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2.小さな庵

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 里の外れに居を構える庵、そこは現在の影丸の住処であった。
 母を亡くした後、色々あり、それ以来そこに住み続けている。
 お世辞にも綺麗とは言えないけれど、小さいが温かく心から安らぐことのできる場所だ。

 囲炉裏にはまだ火が残っている。
 薪をいくつか放り込み、ゆっくりした動作で鍋に火をかけ湯を沸かす準備をした。濡れたままの着物もそのままに火の側に体を横たえた。

「温かい…」

 影丸は猫のように体を丸め、パチパチと薪が爆ぜる音を聞きながら瞳を閉じた。

 すでに成人の儀を迎え、立派に成長した影丸だったが、瞳を閉じて眠る様子は若干の幼さを残している。
 今は疲れが色濃く表れている。
 ほんの少し目を閉じて休むだけのつもりが、一瞬で眠りに落ちてしまったらしい。

 次に気づいたのは、己の額に触れる冷えた掌の感触だった。
 その手の心地良さにさらに深く眠りかけそうになって、目を見開く。

 傷を負っているとはいえ、忍びである影丸が並の者の気配に気づけないはずがない。
 弾かれるように顔を上げると、そこには。
 ただ一人、影丸が心より信頼を置いている男が側にいて、緋色の瞳を細め心配そうに影丸を見下ろしていた。

 六道りくどうという名の男である。影丸よりも一回りも年が離れた容貌の美丈夫だ。

「影丸、この傷はどうした。またやられたのか」

 怒りを押し殺した声で問われる。しかし、影丸はそれには答えず目元をわずかに綻ばせて体を起こした。

「師匠、お帰りなさい」

 六道は家から捨てられた幼かった影丸を育ててくれた父のような、兄のような存在だ。
 ずっと温かく、見守り続けてくれている。

 里の忍びではない。それなのに誰に咎められることもなく、ずっと昔からこの雪隠れの里に住んでいる。
 初めて出会ったのは子供の頃だったはずなのに、六道はいつまでも美しい容姿を保ち続けている。頭の先からつま先まで真っ白な出で立ちの、不思議な気配をまとった男だ。整いすぎた顔立ちは冷たささえ感じるほどのぞっとする美しさであるが、内面はとても温かい。
 
 影丸は彼のことを師匠と呼び、慕っている。
 この世で唯一、影丸が表情を崩す相手だ。

 師はここ数日の間里を離れており、つい先ほど帰宅した。
 いつ戻ってくるのかと待ちわびていた。

 影丸が囲炉裏の火を絶やさぬようにしていたのは、彼の人のために他ならない。自分一人だったら、どんなに寒くても構わないのだ。

「今、白湯を入れます」

 外は厳しい寒さが続いている。寒さに弱い師匠の体はとても冷えていることだろう。すぐに白湯の準備をするために立ち上がりかけた影丸の体が、師の手によって制される。六道は影丸の血に濡れた衣に視線を落とした。

「馬鹿者。その様なことはどうでも良い。それよりも傷の手当てを」

「これは…修行に失敗して。己の未熟が招いたことです」

 影丸は決まりが悪そうに体を揺らす。
 あくまでも自分の責任であると言い切る影丸。六道は眉間にしわを寄せ、深くため息をつきながら、影丸の衣に手をかける。

「何を!?」

 驚いた影丸が目を丸くする。

「手当だ」

「自分でやります!」

「いいから大人しくしていろ」

 悲鳴のような叫び声を上げる影丸を無視して、憮然としたままの六道は、性急に、だが決して乱暴ではない手つきで瞬く間に影丸の上半身の衣を剥いでしまう。

 男にしては白く、しかしながら鍛え上げられたしなやかな肉体が現れる。
 その白い裸体には、腹から胸にかけて裂傷があり、痛々しい。

 それ以外にもいくつもの古傷が残されている。修行でついたものもあれば、それらはほとんど里の若者によってつけられたものだった。ただ痛めつけるためだけに。

 裸身を見られるのはもちろんのこと、師である六道に己の未熟さでついた傷を見られるのは抵抗があった。
 それに心配もかけたくない。様々な思いから影丸は身を震わせた。
 だが抵抗したところで、あっという間にねじ伏せられてしまうのは必定。師はやると決めたら曲げることはないのだ。

 影丸は俯いたまま、大人しく手当てを受けることにする。
 湯に浸した布で傷口を丁寧に拭われる。

 時折、冷えた手が腹を掠めるので、影丸は身を固くする。そのことに気づかない六道ではない。罰を与えるかのように冷えた手が影丸の肌に触れる。
 冷たい、と言いかけた口を閉じる。

 とても怒っているのだ。
 普段影丸に対してはやさしい男だが、時折意地が悪くなるような気がする。とはいえやはり悪いのは自分だ。大人しくされるがまま治療を受ける。

 手際よく傷口に薬草を塗り、布を当てられると手当てが終わった。
 緊張していたのだろう、手当てが終わるとともに深いため息が影丸の口からもれる。

 行李の中にしまってある着物を取り出して身に着けた。破けてしまった着物は洗って繕わなければならない。もう何度もこういうことがあって影丸の着物はぼろぼろだ。六道がどこからか手に入れてくる時もある。それでもすぐに汚されてしまう。この里で新しい着物を手に入れることは簡単ではない。這いつくばって誰かにお願いしなければならないのだ。もちろんそんなことはしたくないので、数少ない着物を大切に着ている。

「お前はあの者たちに殺されそうになっても抵抗しないのだろうな」

 六道は忌々しそうに吐き捨てる。
 美貌の男であるだけに、怒りが加わるとさらに鮮烈な印象になる。並の者では怯えあがるであろう様子だが、影丸はわずかに口元を緩めた。
 心配をかけて申し訳ないという気持ちはあるが、自分のために怒ってくれるのが、嬉しいのだ。
 胸に温かいものが満ちる。

「俺が未熟者だから、彼らの怒りを買ってしまうのでしょう」

「死んでも笑って許しそうだな。全くもって理解できん」

 全ては自分に忍術の才がないことが原因であると考えている影丸に、これ以上何を言っても無駄だと知っている六道はこれ以上言葉を重ねるのを止めた。
 代わりに休ませることにしたようだ。

「少し眠れ」

 有無を言わせぬ口調の六道によって影丸の胸が押されて、体を横たえられる。再び、額に冷えた掌の感触が乗る。

「師匠の手は冷たくて、気持ちがいいですね」

「こういう時に便利だろう」

 見上げた六道の口元が弧を描く。
 一年中冷たい、この手の感触が影丸は嫌いではない。

 こんな風に大切に触れてくる手は母を亡くしてしまった今、他には知らない。母とは違う、だが影丸を心から安心させるやさしい手。
 安心したためか、傷の回復のためか、あるいは両方か再び影丸は眠りに落ちた。
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