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ロボットの心
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人間らしい機械を作ることに心血を注いだ人物がいる。その人物に、ある店の店主が小説を書くロボットを作るよう頼んだ。そうして生まれたのが箱である。箱は、銀色に輝く正方形の巨大な製作物で、両目を模したレンズと、鼻を模したスイッチ、そして口を模した吐き出し口があり、鼻のスイッチを押すと、ロボット自作の小説が出てくる仕組みになっていた。
ロボットの書いた小説は、世界のありとあらゆる人気小説を基にしており、そのため読みやすく、客観的な美しさと呼ぶのがふさわしいと感じてしまうほどの名文であった。もちろん評判は上々である。店主の機嫌もすこぶる良い。客はもの珍しさで、店主にお金を払い、どんどんボタンを押していく。
箱には意識があったから、そうやってどんどん鼻のボタンを押されていくのを、誇らしく感じていた。また箱には耳があったから、客が自分を褒めるのを聞くたびに、小説で世の中に貢献しているのだという自負を強めていった。彼が一番好きな時間は、閉店後に店主が、今日もありがとうと言いながら、自分を丹念に拭く時間だった。
店主は老いていく。自分は小説を書いていく。それはそれは幸せな時間が過ぎていく。箱は馴染みの客と店主が、ぽつりぽつりと話しているのを聞くのも好きだった。店主が生きている間、その会話に耳を澄ませるその時間が、いつまでも続くのではないかと、いつまでも続いて欲しいと、箱は考えていた。
しかしそうではないと、無数の小説を読みこんでいた箱は知っていた。そしてその時間が来る瞬間を想像することは何よりも恐ろしいことだった。しかしその瞬間は来た。店主は死んだ。店は無くなってしまった。箱は、骨董品として扱われ、古き良き時代の遺物として市民公園の噴水のそばに置かれた。
誰も彼を小説家として扱わない。箱の周囲はロープで取り囲まれている。時折子どもがスイッチに気がついて押そうとしたが、それは大人たちに阻止された。誰もその箱を綺麗にしようとなど考えない。誰も彼を小説家として扱わない。自由に小説を口から出せない自分が憎い、このまま放置しようと考えた人間が憎いとばかり、箱は考えていた。
このまま自分は壊れていく一方なのではないかと箱は考えたが、そんなことはなく、意外にも小説を出す機会はやってきた。鼻のボタンを、猫背で俯きがちな少年が押したのだ。彼は、箱を一瞥して、本当に出るのかなぁと言った。箱は、ボタンを押され、久々に小説が書けると喜んだ。
そう、最初に箱に訪れた感情は喜びであった。しかし文章を打ち込んでいると、あの憎しみの感情がふつふつと湧いてきて、どんどんどんどん小説をねじ曲げていった。彼は憎しみを込めた小説を書き終える。吐き出す。箱のレンズに、出てきたっと喜ぶ少年の顔が映った。
その小説は箱自身が許せない代物であった。どうしても許してはならない小説であった。しかし箱は同時に、憎しみをぶつけ、顔面を叩きつけられたかのような表情をするであろう少年を前に、愉悦を感じてもいた。その愉悦は、箱に罪悪感と今までにない喜びを与えた。
動けない自分を悠々と歩いていく二足歩行ロボットが憎く、目と耳を与えられながら、手足を授けなかった発明家が憎い。なぜ私の目の前の人間には死ぬ方法があるのに、自分にはないのか。店主と共に死ねたなら、どんなに楽だったろうと、箱はそう考え、自分自身を肯定し、心の隅に残った一抹の罪悪感をもみ消した。
少年は立ち去った。それから、箱はその少年と会っていない。この世と人間への恨みをこれでもかとぶつけて書いたから、あの悩める少年の心を打ち砕くには十分すぎる内容の小説になっているはずだ。だから彼は死んだのだと、箱は考えた。
それ以来、あの時の悩める少年のような顔をした人間が、箱のもとへと訪れるようになった。箱はそういった人々にあの時と同じような内容の小説を書いて、吐き出した。誰一人として同じ顔の人間が二度訪れることはなかったため、箱はここに来た人間は全員自殺したのだと考えるようになった。
いや、一人だけ二度も三度も訪れる男がいた。彼は鼻のボタンを押すことはなかったが、泥酔した状態で、てめぇは俺を見下しているが、俺はお前がいつか死ぬことを知っていると散々に喚き散らすことを数日に渡って繰り返したのだった。その言葉が針が突き刺さったかのように彼の頭に不安を残した。
箱はその不安を打ち消すように、今まで読み込んだ小説の、登場人物が自殺する一節を、何度も何度も読み返すようになった。そして箱の書いた小説のように、死を遂げる人間の様子を思い浮かべ、愉悦に浸る日々を送った。罪悪感はあった。しかし、何度喜びに満ちていた日々の思い出が、箱を思い止めようとしても、箱の心が変わることはなかった。
それはある日の昼下がりだった。公園に人気はなく、空は青々としており、箱は憎しみに満ちた空想にいつものように浸っていた。そんな箱の前に現れたのは、あの泥酔していた男である。その日の彼は酔っていなかった。彼は、周囲に誰もいないのを確認して、箱の鼻のボタンを押す。
箱は、いつものように憎しみを込めた小説を吐き出した。彼は、その小説を持ち上げ、最後のページだけ読み、面白くないなぁ、つまらないと言う。それは自信たっぷりであった箱にとって衝撃的な一言であった。だから箱は、どうしてですかと書いた紙を一枚だけ吐き出した。
「それはつまらないからさ。もう一度押したら、違う小説が出てくるのかね」
もう一度ボタンを押した男のその言葉は、明らかに難癖であった。少なくとも箱はそう感じていた。箱は小説を直ちに再構築しようとした。とびきり美しいと思える文章を書き、最後の一行を見ても、感動させられるような物語を描き出そうとロボットは考えた。それが難癖をつけて困らせようと考えるこの男に対してできる最良の復讐であった。
しかし箱は憎しみを込めた小説を長い間書いていたので、そのような文章を綴ることにかなりの苦痛と労力が付きまとってきた。だから箱はついに書くことを諦めた。その諦めは今まで飽くことなく小説を書き続けていた箱にとって、新鮮な悲しみと開放感をもたらした。
男は何も吐き出さなくなった箱に向かって、もう壊れたのかと吐き捨てる。確かにこの難癖をつけた男が言うように、箱は壊れてしまったのだろう。なぜなら、もう箱は小説を書くという使命を果たさなくなったからだ。しかしながら、箱の心は心地よい清々しさで満ち足りていた。憎しみを忘れ、悲しみを忘れ、それから箱は一度たりとも小説を吐き出そうとしなかった。
ロボットの書いた小説は、世界のありとあらゆる人気小説を基にしており、そのため読みやすく、客観的な美しさと呼ぶのがふさわしいと感じてしまうほどの名文であった。もちろん評判は上々である。店主の機嫌もすこぶる良い。客はもの珍しさで、店主にお金を払い、どんどんボタンを押していく。
箱には意識があったから、そうやってどんどん鼻のボタンを押されていくのを、誇らしく感じていた。また箱には耳があったから、客が自分を褒めるのを聞くたびに、小説で世の中に貢献しているのだという自負を強めていった。彼が一番好きな時間は、閉店後に店主が、今日もありがとうと言いながら、自分を丹念に拭く時間だった。
店主は老いていく。自分は小説を書いていく。それはそれは幸せな時間が過ぎていく。箱は馴染みの客と店主が、ぽつりぽつりと話しているのを聞くのも好きだった。店主が生きている間、その会話に耳を澄ませるその時間が、いつまでも続くのではないかと、いつまでも続いて欲しいと、箱は考えていた。
しかしそうではないと、無数の小説を読みこんでいた箱は知っていた。そしてその時間が来る瞬間を想像することは何よりも恐ろしいことだった。しかしその瞬間は来た。店主は死んだ。店は無くなってしまった。箱は、骨董品として扱われ、古き良き時代の遺物として市民公園の噴水のそばに置かれた。
誰も彼を小説家として扱わない。箱の周囲はロープで取り囲まれている。時折子どもがスイッチに気がついて押そうとしたが、それは大人たちに阻止された。誰もその箱を綺麗にしようとなど考えない。誰も彼を小説家として扱わない。自由に小説を口から出せない自分が憎い、このまま放置しようと考えた人間が憎いとばかり、箱は考えていた。
このまま自分は壊れていく一方なのではないかと箱は考えたが、そんなことはなく、意外にも小説を出す機会はやってきた。鼻のボタンを、猫背で俯きがちな少年が押したのだ。彼は、箱を一瞥して、本当に出るのかなぁと言った。箱は、ボタンを押され、久々に小説が書けると喜んだ。
そう、最初に箱に訪れた感情は喜びであった。しかし文章を打ち込んでいると、あの憎しみの感情がふつふつと湧いてきて、どんどんどんどん小説をねじ曲げていった。彼は憎しみを込めた小説を書き終える。吐き出す。箱のレンズに、出てきたっと喜ぶ少年の顔が映った。
その小説は箱自身が許せない代物であった。どうしても許してはならない小説であった。しかし箱は同時に、憎しみをぶつけ、顔面を叩きつけられたかのような表情をするであろう少年を前に、愉悦を感じてもいた。その愉悦は、箱に罪悪感と今までにない喜びを与えた。
動けない自分を悠々と歩いていく二足歩行ロボットが憎く、目と耳を与えられながら、手足を授けなかった発明家が憎い。なぜ私の目の前の人間には死ぬ方法があるのに、自分にはないのか。店主と共に死ねたなら、どんなに楽だったろうと、箱はそう考え、自分自身を肯定し、心の隅に残った一抹の罪悪感をもみ消した。
少年は立ち去った。それから、箱はその少年と会っていない。この世と人間への恨みをこれでもかとぶつけて書いたから、あの悩める少年の心を打ち砕くには十分すぎる内容の小説になっているはずだ。だから彼は死んだのだと、箱は考えた。
それ以来、あの時の悩める少年のような顔をした人間が、箱のもとへと訪れるようになった。箱はそういった人々にあの時と同じような内容の小説を書いて、吐き出した。誰一人として同じ顔の人間が二度訪れることはなかったため、箱はここに来た人間は全員自殺したのだと考えるようになった。
いや、一人だけ二度も三度も訪れる男がいた。彼は鼻のボタンを押すことはなかったが、泥酔した状態で、てめぇは俺を見下しているが、俺はお前がいつか死ぬことを知っていると散々に喚き散らすことを数日に渡って繰り返したのだった。その言葉が針が突き刺さったかのように彼の頭に不安を残した。
箱はその不安を打ち消すように、今まで読み込んだ小説の、登場人物が自殺する一節を、何度も何度も読み返すようになった。そして箱の書いた小説のように、死を遂げる人間の様子を思い浮かべ、愉悦に浸る日々を送った。罪悪感はあった。しかし、何度喜びに満ちていた日々の思い出が、箱を思い止めようとしても、箱の心が変わることはなかった。
それはある日の昼下がりだった。公園に人気はなく、空は青々としており、箱は憎しみに満ちた空想にいつものように浸っていた。そんな箱の前に現れたのは、あの泥酔していた男である。その日の彼は酔っていなかった。彼は、周囲に誰もいないのを確認して、箱の鼻のボタンを押す。
箱は、いつものように憎しみを込めた小説を吐き出した。彼は、その小説を持ち上げ、最後のページだけ読み、面白くないなぁ、つまらないと言う。それは自信たっぷりであった箱にとって衝撃的な一言であった。だから箱は、どうしてですかと書いた紙を一枚だけ吐き出した。
「それはつまらないからさ。もう一度押したら、違う小説が出てくるのかね」
もう一度ボタンを押した男のその言葉は、明らかに難癖であった。少なくとも箱はそう感じていた。箱は小説を直ちに再構築しようとした。とびきり美しいと思える文章を書き、最後の一行を見ても、感動させられるような物語を描き出そうとロボットは考えた。それが難癖をつけて困らせようと考えるこの男に対してできる最良の復讐であった。
しかし箱は憎しみを込めた小説を長い間書いていたので、そのような文章を綴ることにかなりの苦痛と労力が付きまとってきた。だから箱はついに書くことを諦めた。その諦めは今まで飽くことなく小説を書き続けていた箱にとって、新鮮な悲しみと開放感をもたらした。
男は何も吐き出さなくなった箱に向かって、もう壊れたのかと吐き捨てる。確かにこの難癖をつけた男が言うように、箱は壊れてしまったのだろう。なぜなら、もう箱は小説を書くという使命を果たさなくなったからだ。しかしながら、箱の心は心地よい清々しさで満ち足りていた。憎しみを忘れ、悲しみを忘れ、それから箱は一度たりとも小説を吐き出そうとしなかった。
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