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一、 曼珠沙華(まんじゅしゃげ)
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(一)
おや、道ばたに赤い花が咲いている。ここにもあそこにも。束になって咲いている。戦で荒れた田畑のあぜ道を赤く染めている。なつかしい。この花は二年前、鍛錬場の裏庭に一輪咲いていた花と同じだ。何という花だったか。しかし妙な花だな。葉がない。直刃のような茎の上に赤い小さな百合が集っている。集った小花の周りを龍のひげが取り囲む。いや、ひげではないな。これは蜘蛛の足だ。天に向かって足を伸ばしている。さては、天から垂れ下がった蜘蛛の糸を伝って、地上に降りて来た赤蜘蛛たちか。それとも。
(二)
「榧丸よ、刀鍛冶をやめた。明日ここを出て行く。言いにくいが、この家の飯はまずい。飯炊き女を変えた方がいい。もう嫌になった。城勤めなら、もっとうまいものが食える。女だって抱かせてもらえるらしい」
竜兄は裏庭の枯れ草の上で、あぐらをかいて座っていた。空は突き抜けるように青い。澄んだ秋風が舞う。右手に白木の鞘に納めた短刀を握り、それを左手の平に何度も軽くたたきつけて、ぴたぴたと音を鳴らしている。かたわらに立ちつくしているおれと目を合わせようとはしない。赤い花が風に揺れるのを、じっと見つめている。
「この花が好きだ」そう言い、ため息をつく。
「竜兄、急にどうしたんだよ。武士になりたかったなんて知らなかったよ。もう五年も刀鍛冶の修行をしたのに、出て行っちまうなんて残念だ。もしかして、それが初めて作った短刀か。見せておくれよ」
そ知らぬ顔をして、ぴたぴたと手の平の肉を鳴らし続ける。けたたましくヒヨドリが鳴き、二人の間の重い空気を切り裂いた。
「刀を作るのでなく、刀を振る者になりたいのだ。それに、おまえの子守りをするのは、もううんざりだ」
短刀を握りしめ、おれを横目でにらむ。
「何だって、竜兄の馬鹿野郎」
頭に血が上り、まるで暴君のように脇腹を蹴り上げた。
脇腹の肉は石のように堅かった。刀鍛冶の仕事で鍛え上げられた体。火花を散らしながら玉鋼を大槌で打つ姿は力強い。同じ男ながら惚れ惚れする。地元の子だくさんの百姓の倅だそうだが、まだ十七とは思えない。体が細く華奢で、十五になった今でも女子と間違えられるおれとは違う。おれは死んだ母親似だと親父が言う。
そして、すぐに仕返として腕をつかまれて、無様にひっくり返された。地面にしたたか頭を打ちつける。腰を丸太のように頑丈な太ももで挟まれ締めつけられた。頬を叩かれると思い、両手で顔を押さえた。でも、指の間から見上げた竜兄は、いつものように無邪気で優しい笑みを浮かべていた。
「ふふふ、お榧、おまえは相変わらず細いな。この腕で大槌を振り下ろせるのか。いつになったら、おれの相鎚を勤めることが出来るのだ。もう待てぬわ」
ふざけているのか、怒っているのかよくわからない。奇妙な声でそう言いながら、耳の下や脇の下など、おれの弱いところをくすぐる。
「ぎゃーやめてくれーお願い、やめてやめて-死ぬー」
くすぐりの刑を受けて息が止まりそうになる。感高い悲鳴を上げ手足をばたつかせた。
おれの親父は山本源二郎照重。相州鍛冶の流れをくむ刀工集団、下原鍛冶の刀匠だ。八王子城主の北条氏照様から照の字を賜った。広い土地と屋敷を与えられて、北条家の御用鍛冶として庇護を受けている。他にも数人の弟子たちがいるが、年長者ばかりでおれは相手にしてもらえない。歳の近い竜兄だけは、いつもちょっかいを出してくる。かまってもらえるのが嬉しくて、兄弟のいないおれは、実の兄のように慕っていた。でもあの日はいつもと違い、なかなか放してくれなかった。すっかりおれの着物ははだけてしまった。すると裸の肩や胸に生温かい雨つぶがポタポタと落ちてくる。それは竜兄の涙と鼻水だと気づき、慌てて起き上がった。
「これ何だよ、汚いな。どうしたっていうんだ。何泣いているんだよ。遠くに行くわけでもあるまいし。八王子城なんて、すぐ目と鼻の先だろう。また、いつでも会える。立派な武士になれよ。そうしたら、このおれが竜兄のために作刀してやる。それとも刀より槍のほうがいいか」
幼子のように、顔を涙でぐしゃぐしゃにしている竜兄の分厚い胸に抱きついた。おれの薄い肩と背中は竜兄の涙で、ずぶ濡れになった。
鍛錬場から相槌の音が聞こえる。
一輪の赤い花は、飛び散る火花に見えた。
おや、道ばたに赤い花が咲いている。ここにもあそこにも。束になって咲いている。戦で荒れた田畑のあぜ道を赤く染めている。なつかしい。この花は二年前、鍛錬場の裏庭に一輪咲いていた花と同じだ。何という花だったか。しかし妙な花だな。葉がない。直刃のような茎の上に赤い小さな百合が集っている。集った小花の周りを龍のひげが取り囲む。いや、ひげではないな。これは蜘蛛の足だ。天に向かって足を伸ばしている。さては、天から垂れ下がった蜘蛛の糸を伝って、地上に降りて来た赤蜘蛛たちか。それとも。
(二)
「榧丸よ、刀鍛冶をやめた。明日ここを出て行く。言いにくいが、この家の飯はまずい。飯炊き女を変えた方がいい。もう嫌になった。城勤めなら、もっとうまいものが食える。女だって抱かせてもらえるらしい」
竜兄は裏庭の枯れ草の上で、あぐらをかいて座っていた。空は突き抜けるように青い。澄んだ秋風が舞う。右手に白木の鞘に納めた短刀を握り、それを左手の平に何度も軽くたたきつけて、ぴたぴたと音を鳴らしている。かたわらに立ちつくしているおれと目を合わせようとはしない。赤い花が風に揺れるのを、じっと見つめている。
「この花が好きだ」そう言い、ため息をつく。
「竜兄、急にどうしたんだよ。武士になりたかったなんて知らなかったよ。もう五年も刀鍛冶の修行をしたのに、出て行っちまうなんて残念だ。もしかして、それが初めて作った短刀か。見せておくれよ」
そ知らぬ顔をして、ぴたぴたと手の平の肉を鳴らし続ける。けたたましくヒヨドリが鳴き、二人の間の重い空気を切り裂いた。
「刀を作るのでなく、刀を振る者になりたいのだ。それに、おまえの子守りをするのは、もううんざりだ」
短刀を握りしめ、おれを横目でにらむ。
「何だって、竜兄の馬鹿野郎」
頭に血が上り、まるで暴君のように脇腹を蹴り上げた。
脇腹の肉は石のように堅かった。刀鍛冶の仕事で鍛え上げられた体。火花を散らしながら玉鋼を大槌で打つ姿は力強い。同じ男ながら惚れ惚れする。地元の子だくさんの百姓の倅だそうだが、まだ十七とは思えない。体が細く華奢で、十五になった今でも女子と間違えられるおれとは違う。おれは死んだ母親似だと親父が言う。
そして、すぐに仕返として腕をつかまれて、無様にひっくり返された。地面にしたたか頭を打ちつける。腰を丸太のように頑丈な太ももで挟まれ締めつけられた。頬を叩かれると思い、両手で顔を押さえた。でも、指の間から見上げた竜兄は、いつものように無邪気で優しい笑みを浮かべていた。
「ふふふ、お榧、おまえは相変わらず細いな。この腕で大槌を振り下ろせるのか。いつになったら、おれの相鎚を勤めることが出来るのだ。もう待てぬわ」
ふざけているのか、怒っているのかよくわからない。奇妙な声でそう言いながら、耳の下や脇の下など、おれの弱いところをくすぐる。
「ぎゃーやめてくれーお願い、やめてやめて-死ぬー」
くすぐりの刑を受けて息が止まりそうになる。感高い悲鳴を上げ手足をばたつかせた。
おれの親父は山本源二郎照重。相州鍛冶の流れをくむ刀工集団、下原鍛冶の刀匠だ。八王子城主の北条氏照様から照の字を賜った。広い土地と屋敷を与えられて、北条家の御用鍛冶として庇護を受けている。他にも数人の弟子たちがいるが、年長者ばかりでおれは相手にしてもらえない。歳の近い竜兄だけは、いつもちょっかいを出してくる。かまってもらえるのが嬉しくて、兄弟のいないおれは、実の兄のように慕っていた。でもあの日はいつもと違い、なかなか放してくれなかった。すっかりおれの着物ははだけてしまった。すると裸の肩や胸に生温かい雨つぶがポタポタと落ちてくる。それは竜兄の涙と鼻水だと気づき、慌てて起き上がった。
「これ何だよ、汚いな。どうしたっていうんだ。何泣いているんだよ。遠くに行くわけでもあるまいし。八王子城なんて、すぐ目と鼻の先だろう。また、いつでも会える。立派な武士になれよ。そうしたら、このおれが竜兄のために作刀してやる。それとも刀より槍のほうがいいか」
幼子のように、顔を涙でぐしゃぐしゃにしている竜兄の分厚い胸に抱きついた。おれの薄い肩と背中は竜兄の涙で、ずぶ濡れになった。
鍛錬場から相槌の音が聞こえる。
一輪の赤い花は、飛び散る火花に見えた。
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