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第四話 源あげはと麹町時也 その3

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 お昼ご飯を作り終え、私とあげはは並んで料理を食べ始めた。

「はい、先輩。あーん」
「いいって、自分で食べるから」
「えぇ……先輩に食べさせる栄光を僕にくださらないんですか?」

 きゅるぅん。
 そんな効果音が聞こえた。
 たった一歳しか違わないはずなのに、すごく年下のように見える。あげはは時折こんな甘えた素振りを見せるのだ。

「私に食べさせてないで、自分で食べな。早くしないと昼休み終わっちゃうよ。あげはは中等部まで戻る時間も掛かるんだからね」

 そう言って頭をなでてやると、彼は少し赤くなって笑う。

「……ふふっ。良かった。いつもの先輩だ」

 彼はつまんでいたお稲荷さんをかじった。

「どういう意味?」
「麹町先輩と何かあったのかなって疑ってたんです」
「えっ?」
「……今、動揺しましたよね」

 はちみつ色をした瞳がグッと私に詰め寄ってくる。そこに浮かぶ若干のいらだちに、私は気圧された。

「僕が気付いてないと思いました? 麹町先輩の服装が乱れていましたね。あれはここで服を脱ぐような何かをしていた証拠です。ですが、真里菜先輩の服には異変は見られませんでした。つまり、麹町先輩の服を乱す『何か』に真里菜先輩は参加していなかったことになります。……まぁ何かあったと疑っていたら、今日の昼食には麹町先輩が並んでいたでしょうけど」
「あ、あげはくん……」
「そんな怖がらないでください。ただの冗談ですよ」

 ふふふ、と笑ってあげはは食事を再開させる。

 こ、怖かった。いつもは可愛い後輩なのに、息が止まるかと思った。
 教室から逃れて、『君はタカラモノ』のキャラクターである望や時也と関わらない時間を持てるのは精神的な休息になる。今日だってそれを期待してあげはと一緒にお昼を食べているのに。
 私と時也のことを誤解するなんて、大人びて見えていてもあげはもまだ子供だということだ。時也は女性全般にあぁいう態度で接している。私だけが特別なわけじゃない。

 ……明日のお昼にでも、何か作って持って行ってあげようか?
 お世辞かもしれないけど、手料理が食べたいと言っていたし。あげはの失礼な態度のお詫びも兼ねて。

「先輩、明日もお昼一緒しませんか?」
「え……っと、ごめんね、あげはくん。明日は別の予定が入ってて……」

 時也にお昼を持っていく気になっていた私は、あげはのお誘いを断った。

「そうですか。残念です。先輩と過ごすの楽しいので、一緒にいたくなっちゃうんですよねー」

 その後私たちは、お昼を食べて片づけをし、予鈴が鳴るまで談笑を続けた。




 翌日。
 昼休みも半ばを過ぎた時間に、私はサンドイッチの乗ったお皿を抱えて校舎を歩き回っていた。何事、と見てくる生徒もいたけれど、視線を気にするだけの余裕がない。

 時也はどこにいるのだろう。
 教室は見たし、ついでに他のクラスも覗いた。けれど時也の姿が見当たらない。

「お昼休み終わっちゃうんだけど……」

 残されたサンドイッチの姿を見て溜息を吐く。

 あ、校舎裏に面したあの廊下はどうだろう。おととい、時也が姿を見せた場所だ。
 他に心当たりもないし、ダメ元で行ってみよう。

 結論から言うと、そこに時也はいた。いたのだけれど……。

「……」

 話しかける勇気が出ない。
 麹町時也は、廊下に体育座りをして膝に顔をうずめていた。

 おそらくこの様子だとお昼だってまともに食べていないはずだ。
 それなら、やっぱり食べてもらうべきだろう。

「こ、麹町くん!」

 ぴくりと反応した時也がゆっくりと頭を持ち上げて、私を見上げてくる。その目にはうっすらと陰があった。

「何かな、真里菜ちゃん。悪いんだけど、今はちょっと話しかけないでもらえるとありがたいな」
「お、お昼まだだったら食べないかなと思って」

 落ち込んでいるみたいだったから、つい時也の意志を無視してしまった。根底には、元気のない人間にまともな判断はできない、という考えがある。
 気づかいのつもりでサンドイッチのお皿を差し出したのだけれど、返ってきたのは拒絶だった。

「いいって。オレに今構わないで」

 パシン。時也が無造作に払った腕が皿に当たり、サンドイッチが宙を舞う。お皿を落とさないようにするので精一杯で、サンドイッチまで手が回らない。

「あ」

 音もなく、サンドイッチは床に落ちた。

「……あ」

 遅れること数秒。時也も何が起きたのかを理解したらしい。

 廊下に落ちたサンドイッチが酷く惨めに見えた。「おまえなんかいらない」と捨てられたそれは、まるで今の私みたいで。
 涙が、出た。

「ご、ごめんね。真里菜ちゃん」
「ち、がうの。麹町くんが悪いわけじゃなくて」

 時也は悪くない。そう、私が彼の言うことを聞かずに不躾だったから。

 汚れて、食べ物としての役割を失い、ただの生ゴミになってしまったサンドイッチ。
 あぁ、どうしてこんなに胸が痛いの?
 だって私は時也に食べてもらいたかった。そしてさらにその先も期待していた。「美味しかったよ」って、時也に喜んでもらいたかったのだ。

 ゴミになったそれを拾い、そのまま右手で持つ。食べ物を乗せるお皿に、ゴミを乗せるのが忍びなかった。

「邪魔してごめんね、麹町くん」

 私は立ち上がる。

「待って」

 時也は私が反応するよりも早く、私の右手を掴んで引き寄せ、手の中にあるサンドイッチを食べた。

「麹町くん!? やめて、汚いよ……」
「オレのために作ってきてくれたんでしょ。食べるも食べないもオレの自由だよ」

 逃げようと体を引くと、それを許さないというように抱きしめられ、ついにはサンドイッチをすべて食べられてしまう。サンドイッチを食べる時也に、何度か一緒に手までかじられた。

「ごちそうさま。美味しかったよ」
「な、なんで……落ちたのに」
「オレが食べたかったんだよ。真里菜ちゃんのサンドイッチ」
「最初いらないって」
「ごめんね、まさかサンドイッチ作ってきてくれたなんて思ってなくて……最初から素直に受け取ればよかった。そしたら真里菜ちゃんを泣かせなくてすんだのに」

 時也はずるい人だ。彼女でもないのに、こんな風に優しくするなんて。
 勘違いして、好きになってしまいそう。

「今日食べなくても、言ってくれれば別の日にまた作ってきたのに」
「じゃあお願い。明日も作って」
「……いいよ」

 今日の料理はは昨日時也にお願いされたから、明日の料理は今日時也にお願いされたから。明後日は――。

「やった~。嬉しいな。ありがとう、真里菜ちゃん」

 さっきの時也は見間違いだったのかもしれない。元気がなかったことなど忘れているような態度を見せる時也に、ホッとした。


 私は浮かれていて気が付かなかった。この時の私たちをそっと見ていた人物がいたことを……。
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