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ごめんね
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『忘れられない友達』
「美術の道は諦めなさい。君には向いていないよ」
人生最初の挫折を味わったのは、中学2年の夏だった。美術部の顧問が何か続きを喋っていたが、何を言っているのか解らなかった。言葉から意味が抜け落ちて、ただの音の連なりとして鼓膜を震わせる。
そんな最悪な日でも、どこをどうやって帰ったのか覚えていない割にちゃんと家にはたどり着くし、銀色のポストをチェックするのも忘れない。
ポストの中には——限界まで紙が詰め込まれたのだろう——パンパンに膨らんだ茶封筒があった。差出人の欄には可愛らしい丸文字で由香ちゃんの名前が書いてある。
私は鉛を飲み込んだかのような重苦しい気持ちで二階の自室に引き上げ、制服を脱ぐ気力もなく、ベッドに崩れ落ちた。
「諦めなさい——向いていないよ」
脳内を谺する言葉にやっと意味が伴ってきたら、今度は涙があふれて止まらなかった。
勉強も運動も、コツコツと努力をする事で人並み以上の結果を出してきた私にとって、どんなに努力してもどんなに情熱を傾けても、成果が出せなかったのは初めてだった。
少しでも気持ちを切り替えようと、由香ちゃんからの手紙を開封する。中には、レポート用紙にぎっしり文字が書かれた手紙と、美麗な水彩イラストが数枚同封されていた。
<受験、がんばろうね! M美術校で再会しよ!>
手紙に書かれていたその文字を、私は直視できなかった。
由香ちゃんは、小学校の頃一番仲が良かった友達だ。一緒に絵を描いたり、物語を創ったりして遊べる唯一の友達。無理して恋バナをしなくても、趣味だけで繋がれる貴重な関係だった。
途中で由香ちゃんが転校してしまった為、スマートフォンを持っていない彼女に合わせて、文通という古風なやりとりを通じて交流を続けていた。
私は漫画家を。由香ちゃんはアニメーターを目指していて、共に美術系の高校を受験しようと話していたのだ。そんな中で私は「落第生」のレッテルを貼られてしまった。
自分に才能が無いのはわかっていた。それでも絵を描くことが大好きだった。なんとか画力を上げたくて、持ち前の粘り強さで基礎を習得し、「絵を描かない人」には褒められる絵がかけ始めた頃だったのだけれど、その道に進んで行ける程の実力をつける事はできなかった。
悔しさをバネにさらなる研鑽をすれば良かったのかも知れないけれど、当時の私はもう頑張れなかった。自分に出来うる最大限の努力をした結果が、「諦めなさい」なのだから。
手紙の返事には、<家の事情で美術高校の受験が出来なくなった>と書き、封をした。やり取りの際に毎回同封していたイラストは、入れなかった。描けなかった。
「私には、自分だけに課している目標があってね。“やるからには成果を出すまでやる”の。他の人にもそれを求めているわけじゃないよ? あくまで自分の中の目標ね。私は絵を描くからには、プロになる」
由香ちゃんの口癖だった。
「ストイックに頑張る人なんだな」
と、今までの私だったら思っただろう。私自身、己がプロになれると信じて疑わなかったから。それでも、親たちから耳にタコができるくらい聞かされていた
「好きな事で食ってけるのは一部の人たちだけ」
という言葉が実感として己の肌に染み込んだ今は、その言葉が胸の奥深くにぐっさりとささって、事あるごとにじくじくと痛んだ。
——私なんて由香ちゃんの眼中に無いんだろうな。
そう思う度に、彼女の美学は私にとって呪いとなった。
その後、由香ちゃんは宣言通り美術系高校に入学。私は普通科の高校へ進んだ。
スマートフォンを持っても、文通は続けた。
相変わらず由香ちゃんはストイックに画力を磨いていた。そんな彼女を妬ましいと思う自分が嫌で、私は新しく夢中になれるものを必死で探したけれど、見つからなかった。幸い新しい環境で友達には恵まれ、楽しくも平坦な日々を過ごせた。
それでも私は常に何かに飢えていた。
時々由香ちゃんからの手紙には
「最近絵はかかないの? のんちゃんの絵が見れなくて寂しいな」
とあったけれど、私は頑なに絵を同封しなかった。
——プロになれない人の絵なんか見たって、退屈でしょう——
坂を転がり落ちるように私は卑屈になってゆき、いつしか歯止めが利かなくなる。
<今度、高校の文化祭で作品の展示会があるんだ。来て欲しい>
そんな招待状が来た時、
<ごめんね、その日は美大生の先輩の展示会に行く予定なんだ>
と返信してしまう程、私の精神はねじくれていた。美大生の先輩は実在したけれど、展示会に行くと言うのは嘘だった。
私は、大好きな絵に振り向いてもらえなかったのに、友達は芸術の神様から祝福されている。その事実が辛くて、あまりにしんどくて、それ以来、由香ちゃんに手紙を書くのはやめた。
由香ちゃんからも、それ以降返信は来なかった。
そうして私達の縁は潰えた。
もしあの時、彼女を祝福できていたら。
自分勝手な私は、今でも彼女を忘れられないでいる。
「美術の道は諦めなさい。君には向いていないよ」
人生最初の挫折を味わったのは、中学2年の夏だった。美術部の顧問が何か続きを喋っていたが、何を言っているのか解らなかった。言葉から意味が抜け落ちて、ただの音の連なりとして鼓膜を震わせる。
そんな最悪な日でも、どこをどうやって帰ったのか覚えていない割にちゃんと家にはたどり着くし、銀色のポストをチェックするのも忘れない。
ポストの中には——限界まで紙が詰め込まれたのだろう——パンパンに膨らんだ茶封筒があった。差出人の欄には可愛らしい丸文字で由香ちゃんの名前が書いてある。
私は鉛を飲み込んだかのような重苦しい気持ちで二階の自室に引き上げ、制服を脱ぐ気力もなく、ベッドに崩れ落ちた。
「諦めなさい——向いていないよ」
脳内を谺する言葉にやっと意味が伴ってきたら、今度は涙があふれて止まらなかった。
勉強も運動も、コツコツと努力をする事で人並み以上の結果を出してきた私にとって、どんなに努力してもどんなに情熱を傾けても、成果が出せなかったのは初めてだった。
少しでも気持ちを切り替えようと、由香ちゃんからの手紙を開封する。中には、レポート用紙にぎっしり文字が書かれた手紙と、美麗な水彩イラストが数枚同封されていた。
<受験、がんばろうね! M美術校で再会しよ!>
手紙に書かれていたその文字を、私は直視できなかった。
由香ちゃんは、小学校の頃一番仲が良かった友達だ。一緒に絵を描いたり、物語を創ったりして遊べる唯一の友達。無理して恋バナをしなくても、趣味だけで繋がれる貴重な関係だった。
途中で由香ちゃんが転校してしまった為、スマートフォンを持っていない彼女に合わせて、文通という古風なやりとりを通じて交流を続けていた。
私は漫画家を。由香ちゃんはアニメーターを目指していて、共に美術系の高校を受験しようと話していたのだ。そんな中で私は「落第生」のレッテルを貼られてしまった。
自分に才能が無いのはわかっていた。それでも絵を描くことが大好きだった。なんとか画力を上げたくて、持ち前の粘り強さで基礎を習得し、「絵を描かない人」には褒められる絵がかけ始めた頃だったのだけれど、その道に進んで行ける程の実力をつける事はできなかった。
悔しさをバネにさらなる研鑽をすれば良かったのかも知れないけれど、当時の私はもう頑張れなかった。自分に出来うる最大限の努力をした結果が、「諦めなさい」なのだから。
手紙の返事には、<家の事情で美術高校の受験が出来なくなった>と書き、封をした。やり取りの際に毎回同封していたイラストは、入れなかった。描けなかった。
「私には、自分だけに課している目標があってね。“やるからには成果を出すまでやる”の。他の人にもそれを求めているわけじゃないよ? あくまで自分の中の目標ね。私は絵を描くからには、プロになる」
由香ちゃんの口癖だった。
「ストイックに頑張る人なんだな」
と、今までの私だったら思っただろう。私自身、己がプロになれると信じて疑わなかったから。それでも、親たちから耳にタコができるくらい聞かされていた
「好きな事で食ってけるのは一部の人たちだけ」
という言葉が実感として己の肌に染み込んだ今は、その言葉が胸の奥深くにぐっさりとささって、事あるごとにじくじくと痛んだ。
——私なんて由香ちゃんの眼中に無いんだろうな。
そう思う度に、彼女の美学は私にとって呪いとなった。
その後、由香ちゃんは宣言通り美術系高校に入学。私は普通科の高校へ進んだ。
スマートフォンを持っても、文通は続けた。
相変わらず由香ちゃんはストイックに画力を磨いていた。そんな彼女を妬ましいと思う自分が嫌で、私は新しく夢中になれるものを必死で探したけれど、見つからなかった。幸い新しい環境で友達には恵まれ、楽しくも平坦な日々を過ごせた。
それでも私は常に何かに飢えていた。
時々由香ちゃんからの手紙には
「最近絵はかかないの? のんちゃんの絵が見れなくて寂しいな」
とあったけれど、私は頑なに絵を同封しなかった。
——プロになれない人の絵なんか見たって、退屈でしょう——
坂を転がり落ちるように私は卑屈になってゆき、いつしか歯止めが利かなくなる。
<今度、高校の文化祭で作品の展示会があるんだ。来て欲しい>
そんな招待状が来た時、
<ごめんね、その日は美大生の先輩の展示会に行く予定なんだ>
と返信してしまう程、私の精神はねじくれていた。美大生の先輩は実在したけれど、展示会に行くと言うのは嘘だった。
私は、大好きな絵に振り向いてもらえなかったのに、友達は芸術の神様から祝福されている。その事実が辛くて、あまりにしんどくて、それ以来、由香ちゃんに手紙を書くのはやめた。
由香ちゃんからも、それ以降返信は来なかった。
そうして私達の縁は潰えた。
もしあの時、彼女を祝福できていたら。
自分勝手な私は、今でも彼女を忘れられないでいる。
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