆れる話だよ。そんな情報、どこから仕入れてくるのさ」
『悪魔は夢を見ない。だからこそ、お前ら人間に興味があるって事だ』
 分かるような分からないような答えだった。

 ただ、その中で一つだけ僕にも理解できた事があった。

「もしかしてさ、慰めてくれてたの。今の」
 グリードの下らない雑学講座に付き合っているうちに、僕の震えは止まっていた。
 恐らく、彼は僕の意識を悪夢から逸らす事で元気づけようとしてくれたのだ。今ならばどうにか起き上がれそうだった。

『馬鹿言え』
 と、ぶっきらぼうな返事が来るが、どこか気恥しさが混じっている。
 図星だったのだろう。笑ってしまうほどに素直じゃない男だった。

『まあいい。明日から学校だろう? 大丈夫なのか』
「休み過ぎて、正直まずいかな。リセットして通い直したいくらい」
 軽口を叩きながら体を起きあがらせる。グリードのお陰で随分と楽になった。
 今日は連休最終日の日曜。まだ日が昇っていないので、丸一日は休む事は出来る。
 ただ、明日からの学校は期末試験も近いため行かなければならないだろう。それどころか僕は受験生でもあるのだ。
 地元の国立大学に願書を出してはいるが、このままでは不合格に違いない。

『やはりセンター試験近辺でリセットはするのか?』
「そのつもり。条件は相変わらずうんざりするけどね。答えだけ暗記するなら難しい事じゃないし」
 溜息をつき、枕元に転がっていた携帯電話に電源を入れる。時刻は六時十分過ぎ。新着メールが来ていたようだが、とりあえず無視していつもの《リセット条件》が書かれたメールを表示した。

《件名:無題》
《本文:リセット条件→眼窩から脳を串刺しにしての即死 残り人数:3》

 ぞっとする内容だ。
 自分の眼球に錐だのドライバーだのを突き刺して頭をかき回せと言うのだから正気ではない。それでも、人を殺すだなんて条件よりは遥かにマシに感じられる。
 リセット条件は《契約》が自動生成するものであり、グリードは関知していないと言うのが唯一の救いだ。数少ない友人がここまでのサディストだったら僕は自分の運命を呪っていただろう。

「そう言えば、新着メール……」
『あぁ、九行あかりからだったぞ』
「見たの? さすがに怒るよ」
『まさか。中身までは見ていないぜ。オレはプライバシーを大事にする悪魔だからな』
 どの口が言うか、と言い返したかったが黙っていることにする。
 多分、彼は本気だ。大真面目で言っている。人間と悪魔では常識も倫理観も違うのだ。一カ月余りの共同生活で半分諦めていた。異文化交流で大事なのは受け入れることである、多分。

「次からは勝手に僕の携帯を覗かないように」
 ぼやきながら、新着メールを開く。

《本文:チケットを貰ったので日曜日の夕方、映画に行きませんか。興味があればだけど》

 本文が目に入った瞬間、心臓が止まるかと思った。
 今までもゲームの貸し借りや、髪を切りに行くなど、用事ついでに一緒に遊ぶと言うのはあった。
 しかし、今回の様に遊ぶ事を目的とした誘いと言うのは初めてかもしれない。

『おいおい、これってデートのお誘いって奴じゃあないのか?』
「だ、だから勝手に見るなって言ってるだろっ」
 耳が熱くなるのが自分でも分かった。
 止まりそうだった心臓はばくばくと高鳴り、四肢には軽い痺れが走る。

 いや、待って。あり得ない。九行さんと僕は友達だ。それ以上でもそれ以下でも無い。きっと彼女だって深い意味で誘ってはいないはずだ。

『映画、か。初デートにしてはオーソドックスすぎるが悪くは無い。遊園地などは会話の引き出しが少ないと待ち時間が地獄としか言いようがないからな』
「何で悪魔が人間のデート事情にそんなに詳しいんだよ……」
『細かい事は気にするな。それで、どうするんだ?』

  気持ちは決まっている。
 もちろん行きたい。

 ただ、一つだけ引っかかることがあった。

「僕なんかが、行ってもいいのかな」
 引っかかったおもりが重さを増し、胸へとのしかかる。
 九行さんからの誘いは素直に嬉しい。幸福だと言っても良い。

 だけど、僕にそれを享受する資格はあるのだろうか。

「……だって僕は、人を殺したんだよ?」
 悪魔の力で人を殺した僕の行いは法律では裁けない。しかし、間違いなく罪を犯したのだ。
 言い淀む僕に悪魔が呆れたような溜息を漏らす。

『馬鹿かお前は。この世に完璧な物や完全な答えなど存在しない。後悔しない為に契約したのに、スイッチを使った事を後悔してどうする。いいからとっとと返事しろ』

 何故か急かすグリード。野次馬根性を隠そうともしない様子に思わず苦笑が漏れる。
 さすがに今の時間に返信するのは迷惑だろう。全く、空気を読まない悪魔だ。

「……簡単に言うね。全く」
『いくらでも言ってやるさ。お前はオレの契約者なのだからな』
 友人の心地良い励ましが僅かに活力を与えてくれる。今ならば、躊躇していたことが出来そうな気がした。

「ありがとう、グリード」
 おぼつかない足取りで部屋の隅に鎮座するパソコンへと向かう。
『どうして礼を言う。気持ち悪いぞ』
 照れるグリードの声を受けながらマウスを握り、デスクトップに表示されたアイコンをダブルクリック。

 気の抜けたシステム音と共に画面に表示されたのは《セーブしました》の無機質な文字だった。

《これで二人の死は確定した》。

 もう後戻りは出来ない。

――違う。

 僕はもう、とっくに戻れない所まで来ているのだ。
 一月半前に林田の死を確定させた時は元より、グリードと契約した時点で。
 

 胸の中に残る後悔やしがらみを吐きだすように、僕は深い溜息をついた。 
************************************************
果たして彼は立ち直ることができるのか。
章タイトル、話タイトルに関しては修正の可能性有り。
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