みんなあたまがおかしいようです

尾持ち

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「貌鳥先輩」

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 内履きの下で、ざり、と何かが擦れ合う音がした。床一面に広がっている、砂埃のせいだろう。快いとは言えない感触だった。胸がざわめく。砂埃のせいではなく、これから起こりうるかもしれない不穏なやり取りを思うと、緊張と不安で胃が縮み上がるのだ。

「お待たせしてしまってすみません」

 そう言って私は頭を下げた。本当はそんなことしたくなかったけど。
 それに対し、既に席についていた男子生徒は、優しそうな笑みを浮かべてこう返した。

「そんなにかしこまらないでよ、菜乃ちゃん。同じ学年なんだからさ」
「お気遣いありがとうございます、貌鳥かおどり先輩」

 私は顔を上げて相手を見た。
 明るい茶髪に、それと同色の瞳。恐ろしいほどに整った顔。アイドルやら芸能人やらが目じゃないくらい、と彼の容姿について語る女子がいるけれど、あながち間違いでないような気さえしてしまう。

 彼は有名人だった。学校の内外問わず。それは容姿のためでもあったけど、一番の理由は彼の言動と来歴にあった。
 名字は貌鳥。下の名前は日向ひなた、だったか。私と同じ高校二年生。歳は十八。二年生なのに十八歳。それは私の記憶違いでもなんでもなく、単に彼が一年間の停学処分を受けていたというだけだ。
 停学の理由は「他生徒に傷害、心身の苦痛又は財産上の損失を与える行為」

「……」

 私は改めて、周囲を見渡した。
 旧校舎の一教室。私たちが普段使っている、ガラス張りの新校舎とは別の建物だ。今どき田舎の学校でも見ないような、壁も床も木材でできた造りをしている。机も椅子も傷が目立ち、教室の四隅には埃が溜まっている。今は物置として使われているだけの場所だから、この荒れ具合は仕方ないのかもしれない。普段ここに出入りする人はいないし、掃除の手だって入っていないだろう。

 そしてそんな場所に、私はわざわざ呼び出された。
 特別接点があるわけでもない、停学処分を受けていた年上の同級生に。それに警戒心を覚えないほど、私はお気楽な性格をしていなかった。

 机と椅子のほとんどが、掃除の時間のようにまとめて教室の後方に寄せられていた。それとは別に、机がひとつだけ部屋の真ん中にぽつんと置かれている。机を挟んで椅子が二脚あった。片方は貌鳥先輩が座っている。なので残り片方は、私に用意されたものということになる。
 貌鳥先輩は、椅子の背中の方を前側にしていた。背もたれ部分に両腕で抱きつくようにして座っている。両脚はそれぞれ、椅子を挟むように左右に垂らされていた。お上品な座り方とは言えないだろう。ただ、彼の甘い顔立ちには、こういった軽薄な仕草が妙に似合っていた。
 
「立ってないで座りなよ」
「……失礼します」
「あはは、促されるまで座らないなんて、お行儀いいんだね」
「……」
「黙んないでよ。俺がいじめてるみたいになる」
「でも、貌鳥先輩は実際にいじめっ子でしょう」
「へえ?言うねえ」

 ガガ、と鈍い音がした。先輩が座ったまま椅子を軽く引いたのだ。椅子の足先と床がこすれ合う音。

「今まで話したこともないくせに」
「貌鳥先輩については、いろんな噂を聞きますから」
「うわさ」

 貌鳥先輩はその単語だけ繰り返して口にした。愉快そうに目を細めて。ひどく楽しげな声だった。
 高校生活の間、何度も耳にしてきた貌鳥先輩についての噂が頭の中で自然と思い起こされる。停学処分に至るのも当たり前だと言いたくなるような内容のものたち。それを頭に入れた上で改めて彼の顔を眺めると、その整った顔立ちが、ひどく異様なものに見え始めてくる。

「ねえ、じゃあ教えてよ」
「何をですか」
「その噂がどういうものなのか。君が知ってる範囲だけでもいいからさ」
「……他の人に聞いた方がいいですよ」
「今聞いておきたいんだよ。だって、これから君とお喋りするんだから。どれくらい俺のことを知ってるのか、君の口から聞いてみたい」

 言いたくないな、と私は思った。そもそも彼に呼び出された時点で、彼に何かしらの要求をされたとしても、真面目に取り合わない方がいいと本能が告げていた。
 私はしばらくの間、口を閉ざして黙り込んだ。沈黙は気まずかったが、彼が諦めてくれやしないだろうかという期待があった。
 すると、うっすらと笑みを浮かべたままの先輩が、わざとらしく顔を覗き込んできた。視線を合わせたくないので、目を閉じてやり過ごそうとする。真っ暗になった視界の中で、椅子に腰かけたままじっとしていると、ふと髪になにかが触れるのが分かった。
 貌鳥先輩の手だ。それが髪を撫でて、今度は髪の毛の先を一束すくい取る。
 私は背中にじっとりと汗をかき始めていた。できるだけ反応しないよう、微動だにせずいたいのに、彼の指先が触れるたびに体がびくりと強張るのが分かった。
 しばらく髪をもてあそんだ後、その指先が私の首筋へと降りてきた。制服のシャツのボタンに指がかかる。意味深な手つきで、彼の爪がシャツ越しの肌を引っ掻いた。よくない想像が、私の頭の中に浮かんでいく。それはおそらく、あと数秒私が目を閉じたままでいれば、現実のものとなるはずだった。
 ──私は目を開けた。
 視界に映る彼は、やはり甘く微笑んだまま──ちろりと悪戯っぽく舌先を出してみせた。
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