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手の届かない距離(エルネスト視点)
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妙な胸騒ぎと違和感とよくわからない感情を抱えたままよく眠れなかった。そのままずっと落ち着かない心情を自分で冷静に感じながら、俺は屋敷をでた。
アリシアの実家の伯爵領についたのは昼頃だった。早朝に出て休まずに馬で駆けてきたから思っていたより早かった。馬車では通れないような細道が続いているから単騎ならばそう遠くはない距離だ。この馬でアリシアを連れて帰っては来れないことはわかっているのに、なぜ俺は急いで馬を走らせたのか。
自分でもよくわからない。
落ち着いて考えると無駄な行動にも思えてしまうが、けれど来なければよかった、とは思わない。失敗したとも思わなかった。
馬の足音に気づいたのか、侍女を連れたアリシアの母君が顔を出した。 俺の顔を見て驚いたような、辛そうでけれど安堵したような不思議な表情をする。
しかしそれも一瞬のこと。わかりにくい表情の変化をすぐに淑女の笑顔に覆い隠した母君は優しげに声をかけてくれた。
「あら、エルネスト様。お久しぶりです。ようこそいらっしゃいました。疲れましたでしょう。すぐにお茶を用意させますわ。さあ、馬をお預かりして、中にご案内を。お茶と軽食も頼んできて頂戴」
俺に声をかけた後にテキパキと使用人達に声をかけた母君は、アリシアによく似ている。その凛とした立ち姿もその目元も、よく似ている。
通された部屋は以前何度か使用したことのある部屋だった。伯爵夫妻が揃っていて、アリシアの姿は見えない。
この家に来たのは数回だけだし以前来てから随分と時間が経ってしまっているがあまり変わった様子はない。
「あの、アリシアは」
不躾かとは思ったが単刀直入に切り出させてもらった。俺はそのために馬を走らせてきたのだから。
腰を下ろして早々に、お茶に手もつけずに口を開いた俺に、夫妻は並んで座ったまま、目線だけで頷き合った。
「エルネスト様、本当に、至らない娘で申し訳ございません」
「あの子の我が儘で結婚したようなものなのに、君には本当によくしてもらったと思っている」
揃って申し訳ない、と頭を下げるお二人に俺は目を白黒させるしかない。王族のお側にに仕えるものとして表情は辛うじて真顔をたもっていられているだろうが、全くもって意味がわからない。俺はなぜ謝罪をされているんだ。
「いえ、謝罪するのはこちらの方です。お嬢さんに傷をつけてしまったのは私の責任です」
王女様の一大事だからといってアリシアが襲われるのになんの対策もできていなかった。帰って指示を出すことだけはしたが、それだけだ。あの時はそれだけで手一杯だった。きっと何度同じ状態になっても同じことをする。
それでも今考えれば完全な俺の落ち度でしかない。そこまで深い傷ではないと聞いていたが、こうしてこの部屋に現れないところを見るとやはりそれなりに酷いのだろうか。
「いえ、貴方はよくアリシアに付き合ってくれていました。王女殿下という方がおりながらあの子に誠意を込めて尽くしてくれていましたもの。それはよく、とてもよくわかっておりますわ。アリシアも、もちろん私たちも」
ねぇ、と困ったように笑う母君に俺はさらに困り果てるしかない。なぜそこでマリーアンジュ様が出てくるのだろうか。やはり怒られているんだろうか。
「その、アリシアに会いたいのですが。もし動くのが辛いようでしたら失礼ですがアリシアの部屋まで顔を見に行かせてはいただけませんか」
ひと目でも、彼女の顔を見たいと思ってしまった。母君を見ているとアリシアがどうしても重なってきてしまう。
母君は一呼吸置いて、それから静かに首を横にふった。
「アリシアは、あの子は、ここにはおりません」
「いない? それは一体どういう……。実家の領地に戻ると聞いていたのですが」
一体どこに。出かけているとかそう言うことだろうか。
「我が領地の端にある国境の街に。あそこにはうちの別邸があってここよりも空気がいい。体にもいいし賑やかな街だから気を紛らわせるのにはいいんだろう」
父君は俺に、と言うよりも一人呟くように言った。伯爵家の別邸には行ったことはないが、あの辺境は何度か通ったことがある。途中の道はここよりも道は複雑で抜け道はない。馬でも1日で王都と往復をするには厳しい場所だ。
「アリシアに伝言があれば伝えておきます。エルネスト様は充分心を割いてくれましたもの。あの子のことはもう……」
正直、母君の言葉はあまり耳に入っていなかった。
アリシアがいない。アリシアに会えない。
それだけしか考えられていなかった。
いつでも会えて、いつでもそこにいて、いつでも声が聞こえてくる。呼べばいつだって応えてくれる彼女に手が届かない。その事実を改めて突きつけられる。
会いにいこう、と思った。
今まで休暇などまともに取ったことはなかったし、数日間の休みなんて取ろうと思ったこともなかった。事件も落ち着いたこのタイミングならば休みを貰えるだろう、そんなことを考えていたから、夫妻が何を言っていたのか覚えていない。
何も言っていなかったのかもしれないが。
「次は、アリシアに直接、改めて会いに行きます。急にお邪魔して申し訳ございませんでした」
「アリシアに? けれどあの子のいるところは少し遠いですし」
貴方にそこまでいく時間なんてあるの?
そう言われた気がした。
「休みをとって出直します」
すぐにそう返した俺に、夫妻は今度こそ顔を見合わせた。
「エルネストくん、聞いても?」
「はい」
「君はあの子のことをどう思っているのかな」
「ちょっとあなた」
母君は父君の袖を引くが、父君は真剣な目で俺から視線を逸らさない。
「アリシアは、大切な存在です」
それは間違いない。彼女は俺にとって掛け替えのない存在だ。
「それは、王女殿下よりも?」
「ちょっとあなたっ!」
母君の制止が鋭くなる。
俺はその問いかけに応えられなかった。言葉が、出てこなかった。
王女とアリシア、どちらを選ぶか、どちらが一番か、なんてそんなことは決まっている。護衛騎士の俺にとって王女であるマリーアンジュ様が何より大切な存在だ。それは何があっても覆らない。アリシアと同列には……、扱えない。
ずっとそうだった。そうでなければいけない。そのはずだ。
しかしそれを口にすることも、アリシアがと言うことも、どちらもできなかった。
口を閉ざした俺に、父君は視線を逸らした。一瞬見えたその瞳に浮かんだのは失望だ。
「明日も仕事なんだろう。そろそろ帰らなくては、仕事に響いたら大変だ。君が体調を崩したらアリシアも気を病む」
優しげな表情でそう言われたら何も言うことはできない。そう言われなくても俺に言えることなんて何もないのかもしれないが。
帰って明日早速マリーアンジュ様に休みの申請をしなければ。
深く頭を下げてから、俺は帰路に着いた。
アリシアの実家の伯爵領についたのは昼頃だった。早朝に出て休まずに馬で駆けてきたから思っていたより早かった。馬車では通れないような細道が続いているから単騎ならばそう遠くはない距離だ。この馬でアリシアを連れて帰っては来れないことはわかっているのに、なぜ俺は急いで馬を走らせたのか。
自分でもよくわからない。
落ち着いて考えると無駄な行動にも思えてしまうが、けれど来なければよかった、とは思わない。失敗したとも思わなかった。
馬の足音に気づいたのか、侍女を連れたアリシアの母君が顔を出した。 俺の顔を見て驚いたような、辛そうでけれど安堵したような不思議な表情をする。
しかしそれも一瞬のこと。わかりにくい表情の変化をすぐに淑女の笑顔に覆い隠した母君は優しげに声をかけてくれた。
「あら、エルネスト様。お久しぶりです。ようこそいらっしゃいました。疲れましたでしょう。すぐにお茶を用意させますわ。さあ、馬をお預かりして、中にご案内を。お茶と軽食も頼んできて頂戴」
俺に声をかけた後にテキパキと使用人達に声をかけた母君は、アリシアによく似ている。その凛とした立ち姿もその目元も、よく似ている。
通された部屋は以前何度か使用したことのある部屋だった。伯爵夫妻が揃っていて、アリシアの姿は見えない。
この家に来たのは数回だけだし以前来てから随分と時間が経ってしまっているがあまり変わった様子はない。
「あの、アリシアは」
不躾かとは思ったが単刀直入に切り出させてもらった。俺はそのために馬を走らせてきたのだから。
腰を下ろして早々に、お茶に手もつけずに口を開いた俺に、夫妻は並んで座ったまま、目線だけで頷き合った。
「エルネスト様、本当に、至らない娘で申し訳ございません」
「あの子の我が儘で結婚したようなものなのに、君には本当によくしてもらったと思っている」
揃って申し訳ない、と頭を下げるお二人に俺は目を白黒させるしかない。王族のお側にに仕えるものとして表情は辛うじて真顔をたもっていられているだろうが、全くもって意味がわからない。俺はなぜ謝罪をされているんだ。
「いえ、謝罪するのはこちらの方です。お嬢さんに傷をつけてしまったのは私の責任です」
王女様の一大事だからといってアリシアが襲われるのになんの対策もできていなかった。帰って指示を出すことだけはしたが、それだけだ。あの時はそれだけで手一杯だった。きっと何度同じ状態になっても同じことをする。
それでも今考えれば完全な俺の落ち度でしかない。そこまで深い傷ではないと聞いていたが、こうしてこの部屋に現れないところを見るとやはりそれなりに酷いのだろうか。
「いえ、貴方はよくアリシアに付き合ってくれていました。王女殿下という方がおりながらあの子に誠意を込めて尽くしてくれていましたもの。それはよく、とてもよくわかっておりますわ。アリシアも、もちろん私たちも」
ねぇ、と困ったように笑う母君に俺はさらに困り果てるしかない。なぜそこでマリーアンジュ様が出てくるのだろうか。やはり怒られているんだろうか。
「その、アリシアに会いたいのですが。もし動くのが辛いようでしたら失礼ですがアリシアの部屋まで顔を見に行かせてはいただけませんか」
ひと目でも、彼女の顔を見たいと思ってしまった。母君を見ているとアリシアがどうしても重なってきてしまう。
母君は一呼吸置いて、それから静かに首を横にふった。
「アリシアは、あの子は、ここにはおりません」
「いない? それは一体どういう……。実家の領地に戻ると聞いていたのですが」
一体どこに。出かけているとかそう言うことだろうか。
「我が領地の端にある国境の街に。あそこにはうちの別邸があってここよりも空気がいい。体にもいいし賑やかな街だから気を紛らわせるのにはいいんだろう」
父君は俺に、と言うよりも一人呟くように言った。伯爵家の別邸には行ったことはないが、あの辺境は何度か通ったことがある。途中の道はここよりも道は複雑で抜け道はない。馬でも1日で王都と往復をするには厳しい場所だ。
「アリシアに伝言があれば伝えておきます。エルネスト様は充分心を割いてくれましたもの。あの子のことはもう……」
正直、母君の言葉はあまり耳に入っていなかった。
アリシアがいない。アリシアに会えない。
それだけしか考えられていなかった。
いつでも会えて、いつでもそこにいて、いつでも声が聞こえてくる。呼べばいつだって応えてくれる彼女に手が届かない。その事実を改めて突きつけられる。
会いにいこう、と思った。
今まで休暇などまともに取ったことはなかったし、数日間の休みなんて取ろうと思ったこともなかった。事件も落ち着いたこのタイミングならば休みを貰えるだろう、そんなことを考えていたから、夫妻が何を言っていたのか覚えていない。
何も言っていなかったのかもしれないが。
「次は、アリシアに直接、改めて会いに行きます。急にお邪魔して申し訳ございませんでした」
「アリシアに? けれどあの子のいるところは少し遠いですし」
貴方にそこまでいく時間なんてあるの?
そう言われた気がした。
「休みをとって出直します」
すぐにそう返した俺に、夫妻は今度こそ顔を見合わせた。
「エルネストくん、聞いても?」
「はい」
「君はあの子のことをどう思っているのかな」
「ちょっとあなた」
母君は父君の袖を引くが、父君は真剣な目で俺から視線を逸らさない。
「アリシアは、大切な存在です」
それは間違いない。彼女は俺にとって掛け替えのない存在だ。
「それは、王女殿下よりも?」
「ちょっとあなたっ!」
母君の制止が鋭くなる。
俺はその問いかけに応えられなかった。言葉が、出てこなかった。
王女とアリシア、どちらを選ぶか、どちらが一番か、なんてそんなことは決まっている。護衛騎士の俺にとって王女であるマリーアンジュ様が何より大切な存在だ。それは何があっても覆らない。アリシアと同列には……、扱えない。
ずっとそうだった。そうでなければいけない。そのはずだ。
しかしそれを口にすることも、アリシアがと言うことも、どちらもできなかった。
口を閉ざした俺に、父君は視線を逸らした。一瞬見えたその瞳に浮かんだのは失望だ。
「明日も仕事なんだろう。そろそろ帰らなくては、仕事に響いたら大変だ。君が体調を崩したらアリシアも気を病む」
優しげな表情でそう言われたら何も言うことはできない。そう言われなくても俺に言えることなんて何もないのかもしれないが。
帰って明日早速マリーアンジュ様に休みの申請をしなければ。
深く頭を下げてから、俺は帰路に着いた。
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