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chapter.4
屈辱と。
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******
身体のあちこちがズキズキと痛む。アリスティド・モローは口の中に溜まった血をぺっと吐き出すと同時に、「クソッ」と吐き捨てた。
身体が痛むのも、こんなに惨めな気分なのも、それもこれも、『器』やらジブリールやら変なガキたちと、それからムカつくクソババアのせいだ。
「あいつら今に見てろよ……」
恨みの詰まった小さな独り言が反響し大きな音となって響く。それが不愉快だと言わんばかりに、甲高い声が上がる。
「ねェ、それ死ぬほどダッサいんだけど」
思い切り眉間に皺を寄せ、金髪の少女がアリスティドを蹴り飛ばした。それも先程たらふく蹴られた場所を。激痛に耐えながら、彼は少女を睨みつけた。
「さっさと歩いてくんなぁい?」
「うるせえ!!」
その反応に、少女──メルリルンは「誰にクチ利いてるわけぇ?」と、もう一度アリスティドを今度はその刺々しい杖で殴る。
立場上、メルリルンはアリスティドの上官にあたる。だがアリスティドは彼女を上官だなどと思ったことはない。彼女の力は大したものだが、所詮は家の血統でその地位を手にしたにすぎないからだ。故にメルリルンのさらに上官、代々王に仕える騎士の後継娘──ルインロス=モルニエもまた、彼は毛嫌いしている。そんな彼が、ルインロスの部下であるメルリルンと行動を共にしているのは、少し、いやかなり大きな理由があった。
******
時は遡り数日前。ジブリールから『器』を奪おうとして失敗し、無様にもルインロスによって回収された後のことだ。
アリスティドか気がつくと、いつの間にか見覚えのない場所にいた。見たところ、遺跡のような場所だった。流れるような曲線を描く柱と、それに絡みつく蔦、暗くて見にくいが、天井には木の幹が縦横無尽に張り巡らされており、ぼんやりと照らしてくる光源はポツポツとあるロウソクだけだった。
おかしい。彼は不思議に思い辺りを見渡す。ジブリールの連中に捕まったのなら、こんな場所に連れてくる筈がない。立ち上がろうと身体に力を込める。ジャラリ、という耳障りな金属音と、何かで引っ張られる感覚。
「っ……!」
──鎖だ。そう気付き、引きちぎろうと足掻くけれど、びくともしない。柱か何かに括り付けられているようだ。
「くそッ!」
「よー、やっと起きたか?」
柱の裏側から、そう言いながら一人の男がこちらを覗き込んできた。その顔には見覚えがある。アリスティドが世界で三番目に嫌いな顔だからだ。
「ヴァラキア!?」
「正~解~。寝ぼけ頭にしちゃ上出来だな」
ヴァラキアは小馬鹿にするようにアリスティドの頭をガシガシと撫で回す。こちらが動けないのをいいことに……と、アリスティドはグッと奥歯を噛み締めた。
「……リーナはどこにいる!?」
「さあ? ノロマがどっか連れてったぜ」
ノロマ──? アリスティドには思い当たる人物は浮かばないが、あまりいい報せとは思えない。思い切り舌打ちしながら鎖を引きちぎろうと足掻く。畜生、と言葉に出さず心の中で悪態を吐く。錆びているくせに頑丈だ。
落ち着け、冷静になれ。無理に足掻けば、目の前のムカつく野郎が面白がるだけだ。そう言い聞かせ、アリスティドは深呼吸をした。そして注意深く周りの様子を伺う。
先程は気づかなかったが、少し離れた場所で、青い髪をした少女が、真っ白な髪をした少女の介抱をしているようだった。以前、ルインロスといるところをちらりと見かけたことがある。確か、青い方がエラノールで、白い方がニフレディルだ。記憶によれば、彼女たちは三人姉妹で、常に共に行動していた。あともう一人がいない。さっきヴァラキアが言っていたノロマとは、そのもう一人のことかもしれない。
そんなことを考えていると、重々しい足音が聞こえてきた。鎧の立てる金属音と、甲高い地面を蹴る音。そしてそれに不釣り合いなほど、涼やかな声(むしろ冷ややかと言ったほうが正しいだろうか)があちらこちらの柱に当たり、反響していた。
「おはようございます。寝ぼすけさん」
柱の影から現れたその声の主を、アリスティドは知っている。世界で二番目に嫌いな奴だからだ。
長い、毛先だけピンクに染めたツインテールと、他の連中より大きな魔石が埋め込まれた黒い鎧。
その姿が視界に入るだけで不愉快だ。ギリ、と奥歯をぐっと噛み締めた。
「……ルインロス」
「お久しぶりですね、アリスティド。あのお方が嘆いてましたよ?」
ルインロスは涼しげな笑顔でにっこりと微笑む。ああ、気持ち悪い。彼女の薄っぺらな笑みは反吐が出るほど嫌いだった。
黙っているとルインロスはコツコツと踵を鳴らしてこちらのほうへ歩み寄り、アリスティドを見下すように目の前で立ち止まった。
「『アリスちゃんは能力はすごいのに、どうしてだめなのかしらぁ?』って」
ぐいっ、と。ルインロスに頭を掴まれて無理やり上を向かされた。わざと指を立てて掴んでいるのか、刺々しい鎧が食い込んで、鈍い痛みが襲う。
「──まあ、自らの役目を忘れて、余計な真似をする脳みその足りない、いえ、脳みそ空っぽの無能で無脳ですもんね、貴方は。くすくす!」
「ッ……人のこと言えねェクセに……っのクソババア……!」
アリスティドがそう吐き捨てると、ルインロスは関心をなくしたように彼の頭から手を離した。
「今まで何人の同胞をダメにしてきた? 何十年……いや、何百年『アレ』を追ってる? そのクセ一回も手に入れられてねェじゃんよ?」
彼の中の何かが、堰を切ったかのように口からどんどん溢れ出してくる。
そうだ。アリスティドの父親も、友達も、エヴェリーナの両親も、皆ルインロスの下に就き、そして身も心もボロボロになった状態で帰ってきた。喋れない、何も感じない、ただそこにあるだけのモノに成り果てて。それなのに、ルインロスはそうなっていない。今もこうして傲慢で五体満足でアリスティドの目の前に立っている。
「親父たちみたくなりたくねェから手ぇ抜いてんだろ? それとも何か? アルダの心地よさにうつつを抜かして、役目を忘れてんのそっちじゃねェのか」
よ、と。続けようとしたが、それはガシャン! という音に遮られた。ルインロスがアリスティドの顔面横ギリギリのところに蹴りを入れた音だ。鋭い鎧が当たって頬にいくつか筋を作るように切り傷が出来ている。じわりと熱が篭り、生温かい血が流れていく感覚が気持ち悪い。
「口の利き方には気をつけなさい」
ルインロスは何の感情もこもっていないような瞳でアリスティドを見下ろしている。その瞳と視線がかち合った、瞬間。腹に鈍い衝撃が走る。
「私が剣を振るうは、我がサン=ドゥアがためです。私欲を持ち込んで無暗に掻き回して無様に失敗して無能を晒してるのは貴方でしょう?」
ドスッ、ドスッ。ルインロスが何度も彼の顔を、腹部を、肩を、脚を蹴り上げる。鎧の硬いブーツが内臓を抉っているような錯覚に陥りそうだった。彼女が蹴り上げる度に、自分の口から何度もカエルが潰されるような呻き声が漏れる。
(……くそくそくそくそッ!!)
身動きが取れないアリスティドは、それを耐えるしかない。ぐっと奥歯を噛み締め、声を殺してただただ耐えた。すると、ルインロスは声を上げなくなったアリスティドに興味が失せたのか、それともいたぶるのが飽きたのか、ぱたりと蹴り上げるのを止めた。
そして、いいことを思い出したとでも言わんばかりにまた笑顔を浮かべる。バカにするようにわざわざ目線を合わせるようにしゃがみ込み、
「アリス、ひとつよいことを教えましょう。貴方が聞きたくて聞きたくて仕方ないであろうエヴェリーナの話です」
と囁いた。
「彼女はあの方の元へ連れて行かれました。──この意味がわからないほど、貴方はバカではないでしょう?」
アリスティドは思わず言葉を失った。ルインロスの言うあの方は、アリスティドにとって世界で一番大嫌いな存在だからだ。
絶大な力を持つ、サン=ドゥアに君臨する女王──モルベレス=ウンゴリアント。彼女こそルインロスの主であり、また、アリスティドの主でもある。
彼女は誰かの失敗が好きだ。それを理由に虐め抜くのが好きだからだ。故に彼女は些細な失敗も許さない。
モルベレスの元へ連れて行かれる。それはアリスティドにとって、もちろんエヴェリーナにとっても最悪なことを意味するのだ。
「ああ、でも、あの方はもう一度チャンスをくださるようですよ? よかったですね、アリス」
「……次はないってか…………」
「さあ? それはあの方の気分次第ですから。まあ、頑張って下さいね」
ルインロスは一方的にそう言うと、怜悧な笑みを浮かべたまま、くるりとアリスティドに背を向けた。彼女が顎でヴァラキアやエラノールに合図を送ると彼らは立ち上がり、ぞろぞろとこの場を去ろうと支度を始める。
「私たちはジブリールが混乱しているうちにやっておくことがありますので。もうしばらくそこで這いつくばって無様に醜態を晒しておいて下さい」
「待て!」
そう叫ぶと、ぴくり、と一瞬だけルインロスが立ち止まったが、無視を決め込んでいるらしい彼女は振り返りすらしない。
「待て、待てよ! ジブリールの動きをしばらく緩められるモノを見つけたんだ!」
そこまで言うと、ルインロスは不快感を隠さず思い切り苛ついてそうな顔で振り返った。
「『大魔石』を見つけた。ジブリールの施設はだいたいコイツで動いてる。これを奪えばジブリールの動きはしばらくノロくなるはずだ」
そもそも、アリスティドが上から言われた任務はこの『大魔石』の捜索と奪取だ。目先の手柄に目が眩んだだけで、彼はきちんと彼なりに仕事をしていたのである。
「それに、上手くいけば手駒を増やせる。協力してくれ」
そうアリスティドは軽く頭を下げた。それを見たルインロスははっ、と鼻で笑う。
「『協力してくれ』? なってませんねアリスティド。頼み方、もうちょっと憐れみを誘う感じでお願いできます?」
チッと小さく舌打ちする。やはりコイツは嫌いだ。とアリスティドは再確認しながら、頭に昇ってきそうな血を収めるべく数回ゆっくりと深く呼吸をした。
「お願い……します。ルインロス……様、協力してく……ださい……!」
「言葉がたどたどしいですねぇ。何に協力しろと言うんです? 子供じゃあるまいし、しっかり喋ることも出来ないんですかァ? あぁ、子供以下のゴミクズでしたね貴方は! あっはははは!」
「……ッ、お願いしますッ! ジブリールの大魔石を奪うのを、協力して下さいッ!!」
そう半ば叫ぶようにアリスティドはできる限り頭を下へ下へと下げた。その下げた頭を、ルインロスが踏み付ける。縛られているせいで頭は床には着かない。しかし彼女は無理矢理床に擦らせようとぐいぐいと力を入れてくる。無理に腰が曲げられ、身体の筋がビキビキと嫌な音を立てていた。それから踵の刺が浅く刺さっているようで、つう、と首筋に生暖かい液体が伝う。
屈辱だ。この女に頼み事をするのも、形式だけとはいえ、様をつけるのも頭を下げるのも、理不尽にこうして痛みを与えられるのも、アリスティドにとっては今すぐにルインロスを殺したいほどの屈辱だ。
しかし耐えなけれならない。本当にモルベレスがあと一回と言ったのなら、チャンスは本当にあと一回だ。これ以上の失敗は出来ない。失敗することは自らの死と、そして、エヴェリーナの死を意味するのだと、アリスティドは理解していた。
「はい、よく出来ました。助けてあげますよ、今回は」
頭上から満足げなルインロスの声が聞こえる。くすくす、という小さな笑い声がガンガンと頭に大きく響いていた。
******
思い出しムカムカしてきた。アリスティドは舌打ちと共に足元に転がっていた鉱石を蹴り飛ばした。見た目に反して軽い音を立ててそれは転がっていき、大きな物にぶつかったようにぴたりと止まる。
「ホントにここを取引場所にして大丈夫なのよね?」
メルリルンがその大きな物を指差しながらそう尋ねた。
元は透き通った水晶のような色だったそれは、今はどす黒いものがぐるぐると渦巻いている。アリスティドの身長よりもさらに一回りほど大きな魔石だ。滅多にこんな大きさのものは発掘されないだろう。故にこれを欲しがる奴はごまんといる。
──ジブリールから奪った大魔石。
「……ああ。近いうちにシーアの奴が取りに来る」
シーアというのは、アルダの西大陸にある国だ。ニンゲンのくせにニンゲンの国を侵略したがっている馬鹿な連中。
「シーアの連中がこれを使えば使うほど、悪魔どもがニンゲンを蝕む。
そうなりゃシーアは堕ちたも同然。余所に戦争仕掛けて派手に暴れまわってくれる。そんで、オレたちはその隙にシーアを掌握、晴れてアルダでの拠点を手に入れる。あの方のご指示通りだ。文句ないだろ」
メルリルンはアリスティドの説明に満足したように頷く。
「ええ。ムダなことせずに最初からこうしてればよかったのよ。ふふふ、かわいそうなエヴェリーナ。きっと今頃──」
「黙れよ」
ぎろり、と思い切りメルリルンを睨みつけても、彼女は顔色ひとつ変えなかった。それどころか楽しそうに口角を上げ、
「あはっ、黙らなァい!」
と、くるくる踊るように回る。
「あーかわいそかわいそ! アリスティドのせいで今頃、潰れたイモムシの刑かしらね? うふふふ……っあはははははは!!」
そんなメルリルンの耳障りな笑い声を聞きながら、アリスティドはぐっとその拳を握り締めるしかできなかったのだった。
身体のあちこちがズキズキと痛む。アリスティド・モローは口の中に溜まった血をぺっと吐き出すと同時に、「クソッ」と吐き捨てた。
身体が痛むのも、こんなに惨めな気分なのも、それもこれも、『器』やらジブリールやら変なガキたちと、それからムカつくクソババアのせいだ。
「あいつら今に見てろよ……」
恨みの詰まった小さな独り言が反響し大きな音となって響く。それが不愉快だと言わんばかりに、甲高い声が上がる。
「ねェ、それ死ぬほどダッサいんだけど」
思い切り眉間に皺を寄せ、金髪の少女がアリスティドを蹴り飛ばした。それも先程たらふく蹴られた場所を。激痛に耐えながら、彼は少女を睨みつけた。
「さっさと歩いてくんなぁい?」
「うるせえ!!」
その反応に、少女──メルリルンは「誰にクチ利いてるわけぇ?」と、もう一度アリスティドを今度はその刺々しい杖で殴る。
立場上、メルリルンはアリスティドの上官にあたる。だがアリスティドは彼女を上官だなどと思ったことはない。彼女の力は大したものだが、所詮は家の血統でその地位を手にしたにすぎないからだ。故にメルリルンのさらに上官、代々王に仕える騎士の後継娘──ルインロス=モルニエもまた、彼は毛嫌いしている。そんな彼が、ルインロスの部下であるメルリルンと行動を共にしているのは、少し、いやかなり大きな理由があった。
******
時は遡り数日前。ジブリールから『器』を奪おうとして失敗し、無様にもルインロスによって回収された後のことだ。
アリスティドか気がつくと、いつの間にか見覚えのない場所にいた。見たところ、遺跡のような場所だった。流れるような曲線を描く柱と、それに絡みつく蔦、暗くて見にくいが、天井には木の幹が縦横無尽に張り巡らされており、ぼんやりと照らしてくる光源はポツポツとあるロウソクだけだった。
おかしい。彼は不思議に思い辺りを見渡す。ジブリールの連中に捕まったのなら、こんな場所に連れてくる筈がない。立ち上がろうと身体に力を込める。ジャラリ、という耳障りな金属音と、何かで引っ張られる感覚。
「っ……!」
──鎖だ。そう気付き、引きちぎろうと足掻くけれど、びくともしない。柱か何かに括り付けられているようだ。
「くそッ!」
「よー、やっと起きたか?」
柱の裏側から、そう言いながら一人の男がこちらを覗き込んできた。その顔には見覚えがある。アリスティドが世界で三番目に嫌いな顔だからだ。
「ヴァラキア!?」
「正~解~。寝ぼけ頭にしちゃ上出来だな」
ヴァラキアは小馬鹿にするようにアリスティドの頭をガシガシと撫で回す。こちらが動けないのをいいことに……と、アリスティドはグッと奥歯を噛み締めた。
「……リーナはどこにいる!?」
「さあ? ノロマがどっか連れてったぜ」
ノロマ──? アリスティドには思い当たる人物は浮かばないが、あまりいい報せとは思えない。思い切り舌打ちしながら鎖を引きちぎろうと足掻く。畜生、と言葉に出さず心の中で悪態を吐く。錆びているくせに頑丈だ。
落ち着け、冷静になれ。無理に足掻けば、目の前のムカつく野郎が面白がるだけだ。そう言い聞かせ、アリスティドは深呼吸をした。そして注意深く周りの様子を伺う。
先程は気づかなかったが、少し離れた場所で、青い髪をした少女が、真っ白な髪をした少女の介抱をしているようだった。以前、ルインロスといるところをちらりと見かけたことがある。確か、青い方がエラノールで、白い方がニフレディルだ。記憶によれば、彼女たちは三人姉妹で、常に共に行動していた。あともう一人がいない。さっきヴァラキアが言っていたノロマとは、そのもう一人のことかもしれない。
そんなことを考えていると、重々しい足音が聞こえてきた。鎧の立てる金属音と、甲高い地面を蹴る音。そしてそれに不釣り合いなほど、涼やかな声(むしろ冷ややかと言ったほうが正しいだろうか)があちらこちらの柱に当たり、反響していた。
「おはようございます。寝ぼすけさん」
柱の影から現れたその声の主を、アリスティドは知っている。世界で二番目に嫌いな奴だからだ。
長い、毛先だけピンクに染めたツインテールと、他の連中より大きな魔石が埋め込まれた黒い鎧。
その姿が視界に入るだけで不愉快だ。ギリ、と奥歯をぐっと噛み締めた。
「……ルインロス」
「お久しぶりですね、アリスティド。あのお方が嘆いてましたよ?」
ルインロスは涼しげな笑顔でにっこりと微笑む。ああ、気持ち悪い。彼女の薄っぺらな笑みは反吐が出るほど嫌いだった。
黙っているとルインロスはコツコツと踵を鳴らしてこちらのほうへ歩み寄り、アリスティドを見下すように目の前で立ち止まった。
「『アリスちゃんは能力はすごいのに、どうしてだめなのかしらぁ?』って」
ぐいっ、と。ルインロスに頭を掴まれて無理やり上を向かされた。わざと指を立てて掴んでいるのか、刺々しい鎧が食い込んで、鈍い痛みが襲う。
「──まあ、自らの役目を忘れて、余計な真似をする脳みその足りない、いえ、脳みそ空っぽの無能で無脳ですもんね、貴方は。くすくす!」
「ッ……人のこと言えねェクセに……っのクソババア……!」
アリスティドがそう吐き捨てると、ルインロスは関心をなくしたように彼の頭から手を離した。
「今まで何人の同胞をダメにしてきた? 何十年……いや、何百年『アレ』を追ってる? そのクセ一回も手に入れられてねェじゃんよ?」
彼の中の何かが、堰を切ったかのように口からどんどん溢れ出してくる。
そうだ。アリスティドの父親も、友達も、エヴェリーナの両親も、皆ルインロスの下に就き、そして身も心もボロボロになった状態で帰ってきた。喋れない、何も感じない、ただそこにあるだけのモノに成り果てて。それなのに、ルインロスはそうなっていない。今もこうして傲慢で五体満足でアリスティドの目の前に立っている。
「親父たちみたくなりたくねェから手ぇ抜いてんだろ? それとも何か? アルダの心地よさにうつつを抜かして、役目を忘れてんのそっちじゃねェのか」
よ、と。続けようとしたが、それはガシャン! という音に遮られた。ルインロスがアリスティドの顔面横ギリギリのところに蹴りを入れた音だ。鋭い鎧が当たって頬にいくつか筋を作るように切り傷が出来ている。じわりと熱が篭り、生温かい血が流れていく感覚が気持ち悪い。
「口の利き方には気をつけなさい」
ルインロスは何の感情もこもっていないような瞳でアリスティドを見下ろしている。その瞳と視線がかち合った、瞬間。腹に鈍い衝撃が走る。
「私が剣を振るうは、我がサン=ドゥアがためです。私欲を持ち込んで無暗に掻き回して無様に失敗して無能を晒してるのは貴方でしょう?」
ドスッ、ドスッ。ルインロスが何度も彼の顔を、腹部を、肩を、脚を蹴り上げる。鎧の硬いブーツが内臓を抉っているような錯覚に陥りそうだった。彼女が蹴り上げる度に、自分の口から何度もカエルが潰されるような呻き声が漏れる。
(……くそくそくそくそッ!!)
身動きが取れないアリスティドは、それを耐えるしかない。ぐっと奥歯を噛み締め、声を殺してただただ耐えた。すると、ルインロスは声を上げなくなったアリスティドに興味が失せたのか、それともいたぶるのが飽きたのか、ぱたりと蹴り上げるのを止めた。
そして、いいことを思い出したとでも言わんばかりにまた笑顔を浮かべる。バカにするようにわざわざ目線を合わせるようにしゃがみ込み、
「アリス、ひとつよいことを教えましょう。貴方が聞きたくて聞きたくて仕方ないであろうエヴェリーナの話です」
と囁いた。
「彼女はあの方の元へ連れて行かれました。──この意味がわからないほど、貴方はバカではないでしょう?」
アリスティドは思わず言葉を失った。ルインロスの言うあの方は、アリスティドにとって世界で一番大嫌いな存在だからだ。
絶大な力を持つ、サン=ドゥアに君臨する女王──モルベレス=ウンゴリアント。彼女こそルインロスの主であり、また、アリスティドの主でもある。
彼女は誰かの失敗が好きだ。それを理由に虐め抜くのが好きだからだ。故に彼女は些細な失敗も許さない。
モルベレスの元へ連れて行かれる。それはアリスティドにとって、もちろんエヴェリーナにとっても最悪なことを意味するのだ。
「ああ、でも、あの方はもう一度チャンスをくださるようですよ? よかったですね、アリス」
「……次はないってか…………」
「さあ? それはあの方の気分次第ですから。まあ、頑張って下さいね」
ルインロスは一方的にそう言うと、怜悧な笑みを浮かべたまま、くるりとアリスティドに背を向けた。彼女が顎でヴァラキアやエラノールに合図を送ると彼らは立ち上がり、ぞろぞろとこの場を去ろうと支度を始める。
「私たちはジブリールが混乱しているうちにやっておくことがありますので。もうしばらくそこで這いつくばって無様に醜態を晒しておいて下さい」
「待て!」
そう叫ぶと、ぴくり、と一瞬だけルインロスが立ち止まったが、無視を決め込んでいるらしい彼女は振り返りすらしない。
「待て、待てよ! ジブリールの動きをしばらく緩められるモノを見つけたんだ!」
そこまで言うと、ルインロスは不快感を隠さず思い切り苛ついてそうな顔で振り返った。
「『大魔石』を見つけた。ジブリールの施設はだいたいコイツで動いてる。これを奪えばジブリールの動きはしばらくノロくなるはずだ」
そもそも、アリスティドが上から言われた任務はこの『大魔石』の捜索と奪取だ。目先の手柄に目が眩んだだけで、彼はきちんと彼なりに仕事をしていたのである。
「それに、上手くいけば手駒を増やせる。協力してくれ」
そうアリスティドは軽く頭を下げた。それを見たルインロスははっ、と鼻で笑う。
「『協力してくれ』? なってませんねアリスティド。頼み方、もうちょっと憐れみを誘う感じでお願いできます?」
チッと小さく舌打ちする。やはりコイツは嫌いだ。とアリスティドは再確認しながら、頭に昇ってきそうな血を収めるべく数回ゆっくりと深く呼吸をした。
「お願い……します。ルインロス……様、協力してく……ださい……!」
「言葉がたどたどしいですねぇ。何に協力しろと言うんです? 子供じゃあるまいし、しっかり喋ることも出来ないんですかァ? あぁ、子供以下のゴミクズでしたね貴方は! あっはははは!」
「……ッ、お願いしますッ! ジブリールの大魔石を奪うのを、協力して下さいッ!!」
そう半ば叫ぶようにアリスティドはできる限り頭を下へ下へと下げた。その下げた頭を、ルインロスが踏み付ける。縛られているせいで頭は床には着かない。しかし彼女は無理矢理床に擦らせようとぐいぐいと力を入れてくる。無理に腰が曲げられ、身体の筋がビキビキと嫌な音を立てていた。それから踵の刺が浅く刺さっているようで、つう、と首筋に生暖かい液体が伝う。
屈辱だ。この女に頼み事をするのも、形式だけとはいえ、様をつけるのも頭を下げるのも、理不尽にこうして痛みを与えられるのも、アリスティドにとっては今すぐにルインロスを殺したいほどの屈辱だ。
しかし耐えなけれならない。本当にモルベレスがあと一回と言ったのなら、チャンスは本当にあと一回だ。これ以上の失敗は出来ない。失敗することは自らの死と、そして、エヴェリーナの死を意味するのだと、アリスティドは理解していた。
「はい、よく出来ました。助けてあげますよ、今回は」
頭上から満足げなルインロスの声が聞こえる。くすくす、という小さな笑い声がガンガンと頭に大きく響いていた。
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思い出しムカムカしてきた。アリスティドは舌打ちと共に足元に転がっていた鉱石を蹴り飛ばした。見た目に反して軽い音を立ててそれは転がっていき、大きな物にぶつかったようにぴたりと止まる。
「ホントにここを取引場所にして大丈夫なのよね?」
メルリルンがその大きな物を指差しながらそう尋ねた。
元は透き通った水晶のような色だったそれは、今はどす黒いものがぐるぐると渦巻いている。アリスティドの身長よりもさらに一回りほど大きな魔石だ。滅多にこんな大きさのものは発掘されないだろう。故にこれを欲しがる奴はごまんといる。
──ジブリールから奪った大魔石。
「……ああ。近いうちにシーアの奴が取りに来る」
シーアというのは、アルダの西大陸にある国だ。ニンゲンのくせにニンゲンの国を侵略したがっている馬鹿な連中。
「シーアの連中がこれを使えば使うほど、悪魔どもがニンゲンを蝕む。
そうなりゃシーアは堕ちたも同然。余所に戦争仕掛けて派手に暴れまわってくれる。そんで、オレたちはその隙にシーアを掌握、晴れてアルダでの拠点を手に入れる。あの方のご指示通りだ。文句ないだろ」
メルリルンはアリスティドの説明に満足したように頷く。
「ええ。ムダなことせずに最初からこうしてればよかったのよ。ふふふ、かわいそうなエヴェリーナ。きっと今頃──」
「黙れよ」
ぎろり、と思い切りメルリルンを睨みつけても、彼女は顔色ひとつ変えなかった。それどころか楽しそうに口角を上げ、
「あはっ、黙らなァい!」
と、くるくる踊るように回る。
「あーかわいそかわいそ! アリスティドのせいで今頃、潰れたイモムシの刑かしらね? うふふふ……っあはははははは!!」
そんなメルリルンの耳障りな笑い声を聞きながら、アリスティドはぐっとその拳を握り締めるしかできなかったのだった。
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侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
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