天狗の子 とある女中の秘録

鍋雪平

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 その日の献立は、サンマの塩焼きと茄子の煮びたし、それから味噌汁でした。
 ご飯をよそって食卓に並べておりますと、夕刻ごろに旦那様が帰ってきました。あぐらをかいて新聞を広げているところへ、坊ちゃんがお部屋から出てきます。
「ところで潔。今夜の天狗祭りには行くのか?」
 開口一番、くだんの祭りがさっそく話題にのぼりました。旦那様は地元の氏子ですので、準備のために今朝から神社へ駆り出されていたのです。
「いいえ、行きません」
「そうか」
 旦那様は、粗茶をすすって湯呑みをじっくりと品定めします。
「おまえはまだ子供だ。夜中に出歩いてはならんぞ」
「だから行きませんってば」
 旦那様はひどく寡黙なお方です。奥方様をご病気で亡くされてからというもの、ますます陶芸の道へ没頭するようになりました。
 奥方様がご仏壇に入られたのは、ほんのつい数年前の出来事ですから、思うように食が進まなくても無理はありません。
「ですが、旦那様……」
 台所でかまどの残り火を始末していた私は、差し出がましくも口を挟みました。
「坊ちゃんはもう立派な男の子でございます。それに今まで、門限を破ったことは一度もございません。私がお供すれば、夜道の心配はありますまい」
 私は、なるべく角が立たぬよう遠回しに意見を申し上げました。つまり何が言いたいのかと聞き返されて、答えに詰まってしまったことを覚えています。
「いいんだ、和子さん」
 坊ちゃんは、お行儀よく座ってお箸を口に運びつつ、さりげなく旦那様の顔色をうかがいます。そのあとは、食事が終わるまでろくに会話もありませんでした。

 それから、着物にたすきをかけて風呂炊きを済ませ、板の間で夕飯の残り物をいただいている最中です。
 吉岡家は、幕府の時代から陶磁を焼いている名のある旧家です。中庭を囲んで母屋と離れがございまして、お風呂上がりに浴衣をまとった坊ちゃんが、厠の行き来に廊下を通りかかります。
「じつは僕、天狗の正体を知ってるんだ」
 手早く膳を片づけて洗い物をした私は、湯冷めせぬように坊ちゃんの散切り頭をよく乾かします。いったん帯をほどいて裾丈を端折り、だらしない浴衣を着つけて差し上げます。
「父さんだよ」
「旦那様が?」
 坊ちゃんは人目をはばかるように耳打ちしました。旦那様はと申しますと、おい薪が足らぬぞと大声でわめきながらお風呂につかっております。
「さっきの様子、おかしいと思わなかったかい?」
 私自身はとくに何とも思いませなんだが、坊ちゃんはまるで我が事のように悔しがります。
 なるほどたしかに言われてみれば、坊ちゃんのみならず私に対してもつらく当たるのは、いつもの旦那様らしからぬ気がいたします。
 旦那様が坊ちゃんに対してとりわけ厳しく接するのは、いわば我が子を愛するがゆえの親心であって、もとより声を荒らげて怒鳴るようなお人ではありません。
「――天狗の正体って?」
 私の袖を引っ張って勝手口のほうへ歩いていった坊ちゃんは、「ここだけの話だよ」と念押ししたあと、神妙な面持ちでこう続けます。
「去年のお祭りで見たんだ。天狗のお面をかぶった男が、子供をさらっていくのを」
 私は、にわかに信じられず怪訝に眉をひそめました。
 なんと、お祭りの最中に人さらいを目撃したと言うのです。
 さらに詳しく事情を聞いてみると――おそらく母親と思しき女性の手から、まだ年端も行かぬ幼子が引き剥がされ、無理やり山の中へ連れ去られたという話でした。
 もちろん最初のうちは疑ってかかりましたとも。
 ですが、当時の状況を思い出しながら必死に説明しようとする坊ちゃんの口ぶりが、何と申しますか作り話にしては妙に具体的でしたので、私は驚きとともに空恐ろしさを覚えました。
 さりとてこの辺りは、山奥の谷間にある小さな郷村でございます。集落の住民はみんな顔見知りで、よその子が神隠しに遭ったなどという噂は、ついぞ聞いたことがありません。
「――お祭りが怖いの?」
 膝を屈してお顔を覗き込んでみると、坊ちゃんは物言わずにこくりと頷きます。
「だったら、和子がついていってあげる」
「本当に? いいの?」
「ええ、一緒に行きましょう」
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