捧魂契約のリセットスイッチ

白城海

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第七章 限界突破のソウルサクリファイス

9・真実への扉

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《ドアの後ろ》
《サイコパス》
《イカれた奴》

 いつか雑談の中で聞いたグリードの言葉。

《ドアの後ろ》

 何度も頭の中で繰り返される。

《ドアの後ろ》

 振り返ってはならない。

《ドアの後ろ》

 見たら、死ぬ。殺される。

《サイコパス》

 だが、見なくても同じだ。背後から襲われ、殺される。

《愛沢珠希は、連続猟奇殺人犯》


 ならば、答えは一つしかない。


 ゆっくりと、首に力を込め振り返った先には――


――何もいなかった。


 ただ、空間が広がっているだけ。ドアの後ろに据え置かれた洗濯機が静かに回っているだけだった。
 恐らく、朝になったら動きだすようにタイマーがセットされていたのだろう。

 ただの勘違い。恥ずかしい妄想。

 だが、僕の恐怖心を噴出させるには十分すぎる物だった。

《物影に殺人鬼が隠れているかもしれない》。
 今回は何も無かった。
 だが、次はどうだ。目の前のドアを開けた瞬間、手斧を持った殺人鬼が笑顔で待っている可能性を誰が否定できる。

 生まれて初めての恐怖だった。

 前回のように自力で《リセット条件》を満たす方法も無く、隣にグリードもいない。
 たった一人で、生身の体で、僕は契約者に立ち向かっている現実に気付いてしまったのだ。

――畜生、畜生。

 怯える心を奮い立たせようと両の拳を握り締める。
 それでも膝の震えは止まらない。汗が、涙が押さえられなかった。

 あらゆる絶望よりも、深く黒い感情。
 僕はこの感情を知っている。グリードと契約する前にずっと僕が抱いていたものだ。

 絶対的な、孤独感。

 誰からも助けられず、誰からも認められず、そして助けを求める相手もいない。
 周囲に他人がいても、僕とは無関係の存在。たった一人で暴力に、屈辱に耐える日々。
 最悪の時代の僕と、全く同じ状態になっていたのだ。

 ただ、当時の僕と違う事が一つだけあった。

――今の僕は、一人じゃない。
 ここから脱出する事に成功すれば、グリードに、九行さんに再び会える。
 友の憎まれ口を聞く事が出来る。
 愛しい人の笑顔を見ることができる。

――そうだ。
 まだ、この世界で僕は九行さんに告白さえしていないのだ。
 家族を救わずに、誇りを持たずに、彼女に合わせる顔は無い。
 命に代えてもここから逃げ出す訳にはいかなかった。

――やってやる。
 気付けば、心は波風ひとつなく静まり返っていた。
 改めて、自分の目的を確認したからだ。
 奪われた物を、取り返すと言う。
 バッグからナイフと錐を取り出し、錐だけをポケットに収める。
 もう、必要なのはこれだけだ。念の為持ってきた爆弾も必要ないだろう。バッグも肩から下ろし、床に置く。
 手汗がにじむ左手でナイフを握り締め、右手でドアノブを握る。

――来るなら来い。どうせ起きてたら、僕の負けだ。

 音が立たないようにドアを開けると、薄暗い廊下の光景が飛び込んできた。
 呼吸を止め、耳を澄ます。

 人の気配は、無い。

 足音を消す為に靴を脱ぎ、廊下へと足を踏み出す。靴下越しに届く冷たい感触が、僕の精神を研ぎ澄ませてくれる気がした。
 フローリング張りの廊下を慎重に慎重に、進む。次のドアまでの数歩が途方も無く遠く感じられた。

 今は何時だ。もう、何時間もこの場にいる気がする。
 勿論気のせいだ。家から持ち出してきた父の腕時計は、午前七時二十五分を指していた。まだ家を出て一時間も経っていないのだ。
 そしてようやく突きあたり、二つのドアの前に立つ。おそらくどちらかの部屋に愛沢はいるはずだ。
 正面か、右か。

 全くの勘だったが、正面では無い気がした。僕の感覚では正面に寝室を置く事に違和感を感じたからだ。

――鬼でも蛇でも悪魔でも、出て来るなら来い。
 左手にナイフを握ったまま、レバー型のノブを握り締める。
 泣いても笑っても、死んでも殺してもこれが最後だ。
 今まででよりも更に音がしないよう、細心の注意を払いドアを開ける。

――なんだ、これ。
 想像通り、扉の奥は寝室だった。
 清潔感のあるダブルのベッド。サイドボードに置かれたファンシーなぬいぐるみ。
 部屋の隅には二つ洋服箪笥が並び、その隣には大きめの本棚が置かれている。本の内容はここからはよく見えないが、数学などの専門書に混じってオカルトなどの怪しげな本も混じっているよう見える。

 ここまでは一般的だった。

 だが、この部屋には一つだけ《異様な物》が鎮座していた。

 それは、一般家庭には似合わない業務用の冷蔵庫。
 何の装飾も施されていない銀色に光る武骨な箱は逆に不気味さを際立たせていた。

――冷蔵庫じゃない。冷凍庫?
 部屋の中に体を滑り込ませ確認すると冷凍庫の温度計は《マイナス21》と表示されている。
 何が入っているのか、何となく予想がついた。

 死体だ。

 彼女が救おうとする人の死体が保存されているのだ。腐らないように、劣化しないように。
 そして同時に、今までの犠牲者が持ち去られた首や手足も。
 想像でしかないが、彼女の契約の一部には《被害者の一部を持ち去る》事も含まれているのだろう。

 吐き気を押さえ、ベッドに近付く。

 ナイフを錐に持ち替え、一歩ずつ。一歩ずつ。

 そして、とうとう辿りつく。
 家族の、九行さんの仇。連続猟奇殺人犯、愛沢珠希の枕元に。

 今まで何人もの人を無惨に殺してしてきた猟奇殺人犯とは思えない寝顔のもとに。

――第二段階、クリア。
 残るは、目の前の女の眼窩に錐を突き立て掻き回すだけ。

 殺すか、殺されるか。

 奪うか、奪われるか。

 答えは決まっていた。
 振りかざしたこの手で、僕は愛沢の命と願いを奪い去る。

 友の、家族の、九行さんたちの未来を取り戻す為に。

 頭は冷たく冷え切り、心は熱く昂る。

 耳を澄ますと、聞こえてくるのは規則的な寝息。寝言一つ無い深い睡眠。

――やるなら、今しかない!

 間もなく愛沢はレム睡眠へと移行する。夢を見させるわけにはいかなかった。
 腕を、振り落とす。

 五十センチから三十センチ。


 三十センチから二十センチ。


 二十から十。十から五。五から三。


――目を覚ますな。覚まさないでくれ!


  三、

 二、

 一。

 そして。
 針が瞼を突き抜け、想像よりずっと固い眼球を割り貫く。
 今までに感じたことの無いような不気味な触感。
 肉でもなく、骨でもない。柔らかいピンポン玉を刺したかのようだった。

――刺さった。入った。
 眼球を突き抜けた先に伝わる感覚には覚えがあった。豆腐を刺しているような手ごたえの無さ。
 僕が自分の脳を貫いた時と同じものだ。

――だったら!
 脳の中心部を目指して手首に思い切り捻りを加える。
 相変わらずの抵抗の少なさで、錐は僕の目指す通りに動いてくれた。

――まだ、足りない。
 相手は悪魔だ。人間ではないのだ。この程度では死なないかもしれない。
 さらに手首に力を込め、脳を撹拌する。手首に嫌な感触が響き渡る。

 それでも手が止める事は無い。
 何かに取り憑かれたように、柔らかい何かを必死で掻き回し続ける。

 ひたすら。

 ただ、ひたすら。

 どれほどの間そうしていただろうか。
 愛沢の呼吸は、止まっていた。

 錐から手を離し、首の血管に触れる。

 脈は、無かった。

――死ん、だ?
 悪魔との契約者。
 連続猟奇殺人事件の犯人、愛沢珠希の最期は拍子抜けするほどあっさりとしたものだった。

 膝から力が抜け、カーペットの上へと崩れ落ちる。

「終わっ……た?」
 自らに確認させるように口にした瞬間、僕の目の前で異常が起きた。

 この世では起こり得ない異常。目を、正気を疑うような出来事。


「あんた、何者?」


《死体が僕の手を掴み、引き寄せたのだ》。
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