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第三話 源あげはと麹町時也 その2

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「パ、パンツ履いてただけマシと思って!」

 時也は制服のズボンを上げながら、慌てた口調で言う。

「開き直らないでよ!」
「あと数秒早ければパンツも履いてなかったんだから、やっぱり履いてただけマシだったかと……」

 時也のパン一姿を目撃してしまった私の心臓は、いろんな意味で早鐘を打っている。
 まずは驚き。鍵の閉まっていた家庭科室に人がいるなんて想像してなかったから、慌ててしまった。
 次に時也の格好。パン一で、重要なところ以外を露出したその姿は、男性用下着の広告を思わせるある種の芸術性があった。
 女子高生の反応として、クラスメイトの裸をまじまじと見るのはどうかと思って、倫理観に従って目を逸らしてしてしまったけど、はっきり言ってよく見たい。

「あー、真里菜ちゃん、もうこっち向いて良いよ」
「……ネクタイが曲がってるよ」

 スピードを最重要視して直したらしく、着方がいいかげんだ。ネクタイについて指摘したけど、実はシャツも出てるし。緩い着方をするのが常な時也だからそこまで目立ちはしないけど。

「まさか人が来るとは思ってなかったな~。まぁ来たのが真里菜ちゃんだったから良かったけど」
「私は良くないよ」

 本人の軽い口調のおかげでそこまでの深刻さを感じない。けどよく考えれば、家庭科室でパン一はおかしい、絶対。
 普段の時也の素行、すなわちフェミニストで常時女子を侍らせているという特徴からすれば、今のこの状況の理由も想像がつくわけで。

 ――どっかの女子と不純異性交遊でもしてたんだろう。

「なーんか、食欲なくなっちゃったな」
「真里菜ちゃん、家庭科室でお昼なんだ。家っ庭的~」

 この男と付き合うことが私の平和につながるだなんて信じたくない。どうしてハッピーエンドルートがあるのがこの男だけなんだ!

「オレ、外食とか購買が多いから手料理って久しぶりだな~」
「まさか一緒に食べる気?」
「あら、いけない?」

 私の幸福を考えれば、即オッケーの返事を返すべきなんだろうけど、生憎今日は後輩との約束がある。当日になってよく知らない先輩が増えたら、後輩だって戸惑うだろう。
 残念だけど、今日は諦めてもらおう。そう返そうとした時。

「……っ」

 本当に小さな変化で、わずかな時間。時也は寂しそうな顔を覗かせた。
 そんな顔をしてるのを見たことがなくて、ギャップに言葉が出てこなくなる。

 返事をしない私に時也は近づき、肩に手を置いた。

「ねぇ、ダメ?」

 弱者の瞳で覗き込まれ、ここで断るのはなんだかとんでもなく悪いことをしている気分にさせられる。

 ――と。

「うわぁっ!」

 突然奇声を上げて時也は飛び退いた。直後に何かが彼のいた場所を通過していく。
 びぃんっ、と音を立てて向こう側の壁に刺さる――包丁。

「ざーんねーん。避けられちゃいましたかー」

 聞きなじみのある声に、振り向きざまに彼の名を呼ぶ。

「あ、あげはくん!」
「ごめんなさい、先輩。僕お役に立てませんでしたね」

 中等部の制服を纏い、あどけない笑顔を浮かべてそう言ったのは、私の約束していた相手。中等部三年の、源あげはだ。
 中等部の生徒会長にして、料理の腕が超一級というハイスペック少年。
 去年行われた中等部縦割り調理実習で同じグループになり、以来こうして一緒に料理をする友達をやっている。
 料理男子なんて言えば、穏やかな男の子を連想するかもしれないが、あげははそれに当てはまらない。今の投包丁がいい例だ。

「あっぶな~。なんてもの投げるのさ、君」
「真里菜先輩に薄汚ねぇ手で触ってるからだろ。クソ野郎」
「君可愛い顔に似合わず、口悪いね。お兄さんは悲しい」
「てめぇに悲しまれたところで、なんの損害もねーな。いいからとっとと、そっから出ろ。僕と彼女の目が汚れんだろ」
「さすがに言いすぎだよ、あげはくん」

 望と言い合っても互角以上の時也だから、そう簡単に言い負かされるとは思わないけど、それでも初対面の相手にこんなに罵られては不憫だ。
 それに――。

 私はあげはの耳元にそっと口を寄せた。

「彼、見えないかもしれないけど、理事長の息子さんだから」
「あぁ、先輩。僕のことを心配してくださっているんですね。どんなに正当な理由であっても、反逆したものには容赦なく断罪するこの男の卑怯な手段を危惧しているんですね!」
「ちょっとあげはくん、声が大きいって」
「安心してください。麹町先輩の感情ひとつで僕の学歴は左右されたりしません。だって、僕が学園にいたいんじゃなく、学園が僕にいて欲しいんですから。そうですよね、麹町先輩」
「んあ? 知らないよ~。だってオレ、別に親父の仕事に興味ないし」

 時也は理事長の息子であることを鼻に掛けない。周囲からはそう思われてるし、私もそう思ってた。
 けど今の彼の顔を見ると、鼻に掛けないというよりは、話したくなさそうに見える。なんとなくそう感じた。

「あーあ、せっかく真里菜ちゃんの手料理食べられるチャンスだったのにな~。二投目食らいたくないから、もう行くね。また教室で、じゃあね真里菜ちゃん」

 私の背後で二つ目の包丁を構えていたあげはに気を取られている間に、時也は手をひらひらと振って去っていった。
 その後ろ姿は、なんだか寂しそうに見えた。
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