ＢＬ小説短編集

シェイクのリズムに恋の音色を奏でて❤

２

「ああ、ああ。なにも知らないさ。でもな、ああやっておおやけでピアノを弾いてる時点で、通りすがりの俺らは客になるんだ。いろんな感想をもって、当然のことだろ」

「感想をもつのは自由ですけど、それをこうして押しつけられることは、僕にとって迷惑にしかなりません！」

　怒りで躰を震わせる青年を見下ろしながら、先ほどよりもトーンを落として訊ねた。

「だったら教えてくれ。どんな気持ちで、さっきはピアノを弾いていたんだ？」

「どんな気持ち……」

　上目遣いで俺を見つめる青年の出した声は、とてもか細いものだった。

「俺はバーを経営してる。客からオーダーされたカクテルを作るときは、その客の口角があがるようなものを提供しなければと、真心を込めて作る。シェーカーの振り方ひとつとっても、気を抜くことができない」

「…………」

　自身の普段の仕事を語りつつ、青年の表情を窺った。さきほどまでの怒りから無表情に変化した、彼の中に潜む心情に探りを入れる。

「おまえの弾くピアノも同じだろう？　たったひとりでも聞く人間がいるのなら、ソイツのために心を込めて奏でるべきだと俺は思うね」

　俺のセリフを聞き終えた青年は、暫し呆けた顔のまま、何度か瞬きを繰り返した。なにかを言いかけて、ふっと言葉を飲みながら、細長い指先で唇をなぞる。

「僕、誰かのためなんていう考えで、ピアノを弾いたことがないです」

「なんだって!?」

「僕は譜面で指示されているメロディをなぞるように、１音も間違わずにピアノを弾く。ただそれだけなんです……」

「だってさっきの演奏。あれは譜面どおりに弾いてなかっただろ？」

　図星を指す言葉で指摘したら、青年は大きな瞳を見開いたまま、震える声で告げる。

「さっき弾いたものは、今の僕を表現しただけです。宙ぶらりんで、行き場のない気持ちを弾いただけ」

（宙ぶらりんで、行き場のない気持ちとは思えない。むしろ艶やかさを感じさせる、とても素晴らしい演奏に聞こえた――）

「もしかしてあれだけ弾けるのに、プロじゃないのか？」

　言いながら、持っていた買い物袋を足元に置く。青年は袋からちらりと見えるレモンに視線を飛ばしながら、自嘲的な笑みを浮かべ、吐き捨てるように回答した。

「プロになりきれない、ただのピアノ講師です。さっきここに来る前に、コンテストに落選したんですよ」

「だから最後にあんな演奏して、鬱憤を晴らしていたのか……」

「感情を込めると、譜面から音がはみ出てしまう。それは必要のない音だから、そういうことをしないために、指示されたものを正確に奏でてることしか、僕にはできないんです」

　俺は俯いて青年の話を聞いていたが、自分の気持ちを語ってくれた彼の両肩を掴み、ゆさゆさと力強く揺さぶりながら、素直な感想を口にする。

「俺はさっきの演奏、すっげぇ良かったと思う。譜面からはみ出ていることは、そんなに悪いことなのか？」

「だって、作曲者の意図とは違う演奏だし……」

　俺の視線と合わせないようにするためなのか、青年はさらに顔を俯かせた。

「指示されたものばかりが、いいものとは限らないって。とりあえず――」

　俺は両肩を掴んでいた左手で青年の右手を握りしめ、足元に置いてあった買い物袋を空いた手で持ち上げた。

「あのぅ？」

「俺の店に来いよ」

　断れないように即答し、青年を自分の店へと強引に招き入れたのだった。