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前編
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その人はいつも戦っていた。
今日は森に入り込んで迷子になっていた子供を助けるために。
光を反射させてキラキラ光る剣を携えて魔物を斬り払う。
彼が相手している魔物の名前はオークだったと思う。緑色の肌をした、ブタみたいな顔をした……とてもとても大きな奴。
でも、その男の人はオークよりもずっと強いから、あっという間に緑の巨体を倒して子供を助け出した。
子供は無事みたいだ。泣いているけれど、怪我もしていない。
僕は翼をぷるぷるっと震わせて木の上からその様子をじっと見守っていた。それから以前の出来事に思いを馳せた。
先程助け出された子供みたいに、僕もまたこの人に助けられたことがある。
オークのあげた雄叫びに驚いて、木の枝からボテッと落ちて目を回していたところを掬い上げられた。
目をパチパチと瞬かせていると大丈夫か、みたいな感じで声を掛けられたのだと思う。
詳細は不明。
なぜなら、僕にはこの人の言葉の意味が分からないから。
鳥の獣人である自分には人間の言葉を理解するのは難しい。
だけど、助けられて嬉しかったから例え伝わらなくても、くちばしを動かして「ありがとう」って言ってみた。ピィピィ、と鳴く。
するとその人は目をやさしく細めてまた何か言葉をつぶやいて、顎の辺りを長い指で撫でてくれた。
言葉の意味は分からないけど、何だか胸が温かくなって、ドキドキとした。それに撫でられた顎の辺りも羽毛が震えてソワソワする。
ああ、僕がもっと賢かったら良かったのに。
そうしたらこの人の言葉が分かったのになぁ。
「またあの人のこと見ていたの? アティス」
止まっていた枝のところに羽ばたいてやって来たのは、友達のオルカだった。
「うん。今日も子供を助けていたよ! 本当にすごいねぇ、あの人は」
助けてもらってからというもの、僕はずっとあの人のことを追いかけては、その姿を木の上から眺めている。
何かあの人に恩返しができたらいいなと思っているんだ。
困ったことがあったら手助けをしたいって。
小さな鳥の体で何ができるかは分からないけれど。
でも、いつかは……って考えている。
住んでいる村を離れてずいぶんと遠くへ来てしまったけれど、鳥獣人である僕はどこへだって飛んでいけるから、問題ない。
心配して一緒についてきてくれたオルカにはちょっと申し訳ないと思っている。
「アティスは世間知らずだから、僕がついていて助けてあげないと。それに何だか楽しそうだしね」
そう言って、ここまでついてきてくれた。
オルカは同じ村の出身の友達思いで、やさしい子だ。
それに頭が良いので人間の言葉が分かるし、少しだけならおしゃべりできる。だから僕のために色々と情報を集めてくれているんだ。
その中で分かったのが、あの人は魔王を倒す『勇者』という存在だということ。仲間達と共に世界を旅して回っているというのが分かった。
「よーし、今日はアティスのためにあの人の名前を聞いてきてあげる」
サッと飛び出して行ったオルカが、あの人の肩の上に止まった。
オ、オルカったら。何て積極的なんだろう。
ドキドキしながらその様子を見守る。
男の人は不思議そうに首を傾げて、肩の上のオルカを見つめた。
『オマエ、ナマエおしえろっ!』
オルカが何か人間の言葉を話して、男の人はびっくりした表情を浮かべた。
もしかしたらオルカがとても賢いことに驚いているのかもしれない。
いくつかオルカと男の人が言葉を交わして、そしてオルカが僕のところへと戻って来た。
「アティス、やったよ。あの人の名前を聞き出してきたぞ」
「すごい、本当にすごいよオルカ。あの人とお喋りしているの見ていたよ。君は本当に賢い子だね」
オルカは満更でもなさそうに胸を反らした。羽毛がふわっと膨らむ。
「えへへ、そうかな。それでね、あの人の名前はレギウスって言うんだって」
レギウス。とっても素敵な名前だ。覚えた、絶対に忘れない。
「『レギウス』って発音すれば通じると思うよ。ほら、アティスも練習してみて」
オルカは丁寧に発音を教えてくれる。
僕があの人に呼び掛けられるようにって。
確かに『レギウス』って呼び掛けられたらこちらを振り向いてくれるかもしれない。
『れきー…?』
「ううん、もうちょっと喉の奥を震わせてみて。『レギウス』だよ」
『れき! れきうしゅ!』
「うーん、ちょっと違うような。『レギウス』って発音が難しいのかもね」
「どうしよう、これじゃあ名前を呼んでもあの人に伝わらないよ」
僕にはレギウスの名前を呼ぶことすらできない。
がっくりと頭を項垂れさせた。下を向いたせいか何だか涙まで出てきそうになる。
「元気出して、アティス。いっぱい練習すればそのうち綺麗に発音できるようになるよ!」
「そうだね、うん、頑張るよ」
オルカのやさしい励ましにこくっと頷いてみせた。
でも、それとは裏腹に心はとても重たくなっていた。
本当に恩返しをすることができるのかな。
あの人から見たら、僕なんてちっぽけな存在だ。あの人の傍には強くて優秀な仲間達がいるから、僕なんて必要ないかもしれない。
それに、何でもできるあの人を助けられることなんて果たしてあるのかしら。
どうやったらレギウスの力になれるのかな。
そんなことを考え続けていたその日の夜のことだ。
体に異変が起こったのは。
燃えるように体が熱くなって、それから胸がドコドコと激しく脈打つ。
「うぅん、苦しいっ」
苦しさのあまり木の上からポテッと落ちて、そのまま地面を転がる。
「あ、あ、アティス、大丈夫⁉」
異変に気付いたオルカが慌てて地面に降りてきた。
「オルカ、どうしよう、熱い、苦しいよ……」
「え、ええっ、大変だよ! 体が変化してる!」
ひどく驚いた声で放たれたオルカの言葉を、頭の中で反芻する。
体が変化してるだって?
恐る恐る目を開いて体を確かめると、羽毛に覆われていた体からつるりとすっかり羽がなくなっていた。肌が見えている。
ううん、それどころか体の形そのものが変わっていた。
これは人化(じんか)と呼ばれる現象だ!
僕達鳥獣人は大抵の場合は鳥の姿のまま生涯を終えることが多いんだけど、大人になるとまれに人の姿に変わることもある。
人化する者が減ったのは、昔よりも獣人としての力が弱まってしまったからなのかもしれないねぇ、と村長さんは言っていた。
すっかり人の姿に変わったら、苦しさも治まっていた。体を起こす。
「すごいや、アティス。人の姿になれるなんて! こんなの初めて見たよ!」
オルカが興奮気味に叫ぶ。無理もない。
僕だって自分自身に人化の現象が現れるなんて思いもしなかった。
翼はすっかりなくなってしまって、代わりに生えてきた手をぷらぷらと動かしてみる。何だか変な感じだけどすごい、自由自在に動く。
オルカに声を掛けようとして、上手く声が出せないことに気がついた。
「あー…、あう」
喉の辺りを押さえて、首を横に振る。
「もしかして上手くお喋りできないの?」
うん、と頷く。
「そっかぁ。きっと人間と鳥だと声の出し方が違うのかもね。でもさ、大丈夫だよ。すぐに慣れるって。それに人化できるようになったってことは、これでレギウスに恩返しができるようになるんじゃない?」
オルカに向かってうん、うんと何度も頷く。
胸の中にはこれ以上ないほどの喜びが満ち溢れる。
鳥の姿ではできることに限りがあるけれど、体が大きくなって手があるということはできることも増えたということだ。
これでレギウスに恩返しができる!
さっそくレギウスのところに行ってみよう。
歩いてみると、やっぱり変な感じがしてよろよろとぎこちない動きになってしまう。
「あっ、ちょっと待ってアティス!」
オルカが慌てた様子で翼をバサバサさせた。
「たぶん、その姿は変かもしれないよっ。あんまり良くないんじゃないかなぁ」
姿が変だと言われて首を傾げる。
自分ではよく分からないけれど、賢いオルカが言うのならそうなのかもしれない。
「羽毛がなくなったせいで、体がつるっとしてる。人間はそんな姿で歩いてないよ。服っていうのを着ているんだ」
服。
確かに、人間はいつも体に何か巻き付けている。
羽毛がないせいか、体が寒い気もする。うん、服が必要みたい。
頭の中で想像しているとニューッと布が体に巻き付いてきた。
羽毛の代わりに服を身に着けられる。もしかしたらこれも人化の力の一種なのかもしれない。
でも、僕には服のことがよく分からないから、これ以上想像ができない。布がぺらっと出てきただけだ。
オルカも何となくその仕組みを察したようだ。
「あっ、じゃあレギウスが身に着けているマントのことを考えてみて。黒くて大きな肩からかけている布のことだよ。あれだったら難しくないんじゃない?」
うん、と頷いて頭の中で黒い布のことを想像する。レギウスのことをいつも見ているから、あの布のことは覚えてる。
温かそうで、しっかりとした厚みのある……。
ニューッと布が出てきて、肩の辺りに巻き付いた。さっきまで寒かったのに、これなら温かい。もうどこもおかしくないよね?
「もうちょっとしっかり前の方も巻いた方がいいよ。よし、これで大丈夫。がんばってね、アティス」
オルカがくちばしでツンツンと突いて布を巻きなおしてくれる。ありがとうの意味を込めて笑ってみせた。
今度こそレギウス達が休んでいる場所までよたよたしながら歩いていく。
レギウス達は街の宿屋に泊まることもあるけど、今日は野宿をするみたい。パチパチとたき火の音が聞こえる。
そっと近づいて行くと、木の所に寄り掛かって目を閉じているレギウスの姿があった。眠っているみたいだけど、体にかけているふわふわの布がずり下がっている。
人間の体は羽毛で覆われてないから寒いんじゃないかなぁと思う。
レギウスが風邪を引いたら大変だ。
布を掛け直してあげなくちゃ、そう思って手を伸ばすとレギウスの目がパッと開いて、あっという間に手首を掴まれた。
痛い!
「あっ」
引っ張られて態勢が崩れる。すてんと地面に倒れ込んでしまった。
『…………』
押し殺した声でレギウスが何かをしゃべっている。
どうしよう、どうしよう。何だかすごく怒っているみたい。
寝ているところを起こしてしまったから?
いきなり近づいて行ったからびっくりさせてしまったのかも。
僕、余計なことをしてしまったみたい。
「う、う、あう……」
ごめんなさい、と言おうとしたけど上手く声が出ない。
「れ……」
レギウス、と呼び掛けようとしても無理だった。口をぱくぱく開け閉めする。
違うよ、本当は風邪を引かないように温かくしてあげたかった、驚かせるつもりなんてなかった。
そう伝えたいのに、伝わらない。
焦れば焦るほど上手く声が出なくなってしまった。
どうして僕の言葉は伝わらないの。
「う、うえっ、え」
とうとうポロポロと涙が出てきた。
すると、はー、と深いため息が頭上から響いてきて、体を支えられた。倒れていた体を起こしてもらう。
もう怒っていないのかな。涙を拭いながらそっと顔色を伺う。
『………っ⁉』
すると慌てた様子でレギウスが何か言った。目を丸くして、こちらを――正確には僕の体の辺りを見下ろしている。
その視線を辿っていくと、マントがずれてつるりとした肌が剥き出しになっていた。ひゅうひゅうと風が吹きつけてきて寒い。
わ、大変だ。レギウスに変に思われちゃう。慌ててマントに包まる。
『………っ!』
レギウスは首をぶんぶんと横に振って、ちょっと呆れたような顔をしている。だけどその横顔が赤い。
レギウスのことをずっと見てきたけど、こんなに慌てている様子は珍しいし、いつになくくるくると表情が変わって面白い。
一体何を思っているのかな。
座ったままじっと見ていたら、またはぁっとレギウスはため息を吐いて、荷物の中から何かを取り出してこちらに渡してきた。
これは、服というものだ!
よく見るとあちこちに穴が開いている。首を傾げながら服を見ていると、仕方がないなという感じでそれを着せてくれた。
頭からすっぽりと服を被る。穴が開いていたのはそこから頭や手を出すためなんだね。服から頭を出すと、レギウスと目が合った。黒い瞳がとても綺麗。
それにしてもこの服っていうのはちょっと変。
手の先っぽが隠れちゃって、布がぷらぷら揺れる。揺らして遊んでいると、レギウスが先端をくるくると巻いてくれた。何回か巻くと手の先っぽがようやく出て来た。すごいや、これなら動き辛くない。
ありがとうの意味を込めてにこっと笑う。
レギウスは何とも言えない表情を浮かべて、やっぱりまたまたため息を吐いた。たくさんため息を吐いてる。疲れているのかなぁ。
そうだよね、寝ているところを邪魔してしまったんだもの。疲れていて当然だ。
先程までレギウスが使っていたふわふわの布を彼の肩へと掛ける。それから「寝て?」という意味を込めて地面を叩いた。
こくんと頷いてレギウスが寝っ転がったけれど、それと同時に手を引っ張られた。僕も一緒になってレギウスの隣に転がってしまう。
それから、ふわふわの布に包まれた。
これは一緒に寝ようってことなのかな?
抱き締められて身動きが取れなくなる。ほっぺたをレギウスの胸に預けた形になった。
あったかい。
僕達鳥獣人は寒い日はみんなで体を寄せ合って暖を取るけれど、それは人間も一緒なんだね。人間って羽毛がないから余計に寒そうだものね。
ほっぺたをすり寄せて、ふふ、と笑っていると『………』ってレギウスが何かつぶやいた。今のは何となく分かったかもしれない。
「早く寝ろ」ってことかな。きっとそうだ。
レギウスって案外世話焼きなんだね。
遠くから見ているだけじゃ分からなかったこの人の性格が見えてきて、とても嬉しい。
人型になって、レギウスの近くに来られて本当に良かった。
これなら恩返しができる日も近いかもしれない。
今日は森に入り込んで迷子になっていた子供を助けるために。
光を反射させてキラキラ光る剣を携えて魔物を斬り払う。
彼が相手している魔物の名前はオークだったと思う。緑色の肌をした、ブタみたいな顔をした……とてもとても大きな奴。
でも、その男の人はオークよりもずっと強いから、あっという間に緑の巨体を倒して子供を助け出した。
子供は無事みたいだ。泣いているけれど、怪我もしていない。
僕は翼をぷるぷるっと震わせて木の上からその様子をじっと見守っていた。それから以前の出来事に思いを馳せた。
先程助け出された子供みたいに、僕もまたこの人に助けられたことがある。
オークのあげた雄叫びに驚いて、木の枝からボテッと落ちて目を回していたところを掬い上げられた。
目をパチパチと瞬かせていると大丈夫か、みたいな感じで声を掛けられたのだと思う。
詳細は不明。
なぜなら、僕にはこの人の言葉の意味が分からないから。
鳥の獣人である自分には人間の言葉を理解するのは難しい。
だけど、助けられて嬉しかったから例え伝わらなくても、くちばしを動かして「ありがとう」って言ってみた。ピィピィ、と鳴く。
するとその人は目をやさしく細めてまた何か言葉をつぶやいて、顎の辺りを長い指で撫でてくれた。
言葉の意味は分からないけど、何だか胸が温かくなって、ドキドキとした。それに撫でられた顎の辺りも羽毛が震えてソワソワする。
ああ、僕がもっと賢かったら良かったのに。
そうしたらこの人の言葉が分かったのになぁ。
「またあの人のこと見ていたの? アティス」
止まっていた枝のところに羽ばたいてやって来たのは、友達のオルカだった。
「うん。今日も子供を助けていたよ! 本当にすごいねぇ、あの人は」
助けてもらってからというもの、僕はずっとあの人のことを追いかけては、その姿を木の上から眺めている。
何かあの人に恩返しができたらいいなと思っているんだ。
困ったことがあったら手助けをしたいって。
小さな鳥の体で何ができるかは分からないけれど。
でも、いつかは……って考えている。
住んでいる村を離れてずいぶんと遠くへ来てしまったけれど、鳥獣人である僕はどこへだって飛んでいけるから、問題ない。
心配して一緒についてきてくれたオルカにはちょっと申し訳ないと思っている。
「アティスは世間知らずだから、僕がついていて助けてあげないと。それに何だか楽しそうだしね」
そう言って、ここまでついてきてくれた。
オルカは同じ村の出身の友達思いで、やさしい子だ。
それに頭が良いので人間の言葉が分かるし、少しだけならおしゃべりできる。だから僕のために色々と情報を集めてくれているんだ。
その中で分かったのが、あの人は魔王を倒す『勇者』という存在だということ。仲間達と共に世界を旅して回っているというのが分かった。
「よーし、今日はアティスのためにあの人の名前を聞いてきてあげる」
サッと飛び出して行ったオルカが、あの人の肩の上に止まった。
オ、オルカったら。何て積極的なんだろう。
ドキドキしながらその様子を見守る。
男の人は不思議そうに首を傾げて、肩の上のオルカを見つめた。
『オマエ、ナマエおしえろっ!』
オルカが何か人間の言葉を話して、男の人はびっくりした表情を浮かべた。
もしかしたらオルカがとても賢いことに驚いているのかもしれない。
いくつかオルカと男の人が言葉を交わして、そしてオルカが僕のところへと戻って来た。
「アティス、やったよ。あの人の名前を聞き出してきたぞ」
「すごい、本当にすごいよオルカ。あの人とお喋りしているの見ていたよ。君は本当に賢い子だね」
オルカは満更でもなさそうに胸を反らした。羽毛がふわっと膨らむ。
「えへへ、そうかな。それでね、あの人の名前はレギウスって言うんだって」
レギウス。とっても素敵な名前だ。覚えた、絶対に忘れない。
「『レギウス』って発音すれば通じると思うよ。ほら、アティスも練習してみて」
オルカは丁寧に発音を教えてくれる。
僕があの人に呼び掛けられるようにって。
確かに『レギウス』って呼び掛けられたらこちらを振り向いてくれるかもしれない。
『れきー…?』
「ううん、もうちょっと喉の奥を震わせてみて。『レギウス』だよ」
『れき! れきうしゅ!』
「うーん、ちょっと違うような。『レギウス』って発音が難しいのかもね」
「どうしよう、これじゃあ名前を呼んでもあの人に伝わらないよ」
僕にはレギウスの名前を呼ぶことすらできない。
がっくりと頭を項垂れさせた。下を向いたせいか何だか涙まで出てきそうになる。
「元気出して、アティス。いっぱい練習すればそのうち綺麗に発音できるようになるよ!」
「そうだね、うん、頑張るよ」
オルカのやさしい励ましにこくっと頷いてみせた。
でも、それとは裏腹に心はとても重たくなっていた。
本当に恩返しをすることができるのかな。
あの人から見たら、僕なんてちっぽけな存在だ。あの人の傍には強くて優秀な仲間達がいるから、僕なんて必要ないかもしれない。
それに、何でもできるあの人を助けられることなんて果たしてあるのかしら。
どうやったらレギウスの力になれるのかな。
そんなことを考え続けていたその日の夜のことだ。
体に異変が起こったのは。
燃えるように体が熱くなって、それから胸がドコドコと激しく脈打つ。
「うぅん、苦しいっ」
苦しさのあまり木の上からポテッと落ちて、そのまま地面を転がる。
「あ、あ、アティス、大丈夫⁉」
異変に気付いたオルカが慌てて地面に降りてきた。
「オルカ、どうしよう、熱い、苦しいよ……」
「え、ええっ、大変だよ! 体が変化してる!」
ひどく驚いた声で放たれたオルカの言葉を、頭の中で反芻する。
体が変化してるだって?
恐る恐る目を開いて体を確かめると、羽毛に覆われていた体からつるりとすっかり羽がなくなっていた。肌が見えている。
ううん、それどころか体の形そのものが変わっていた。
これは人化(じんか)と呼ばれる現象だ!
僕達鳥獣人は大抵の場合は鳥の姿のまま生涯を終えることが多いんだけど、大人になるとまれに人の姿に変わることもある。
人化する者が減ったのは、昔よりも獣人としての力が弱まってしまったからなのかもしれないねぇ、と村長さんは言っていた。
すっかり人の姿に変わったら、苦しさも治まっていた。体を起こす。
「すごいや、アティス。人の姿になれるなんて! こんなの初めて見たよ!」
オルカが興奮気味に叫ぶ。無理もない。
僕だって自分自身に人化の現象が現れるなんて思いもしなかった。
翼はすっかりなくなってしまって、代わりに生えてきた手をぷらぷらと動かしてみる。何だか変な感じだけどすごい、自由自在に動く。
オルカに声を掛けようとして、上手く声が出せないことに気がついた。
「あー…、あう」
喉の辺りを押さえて、首を横に振る。
「もしかして上手くお喋りできないの?」
うん、と頷く。
「そっかぁ。きっと人間と鳥だと声の出し方が違うのかもね。でもさ、大丈夫だよ。すぐに慣れるって。それに人化できるようになったってことは、これでレギウスに恩返しができるようになるんじゃない?」
オルカに向かってうん、うんと何度も頷く。
胸の中にはこれ以上ないほどの喜びが満ち溢れる。
鳥の姿ではできることに限りがあるけれど、体が大きくなって手があるということはできることも増えたということだ。
これでレギウスに恩返しができる!
さっそくレギウスのところに行ってみよう。
歩いてみると、やっぱり変な感じがしてよろよろとぎこちない動きになってしまう。
「あっ、ちょっと待ってアティス!」
オルカが慌てた様子で翼をバサバサさせた。
「たぶん、その姿は変かもしれないよっ。あんまり良くないんじゃないかなぁ」
姿が変だと言われて首を傾げる。
自分ではよく分からないけれど、賢いオルカが言うのならそうなのかもしれない。
「羽毛がなくなったせいで、体がつるっとしてる。人間はそんな姿で歩いてないよ。服っていうのを着ているんだ」
服。
確かに、人間はいつも体に何か巻き付けている。
羽毛がないせいか、体が寒い気もする。うん、服が必要みたい。
頭の中で想像しているとニューッと布が体に巻き付いてきた。
羽毛の代わりに服を身に着けられる。もしかしたらこれも人化の力の一種なのかもしれない。
でも、僕には服のことがよく分からないから、これ以上想像ができない。布がぺらっと出てきただけだ。
オルカも何となくその仕組みを察したようだ。
「あっ、じゃあレギウスが身に着けているマントのことを考えてみて。黒くて大きな肩からかけている布のことだよ。あれだったら難しくないんじゃない?」
うん、と頷いて頭の中で黒い布のことを想像する。レギウスのことをいつも見ているから、あの布のことは覚えてる。
温かそうで、しっかりとした厚みのある……。
ニューッと布が出てきて、肩の辺りに巻き付いた。さっきまで寒かったのに、これなら温かい。もうどこもおかしくないよね?
「もうちょっとしっかり前の方も巻いた方がいいよ。よし、これで大丈夫。がんばってね、アティス」
オルカがくちばしでツンツンと突いて布を巻きなおしてくれる。ありがとうの意味を込めて笑ってみせた。
今度こそレギウス達が休んでいる場所までよたよたしながら歩いていく。
レギウス達は街の宿屋に泊まることもあるけど、今日は野宿をするみたい。パチパチとたき火の音が聞こえる。
そっと近づいて行くと、木の所に寄り掛かって目を閉じているレギウスの姿があった。眠っているみたいだけど、体にかけているふわふわの布がずり下がっている。
人間の体は羽毛で覆われてないから寒いんじゃないかなぁと思う。
レギウスが風邪を引いたら大変だ。
布を掛け直してあげなくちゃ、そう思って手を伸ばすとレギウスの目がパッと開いて、あっという間に手首を掴まれた。
痛い!
「あっ」
引っ張られて態勢が崩れる。すてんと地面に倒れ込んでしまった。
『…………』
押し殺した声でレギウスが何かをしゃべっている。
どうしよう、どうしよう。何だかすごく怒っているみたい。
寝ているところを起こしてしまったから?
いきなり近づいて行ったからびっくりさせてしまったのかも。
僕、余計なことをしてしまったみたい。
「う、う、あう……」
ごめんなさい、と言おうとしたけど上手く声が出ない。
「れ……」
レギウス、と呼び掛けようとしても無理だった。口をぱくぱく開け閉めする。
違うよ、本当は風邪を引かないように温かくしてあげたかった、驚かせるつもりなんてなかった。
そう伝えたいのに、伝わらない。
焦れば焦るほど上手く声が出なくなってしまった。
どうして僕の言葉は伝わらないの。
「う、うえっ、え」
とうとうポロポロと涙が出てきた。
すると、はー、と深いため息が頭上から響いてきて、体を支えられた。倒れていた体を起こしてもらう。
もう怒っていないのかな。涙を拭いながらそっと顔色を伺う。
『………っ⁉』
すると慌てた様子でレギウスが何か言った。目を丸くして、こちらを――正確には僕の体の辺りを見下ろしている。
その視線を辿っていくと、マントがずれてつるりとした肌が剥き出しになっていた。ひゅうひゅうと風が吹きつけてきて寒い。
わ、大変だ。レギウスに変に思われちゃう。慌ててマントに包まる。
『………っ!』
レギウスは首をぶんぶんと横に振って、ちょっと呆れたような顔をしている。だけどその横顔が赤い。
レギウスのことをずっと見てきたけど、こんなに慌てている様子は珍しいし、いつになくくるくると表情が変わって面白い。
一体何を思っているのかな。
座ったままじっと見ていたら、またはぁっとレギウスはため息を吐いて、荷物の中から何かを取り出してこちらに渡してきた。
これは、服というものだ!
よく見るとあちこちに穴が開いている。首を傾げながら服を見ていると、仕方がないなという感じでそれを着せてくれた。
頭からすっぽりと服を被る。穴が開いていたのはそこから頭や手を出すためなんだね。服から頭を出すと、レギウスと目が合った。黒い瞳がとても綺麗。
それにしてもこの服っていうのはちょっと変。
手の先っぽが隠れちゃって、布がぷらぷら揺れる。揺らして遊んでいると、レギウスが先端をくるくると巻いてくれた。何回か巻くと手の先っぽがようやく出て来た。すごいや、これなら動き辛くない。
ありがとうの意味を込めてにこっと笑う。
レギウスは何とも言えない表情を浮かべて、やっぱりまたまたため息を吐いた。たくさんため息を吐いてる。疲れているのかなぁ。
そうだよね、寝ているところを邪魔してしまったんだもの。疲れていて当然だ。
先程までレギウスが使っていたふわふわの布を彼の肩へと掛ける。それから「寝て?」という意味を込めて地面を叩いた。
こくんと頷いてレギウスが寝っ転がったけれど、それと同時に手を引っ張られた。僕も一緒になってレギウスの隣に転がってしまう。
それから、ふわふわの布に包まれた。
これは一緒に寝ようってことなのかな?
抱き締められて身動きが取れなくなる。ほっぺたをレギウスの胸に預けた形になった。
あったかい。
僕達鳥獣人は寒い日はみんなで体を寄せ合って暖を取るけれど、それは人間も一緒なんだね。人間って羽毛がないから余計に寒そうだものね。
ほっぺたをすり寄せて、ふふ、と笑っていると『………』ってレギウスが何かつぶやいた。今のは何となく分かったかもしれない。
「早く寝ろ」ってことかな。きっとそうだ。
レギウスって案外世話焼きなんだね。
遠くから見ているだけじゃ分からなかったこの人の性格が見えてきて、とても嬉しい。
人型になって、レギウスの近くに来られて本当に良かった。
これなら恩返しができる日も近いかもしれない。
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あゆみん
BL
親から愛されることなく育った不憫な三兄弟が異世界で番に待ち焦がれた獣たちから愛を注がれ、一途な愛に戸惑いながらも幸せになる物語。
*触れ合いシーンは★マークをつけます。
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