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隙間に立つ者
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リビングの空気が妙に静かだったというのが、第一印象。
扉を開けた瞬間、崇の目に飛び込んできたのは綾乃と湊。ふたりの間に言葉はなく、身体的な距離も取られていた。それなのにどこか誤魔化すような間が、そこはかとなく漂っていることに、訝しさのようなものを感じた。
触れてもいなければ、見つめ合ってもいない。だがその空気は、“ただの義姉弟”というには近すぎる気がする。
崇はその違和感を飲み込むように、言葉を選ぶ。
「……仲良く話していたようだな」
自分でもわかっていた。皮肉に聞こえる口調だと。案の定、綾乃が一瞬だけ反応を見せた。肩が微かに揺れ、表情がほんの僅かに強ばった。
湊は多くを語らないまま、そっと部屋を出ていく。リビングに残されたのは、妻の綾乃。ソファの背後で、彼女の背中がいつもより張り詰めているのが見えた。
「湊と、なにを話していたんだ?」
問いかけたつもりはなかった。それはただの確認――それ以上ではないはずだった。
「久しぶりだったから、近況を少しだけ」
だが綾乃の返事は、あまりに整っていた。まるで、即座に用意された“正解”のような言い方だった。
完璧な笑顔。安定した声色――だが、瞳の奥になにかが揺れている。崇の知らないなにかが。
彼は無言でスーツの上着を脱ぎ、ソファに腰を下ろす。目の前には、綾乃が淹れたであろうコーヒー。それは冷めかけていた。
一口飲む。苦い――けれど、それだけじゃなかった。いつもの味のはずなのに、今日はなぜか違って感じた。
「……そうか」
それだけを呟いて、言葉を切った。
それ以上は、なにも言わなかった。いや、言えなかったのかもしれない。この違和感に言葉を与えてしまえば、それは“疑い”になる。そして疑いは、もう元には戻せない。
いつからだっただろう。崇が綾乃の笑顔を、心から信用できなくなったのは――。
政略結婚。感情ではなく、義務と責任で結ばれた関係。情など最初から期待していない。そう割り切っていた。割り切れるはずだった。
――それなのに。
ふとした瞬間に見せた、綾乃のほほ笑み。それは崇には一度も向けられたことのない“やわらかさ”を帯びていた。
湊の前でだけ見せる顔。弟だからという理由では納得できない“なにか”が確かにそこにあった。
「……くだらない」
崇はそう呟き、スマートフォンを手に取る。だが画面に映る光の向こう側。さっき見た綾乃の微かに綻んだ笑みが、網膜に焼きついたまま離れなかった。
その笑みの理由を、知りたくないのに――知ってしまいたい自分がいる。そしてその先にある答えが、決して自分に向けられたものではないと、どこかで気づいている自分もいた。
それでも。
それでもまだ、綾乃を手放せないと思ってしまったことが、崇にとってはなによりも敗北だった。
扉を開けた瞬間、崇の目に飛び込んできたのは綾乃と湊。ふたりの間に言葉はなく、身体的な距離も取られていた。それなのにどこか誤魔化すような間が、そこはかとなく漂っていることに、訝しさのようなものを感じた。
触れてもいなければ、見つめ合ってもいない。だがその空気は、“ただの義姉弟”というには近すぎる気がする。
崇はその違和感を飲み込むように、言葉を選ぶ。
「……仲良く話していたようだな」
自分でもわかっていた。皮肉に聞こえる口調だと。案の定、綾乃が一瞬だけ反応を見せた。肩が微かに揺れ、表情がほんの僅かに強ばった。
湊は多くを語らないまま、そっと部屋を出ていく。リビングに残されたのは、妻の綾乃。ソファの背後で、彼女の背中がいつもより張り詰めているのが見えた。
「湊と、なにを話していたんだ?」
問いかけたつもりはなかった。それはただの確認――それ以上ではないはずだった。
「久しぶりだったから、近況を少しだけ」
だが綾乃の返事は、あまりに整っていた。まるで、即座に用意された“正解”のような言い方だった。
完璧な笑顔。安定した声色――だが、瞳の奥になにかが揺れている。崇の知らないなにかが。
彼は無言でスーツの上着を脱ぎ、ソファに腰を下ろす。目の前には、綾乃が淹れたであろうコーヒー。それは冷めかけていた。
一口飲む。苦い――けれど、それだけじゃなかった。いつもの味のはずなのに、今日はなぜか違って感じた。
「……そうか」
それだけを呟いて、言葉を切った。
それ以上は、なにも言わなかった。いや、言えなかったのかもしれない。この違和感に言葉を与えてしまえば、それは“疑い”になる。そして疑いは、もう元には戻せない。
いつからだっただろう。崇が綾乃の笑顔を、心から信用できなくなったのは――。
政略結婚。感情ではなく、義務と責任で結ばれた関係。情など最初から期待していない。そう割り切っていた。割り切れるはずだった。
――それなのに。
ふとした瞬間に見せた、綾乃のほほ笑み。それは崇には一度も向けられたことのない“やわらかさ”を帯びていた。
湊の前でだけ見せる顔。弟だからという理由では納得できない“なにか”が確かにそこにあった。
「……くだらない」
崇はそう呟き、スマートフォンを手に取る。だが画面に映る光の向こう側。さっき見た綾乃の微かに綻んだ笑みが、網膜に焼きついたまま離れなかった。
その笑みの理由を、知りたくないのに――知ってしまいたい自分がいる。そしてその先にある答えが、決して自分に向けられたものではないと、どこかで気づいている自分もいた。
それでも。
それでもまだ、綾乃を手放せないと思ってしまったことが、崇にとってはなによりも敗北だった。
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