恋する閉鎖病棟

れつだん先生

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第3章 退院記

第2話 訪問

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 次の日、昼になってようやく眠気がやって来て、カーペットの上で毛布を羽織りまどろんでいると、けたたましいチャイムが鳴った。どうせなにかの勧誘だろうと無視を決め込み、煙草を吸っていると、またチャイムが鳴った。それになにか二人組みらしい話し声が聞こえる。このアパートは壁が薄く、外の廊下を誰かが歩いている音まで聞こえ、これは入院中に言われた話だが、入院前に友人を部屋に連れ込み、毎晩のように酒を煽っていたら、どうやらアパートの管理会社にクレームが行ったらしい。
 友人が来たのだろうか? しかし僕の退院を知らない友人が来るはずがない。煙草を吸い終わり灰皿にもみ消すと、スウェットを履いてドアを開けた。玄関の向こうにおばさんと若い男の二人組がいた。
 おばさんは、「あーやっと出た。いないかと思ったわ」と言った。知り合いなのかもしれない。入院中に六回、電気治療をしたせいで、入院前の記憶がほとんど消えていたので、このおばさんと若い男が何者なのかわからない。
「誰ですか?」
 おばさんは笑いながら、「訪問看護の者です」と言った。そういえば――とほとんどなくなった記憶をたどる。入院中に訪問看護の、こちらもオバさんだった人が面会来て、「週に三度訪問看護を入れる」と言っていた。それは希死念慮がある僕が自殺をしないかどうかというチェックと、入院前には半ばアルコール中毒になりかけて――本来なら、退院したらアルコールの更生施設に入れられる予定だった――睡眠薬や安定剤をアルコールで流し込む生活を毎日送っていたので、アルコールを呑んでいないかのチェックのためだった。
 僕はオバさんと若い男を取り敢えず部屋へ招き、カーペットの上に置かれたものや服を端に除け、座るスペースを作り、自分は奥のパソコンの前に座り煙草に火を付けた。二人は、座ると自己紹介と名刺を渡してきた。おばさんはやはり訪問看護だった。もう一人の若い男は生活支援センターの相談員だった。この若い男がなにをするのかはわからない。
 おばさんは、僕の血圧と体温を測り、それをメモし、退院後はどういう生活をしているか色々質問をしてきた。それが終わると、相談員の若い男が僕が精神病――統合失調感情障害と気分変調症――になった経緯を聞いてきた。退院してから人とまったく会話をしていなかったので、少しだけ緊張した。訪問看護のおばさんはおばさんらしく、うるさくがやがやと話している。相談員の若い男は静かだった。ごちゃごちゃと色々話し、二人は帰っていった。
 夕方になり、二人が帰った途端酒が呑みたくなったので、歩いて五分程の所にあるファミリー・マートで、ビール二本とほろよい一本と肴を買ってきた。所持金は三千円になった。なんとかなる。いつもそうだった――と少しだけ思い出した。いつも月の後半は金がなかった。
 四ヶ月振りのアルコールを呑むと、たったロング缶二本とショート缶一本でほろ酔いになり、どうせならアルコールと一緒に飲んだ方が効き目が良いだろうと寝る前の薬も飲むと、僕はいつの間にか眠っていた。

 起きてびっくりした。朝だった。カーペットの上で毛布だけで寝ていたので体が冷え切り、とても寒かったので、電気ストーブをロフトから降ろし、それを付けた。入院中はずっとエアコンがかかり温度は一定だったので、冬が、そして外がこんなにも寒いとは思わなかった。電気の付かないユニット・バスで放尿を済ませ、パソコンに保存していたエロ動画で久々のストレスを発散させた所で重要なことに気づいた。いや、重要でもないのだが、僕にとっては重要なのだ。退院した時に持って帰った荷物からピアスを三つ取り出し、どうせ四ヶ月付けていなかったのだから塞がっているだろうな、と思いながら、左の耳たぶに一つを入れると、少し引っかかりがあったが、すんなりと入った。二つ目は、途中で止まった。一度諦めたが、やはり諦めきれず、押し込んだら、「ぶちぶち」という音と痛みが走り、貫通した。三つ目は完全に塞がっていたので諦めた。このピアス穴は皮膚科で開けて貰ったので、三つで一万円程したので、三つの内二つだけとはいえ、貫通してよかった。
 安心したのも束の間、することがなくなる。音楽を聴きながら煙草を吸う。
 停止したままの携帯を取り出し、昔撮った写真を眺めていた。呑みやカラオケやバーベキューに皆で行った時の写真があったが、写っている男女のほとんどが思い出せない。楽しかったのだろうな、というのは伝わってきた。東京に出てきてもう五、六年になるだろう、当時は友人はほとんどいなかった。二年通ったデイケアで沢山の友人に恵まれ、よく遊んでいた。それは覚えている。
 ぶつくさと日々を過ごした――
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