Piece of arcadia

上原久介

文字の大きさ
34 / 36
chapter.5

『核』を壊せ

しおりを挟む

 一方その頃。これまでの気味の悪い道が終わり、ヴィルたちは広い場所に出て来ていた。これまで進んでいたのが気管ならば、さしずめ器官、といったところだろうか。太い血管のようなものが壁面に走り、高い天井までびっちりと網を巡らせていた。どくん、どくん、と脈打つ網は、この空間そのものを揺らし、粘度のある水音を立てて、よりこの場所の気持ちの悪さを強調している。
「これが​──核か……!?」
「ああ。間違いない」
 サキの手のひらに浮かぶ球が、目の前に立ち塞がる「それ」に向かって、眩い光を放っていた。
 広場の中央に鎮座する巨大な「それ」は、一言で言うならば異質だった。
「なんやこれ……?」
「繭……かしら……?」
 黄ばんだ、粘度のある糸が幾重にも重なった楕円状のものが、その糸を床に壁にと伸ばし、宙に浮いている。その様子はシェスカの言う通り、繭にも近い。壁の赤黒い内臓のような色と、糸の黄ばんだ白とのコントラストは実に気味が悪い。
「でも、なんか不自然だよな? さっきまでオレたちがいた森なら自然だったけど……」
「確かにそうね。違和感……っていうか」
「核や、言うから心臓みたいなの想像してたわぁ」
 つんつん、とイリスは壁面の糸をつつく。古いものなのか、少し水分が抜けて乾燥している。が、粘ついているのは変わらないのか、グローブに付着した糸は劣化したゴムのようにこびり付いた。
「キモッ」と言いながらイリスはそれを壁で拭う。
 ……その壁もなかなかに気持ち悪いものであるのは、黙っておいた方がいいのだろうか。
「あれを壊したら、ここから出られるんだよな?」
「恐らくは。気を抜くなよ」
 サキは「持っておけ」と、ヴィルに自身の銃を投げて寄越した。危うく落としそうになるのをなんとか受け止める。
「危なくなったら敵に向かって引鉄ひきがねを引け。弾は六発。実弾じゃないから死ぬことはないが、味方には向けるな」
「ちょっ、いきなり投げるなよ! 危ないなぁ!」
 うっかり指が当たって引鉄が動いたらどうする気だ。などという抗議をしてやろうかと思ったが、サキはそういったものは無視するだろう。ヴィルはそこはかとなく自分の師を思い浮かべながら、仕方なくグリップを握った。サキが持つとかなり小型のものに見えたが、それなりに重さがある。
「なんでオレに渡すんだよ?」
「丸腰だと心許ないだろう」
「それだとあんたが丸腰じゃない?」
 と、シェスカが指摘する。見れば、サキもヴィル同様に自分の剣を置いてきたようで、彼が持っていた武器は先程の銃だけだ。
「問題ない」
「あ、そ」
 至極どうでもよさそうである。相変わらずこのふたりは相性がよくないらしい。というか、シェスカが一方的に意識しているように見える。顔すら見ようとしないあたり、さっきまで二人で行動していたときに何かあったのだろうか。
 いや、シェスカがサキの顔を見ようとしないのは今に始まったことではない。船に乗る前から、シェスカはサキのほうをちゃんと見ていない。顔を合わせようとしないのだ。
​──どうしてなんだろう。ヴィルはそんな彼女の様子に首を傾げていた。
 いくら出会い頭がよくなかったとはいえ、今のサキは味方で、ジェイクィズのようにベタベタするわけでも、そもそも会話が少ないから、なにか余計なことを言ってもいないだろうに。
「あのさ、シェスカ……」
「なによ」
 話し掛ければ、やっぱりちゃんとこちらを向いてくれる。特別機嫌が悪いというわけでもないらしい。状況が状況だけに、少しだけ殺気立ってはいるが。
「あ、いや、なんでもないよ」
「そう? それじゃ、さっそくアレ壊してとっとと出ましょ」
 もううんざりだと言わんばかりに、彼女は腰から剣を引き抜いた。じゃらりと鎖と魔石が音を立てる。そして魔術を詠唱しようと目蓋を下ろし、息を吸った時だった。
「なあなあ。あたしの気のせいやったらええねんけどな?」
 ちょいちょい。イリスがシェスカの肩を軽くつついた。その視線はしっかりと繭の方へと注がれている。なにごとか、とシェスカがイリスに向き合うと、彼女はシェスカをつついていた指先を繭へと向けた。
「なんか出てきそうな感じやで?」
 その言葉と同時だった。

 みし。

 黄ばんだ繭に亀裂が走った。
「嘘っ!? あれ動くの!?」
 めり……めり……。嫌な音を立てて、繭はゆっくりとその亀裂を大きくしていく。ある程度隙間ができると、黒い塊が蠢いているのが視認できた。
風塵収束フウジンシュウソク
 サキが小さく呟いた。微かな風が、彼の元へと集まっていく。視覚できるほどに細く圧縮され、繊維のように編み込まれた空気の束は、やがて剣の形にその空間を歪ませていた。
​──先程問題ないと断言したのはそういうことか。シェスカは彼の魔術の組み上げていく様を眺め、ひとり納得していた。武器がなくとも、創り出す手段があるならば、確かに何も気にすることはない。
「剣出せるなら、そっちをオレにくれよ!」
「無理を言うな」
 銃なんて初めて触ったんだから! とささやかな抗議をあえなく却下され、ヴィルは仕方なしに格好のつかない構えで銃口を繭へ向けた。
 シェスカが見たところ、サキのコアが生み出す元々の魔力量はそれほど多くはない。それでも短時間で、さらにはあの短すぎる詠唱で、あそこまでの魔術を使うとなると、かなりの鍛練を積んでいるのは間違いない。
 足りない魔力を補うのはイメージを確固たるものにする想像力と、それを崩さず維持する集中力が必要になる。サキの場合、詠唱がかなり短いことから、瞬間的な集中力が飛び抜けて優れていると予測される。そして速すぎる故に、完全には魔力は練りきれていない。あの空気の圧縮された剣は、サキの手にあるから辛うじてその形を保っているにすぎない。他人に渡すことは不可能なのだ。
 それでも、今なお形を保つことが難しいというのには変わらない。相当に精神力を消耗する行為を、普段と変わらない涼しい顔でやってのけているが、あまり時間は掛けていられないだろう。
「いいから構えて、ヴィル! 何が出るのかわからない!」
「わかってるってば!」
「先行する。気を抜くなよ」
「ちょっ、サキ!?」
 言うや否や、サキはシェスカの静止の声を無視して繭に蠢く黒い塊へと斬りかかった。深々と剣を突き立て、すぐに手を離す。すると、繊維が解け剣の形が崩れていきながら、繭をさらに切り刻んでいった。
「やったか!?」
 ぼとぼとっ。不快な水気を含んだ音を立てて、繭の残骸が落ちていく。繭を吊っていた糸は、重りを失いだらりと力なく垂れ下がった。
「手応えがないな」
「嘘やん!? 粉々やで!?」
 驚くイリスを横目にサキは、再び短い詠唱を始め、新しく剣を形作っている。それに倣い、シェスカも改めて剣を構えた。ヴィルは未だ、手の中の金属の塊をどう扱うべきかわからず、とりあえず銃口を繭があった場所に向けるしかなかった。
「黒いのが見当たらないわ」
「なんでなんよ~! 普通あんなん食らったらぐっちゃぐちゃやろ!? ……って、見て上や!!」
 イリスが指したのは、繭のちょうど真上。そこには、
「またあの蟲か!?」
 ナメクジとムカデとロブスターを混ぜてできたようなあの蟲が、天を這うようにへばりついている。シェスカが短く悲鳴を上げた。ぎょろりとした、それでいてどこを見ているかわからない濁った目玉が、彼女の方を向いたからだ。その瞬間、シェスカは息をすることを忘れたように体を強張こわばらせる。大きく見開かれた瞳に映っているのは、恐怖だった。
「​──​──ぁ……!」
 一瞬。蟲は天井から脚を離し、空中で半回転身を捩り、崩れた繭の上へ着地する。そのまま一気にシェスカへと距離を詰め、鋭い鋏が、彼女めがけて広げられた。
​──このままじゃまずい! ヴィルの思考はそう結論を出すのに、身体が追いつかない。
「撃て!」
 サキの怒号が飛ぶ。反射的に引鉄に力を込めた。透明な弾が銃口から飛び出した、とわかったのは、反動で地面に背中をぶつけてからだった。
「当たったか!?」
「上出来」
 弾は鋏の横を掠め、腕を落としていたようだ。気持ち悪い体液を撒き散らしながら、蟲は少しだけ後ずさる。追い打ちをかけるように、姿勢を低くしたサキが懐に入り込み、もう一方の鋏を落とすと、彼の剣はまたも解けて消えていった。
 やっとそこで我に返ったシェスカは、蟲から距離をとってイリスの近くまで後退する。顔は真っ青ではあるが、無傷のようだ。それには少し安心したが、
「……当たっても死なないって言わなかったかコレ!?」
 間違いなく当たったら死ぬレベルの銃撃じゃねえか! 手に収まる小さな銃とサキ、交互に抗議の視線を送ると、彼は目を瞬かせて首を傾げた。
「おかしいな。出力を間違えたか」
「ちょっとズレたらシェスカまで吹っ飛ばすところだったじゃねーかコラァ!!」
「ふたりとも悠長にしゃべっとる場合か!!」
 イリスが焦りを隠さずに叫ぶ。見ると、蟲の鋏が落とされた腕の断面から、透明などろりとした粘液が吐き出され、ずるずると鋏と腕とを繋げていく。そしてあっという間に、元通りにくっついてしまった。
「この魔物​──​──!」
「な、なんなんよこれぇ……!! くっつくとかナシやろ!?」
 ぐるり。またあの濁った目玉がこちらを捉える。
「どうなってるんだよッ!!」
 再び銃を構えて一発。今度は反動で少し後ずさるだけだった。真っ直ぐに蟲へ向かった弾は、どちゅっと不愉快な音を立てて、胴体の端のほうへ当たった。それとほぼ同時に、
「っ​──​──がッ!?」
 思い切り振り切られた尾が、ヴィルへと直撃する。びちゃっと音を立てて叩き込まれたのは、さっきまで繭があった場所だった。ねっとりとした繭の残骸が、顔にへばりついて気持ちが悪い。
「ヴィル!?」
 シェスカの戸惑った声が響く。そんな中、
「​──『こんがり丸焼き! 赤く赤く燃え上がれッ』!!」
 いち早く動いたのはイリスだった。素早く展開された魔方陣と赤い花のピアスが、イリスの紡ぐ詠唱に呼応するように、強く光を放っていく。
「《オルノジャーマ》!!」
 彼女が両の拳を打ち合わせると、それを合図にドーム状の炎が、蟲の体躯をすっぽりと包み込んだ。蟲はすぐさまに身を捩り、そこから抜け出そうと動き始める。それに気付いたシェスカは、イリスに続けと言わんばかりに剣を蟲へと突き出して、叫んだ。
「『汝は猛きほのお! 何者をも逃さぬくれないの番人!』」
 小さな魔方陣が蟲を逃がさないように、点々と囲み始める。
「『この牢獄へ繋ぎ止めよ!』​──《カルケルフラム》!!」
 ぼっ、と魔方陣から炎が巻き起こった。どこか獣のようなシルエットをしたそれは、イリスの炎に噛み付くように混ざり合い、より大きく、凶悪なまでの熱で蟲を焦がしていく。離れた場所にいるヴィルでさえ感じる、圧倒的な熱量。しかし、蟲は炎の中で躍るように身をくねらせ、火勢の弱い方へと逃げていく。
「サキ!」
 シェスカの声を合図に、サキはまた魔術で剣を創り出すと、蟲へ向かって高く飛び上がった。蟲の頭上を覆っていた炎が晴れ、そこから逃げ出すように頭をもたげて​──​──

 その頭を、サキ・スタイナーが一気に叩き割った。

 まさしく、両断。
 斬られた断面を、追い討ちをかけるように解けた剣の糸が抉るように削っていく。さらにそのカケラは、イリスとシェスカの炎で残らず消し炭になっていった。
 残ったのは、未だに残るわずかな炎と、その中に立つサキのみ。
「今度こそやったのか!?」
 尻餅をついたままの状態で少し前のめりになりながら、ヴィルは歓声を上げた。それにピースサインで応えるイリス。彼女は額に浮かんだ汗を軽く拭って、隣で剣を収めているシェスカの方を覗き込むように見上げた。
「にしても、姉ちゃんえっげつないなぁ……! 今のんあたしの術に合わせて補強までしとったやろ?」
「ま、まあ? 魔術師だもの。これくらいはね?」
 シェスカは少しだけ不機嫌そうに眉間に皺を寄せてそっぽを向いてしまう。どうやら褒められて照れているらしい。耳が少し赤くなっていた。
「兄ちゃんとも息ぴったしやったしなぁ!」
 ぴくり。その言葉に固まるシェスカ。さっきよりも眉間の皺が深くなる。不本意なのだろう。けれど言い返す言葉が浮かばない、という様子である。
「​──ごほん。とにかく、これで核は壊れたわけよね。これからどうなるの?」
「この空間が崩れる……はずだが​──」
 サキは注意深く周囲を見渡した。彼の表情は変わらず読めないものの、ぴんと張り詰めた険しさを滲ませている。
 少し待っても、何も起こらない。どういうことだろうか、とシェスカとイリスが顔を見合わせた。ヴィルもまた、注意深く自分の周囲を確認する。
 ばらばらに散った繭の残骸。​──これを斬ったサキによると「手応えがなかった」らしい。
 蠢いていた黒い塊は、本当にあの蟲だったのだろうか。
 地面に手のひらをつけたままだった腕を持ち上げると、にちゃ、と粘度のある水音を立てて、地面と手のひらに糸を作り出す『透明な液体、、、、、』。

 ぞわ、と。肌が粟立った。

 なら、さっきの蟲は​──​──?
 あの蟲の中に詰まっていたのは、『透明などろりとした粘液』だった。そう思い返した時、頭の中の欠けていたパズルのピースがぱち。と音を立てて嵌る。
 もしそうであったなら、この中で今、誰よりも危険な場所にいるのは​──​──オレだ。
 ヴィルは千切れた繭の残骸へ、手のひらよりも少し大きいほどの、一番大きく残るそのひとつへ、おそるおそる銃口を向けた。
「ヴィル? どうしたの?」
 心配を滲ませた表情でシェスカが尋ねてくる。心臓がうるさいほどにどくどく跳ねていた。目の前のものに目が離せない。銃を握る手と反対の手を向けて、
「来ちゃダメだ」
 と、自分でも驚くほどに掠れた声で制するのが精一杯だった。
 全員が息を飲んでヴィルを見つめる。その気配を感じて、ヴィルは自分の脳に浮かんだ考えを打ち消したくて、けれどそれは当たっているという確信を持ちながら、銃を握る手に力を込めた。
 核は確かに、サキの手で粉々にされた繭にあった。けれど、それは巨大な繭に対してあまりにも小さかった、、、、、、、、、、のだ。

 だから、すり抜けた。

 巨大と呼べるその大きさに似つかわしくないほど、それは小さかった。
 繭の残骸を、銃口で捲りあげる。
 黒々とした拳大のそれは、魚の卵によく似ていた。ぶよぶよとした表面の中に丸く、黒い何かが蠢いている。そしてそれはどくん、と脈打つように跳ねると、

 ぎょろり。

 目が、黒を割るように現れた。

「​──​──​──ッ!?」

 反射的に引鉄を引いた。一発、二発! 弾は黒い塊から少し逸れて、柔らかい地面を不快な湿った音と共に抉る。驚きと、恐怖、それから一発目の反動で手元が大きく狂ったのだ。あんなに近くで撃ったのに……!
 立ち上がって、早くここを離れなければという焦りが、頭の中を支配する。それがヴィルの動きも、思考すらも鈍らせた。さっきここに叩き込まれた時から、彼の足には、彼の気付かないうちに、あの透明な粘液が纏わりついていた。
「ヴィル!」
 イリスの悲鳴のような声と同時に、それは一気に面積を広げ、ヴィルを飲み込もうと襲いかかる。どろどろとしたそれは汚泥のように纏わりつき、呼吸を奪おうとヴィルの顔目掛けて這い上る。
「​──ぅえっ……げほッ!?」
 腐った水の臭いと、魚の生臭さが混じり合った臭いに、胃がひっくり返るような嘔吐おうと感。咄嗟とっさに手で口と鼻を覆ったが、既に粘液まみれの状態だったその行為に意味はなかった。
 手袋に浸み込んだ液体はずるりとヴィルの顔を這い、鼻に、口に、目に、あらゆる隙間に入り込もうと蠢いた。
 ぎゅっと目を閉じる前に確認した視界の端。ヴィルを包むように膨れ上がった透明の粘液。あの黒い目玉はその中を泳ぐように、取り込んだヴィルを品定めするかのように目を向けて浮かんでいる。
​──なるほど、核か。
 その姿に、ヴィルは顕微鏡で見た細胞の様子を思い返した。
「あっちが本物ってこと​──!?」
「はよ助けな、あれ息できへんのちゃう!?」
 そんなシェスカとイリスの慌てる声が、水の中にいる時のように遠く聞こえる。
 このままだとイリスの言う通りに窒息​──で済めばいいのだが、最悪身体の中身を根こそぎ取り出されるのかもしれない。さっきの蟲の中身が、この粘液だったように。

 ずる、

 耳に入り込もうとする感覚が、身体を震わせた。
 まずい。痺れたようにその言葉しか浮かばない。目を開けようにも開けられない。悲鳴を上げようにも口を開けない。息が出来ない。意識が白く、遠くなっていく​──​──
「​──正面だ! 撃て!」
 その前に聞こえた声。泥を藻掻くように重い腕を、目一杯身体の正面へ引き上げた。それと同時に引鉄を引く。
 穴が空いた。目を閉じていてもそれだけはわかった。空気が流れ込んだのを感じる。そのまま何かが胸倉を掴んで、思い切り引っ張られた。ずるっと身体が粘液の中から引き剥がされる。
「っは! ぁ……ぇほっ……、っかは……!」
 投げ出されるように転がされたその先で、やっと大きく息を吸い込んだ。肺が痛いほどに空気を求め、吸い込んだ空気の生臭さと水臭さが鼻腔を刺激し、嘔吐えづくような咳が出た。
「兄ちゃん!」
「ヴィル!」
 イリスとシェスカの声が重なる。
 ヴィルを引きずり出したサキは、あの風の剣を持っていた。腕にまで鎧のように展開させられた風は、粘液を飛び散らせながら、深々と細胞のようなそれを切り裂いていく。
 けれどあと少し、核と呼べる黒目玉にまでは届かない。
「シェスカ、イリス! もう一度燃やせ! これはただの水、、、、だ!」
 鋭く、サキは叫ぶ。
「ええっ!? 兄ちゃん巻き込まれるって!!」
「​──​──っ、あとで恨まないでよっ!」
 慌てるイリスをよそに、シェスカはきっ、と彼を睨みつけて、剣を構えて魔力を練り上げ始めた。
 それを見たイリスは、「もぉ知らんで!」と半ばヤケになって叫び、シェスカの詠唱に続く。
「ヴィル! もう一度真正面で構えろ!」
 放心気味だったヴィルに、サキは目を向けずに、
「合図したら撃て。そこまで核を持っていく」
 思い切り、剣を振り切った。剣を形作る風が解け、さらに引き裂いていく。粘液はすぐさま元の形へ戻ろうと、引き裂かれた傷をぐにゃりと覆っていった。
 その時、シェスカとイリスの魔術が発動した。
 まるであの粘液が油だったかのように、凄まじい熱量が表面を覆い、不快な臭いを水蒸気として撒き散らした。体積がじわじわと縮んでいく中、サキは自らに燃え移ることすら厭わず、斬撃を加えていく。
 ヴィルは待った。言われた通りに再び真正面へと銃を構えて。
 射線上にはまだ、サキの背中が重なっている。シェスカとイリスの魔術が粘液を蒸発させていくにつれ、視界は白濁としていき、サキの姿さえも飲み込まれていった。
 やがてほとんど視界は真っ白になり、ただ燃え盛る炎の轟音と、水分の蒸発する音とが混じり合った音と、風が空を切る音だけが聞こえる。水蒸気の生臭い腐臭が充満していく、その中で、
 ふっ、と。
 ヴィルの目の前の水蒸気の一部が薄くなった。うっすらと見える、黒い塊。そこから割れるように現れる、あのぎょろりとした目と、視線が交わる。
 その不気味な目に、反射的に引鉄を引きそうになる。​──まだだ。冷静に、と言い聞かせ、真正面に銃を構え続けた。ほんの一瞬のことが、何時間にも感じられる緊張を肌で受け止めながら、その目を睨み返す。
 そして、その目を包む粘液が、ぐにゃりと。押し潰されるように形を変え、その勢いで黒い目はヴィルの構えた銃口の真正面へと​──​──

「撃て!!」

 サキの剣が目を貫いて、ヴィルの射線上へと固定させた。声と同時に、
「これで終われぇッ!!」
 その一心を込めて、引鉄を力いっぱい引き抜いた。吐き出される弾丸。今度こそ粉々に弾ける『核』。その反動でヴィルの身体はまた地面へと叩き落とされる​──​──はずだった。
 あるはずだった地面は、ぶつかった途端に底が抜けたように落ち、不気味な、内臓を思わせる赤黒い色が、塗装が剥がれるようにばらばらに崩れていった。
「っ、なに!?」
 遠くでシェスカの動揺した声が聞こえる。水蒸気の向こう、シェスカは崩れ落ちる地面から、反射的にイリスを庇うように引き寄せていた。
「これって​──​──!」
 イリスの目が大きく見開かれる。この感覚には覚えがあったからだ。ヴィルとイリスは、一度これを体験している。
​──シェスカたちと合流するその直前の、夢が切り替わる瞬間。
 景色が歪み、それと共に目が回るような、思考すらもぐるぐる回るような浮遊感。身体が、世界が、自分たちの知らないものに侵食されていく。
 あの時と少しだけ違うのは、自らの意識がはっきりとしていることだった。
「ヴィルっ……!!」
 シェスカの腕が、ヴィルへと伸ばされた。不安定な空間の中、距離の離れたそれが届くことはない。そうとわかっていたけれど、ヴィルもまた、彼女へと手を伸ばしていた。
 すると、ふわりと。
 今まで感じていた浮遊感と別のものが、身体を包み込んだのを感じた。それは背中を押すように、ヴィルたちの距離を近付けていく。そうして手が届きそうになった頃、イリスが橋渡しのように、ヴィルとシェスカの手を掴んだ。
「これ、魔術やんな?」
 イリスは目を瞬かせながら、シェスカを見る。シェスカはそれにふるふると首を振った。
 シェスカでもない、イリスでもない、誰かの魔術。となると、それはもう一人しかいない。
「​──​──サキは!?」
 周囲を見渡すと、歪んでいく風景の中に、取り残されたかのように。
 サキは水蒸気のけぶる中、未だに崩れていない地面に立ち尽くしていた。
 目を凝らしてよく見ると、彼の右手はずたずたに切り裂かれた『核』が握られている。​──いや、『核』から伸びた神経のような繊維が、サキの右手の皮膚を破り、体内へずぶずぶと潜り込んでいた。
「​──っ、兄ちゃん!?」
 叫ぶように呼ぶイリスに、サキは一瞥だけ寄越すと、その視線を『核』へと戻す。そして何か短く呟くと、彼の足元に淡く光る緑色の魔方陣が現れた。
「何するつもりだ!?」
「ちょっとサキ!! 無視してんじゃないわよ​──​──っ!?」
 ぐにゃり。
 これまでにないほどに景色が歪んだ。最早落ちているのか、そうでないかすらもわからない。上も下も、右も左も、全てがあべこべで、ぐちゃぐちゃに混ざりあって、今度こそ意識すらも混ぜ返されるような、歪な感覚が身体を支配する。
 その中で唯一確かだったのは、イリスの手を掴んでいることと、それから、サキだけがめちゃくちゃなその景色の中を、像を歪めずに立っていることだけだ。
 サキの魔方陣の光が強くなる。
 すると、どこからともなく強い風が巻き起こっていた。その風は刃になって、歪んだ景色を引き裂いていく。
 引き裂かれた裂け目からは、眩しい光が射し込んでいた。
 ほとんど無意識に、ヴィルはそこへと手を伸ばした。澄んだ光は、ヴィルを、イリスを、シェスカを飲み込んでいく。
 そして、そんな彼らの視界の端。光の当たらない場所で。

 サキだけは、歪んでいく景色の中で目を閉じていた。

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

五年後、元夫の後悔が遅すぎる。~娘が「パパ」と呼びそうで困ってます~

放浪人
恋愛
「君との婚姻は無効だ。実家へ帰るがいい」 大聖堂の冷たい石畳の上で、辺境伯ロルフから突然「婚姻は最初から無かった」と宣告された子爵家次女のエリシア。実家にも見放され、身重の体で王都の旧市街へ追放された彼女は、絶望のどん底で愛娘クララを出産する。 生き抜くために針と糸を握ったエリシアは、持ち前の技術で不思議な力を持つ「祝布(しゅくふ)」を織り上げる職人として立ち上がる。施しではなく「仕事」として正当な対価を払い、決して土足で踏み込んでこない救恤院の監督官リュシアンの温かい優しさに触れエリシアは少しずつ人間らしい心と笑顔を取り戻していった。 しかし五年後。辺境を襲った疫病を救うための緊急要請を通じ、エリシアは冷酷だった元夫ロルフと再会してしまう。しかも隣にいる娘の青い瞳は彼と瓜二つだった。 「すまない。私は父としての責任を果たす」 かつての合理主義の塊だった元夫は、自らの過ちを深く悔い、家の権益を捨ててでも母子を守る「強固な盾」になろうとする。娘のクララもまた、危機から救ってくれた彼を「パパ」と呼び始めてしまい……。 だが、どんなに後悔されても、どんなに身を挺して守られても、一度完全に壊された関係が元に戻ることは絶対にない。エリシアが真の伴侶として選ぶのは、凍えた心を溶かし、温かい日常を共に歩んでくれたリュシアンただ一人だった。 これは、全てを奪われた一人の女性が母として力強く成長し誰にも脅かされることのない「本物の家族」と「静かで確かな幸福」を自分の手で選び取るまでの物語。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています

藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。 結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。 聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。 侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。 ※全11話 2万字程度の話です。

婚約破棄の代償

nanahi
恋愛
「あの子を放って置けないんだ。ごめん。婚約はなかったことにしてほしい」 ある日突然、侯爵令嬢エバンジェリンは婚約者アダムスに一方的に婚約破棄される。破局に追い込んだのは婚約者の幼馴染メアリという平民の儚げな娘だった。 エバンジェリンを差し置いてアダムスとメアリはひと時の幸せに酔うが、婚約破棄の代償は想像以上に大きかった。

【商業企画進行中・取り下げ予定】さようなら、私の初恋。

ごろごろみかん。
ファンタジー
結婚式の夜、私はあなたに殺された。 彼に嫌悪されているのは知っていたけど、でも、殺されるほどだとは思っていなかった。 「誰も、お前なんか必要としていない」 最期の時に言われた言葉。彼に嫌われていても、彼にほかに愛するひとがいても、私は彼の婚約者であることをやめなかった。やめられなかった。私には責務があるから。 だけどそれも、意味のないことだったのだ。 彼に殺されて、気がつけば彼と結婚する半年前に戻っていた。 なぜ時が戻ったのかは分からない。 それでも、ひとつだけ確かなことがある。 あなたは私をいらないと言ったけど──私も、私の人生にあなたはいらない。 私は、私の生きたいように生きます。

復讐のための五つの方法

炭田おと
恋愛
 皇后として皇帝カエキリウスのもとに嫁いだイネスは、カエキリウスに愛人ルジェナがいることを知った。皇宮ではルジェナが権威を誇示していて、イネスは肩身が狭い思いをすることになる。  それでも耐えていたイネスだったが、父親に反逆の罪を着せられ、家族も、彼女自身も、処断されることが決まった。  グレゴリウス卿の手を借りて、一人生き残ったイネスは復讐を誓う。  72話で完結です。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

処理中です...