WORLDS

植田伊織

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第一章

第二の依頼

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 浅瀬のような眠りを揺蕩う意識が、波に押されて砂浜に打ち上がる。
 焦点の合わないまま、目に映る物をぼんやりと眺めた。くるくると回転するそれが、天井に吊り下がるシーリングファンだとわかった時。

「気分はどうだ?」

 不意に降ってきた声をきっかけに、先刻までの記憶が急激に呼び起こされ、少女は慌てて飛び起きた。
 身構えて戦闘体制を取ろうとするも、体に力が入らない。愛用の鞭は手元になく、完全なる丸腰のまま見知らぬ場所のソファに横たえられていたと気がつくや否や、少女は自分の全身から血の気が引いてゆくのを感じた。無理矢理にでも四肢に力を込めてその場から逃げ出そうと試みるも、腹部に激しい痛みが走ってかなわない。
体制を崩した少女を見て、声の主がため息を吐く。

「急に動くな。応急手当てしかしていない。――俺はただの通りすがりだ、あんたに危害を加えるつもりはない」

 少女がそろりそろりと肺の酸素を吐き出しながら、声の主を確認すると、

「俺の名前はダルットと言う。あんたは?」

 力強い眼差しをした美青年と目があった。

「――リーファ。リーファ・レダイ」

 掠れた己の声がやけに耳につく、と、少女は思った。
 呼吸を忘れてしまう程の美貌を目の当たりにして、ぼうっとせずに返答を絞り出せた事を、無性に誰かに褒めて欲しくなった。職業柄、美形には慣れているはずなのだが、人の見目に見惚れて意識を刈り取られるような経験は初めてだった。そんな自分に、リーファはひどく動揺した。
 ダルットは、「リーファか」と言いながら遠巻きに少女を観察し続けている。

 彼は、胸板が厚い割には腰が細く、そこから伸びている長細い足が成熟しきれていないアンバランスさを表しているようだった。猫毛なのか、ふわふわと手触りの良さそうな銀の髪は、太陽光にあたっているわけでもないのに、比喩でもなんでもなく光り輝いていた。
 その特徴ある髪色を、どこかで見た事があると少女は思ったが、その正体を思い出せるほどの思考力は取り戻せていなかった。
 ”混血”としては恵まれた体躯であろうが、赤の民の中では小柄な方かも知れない。

(目の色が私の物と同じには思えないから、彼が赤の民の混血かどうかは判らないか――)

 リーファは心中でひとりごちる。

 名前を言ったきりふっつりと黙り込んでしまった少女に、ダルットは眉を顰めている。そして何か心当たりでもあったのだろう、言いにくそうに、言葉を放った。

「その、誤解しないで欲しいんだが……俺は、同僚が言うには、目つきが悪いそうだ。黙っているとよく怒っていると勘違いされるんだが……そういう訳じゃない。生まれつきこういう顔なんだ――そんなに警戒しないで欲しい。
 俺はただ、アルバート・シッカートについて、話が聞きたいだけなんだ」

 その名前が引き金となって、シャボン玉がポンと割れたかのように、夢見心地だったリーファの思考が現実に引き戻された。
 目的を見失い、初めて会う美青年に心を奪われていた自分がどうしようもなく恥ずかしくて、リーファは緋色の双眸をぎゅっと瞑った。

「すみません。――現状把握に時間がかかってしまって……取り乱してしまいました。お気遣いありがとうございます。
 ――もう、大丈夫です」

 本当は耳たぶが熱くてしょうがなかったけれど、そんな自分を見ないふりして、リーファは両目を見開き、青年の眼差しに応えたのだ。

***


 リーファ・レダイが言うには、彼女の母親は災害により住居を失い、シッカートの提供する仮設住居施設に入居したそうだ。
 幼い頃に故郷を出て、雑技団の一員として巡業の旅をしていたリーファには、母親をバックアップ出来るほどの時間も金銭的余裕も無かった。そのため、有り難く、慈善事業家の支援を受け入れたのだそうだ。
 リーファの母親は、シッカートを讃える手紙を娘に寄越すほど、”時の人”に心酔していたと言う。

「まずは、母の手紙を見ていただけますか」

 そう言いながら、少女は少ない荷物の中から母親の手紙を複数取り出した。

「こちらが、”普段の母”が書く手紙です」

 少女の言わんとすることを探りつつ、ダルットは飾り気の無い無地の封筒の中に入っている便箋を取り出した。封筒と同じく飾り気のない便箋には、几帳面そうな整った文字で近況が綴られている。施設に入居しはじめた頃の手紙だそうで、行間やレイアウトにも気を使っているのだろう、素っ気ない無地の紙に文字が書かれているに過ぎないはずなのに、まるでカリグラフィーの作品を眺めているかのように飽きが来ない。

「あんたの母さんは随分、達筆なんだな」
「電子機械が苦手な、アナログ人間というだけですよ。今時珍しく、紙とペンで手紙を書くのが好きな人で、困りました。だって私は各地を転々としているでしょう? 手紙で連絡されたんじゃ届くのに時間がかかるから、電子端末メールを使うようにしたらっていつも言ってたのに。インクの香りがしないと落ち着かないんだって言って……手紙を一つの作品みたいに、綺麗に書くのが母の楽しみだったんでしょうね」

 リーファは言いながら、愛おしそうに目を細めた。
 少女は決して美人とは言えない顔立ちだったが、不意にこぼれた笑みは木漏れ日のように眩しかった。

――母親のことを想うだけで、こんな顔が出来るものなのか……――

 自分とは大違いだな、と、ダルットは密かに目を逸らした。
 そんな青年の様子に気がつかないリーファは、意を決したように、「美しい作品」以外の封筒も取り出して、

「ある日を境に、手紙の様子が変わりました」

 縋るような目で、青年に手紙を託した。
 封を開けると、まず目を引いたのは、本文の書いてある便箋を包むライムグリーン色の何も書かれていない紙だった。添え紙だろうか、先程までの手紙には入っていない物だ。
自分の知らない、手紙の作法か慣習か。そう思いながら便箋を開く。

 背筋にヒヤリとしたものが走った。先程まで達筆だった文字はひどく歪み、ペン先から溢れるインクをそのままにしたのだろう、所々に汚れが滲んでいる。
便箋の裏側にまで及ぶインクの染みで封筒を汚さぬために、ライムグリーンの紙を添えたのかも知れない。
ともかく、何も言われなければ、この一連の手紙を書いた人が同一人物とはとても信じられない程に、乱れた紙面には異様な雰囲気が漂っていた。

 恐る恐る内容を読むと、いつものようにシッカートへの感謝の気持ちが綴られた後、「施設内で感染症が流行しているため、しばらく面会はできそうにない」旨が書かれていた。

 この手紙の急激な変化は、母の体調不良によるものなのではないか。もしや、文中にある感染症に罹患してしまって文字も書けない体調なのでは……。そう考えたリーファは気が気ではなくなってしまい、慌てて施設側に面会を申し込んだが、前述の感染症対策のため断られてしまったという。

「感染症の詳細は聞いているのか?」
「母の手紙と、施設からの説明によれば、体内に巡る魔力が少しずつ流れ出てしまい、常に疲労感に悩まされてしまうのだとか。最終的には体が疲弊して、動けなくなってしまうとのことでした」

  通常であれば我々の体は、魔法の使用で魔力を失ったとしても、休息を取れば少しずつ減った魔力は回復する。1時間ほど仮眠をとれば、消費した魔力の8割は元に戻るのだ。
 無論、回復の程度に個人差はある。しかし、体を休めても失った魔力が回復せずに衰弱してしまうと言うのは、明らかに、病理的原因があるか、呪いなどの第三者からの攻撃を受けたかのどちらかだろう。
 少女が言う症状の感染症について記憶を探ってみたが、ダルットはそれらしい病を特定できなかった。

 唯一、彼の心当たりのある中でそれらしい症状を発症するのは――『リグ中毒』だった。
 『リグの実星のかけら』を口にすると、多幸感が得られる代わりに少しずつ魔力を失ってゆく。その中毒性に依存してしまうと、リグの実によって失われる魔力の量が、休息により回復する量を上回ってしまい、身体的にも衰弱してしまう。
 雇い主のユリスが以前大量に服用してしまい、姉のマリアがえらい剣幕で食ってかかって取り上げたはずだったが――ダルットは今朝、ユリスの寝室で見かけた『リグ』を思い出し、脇道にそれた思考を元に戻すため、一瞬だけ目を閉じた。

「この手紙に、なんでも良いので魔法をかけていただけませんか?」

 少女の意外な提案に、ダルットは二の句が継げなかった。何故だと問いたかったが、リーファの思い詰めた表情を見たらとてもそんな気にはなれなかったので、何も言わずに指先に魔力を込める。
 パチッと電撃が弾ける音がして、ライムグリーンの紙が小さな稲妻に包まれた。かと思うと、まるで紙がダルットの魔力をじんわりと吸収するかの如く、電撃がライムグリーンに飲み込まれてゆき、ぼんやりとした光が浮き上がったではないか。ダルットの魔力によって生み出された、無数の蛍のような光が一斉に揺らめいて、空中に何かの紋章を描き出した。すると――

『この手紙の真の意図に気がついた貴方にお願いがあります。どうか――助けてくださ――』

 ノイズ混じりの女性の声が、紋章から再生された。助けを求める言葉の後にも、音声は続いているようだったが、ダルットの魔力ではそこまで再生するのが限界だったようで、発光していた添え紙がただの紙に戻ると同時に、音は途切れた。
 つまるところ、何も書かれていない、インクの染みを吸い込ませるための紙と思われたライムグリーンの紙は、魔力を通すことで術者の音声が再生されると言う魔術がかけられていたのだ。
 リーファは顔をくしゃくしゃにしてダルットを見て、言った。

「母さんの声です。母さんが、助けてって……!」

 魔力の乏しい少女は初め、このギミックに全く気がつかなかったそうだ。しかし、雑技団の仲間に事のあらましを相談したところ、魔法の心得のあった同僚が手紙の正体に気がついたとのことだった。
 しかしその同僚も、先程ダルットが再生した箇所までしか魔術を発動させられず、一度、魔術に詳しい職業の人に調査してもらった方が良いとの事で、休暇を取得したそうだ。

「ルクメリには『チームクラウンズ』と言う評判の良い便利屋があると聞きました。噂によればその店主は、魔術に関して右に出る者の居ない程の実力者だとか。
私はすぐにその便利屋を探しました。――まさか、まさか、アルバート・シッカート本人がこの地に来ているなんて思わなかったんです!
 施設の責任者に直接、面会をお願いしたとしても叶うとは限りません。けれど、私には腕の良い治癒師にツテがあります。団長さんに頼めばさらに多くの治癒師が、レッドグラウンドに力を貸してくれる。感染症を一掃できるかも知れません。
 そのためにはまず、施設内で何が起きているのかを知らないと……」
「それで、護衛が居なくなった隙を見計らってアルバートに直接コンタクトを取ったのか」
「はい。まさか……英雄が、あんなことするとは思いませんからね……」

 リーファは乾いた笑い声でそう言った後、ぎゅうと両手をきつく握りしめて言葉を続けた。

「……母は一体どうして、こんな周りくどい方法で私に……いえ、あの術式を再生できる実力を持つ、良心ある魔術師に助けを求めたのでしょうか? どうして施設側は沈黙を貫き、代表はあんな頭のおかしな真似をしたのでしょう。一体、あの施設で何が起こっているのか、私にはさっぱりわかりません。
 ……すみません、何の関係もないあなたにこんな立ち入った話を聞かせてしまって……早く、『チームクラウンズ』を探さないと」

 そう言いながら立ち上がろうとする少女を、ダルットはそっと制して言った。

「運がいいな、ここが『チームクラウンズ』だ。――あなたのご依頼、お受けした」
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