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chapter.1
記憶喪失の少女と旅立ち
しおりを挟む私はいつも通り、畑仕事を手伝ってたの。そしたらね、村の見回りのおじさんが、真っ青な顔して走ってきたの。あの辺は結構魔物が多かったから、きっと援軍を呼びにきたのかなって、そう思ってた。
でも、違った。私を見つけておじさんは言ったわ。
「早く逃げろ。お前が狙われてる」って。
なんのことかわからなかった。でもね、すぐに思い知らされたわ。嫌ってくらいに。
魔物が、村を襲ってたの。それもすごい数。
もちろん若い衆が立ち向かっていったわ。でも全く歯が立たなかった。
それもそうよね。斬っても斬っても、またくっついちゃうんだもの。
「それって……!」
あのデカガエルの姿がヴィルの頭をよぎる。シェスカはそれに頷いてみせると、またとつとつと話し始める。そこに何の感情も込もっていない、淡々とした声だ。
村はあっという間に阿鼻叫喚の地獄絵図よ。家は燃やされ、子供の泣き叫ぶ声が響き渡る……。
そんな中に、あいつらはいたわ。
真っ赤に染まったでっかい武器持って。私を見つけて、あいつは言った。
「『器』を見つけた」って。
私は逃げたわ。あいつらを見た瞬間、体が勝手に動いたみたいに。ひたすら逃げた。逃げて逃げて、ひたすら逃げたら、いつの間にかまた村に戻ってきてた。
目を覆いたくなるような光景だったわ。誰も生き残ってなんかいなかった。
それから私は、あいつらから逃げる日々の始まりよ。あいつらは私を追いつめては、『器』だの『鍵』だのわけわかんないこと聞いてくる。
私なりに『器』や『鍵』のことも調べたけど、何の手掛かりもない。
「それで、遺跡に?」
「ええ。私が目が覚めたのは、村の近くの遺跡だった。じゃあ、私に関する何かはきっと、遺跡にあるんじゃないかって……それで」
「ちょっと待った!」
ヴィルはさらに続けようとするシェスカを制する。彼女が追われ始めた経緯はまぁわかった。この遺跡にやってきた理由もだ。だが、彼女の話には、決定的な何かが足りていない。
「シェスカ、ちょっと質問いいかな?」
「ええ、どうぞ」
「遺跡で目が覚めたってどういうこと? それにお世話になってた村って……?」
普通、その村で生まれ育っているなら、「お世話になった」など言わない。
シェスカは質問の意味を理解すると、忘れてた、と小さく呟いた。
「まだ言ってなかったわね」
「私、記憶喪失なの」
まるで何でもないように言うシェスカに、ヴィルは驚いて声も出せなかった。
******
「き、記憶喪失って……ここは誰? 私はどこ? っていうアレか!?」
「他に何があるのよ。ていうかそれ微妙に間違ってるし」
「でも、その割には妙に落ち着いてないか?」
「そりゃ一年もそのまま過ごしてりゃ慣れるわよ」
ようやく落ち着いたヴィルは、未だ混乱する頭をどうにか整理する。
先程は一見真剣に話を聞いていたように見えた彼だが、実はその脳みそは様々なことが続けざまに起こったせいか、処理能力の限界に近かった。
何度もシェスカに同じ話をしてもらい、ようやく処理が追いついたのだった。
「えーと、つまり、シェスカは記憶喪失で、一年前に何故か遺跡で目が覚めたと」
そうよ、とシェスカが頷く。
「それで、近くの村で世話になってたところ、あいつらと魔物に襲われた。で、シェスカはそれからずっとあいつらから逃げてきてて、今日この町に来たのは、その『器』とか、シェスカ自身のことの手掛かりを探すために、遺跡を目指してたってこと……であってる?」
ええ。とまた彼女は頷いた。
「じゃ、どうしてシェスカはその、自分の名前を知ってるんだ? 記憶喪失なんだろ?」
「この名前が、本当に私の名前かなんて知らないわ」
そう言って、シェスカは自らの襟の中へ手を突っ込んだ。するり、と出てきたのは、太めの黒いリボンのようなもの。
高い襟の服を着ていて気付かなかったが、チョーカーをしていたようだ。
「これ、もとはバンダナだったんだけど……」
差し出されたそれには、すこしほつれているが確かに「シェスカ・イーリアス」と刺繍されていた。
「目が覚めた時につけてたのよ。だから多分私の名前じゃないかって」
これでようやくシェスカを取り巻くものが繋がったが、やはりまだわからない部分はたくさんある。その一番大きなものはやはり、『器』のことだ。
「『器』って、一体なんだろうな」
「そんなの、私が一番知りたいわ」
シェスカはすっくと立ち上がると、服についた砂を払う。
「とにかく、ここでじっとしてても埒があかないわ。早く出ましょう」
「あ、ああ。そう、だな」
ちらりと後ろを振り返る。堅く閉ざされた扉の向こうからは、相変わらず何の音も聞こえない。
「心配……よね」
「うん。でも、大丈夫だよ。きっと。……それに、」
確信はないが、そう思えた。師匠が倒れるような、そんな姿はまったく思い浮かばない。扉が閉まった時はとても不安だったのに、不思議なものだ。
何も不安に思うことなどない。あのヘカテがいるのだから。ローランドだってもちろん無事だろう。
シェスカを見ると、揺れる瞳とかち合った。ヴィルよりも心配しているような顔だ。
彼はそんな彼女を励ますように、力強く笑ってみせた。
「師匠が負けるとこ、オレ見たことないしね」
「ほんと、不思議な人ね。あの人」
「だろ? オレもそう思ってる」
「あなたも変わってるわ」
そう言ってシェスカは苦笑を浮かべた。
「早くここを出て、パルウァエに戻りましょう。みんな無事か確かめたいし」
「うん、そうだな。……って違うだろ!」
「は?」
「そんなことしたら、あいつらと鉢合わせになるかもしれないじゃないか。そしたらみんなが逃がしてくれたのが無駄になるよ」
「でも心配じゃないの? それに、私あの人に聞きたいことがまだあるわ」
「えっと、アメリのルシフェルさんだっけ? その人に話聞いてからじゃないと、多分師匠口聞いてくれないと思うぞ?」
あの人は見かけによらずかなり頑固だからな。と付け加えると、シェスカは眉間に皺を寄せて低く唸った。何かはわからないが、相当聞きたいことらしい。
だが、またヘカテのところへ行っても彼女を相手にしないだろうことは、ヴィルにはわかっていた。…自分がこのままパルウァエに戻っても同じだ。どうせ追い返される。
師匠は「世界を見てこい」と言ったのだから。
何故彼女がそんなことを言ったのかはわからない。目の前の少女のことを含めて、もうわからないことだらけだ。
しかし、彼は見習いではあるが錬金術師なのだ。
わからない?なら調べるまでだ。色んなことがありすぎて、すっかり忘れていた。錬金術師の心得を。自分が何故、錬金術師を目指しているのかを。
「世界から目をそらさず、真理を見つけなさい!」
師匠の声が蘇る。彼女がそう言うのなら、きっと探している答えも全て世界にある。
ヴィルの中に燻っていた何かに、火がついたようだった。
「なぁ、シェスカ」
「何?」
「オレも一緒に行ってもいい? シェスカのその旅に」
「はぁ…………って、はぁぁあぁぁ!?」
シェスカはものすごい剣幕でヴィルに詰め寄った。そういえば、森へ入る前もこんなやりとりをしていた気がする。軽く感じたデジャヴに、ヴィルは苦笑するしかなかった。
「あなたわかってるの? あんなわけわかんない奴らに追われるのよ? 下手したら死ぬわよ!?」
「それはわかってるよ! でも、わかんないことをわかんないままにしておくほうが、もっと嫌だ!」
「剣の腕もへっぽこなくせに!」
「なっ……! それは関係ないだろ! っていうか人のこと言えるのかよ!」
「危険なのよ……! ホントに……!!」
シェスカは俯いて、肩をぶるぶると震わせていた。思えば彼女は出会ってから、こういう風に他人を突き放そうとする節があった。最初はそういう性格なのだと思っていたが、彼女の話を聞いてから、ヴィルはそうではないのだと思い直した。
彼女はきっと、とても優しいのだ。町でやたらと急いでいたのは、早く立ち去り、町の人をあいつらに襲われないようにするため。関係ないと繰り返していたのは、オレ達を巻き込まないようにするため。
「今までずっとひとりだったんだろ? シェスカ、たまに寂しそうな顔してた。そういうのほっとけないよ」
「嘘、私そんな顔してた?」
シェスカは驚いたように自分の顔をぺたぺたと触る。その仕草が少しかわいらしくて思わず笑ってしまう。
ぎろり、と思い切り睨まれた。
「……ついてきても、あなたが得するような事何もないわ」
「得するとかそんなんじゃなくて、オレはオレなりに知りたい事があるんだ。それを見つけるために、シェスカと一緒に行く。……それじゃダメかな?」
「ダメよ」
シェスカはそう言って通路の奥へこつこつと踵を鳴らして歩き始めた。靴の音が反響して、音のない通路に響く。
「でも、ここまであなたを巻き込んだのは、私の責任だわ」
彼女は振り返らずにそう言った。
「なら、あなたが無事にパルウァエに帰るまで、見届ける責任がある」
「それって……」
「どっちみち、ここを出るまでは一緒に行くしかないでしょ?」
そう言って、彼女は振り返った。森に入る前と同じ、眉間に皺を寄せた、怒っているような表情だ。しかし、どこかやわらかいその顔に、思わず笑みが零れる。
ヴィルは彼女の隣まで行くと、右手を差し出した。
「じゃあ、とりあえず、ここを出るまでよろしくな。改めて、オレはヴィル・シーナー。錬金術師」
「シェスカ・イーリアス。魔術師よ」
シェスカは左手を出そうとしたが、すぐに引っ込めて右手をヴィルのそれに重ねた。彼女は左利きのようだ。少し失敗したかな、と心の中で呟く。
「よろしくね」
不機嫌そうな彼女の手はあたたかい。
二度目の自己紹介を終えた彼らは、ゆっくりとその足を踏み出した。
──その一歩が、世界を巡る旅への一歩だと、彼らにはまったく知る由もないのだった。
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