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chapter.4
出立の朝
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******
「んーっ! ええ朝っ!」
少女──イリス・ロアは、何故だか身体の軽さを感じて、鼻歌交じりにスキップしながら甲板を歩き回っていた。
(船が出る前ってなんかめっちゃわくわくするっ!)
ジブリールでのドラゴン騒ぎのせいで思わぬ足止めを食らい、このアメリから離れられずにいたが、ようやく今日、出発することができるのだ。もちろんアメリだって嫌いではないが、自分はひとところに留まらず、あちこち旅をするのが向いている。それは彼女がこの一年、ギルド「ソルス・マノ」で過ごし、自覚したことのひとつである。
ソルス・マノは、西大陸南部のミナという国を中心に活動している旅芸人ギルドだ。平たく言えばサーカス団である。イリスはそこで道化師の真似事をしながら生活している。ここにいる人たちは、家出同然に飛び出したイリスを迎え入れてくれた、大事な仲間たちだった。
「お~い、イリス! こっちのん運ぶの手伝うてくれ~!」
若い男女──ロルダンとパウラが船室からこちらへ手を振っている。ロルダンは曲芸師で、パウラは衣装係。この二人はソルス・マノで出会い、ついこの間結婚したカップルだ。おーおー、朝から仲良しですな、とイリスはニヤける頬をそのままに二人に駆け寄る。
「ほいほーい! なに運んだらええん?」
「これを下の階に置いといてくれへん? うちらはまだまだ運び込まなあかんから……」
そう言って指されたのはいくつかの木箱だ。詰め込みすぎて蓋が締まりきらずに、中身の布が尻尾のように飛び出ている。カラフルな中身からしておそらくテントの周りに立てる旗たちだろう。
「なんやちょろいなぁ! まかしときー!」
イリスが元気よく答えると、ロルダンはやれやれと苦笑し、パウラはくすくすと笑う。なんだか馬鹿にされた気がして、イリスはムッと顔を顰めた。
「そんなおもろい顔すんなや。昨日それ言うて転んだばっかやろ?」
「気ィつけて運びぃよ」
「わかっとる! わかっとるよもうっ! こー見えて昨日からめっちゃ調子ええんやから!」
嘘は言っていない。実際昨日(正確には昨日の夕方だ)、三人組の女の人にぶつかってから、妙に身体が軽くなっていた。それまでも別段重いと感じていなかったのだが、この感覚は「身体が軽い」と言う以外になんと言っていいのかわからない。
「ほんまかぁ? おこちゃまイリスにできるんかなぁ?」
「できるったらできるったらできるんっ!! ロルダンのアホっ!! 将来後頭部からハゲろ!!」
ソルス・マノでの生活に不満はない。しかし強いて挙げるとすれば、一番年下のせいで、こうしてみんなから子供扱いされることだ。もう十三歳になるのだから、そこまで小さい子扱いしなくてもいいと思う。自分のことはだいたいきちんとしているつもりだし、まだまだとはいえ公演にも出演してもいる。イリスとしては、もうすこし対等でいたいと思っているのだ。(もっとも、彼女が子供扱いされているのは、そのそそっかしさから来ている部分もあるわけだが)
なんてことを頬を膨らませて考えながら、イリスは積まれた木箱の一つを抱えこもうと手を伸ばした。
「よいせっ……とっ!?」
ばちん。手のひらに電流が走った気がした。反射的に手が引っ込んだのか、ガタンッ! と床に木箱が落ちる。
「なに、いまの……」
冬に金属を触ってバチッとするアレ。なんて言うのだろうか。あの現象によく似ていた。けれど今はそんな時期でもなければ、あの箱は金属でできてもいない。
「あーもー、何してるんよ~。今度は落としたらあかんで?」
パウラがしゃあないなぁと言いたげに、落ちた木箱を元に戻し、しっかりとイリスへと手渡した。今度は先程のようなことは起きなかった。
「う、うん。わかった。気ぃ付ける」
「素直でよろしい。任せたで」
ロルダンはにっこりと笑みを浮かべ、ぐしゃぐしゃとイリスの頭を撫で、パウラを連れて残りの荷物を取りに向かった。
残されたイリスはなんとなく腑に落ちないものを感じながら、頼まれた物を運ぶのだった。
******
ルシフェルに会った翌日から、旅の準備やらで慌ただしく過ぎていき、気づけば二日ほど経っていた。
そして今日、ヴィルとシェスカ、それからサキとジェイクィズ、何故かついてきたベルシエルことセレーネは、アメリの第七区、ジブリールの使用している港へと来ていた。
「うわ────────!! 海だ────────!!」
「……何コーフンしてんの?」
まだ碇すら上げていない船縁から身を乗り出しながら、興奮気味に奇声を上げるヴィルを、シェスカはやや冷ややかな瞳で見つめていた。しかしそんな冷ややかな瞳など気にならないほど、ヴィルの目は輝いている。
ジブリールの用意した船は、港に停まっている他の船に比べるとやや小ぶりではあるが、それでも川を渡る小舟ぐらいしか乗ったことがないヴィルにとってはかなり大きなものに見えた。乗組員の人曰く、もともとは旅船として作られたもので、そこにジブリールが独自に手を加えたものだそうだ。
「いやだって船だぜ!? 浮いてる!!」
「そ、そうね」
「オレこんなでっかい船初めてなんだよなぁ!!」
「やーい、田舎者~」
ジェイクィズが野次を飛ばしてくる。それに「うっせー!」と返して、ヴィルは再び海の方へと目を向けた。
空の青と海の青。それから、白い雲と白い大きな帆のコントラストが眩しい。水面は陽の光を反射してきらきらと輝き、吹いてくる潮風はとても心地よい。絶好の旅立ち日和とは、こういうもののことを言うのだろう。
ふとシェスカのほうを見ると、少し気まずそうにベルシエルへ話しかけていた。
「えっと、名前、ベルシエルっていうのよね? まだ、ちゃんと自己紹介してなかったわよね。私はシェスカ」
「ベルシエル・セレーネ。呼ぶ時はセレーネ。よろしくね……シェスカ」
「なんでセレーネ?」
不思議そうにシェスカが尋ねると、ベルシエルはそっけなく、
「大切なの。名前。だから、勝手に呼んでほしくない」
と返した。名前を呼ばれるのが嫌な理由はそれらしい。理屈はよくわからないが本人がそれを望むならそうしたほうがよさそうだ。
(あれっ? なんかオレの時と態度が違う……?)
先日ヴィルがベルシエルと口を滑らせた時は物凄い形相で睨んできたのに、シェスカには特に何もなく、いつも通りの淡々とした表情のままだ。……こういう態度の格差はちょっとショックだったりする。ジェイクィズに肩をぽん、と手を置かれたのも含めて。
「わかったわ。よろしく、セレーネ」
「うん」
「それで、セレーネ。この間のことだけど……」
「全員揃ってるな」
シェスカが何かを尋ねようとした時、手続きやら何やらで遅れていたサキ・スタイナーが乗り込んできた。それを見たベルシエルは無表情から一転、笑顔で彼を出迎える。タイミングが悪い、とシェスカが小さく舌打ち。どうもシェスカはサキがあまり好きではないらしい。
「そろそろ出航だ。準備はいいか?」
「おうよ、両手に花でいい感じだぜ! ねー! ベルちゃんにシェスカちゃんっ!」
ジェイクィズはその両手で、シェスカとベルシエルの肩をぐいっと引き寄せて抱き着く。一方、呆れを通り越してもはや無の境地のシェスカと、露骨に嫌な顔をするベルシエル。
「さー! はやくレッツゴー出発! オレ達の愛の巣へ……ぅわッ!?」
「触るなって言った」
いつの間にかナイフを構えたベルシエルは、明確な殺意をもってジェイクィズに向かって狙いを定めている。彼女の表情は完全に冷えきっており、まさに絶対零度。元が可愛らしいぶん、迫力は欠けるが恐ろしさは全く損なっていない。
「え~、それは聞いてない……なッ!?」
悠長にしているジェイクィズにナイフを投げるベルシエル。それは見事に肉体スレスレを掠め、服へと刺さり、そのまま壁へと彼を叩きつけた。見事に的の状態になっている。
それを見ているヴィルはというと、あー、こんな光景前に本で読んだなぁなんてことを脳の片隅で思い出しつつ、果たしてベルシエルを止めるべきか否かを考えていた。
「ちょっ!! コレちょっと刺さってるベルちゃん!! 刺さってるから!! 隊長助けて!!」
「出航してもよさそうだな。船長に言ってくる」
「スルーッ!! いいのかオレ様死んじゃったら悲しいデショ!?」
「微塵も」
「ンだとコラァ!! 世界の重要文化財がなくなっちゃうのヨ!? 心配しろやァ!!」
「お前はどこの世界の話をしているんだ」
……放っておいても大丈夫なやつだな。そう結論つけて巻き込まれないように少し下がっておく。
「アイツほんと学習しないわね……」
やれやれ、といった風に避難してきたシェスカが話しかけてきた。ジェイクィズたちのこのやり取りにすっかり慣れたようだ。聞くところによると、ヴィルが眠っている間にジェイクィズは、シェスカとベルシエルのセクハラの制裁で何回か死にかけては、シェスカが治療魔術をかけていたらしい。その光景が目に浮かぶようだ。それはもうはっきりと。
「あれがジェイクなりのコミュニケーションってやつだろ、多分」
「巻き込まれるほうは迷惑なことこの上ないわ」
そう深くため息を吐く彼女は、どこか疲れているように見える。一応ロゼやレタに無理矢理休息を取らされていたので、寝ていないということはないだろうが、この数日はなんやかんやで忙しかったし、まだ疲れが抜けていないのかもしれない。
そういえばさっき、ベルシエルに何かを言おうとしていたっけ。それも何か関係してるのかも。なんとなくそう思い、尋ねてみた。
「シェスカ、さっきベル……じゃないセレーネに何か言おうとしてなかったか?」
「……別に、大したことじゃないのよ。ちょっと話がしたかっただけ」
微妙な間があった。あんまり聞いてほしくない話みたいだ。シェスカの顔も少し暗い。少し居心地の悪さを感じたのか、彼女はぱっと声色を明るくして、
「それより、これから行くルドニークってどういうとこか知ってる?」
「そうだなぁ、鉄鉱石がよく出るトコってイメージかな。あそこの鉱石は質がいいんだ。手触りに密度が特に。一度だけ師匠が持ってきたヤツ触らせてもらったんだけど、ホントにすげーの! なんて言ったらいいんだろうなぁ……アレと比べたらその辺で採れる鉱石なんて石ころ同然っていうか……! あれでいろいろ作ってみたいよなぁ……!」
そこまで言って急にしゃべりすぎたことに気付く。これはちょっとやってしまったかな。そう思い、まぁ、高くて手が出せないんだけどねあはは、と苦笑してみる。
シェスカの様子を見ると、さっきよりか表情が柔らかくなっていた。とりあえずの大丈夫だったようだ。
「そういえば錬金術師だったわね」
「そういえばってひどいなぁ」
確かに錬金術師らしいところなんて、彼女の前で見せたことなんてない気がする。バタバタしてて研究どころじゃなかったし。……今頃、へカテやローランドはどうしているだろうか。パルウァエへ、アルキュミアへ帰りたいとは思う。あそこは自分にとっての帰るべき場所だ。けれど今は、シェスカたちに付いていく。そう決めたのだ。
「ちゃんとパルウァエまで連れていくわ。安心して」
そんなヴィルの心情を知ってか知らずか、シェスカは彼の背中をとん、と叩いた。
「言っとくけど、狙われてんのはそっちなんだからな! オレがついてればもう安心! なんて言えないけどさ……」
そう言って少し俯く。もう少し……いやもっとヴィルの腕っぷしが強かったらそう言えたのだろうが。少しトレーニングでもしてみようかな、なんてことを思いながら、お世辞にも筋肉のついているとは言い難い二の腕をつまんでみる。服の上からでもわかる、ぷにっとした肉と皮の感触だ。とりあえず、しばらく素振りか腕立て伏せあたりを実践することが確定した。
「……とにかく! 楽しい船旅になるといいよなっ!」
「もう、何しに行くかわかってるの?」
くすくすと笑うシェスカに、ヴィルがもちろん! と返したと同時に汽笛が鳴り響く。どうやらやっと出発らしい。
船はぐらりと一度大きく揺れると、ゆっくりと港から離れていく。
「おおおお!!」
ヴィルは再び船縁から大きく身を乗り出した。
「あんまり乗り出すと落ちるわよ」
「平気平気!」
肺いっぱいに潮の香りを吸い込んで、ヴィルはシェスカとどんどん離れていくアメリを、見えなくなるまでずっと眺め続けていた。
「シェスカちゃん……治療……お願い……うっ死ぬ」
「お前は殺しても死なんだろうが。片付けの邪魔だ寝てろ」
その後ろで、ジェイクィズを引きずって船室に投げ込もうとしているサキと、そのサキにぴったりくっついて、ジェイクィズを威嚇してるベルシエルがいたのだった。
「んーっ! ええ朝っ!」
少女──イリス・ロアは、何故だか身体の軽さを感じて、鼻歌交じりにスキップしながら甲板を歩き回っていた。
(船が出る前ってなんかめっちゃわくわくするっ!)
ジブリールでのドラゴン騒ぎのせいで思わぬ足止めを食らい、このアメリから離れられずにいたが、ようやく今日、出発することができるのだ。もちろんアメリだって嫌いではないが、自分はひとところに留まらず、あちこち旅をするのが向いている。それは彼女がこの一年、ギルド「ソルス・マノ」で過ごし、自覚したことのひとつである。
ソルス・マノは、西大陸南部のミナという国を中心に活動している旅芸人ギルドだ。平たく言えばサーカス団である。イリスはそこで道化師の真似事をしながら生活している。ここにいる人たちは、家出同然に飛び出したイリスを迎え入れてくれた、大事な仲間たちだった。
「お~い、イリス! こっちのん運ぶの手伝うてくれ~!」
若い男女──ロルダンとパウラが船室からこちらへ手を振っている。ロルダンは曲芸師で、パウラは衣装係。この二人はソルス・マノで出会い、ついこの間結婚したカップルだ。おーおー、朝から仲良しですな、とイリスはニヤける頬をそのままに二人に駆け寄る。
「ほいほーい! なに運んだらええん?」
「これを下の階に置いといてくれへん? うちらはまだまだ運び込まなあかんから……」
そう言って指されたのはいくつかの木箱だ。詰め込みすぎて蓋が締まりきらずに、中身の布が尻尾のように飛び出ている。カラフルな中身からしておそらくテントの周りに立てる旗たちだろう。
「なんやちょろいなぁ! まかしときー!」
イリスが元気よく答えると、ロルダンはやれやれと苦笑し、パウラはくすくすと笑う。なんだか馬鹿にされた気がして、イリスはムッと顔を顰めた。
「そんなおもろい顔すんなや。昨日それ言うて転んだばっかやろ?」
「気ィつけて運びぃよ」
「わかっとる! わかっとるよもうっ! こー見えて昨日からめっちゃ調子ええんやから!」
嘘は言っていない。実際昨日(正確には昨日の夕方だ)、三人組の女の人にぶつかってから、妙に身体が軽くなっていた。それまでも別段重いと感じていなかったのだが、この感覚は「身体が軽い」と言う以外になんと言っていいのかわからない。
「ほんまかぁ? おこちゃまイリスにできるんかなぁ?」
「できるったらできるったらできるんっ!! ロルダンのアホっ!! 将来後頭部からハゲろ!!」
ソルス・マノでの生活に不満はない。しかし強いて挙げるとすれば、一番年下のせいで、こうしてみんなから子供扱いされることだ。もう十三歳になるのだから、そこまで小さい子扱いしなくてもいいと思う。自分のことはだいたいきちんとしているつもりだし、まだまだとはいえ公演にも出演してもいる。イリスとしては、もうすこし対等でいたいと思っているのだ。(もっとも、彼女が子供扱いされているのは、そのそそっかしさから来ている部分もあるわけだが)
なんてことを頬を膨らませて考えながら、イリスは積まれた木箱の一つを抱えこもうと手を伸ばした。
「よいせっ……とっ!?」
ばちん。手のひらに電流が走った気がした。反射的に手が引っ込んだのか、ガタンッ! と床に木箱が落ちる。
「なに、いまの……」
冬に金属を触ってバチッとするアレ。なんて言うのだろうか。あの現象によく似ていた。けれど今はそんな時期でもなければ、あの箱は金属でできてもいない。
「あーもー、何してるんよ~。今度は落としたらあかんで?」
パウラがしゃあないなぁと言いたげに、落ちた木箱を元に戻し、しっかりとイリスへと手渡した。今度は先程のようなことは起きなかった。
「う、うん。わかった。気ぃ付ける」
「素直でよろしい。任せたで」
ロルダンはにっこりと笑みを浮かべ、ぐしゃぐしゃとイリスの頭を撫で、パウラを連れて残りの荷物を取りに向かった。
残されたイリスはなんとなく腑に落ちないものを感じながら、頼まれた物を運ぶのだった。
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ルシフェルに会った翌日から、旅の準備やらで慌ただしく過ぎていき、気づけば二日ほど経っていた。
そして今日、ヴィルとシェスカ、それからサキとジェイクィズ、何故かついてきたベルシエルことセレーネは、アメリの第七区、ジブリールの使用している港へと来ていた。
「うわ────────!! 海だ────────!!」
「……何コーフンしてんの?」
まだ碇すら上げていない船縁から身を乗り出しながら、興奮気味に奇声を上げるヴィルを、シェスカはやや冷ややかな瞳で見つめていた。しかしそんな冷ややかな瞳など気にならないほど、ヴィルの目は輝いている。
ジブリールの用意した船は、港に停まっている他の船に比べるとやや小ぶりではあるが、それでも川を渡る小舟ぐらいしか乗ったことがないヴィルにとってはかなり大きなものに見えた。乗組員の人曰く、もともとは旅船として作られたもので、そこにジブリールが独自に手を加えたものだそうだ。
「いやだって船だぜ!? 浮いてる!!」
「そ、そうね」
「オレこんなでっかい船初めてなんだよなぁ!!」
「やーい、田舎者~」
ジェイクィズが野次を飛ばしてくる。それに「うっせー!」と返して、ヴィルは再び海の方へと目を向けた。
空の青と海の青。それから、白い雲と白い大きな帆のコントラストが眩しい。水面は陽の光を反射してきらきらと輝き、吹いてくる潮風はとても心地よい。絶好の旅立ち日和とは、こういうもののことを言うのだろう。
ふとシェスカのほうを見ると、少し気まずそうにベルシエルへ話しかけていた。
「えっと、名前、ベルシエルっていうのよね? まだ、ちゃんと自己紹介してなかったわよね。私はシェスカ」
「ベルシエル・セレーネ。呼ぶ時はセレーネ。よろしくね……シェスカ」
「なんでセレーネ?」
不思議そうにシェスカが尋ねると、ベルシエルはそっけなく、
「大切なの。名前。だから、勝手に呼んでほしくない」
と返した。名前を呼ばれるのが嫌な理由はそれらしい。理屈はよくわからないが本人がそれを望むならそうしたほうがよさそうだ。
(あれっ? なんかオレの時と態度が違う……?)
先日ヴィルがベルシエルと口を滑らせた時は物凄い形相で睨んできたのに、シェスカには特に何もなく、いつも通りの淡々とした表情のままだ。……こういう態度の格差はちょっとショックだったりする。ジェイクィズに肩をぽん、と手を置かれたのも含めて。
「わかったわ。よろしく、セレーネ」
「うん」
「それで、セレーネ。この間のことだけど……」
「全員揃ってるな」
シェスカが何かを尋ねようとした時、手続きやら何やらで遅れていたサキ・スタイナーが乗り込んできた。それを見たベルシエルは無表情から一転、笑顔で彼を出迎える。タイミングが悪い、とシェスカが小さく舌打ち。どうもシェスカはサキがあまり好きではないらしい。
「そろそろ出航だ。準備はいいか?」
「おうよ、両手に花でいい感じだぜ! ねー! ベルちゃんにシェスカちゃんっ!」
ジェイクィズはその両手で、シェスカとベルシエルの肩をぐいっと引き寄せて抱き着く。一方、呆れを通り越してもはや無の境地のシェスカと、露骨に嫌な顔をするベルシエル。
「さー! はやくレッツゴー出発! オレ達の愛の巣へ……ぅわッ!?」
「触るなって言った」
いつの間にかナイフを構えたベルシエルは、明確な殺意をもってジェイクィズに向かって狙いを定めている。彼女の表情は完全に冷えきっており、まさに絶対零度。元が可愛らしいぶん、迫力は欠けるが恐ろしさは全く損なっていない。
「え~、それは聞いてない……なッ!?」
悠長にしているジェイクィズにナイフを投げるベルシエル。それは見事に肉体スレスレを掠め、服へと刺さり、そのまま壁へと彼を叩きつけた。見事に的の状態になっている。
それを見ているヴィルはというと、あー、こんな光景前に本で読んだなぁなんてことを脳の片隅で思い出しつつ、果たしてベルシエルを止めるべきか否かを考えていた。
「ちょっ!! コレちょっと刺さってるベルちゃん!! 刺さってるから!! 隊長助けて!!」
「出航してもよさそうだな。船長に言ってくる」
「スルーッ!! いいのかオレ様死んじゃったら悲しいデショ!?」
「微塵も」
「ンだとコラァ!! 世界の重要文化財がなくなっちゃうのヨ!? 心配しろやァ!!」
「お前はどこの世界の話をしているんだ」
……放っておいても大丈夫なやつだな。そう結論つけて巻き込まれないように少し下がっておく。
「アイツほんと学習しないわね……」
やれやれ、といった風に避難してきたシェスカが話しかけてきた。ジェイクィズたちのこのやり取りにすっかり慣れたようだ。聞くところによると、ヴィルが眠っている間にジェイクィズは、シェスカとベルシエルのセクハラの制裁で何回か死にかけては、シェスカが治療魔術をかけていたらしい。その光景が目に浮かぶようだ。それはもうはっきりと。
「あれがジェイクなりのコミュニケーションってやつだろ、多分」
「巻き込まれるほうは迷惑なことこの上ないわ」
そう深くため息を吐く彼女は、どこか疲れているように見える。一応ロゼやレタに無理矢理休息を取らされていたので、寝ていないということはないだろうが、この数日はなんやかんやで忙しかったし、まだ疲れが抜けていないのかもしれない。
そういえばさっき、ベルシエルに何かを言おうとしていたっけ。それも何か関係してるのかも。なんとなくそう思い、尋ねてみた。
「シェスカ、さっきベル……じゃないセレーネに何か言おうとしてなかったか?」
「……別に、大したことじゃないのよ。ちょっと話がしたかっただけ」
微妙な間があった。あんまり聞いてほしくない話みたいだ。シェスカの顔も少し暗い。少し居心地の悪さを感じたのか、彼女はぱっと声色を明るくして、
「それより、これから行くルドニークってどういうとこか知ってる?」
「そうだなぁ、鉄鉱石がよく出るトコってイメージかな。あそこの鉱石は質がいいんだ。手触りに密度が特に。一度だけ師匠が持ってきたヤツ触らせてもらったんだけど、ホントにすげーの! なんて言ったらいいんだろうなぁ……アレと比べたらその辺で採れる鉱石なんて石ころ同然っていうか……! あれでいろいろ作ってみたいよなぁ……!」
そこまで言って急にしゃべりすぎたことに気付く。これはちょっとやってしまったかな。そう思い、まぁ、高くて手が出せないんだけどねあはは、と苦笑してみる。
シェスカの様子を見ると、さっきよりか表情が柔らかくなっていた。とりあえずの大丈夫だったようだ。
「そういえば錬金術師だったわね」
「そういえばってひどいなぁ」
確かに錬金術師らしいところなんて、彼女の前で見せたことなんてない気がする。バタバタしてて研究どころじゃなかったし。……今頃、へカテやローランドはどうしているだろうか。パルウァエへ、アルキュミアへ帰りたいとは思う。あそこは自分にとっての帰るべき場所だ。けれど今は、シェスカたちに付いていく。そう決めたのだ。
「ちゃんとパルウァエまで連れていくわ。安心して」
そんなヴィルの心情を知ってか知らずか、シェスカは彼の背中をとん、と叩いた。
「言っとくけど、狙われてんのはそっちなんだからな! オレがついてればもう安心! なんて言えないけどさ……」
そう言って少し俯く。もう少し……いやもっとヴィルの腕っぷしが強かったらそう言えたのだろうが。少しトレーニングでもしてみようかな、なんてことを思いながら、お世辞にも筋肉のついているとは言い難い二の腕をつまんでみる。服の上からでもわかる、ぷにっとした肉と皮の感触だ。とりあえず、しばらく素振りか腕立て伏せあたりを実践することが確定した。
「……とにかく! 楽しい船旅になるといいよなっ!」
「もう、何しに行くかわかってるの?」
くすくすと笑うシェスカに、ヴィルがもちろん! と返したと同時に汽笛が鳴り響く。どうやらやっと出発らしい。
船はぐらりと一度大きく揺れると、ゆっくりと港から離れていく。
「おおおお!!」
ヴィルは再び船縁から大きく身を乗り出した。
「あんまり乗り出すと落ちるわよ」
「平気平気!」
肺いっぱいに潮の香りを吸い込んで、ヴィルはシェスカとどんどん離れていくアメリを、見えなくなるまでずっと眺め続けていた。
「シェスカちゃん……治療……お願い……うっ死ぬ」
「お前は殺しても死なんだろうが。片付けの邪魔だ寝てろ」
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グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。
72話で完結です。
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