役を降りる夜

相沢蒼依

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第二章 無意識に選ばれた部屋

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***

 自宅の玄関の鍵が静かに回る音で、目が覚めた。

「……直人?」

 ソファでうたた寝していた身を起こすと、三好が制服姿のまま立っていた。肩にかけた無線機と、夜勤特有の疲れた空気がそこはかとなく漂う。

「起こしました?」
「いや……おかえり」

 時計を見ると朝の七時前。夜勤明けの時間になっていた。

「先にシャワー浴びますね。汗くさいので」
「いいよ。タオル、そこ」

 三好は小さく頷いて、バスルームへ向かう。その背中を見送りながら、コーヒーを淹れた。ふたり分、何も考えずに。

 シャワーの音が止んで、しばらくしてから三好が出てくる。髪は少し濡れたままで、部屋着に着替えている。

「……あ」
「どうした」
「コーヒー、俺の分まで」

 一瞬、言葉に詰まった。

「なんか……ふたり分淹れるのが癖になった」
「ふふっ、嬉しい癖です」

 それだけ言って、三好はカップを受け取った。距離がいつもより近い。すぐ傍にある柔らかい表情を見ながら訊ねる。

「夜、何もなかった?」
「巡回だけです。平和でした」

 警備員らしい答え。その「平和でした」という言い方が直人らしくて、自然と耳に馴染んで聞こえた。

「眠いだろ」
「仮眠は取ってますから。でも……」

 三好は少し迷ってから、言葉を続ける。

「恒一、今日お休みですよね。このまま、少し一緒にいません?」
「寝る?」
「寝る前に……朝ごはんとか」

 遠慮がちなのにちゃんと希望を言うところが、可愛いと思ってしまう。俺は笑いながら頷いた。

「簡単なものでいいなら」
「十分です」

 フライパンで卵を焼く音が室内に響く。三好は椅子に座り、制服の名残が消えた肩を軽くさすっている。

「疲れてる?」
「はい。でも、嫌じゃない疲れです」

 俺は一瞬迷ってから三好に近づき、利き手に触れた。指先が少しだけ冷たい。

「手、冷えてる」
「仕事で、外にずっと立ってたので」

 そのまま、包むように両手で温める。特別な意味はない――はずなのに、三好の動きが一瞬止まった。

「恒一、こういうのは――」
「なに」
「条件、破ってません?」

 どこか冗談めかした言い方なのに、目は真剣だった。

「恋人なら、これくらい普通だろ」
「……役の、ですよね」

 俺は答えなかった。代わりに、卵焼きを皿に乗せて差し出す。

「冷める前に食べろよ」
「……はい」

 ふたりで並んで食べる朝の食卓。カーテン越しの光が、静かに部屋を満たしていく。

 この時間が、いつまで続くのかはわからない。それでも俺は、余計なことを考えないことにした。

(――これは役だ)

 そう思っているのに、胸の奥が少しだけ温かい――。
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