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駿河編

21.師匠と弟子

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 牢から出た駿河が、自らの手で捨てた六道の髪を拾い上げる。
 影丸に戻そうとして、そこで一旦手を止め、しげしげと眺めた。

「どうした?」

「いや…少し不思議な気配がしてな。澪に、見てもらおう。あいつはこういうことに強いんだ」

 何やら思うところのある駿河と共に、地下から抜け出した。

 澪は二人の姿を見て、兄が正気を取り戻したことを知ると涙を流した。

「兄上の、馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿!!!」

 容赦なく駿河の胸を叩き続ける。
 駿河は全面的に自分が悪いと思っているのだろう、黙ってされるがままになっていた。

「本当に馬鹿ですわ。とても恐かった。でも、良かった…良かった…」

 最後に弱々しく一つ叩くと、後は駿河の胸に顔を埋めた。
 駿河は澪の焦げて少し短くなってしまった前髪に触れる。後悔の色を浮かべながら。

「悪かった。もう二度とあんなことはしない」

 それは澪に対して振るった力でもあり、影丸にした無体のことでもあった。




 影丸の事情をざっと話した駿河は、六道りくどうの髪の毛を澪に渡した。
 白い髪の束を受け取った澪は、やはり駿河と同様に不思議そうな表情でそれを見つめた。

「どうにも不思議な気配を感じる。お前に分からないか?」

「そうですわね…」

 目を閉じた澪は髪の束を握り締め、集中する。 

「六道様とおっしゃるこの方は、少なくとも人ではありません。でも妖とも違う。もっと神聖な気配を感じます。神さま…その様な存在かもしれません」

 影丸は驚いていた。
 師が不思議な気配をまとっていたと常々思っていたが、人ではないとは、ましてや神だったとは思いも寄らなかったからだ。

「神…師匠がそうだったなんて。俺は少しも気が付かなかった」

 澪はゆっくりと目を開けて、手の中の髪の毛を見やった後、影丸に視線を移した。

「どうしてかしら。影丸様からもそれに近い気配を感じるのです。初めてお会いした時から不思議に思っていましたの。加護を受けていらっしゃるのかしら。でも、それにしては…」

 澪がぶつぶつと口の中でつぶやく。影丸の魂の色が見えるという澪。彼女によると影丸の魂は乳白色に近い色をしているのだという。そしてそれは真っ白な気高い神様の持つ魂の色に似ているのだとか。澪はそのような色を持つ人間に出会ったことがないと言い切った。
 しかしながら影丸と六道の持つ気配が似ている理由、それらについては分からないようだった。

「はっきりと分かることがあります。この方は、生きていらっしゃいます。影丸様の弟君がいくら強力な呪いの力を持っているとはいえ人の身で神を殺すことは容易ではないはず」

 師匠が生きている。
 きっぱりと言い切った澪に、影丸の力が抜けて床にへたり込む。

「生きて…師匠が…」
「そうか…良かったな、影丸」

 影丸の背をさする駿河の表情にはもう悋気の色は無く、穏やかで心からそう言っているのだと感じた。

 師が捕らわれているのは雪隠れの里の可能性が高いということで、明日以降に詳しい対策を練ろうということになった。




 牢にいる間、お互いほとんど眠ることのなかった二人の疲労は色濃く、早々に休むことになった。
 傷の手当をしたいと影丸の部屋に駿河が来た。
 散々噛まれた首筋は特に酷かった。乾いてこびりついた血の跡がまだ残っている。

「…すまなかった…本当に」

 改めて自分のしたことを目の当たりにして、駿河は辛そうに顔を歪め、震える手で影丸の手当をする。

「影丸はさ…全く嘘なんて付いていなかったじゃないか。忍びという素性を語らなかっただけで、俺の知る影丸は偽りの姿なんかじゃなかった。変わらず誠実でやさしい奴だった。俺の里の者達を傷つけたりもしなかった」

「嘘は苦手なんだ。それに人を傷つけるのも嫌いだ」

「それなのにどうして気付けなかったんだろうな。怒りに支配されて、俺は…。これじゃあお前を傷付けいたぶったお前の故郷の奴らと同じだ…」

「もうそんなに謝らないでくれ。お前はあいつらとは違う。里の者は面白半分に人を痛めつけているだけだ。でもお前は俺に対して怒っていた。そしてその怒りの責任は俺にもあるんだ。駿河だけが悪かったんじゃない」

 それでも項垂れたままの駿河の頭を引き寄せ、抱き締めるとその頭を撫でる。大人しくされるがままになっている。

「俺の方こそ、契りを交わす前にきちんと話さなければならなかったんだ。お前の傍にいることが心地良くて、本当のことを話して軽蔑されるのが恐くて…」
「ああ、影丸…すまない、本当にすまない……」

 再び駿河の声に後悔が滲み、影丸は慌てて首を振った。駿河に謝って欲しかったわけではないのだ。悪かったのは自分だと伝えたかっただけだ。
 しかし今日はもうこれ以上話し合っても互いに延々と謝り続けることになるのは容易に想像がついた。

「寝よう。今は疲れているから悪いことばかり考える。もう考えるのはよそう。限界だ…」

 駿河を引き寄せたまま、褥に横になる。互いに疲れていたようだ。横になると影丸も駿河も泥のように深い眠りに落ちてしまった。

 だからこそ夜半、しゅるしゅると傍に近づいてくる小さな気配に気付いていながら、目が開けられなかった。
 その気配は顔の近くまで寄ってくる。
 小さな舌で頬を舐められた時、ようやく重い瞼を開く。
 わずかに視線だけ動かしてみると、白い蛇が静かに影丸を見つめていた。がばりと身を起こす。

 影丸の動く気配に気付いた駿河もまた身を起こし、白い蛇に目を止めて「うおっ!?」と叫んだ。「離れろ影丸」と続けて言う。

「師匠…師匠なのですね」

「何だって!?」

 駿河が仰天する。
 姿はすっかり変わってしまったが、冷たく見えるようで実は温かみのある緋色の瞳には覚えがある。間違いなくこの白蛇は、六道だ。
 白蛇は満足そうに頷いた。

「ふん、気付いたか。息災だったか、影丸」

 相変わらずの尊大な物言いだ。今なら分かる。これは神であるが故の態度だったのだと。
 駿河の叫びを聞きつけてやってきた澪も加わる。

「今までどこにいたのですか。夜斗から、あなたが呪いを受けて死んだと聞かされました。だから俺は…俺は…」

 本当に死んでしまったのだと思った。もう二度と会えないのだと。

「焼け落ちた庵の前でずっと、ずっと待っていたんですよ…」

 小さくなってしまった師匠の体を掬い上げる。馴染みのあるひんやりとした感触が伝わってくる。

「でも良かった、師匠がご無事で。本当に…」

「もはや人の姿を保てずここまで来るのに時間がかかった。面倒をかけた」

 影丸の深い悲しみを見て、六道は素直に謝った。
 だが罰が悪いのか、影丸の手の平からしゅるしゅると降りるとそのまま膝の上でとぐろを巻く。
 駿河が頬を引きつらせる。

「少し近くないですか。影丸の師匠」

 影丸の膝の上から、そこで初めて駿河に気がついたとでも言うように目を細め、鼻を鳴らした。

「男の悋気はみっともないぞ」

「くそう。何て腹の立つ物言いだ」

 思いを改めて確かめ合った故か、姿が蛇になっているが故か、六道と対峙した駿河は不思議と落ち着いていた。
 だが、やたらと影丸にくっつく姿は見ていて楽しいものではない。少しの悋気は仕方が無いだろう。

「床は冷たいから好かない」

「座布団がこちらにございますよ!」

 すかさずバシバシと座布団を叩いたが、白蛇はちろちろと舌を出してから嫌だというように顔を背けた。

「聞いたのだろう。呪いの影響を受けている私はもう長く無い。弟子と触れ合える時もあとわずかだ」

 重い現実を聞かされ、影丸が顔を曇らせる。駿河もまた瞳を伏せた。

「どうにもならないのですか、呪いを解く方法は」

 影丸の問いに、六道は静かに首を振った。

「奴の呪いの力は強力だ」

「そんな…」

「影丸はこの部屋から下がれ。私はこの者らと話がしたい」

 有無を言わせぬ口調だった。
 影丸はわずかに逡巡したが、一つ頷き静かに部屋を下がった。




 改めて六道と対峙した駿河と澪は、弱っていても尚放たれる威圧感に気圧されそうになっていた。神の中でも位が高いということが分かる。髪のひと房だけでも力が宿っていたのだ。納得というものだ。
 影丸の膝を下り、今は座布団に乗る白蛇の神々しさたるや。
 澪の目には六道にまとわりつく黒い炎のような呪いの力と、真っ白で清らかな神力が絡みつき均衡している姿が見えている。

「そこの者。駿河と澪と言ったな。澪、お前には神通力が備わっていると見える。違うか?」

「おっしゃる通りですわ」

 澪には魂を見たり、この世ならざる力を感じたりする能力がある。六道はならば話が早いと満足そうに頷いた。

「影丸は幼少の折に反魂の力で蘇った者だ。もちろん奴はそのことを知らん。これからも言うつもりはない」

 駿河も澪もその言葉に息を呑んだ。

「影丸が…一度死んだって言うのか」

「そうだ。そして死の理由は言えない」

 固い表情の六道は、影丸の死、そのことについては一切触れられたくないと思っているようだった。正直気になって仕方がないが、神の怒りを受ける暴挙を犯すつもりは無かった。

「この里に伝わる反魂の術の中身は知っているな。人の生死を操る術は禁忌だ。代償を支払わなければならない。私はこの魂の半分で奴の魂をこの世へ戻した」

「もしや、あなた様が里に反魂の術を伝えた守り神さまだったのですか」

 六道は頷いた。
 影丸が以前蛙の妖に襲われた滝つぼには元々守り神が住んでいたのだ。ずいぶん昔に里を去ったと言われていたが、それが六道だったとは。

 澪は納得した。
 影丸の魂の色が少し不思議である理由が分かったのだ。影丸の気配が六道と似ていたのも、魂を分け合い混ざり合った故なのだ。

「そういう経緯もあり、私の力はいまや万全ではない。奴の弟の呪いに抗えないのもそれ故だ。良いか、このことを影丸に伝えることは許さん」

 影丸を外へ追い出したのは、これらのことを聞かれたくなかったからだろう。やさしすぎる影丸が自分のせいで師が呪いにかかったことを知ったら心を痛めるからだ。

 時折白蛇は苦しそうに座布団の中に頭を埋める。
 もはや呪いは六道の奥深くまで根付いているようだった。禍々しい呪いの気配は駿河ですら感じ取ることができる。

「反魂の術を手に入れた奴の弟が次に何をするかは分かっている。狙いは影丸だ。奴は影丸の中に『千影ちかげ』を取り戻したいのだ」

 六道はわずかに声を落とした。

 千影とは影丸が幼い頃に一度死に、蘇った時に忍びの力とともに失った名だという。
 黄泉から戻った幼い頃の影丸は以前の記憶をほとんど失っていて、夜斗のことも覚えていなかった。

 死ぬ前と性格が別人のように変容してしまった兄を受け入れられなかったのだろう。
 夜斗は本物の千影が黄泉の国にまだいると思い込んでいる。

 そしてそれを取り戻したいと切に願っている。
 夜斗からしてみれば影丸は千影の体に入り込んだ偽物。
 影丸を深く憎んでいるのも、影丸を使って反魂の術を鬼の里から持ち出したのも、そういう理由だったのだ。

「この後、私がかつて奪い取った影丸の呪いの力を戻す。奴に対抗できるのは同じ呪いの力だけだ。私はその時死ぬだろう。だから…後のことはお前に託す」

「あんたはそれでいいのか。己の魂を分け与えるほど…影丸を」

 愛おしく思っているのではないのか。
 そう言いかけた言葉は冷えた言葉により遮られる。

「それ以上言わぬが身のためだぞ。神の怒りに触れたくなければな」

 ちり、と大気が震える。 
 六道は何故影丸の呪いの力を奪ったのか語らなかった。当人が語らないのだから胸の内は図れない。

 だが駿河が六道と同じ立場だったとしても、きっとそうするだろうと思った。
 やさしい影丸に呪いの力は似合わない。忍びの里に生まれた影丸はその力でいずれ誰かを呪い殺す役目を負わされただろう。

 無垢で穏やかな瞳は、あのまま忍びの里にいたら曇っていた。だから、奪った。奪うことで守った。そんな気がするのだ。
 同じ者を愛する身として、痛いほど分かってしまった。

「分かった。後のことは任せてくれ。必ずあいつを守る」

 愛する者を他の者に託す無念さはいかばかりか。
 ましてや彼はこれからその者と離れて、逝ってしまうのだ。

 六道の気持ちを考えると心がしくしくと痛んだ。
 やり切れない。
 辛そうに顔を歪める駿河を見やった白蛇は、その胸の内を読んだようでふん、と鼻を鳴らした。

「あいつに劣らぬお人好しだな」

 今この場にいない影丸のことを考えたのだろうか。緋色の瞳がやわらかくなる。

「神が人を愛すはずもない。懐いてきた犬を死なすのが惜しかっただけのこと」

 ただそれだけだ、と六道はつぶやいた。




 最期の時は影丸と六道二人だけで迎えた。
 まるでそこにいるのが当然のように影丸の膝の上でとぐろを巻く。瞳を閉じ、静かに過ごしている。
 穏やかで静かな時が流れていた。

「駿河は…いい奴でしょう」

 駿河と澪との話がどのような内容か気になっていたが、あえて問わなかった。
 影丸を遠ざけたのは自分に聞かせたくない話なのだと思ったからだ。師匠がそう判断したのなら、それに従うだけだ。代わりに、聞いて欲しかったことを語りかける。

「ああ。短気なところはありそうだが、お前に劣らぬお人好しだ」

「はい。こんな俺を受け入れてくれました。とても大事な人です。駿河と共に生きていきたいと思っています」

「里を捨てる決心がついたか」

「はい。あの時師匠がおっしゃった意味が今ではわかる気がします。あのまま雪隠れの里にいたら気付けませんでした」

 周囲から閉ざされ、歪んだ世界。
 そこに在り続ける影丸では、今の幸せは決して得られぬものだっただろう。

「幸せか? 影丸」

「はい。とても」

 迷いなく答えた影丸に、白蛇が目を閉じたまま、満足げに微笑んだ気がした。

「影丸、手を。私の背に乗せよ」

 師の言葉に従い、小さなその背に触れる。
 ひんやりとした手触り。
 いつも頭を撫でてくれたあの手を思い出す。

「今から夜斗に対抗する力を授ける。奴から巻き物を取り戻すのだ。だが、その後はその力を己の身を守るとき以外使うことは許さん。良いな?」

 驚き、わずかに手を引いた。
 呪いに対抗する力はないとそう言っていたはずなのに何故、と考え込む。そのわずかな逡巡に気付いた六道はため息をつく。

「これを授けた後、私は死ぬ」

 影丸の顔から血の気が引く。

「師匠の命と引き換えにした力などいりません!」

「聞け、いずれ近いうちに死ぬ身だ。せめてお前の力となって逝きたい。私の最期の我がままだ」

 静かな声音に、師が全てを覚悟しているのだと知る。
 そんな風に言われたら、もう断ることなどできない。命をかけてまで師が望んだ願いを無下にすることなど、影丸にはできなかった。
 震える手で再び白い背中に触れる。

「俺はあなたに守られてばかりでした。何一つ恩返しもできなかった、この不肖の弟子をお許しください」

 六道は、わずかに顔を上げてゆっくりと緋色の瞳を開けると、まぶしそうに影丸を見つめた。

「泣くな、影丸。私はな、この生に満足しているよ。ようやくお前をあの地から解放してやれる…」

 最後の方は聞き取れないほどの微かな声だった。影丸の手を伝って力の奔流が押し寄せた。熱いものが影丸の中に流れ込んでくる。

 ふわっと最後に頭を撫でられた気配がした。

 小さな白い蛇の体は光の中に消え、その場には影丸だけが残される。
 どこか懐かしい力が己の中に宿るのを感じた。

「師匠…し…しょう…」

 六道の生きていた痕跡は全て消えてしまったかに思えたが、懐に仕舞った白い髪のひと房だけは残っていた。
 朝の光が差し込む室内で、消えてしまった師匠を思い、白い髪の毛を握りしめていつまでも頭を垂れ続けた。
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