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ある日の夕方。レオニスは小さな家の扉の前で立ち止まった。
目の前にあるのは、町の一角にある石造りの家。王宮のどの部屋よりも狭く、簡素な造りかもしれない。
だが、今の彼にとっては、世界で一番大切な場所だった。
扉に手をかける前、彼はそっと目を閉じた。
(今日こそ、言おう。けじめをつけるんだ)
胸の奥が、嫌になるほどどきどきしていた。
それでも、逃げてはいけない。彼は自分に言い聞かせる。
エレーヌは、自分の罪を何も責めなかった。
今まで散々彼女の心をないがしろにしてきたというのに。
それでも彼女は全てを捨てて、付いてきてくれた。そして、今もそばにいてくれる。
――だからこそ、甘え続けてはいけない。
ちゃんと謝らなければ。そして、ちゃんと自分の想いを伝えなければ。
“結婚して欲しい”と。
(俺は相当な恥知らずじゃないのか?)
一瞬、頭をよぎった。
かつて傷つけ、裏切った男が、もう一度未来を預けてくれなんて、あまりにも身勝手なことを求めている。
(それでも、言わなければ)
ぐっと手を握り、意を決して扉を開けた。
軋む音を立てて開けた先には、陽の差し込む温かな空間。
ほのかに香るスープの匂い。
そこはどこよりも落ち着く、ふたりの家だった。
「おかえり、レオ。さっき、隣の奥さんにスープをいただいちゃった!」
エレーヌが笑顔で出迎えてくれた。
髪をまとめ、袖をまくった彼女の姿は、以前とはまるで違っていた。
それでも、いや、だからこそ美しかった。
彼女がこの暮らしを選び、彼に寄り添ってくれている事実が、レオニスの胸に深く染みる。
「少し……話したいことがあるんだ」
声が震えた。意識していないのに、手のひらがじっとりと汗ばんでいる。
「エレーヌ……今まで、本当にごめん」
レオニスは、彼女の前に立ち、真っすぐに目を見つめた。
「君を、ずっと傷つけてきた」
「今更何を……」
「聞いて、エレーヌ」
戸惑うエレーヌの言葉をさえぎって、レオニスは続けた。
「自分が王の器じゃないと……周囲にそう言われ続けて、自分でもそう思い込んで、逃げていた。逃げた先にいたのが、彼女だった。マリアンヌには、何も背負わなくていい自分でいられた。愚かだった。君をあんなふうに扱って、傷つけて……なのに、それがどれだけ酷いことか、分からないふりをしていた」
彼は深く息を吐き、エレーヌを見つめた。
「君は何も悪くなかった。全部、俺の弱さだ。王という役目に押し潰されそうになって、自分を見失ってた。君を手放さなきゃって思って、……でもそれが、君の心に、どれだけ深い傷を与えていたか、怖くて、ちゃんと見れなかったんだ。本当に、浅はかだった」
レオニスの声が震える。エレーヌは何も言わず、ただじっと彼の瞳を見つめ返す。
けれど、その瞳には涙がにじんでいた。
「全部失った俺についてきてくれて、ありがとう。君がいたから、俺は今も生きている。君の笑顔を見て、初めて……生きたいって思えた」
言いながら、心が熱くなる。何もかもなくしたと思っていた中、彼女だけが残ってくれたのだから。
「それでも、もし許してくれるなら、君と人生をやり直したい。王子でもない、何の肩書きもない今の俺が、君にもう一度、人生を共にしてほしいって願うことは、図々しいことだと思う。でも、ここははっきりと言いたい。……結婚してほしい。エレーヌ」
沈黙が落ちた。
外から聞こえる、小鳥のさえずり、子供たちの声。すべてが止まって見えるほど、彼には彼女の返事だけがすべてだった。
しばらく後、エレーヌはそっと口を開いた。
「レオはずっとマリアンヌさんを優先して、私を蔑ろにしてた。私はそのことで、すごく傷ついたの。そして、まだその傷は癒えていないわ」
「……だよな。悪かった。今言ったことはもう……」
「でもね」
エレーヌは、そっとレオニスの手を取った。
「私は、そのことに拘ってレオを失いたくないの。今の私は、公爵令嬢でも、王太子の婚約者でもない。ただの町娘よ」
そう言って、微笑む。
「だから、遠慮も、礼儀もなしに、ストレートに答えるわ――あなたと結婚する。好きよ、レオ。大好き。レオ以外はいらないわ」
エレーヌの瞳からこぼれ落ちてきた涙が頬を流れた。
「レオが何を失っても、私にとってあなたは世界でただ一人の人よ。レオと一緒にずっとずっと、生きていきたい」
彼女はレオニスの首に腕を回して抱き着いた。
レオニスは「ありがとう」と言ってその身体を抱きしめた。
「町娘は大胆だな。でも、これ以上のことは……結婚してからだ。……そ……その辺りは王侯貴族の慣習通り、結婚後……にしよう」
「わ、私もその方がいいわ。あまり慣れないことはしない方がいいみたい」
二人は身体を離して、笑い合った。この日から、二人の距離は格段に縮まった。
目の前にあるのは、町の一角にある石造りの家。王宮のどの部屋よりも狭く、簡素な造りかもしれない。
だが、今の彼にとっては、世界で一番大切な場所だった。
扉に手をかける前、彼はそっと目を閉じた。
(今日こそ、言おう。けじめをつけるんだ)
胸の奥が、嫌になるほどどきどきしていた。
それでも、逃げてはいけない。彼は自分に言い聞かせる。
エレーヌは、自分の罪を何も責めなかった。
今まで散々彼女の心をないがしろにしてきたというのに。
それでも彼女は全てを捨てて、付いてきてくれた。そして、今もそばにいてくれる。
――だからこそ、甘え続けてはいけない。
ちゃんと謝らなければ。そして、ちゃんと自分の想いを伝えなければ。
“結婚して欲しい”と。
(俺は相当な恥知らずじゃないのか?)
一瞬、頭をよぎった。
かつて傷つけ、裏切った男が、もう一度未来を預けてくれなんて、あまりにも身勝手なことを求めている。
(それでも、言わなければ)
ぐっと手を握り、意を決して扉を開けた。
軋む音を立てて開けた先には、陽の差し込む温かな空間。
ほのかに香るスープの匂い。
そこはどこよりも落ち着く、ふたりの家だった。
「おかえり、レオ。さっき、隣の奥さんにスープをいただいちゃった!」
エレーヌが笑顔で出迎えてくれた。
髪をまとめ、袖をまくった彼女の姿は、以前とはまるで違っていた。
それでも、いや、だからこそ美しかった。
彼女がこの暮らしを選び、彼に寄り添ってくれている事実が、レオニスの胸に深く染みる。
「少し……話したいことがあるんだ」
声が震えた。意識していないのに、手のひらがじっとりと汗ばんでいる。
「エレーヌ……今まで、本当にごめん」
レオニスは、彼女の前に立ち、真っすぐに目を見つめた。
「君を、ずっと傷つけてきた」
「今更何を……」
「聞いて、エレーヌ」
戸惑うエレーヌの言葉をさえぎって、レオニスは続けた。
「自分が王の器じゃないと……周囲にそう言われ続けて、自分でもそう思い込んで、逃げていた。逃げた先にいたのが、彼女だった。マリアンヌには、何も背負わなくていい自分でいられた。愚かだった。君をあんなふうに扱って、傷つけて……なのに、それがどれだけ酷いことか、分からないふりをしていた」
彼は深く息を吐き、エレーヌを見つめた。
「君は何も悪くなかった。全部、俺の弱さだ。王という役目に押し潰されそうになって、自分を見失ってた。君を手放さなきゃって思って、……でもそれが、君の心に、どれだけ深い傷を与えていたか、怖くて、ちゃんと見れなかったんだ。本当に、浅はかだった」
レオニスの声が震える。エレーヌは何も言わず、ただじっと彼の瞳を見つめ返す。
けれど、その瞳には涙がにじんでいた。
「全部失った俺についてきてくれて、ありがとう。君がいたから、俺は今も生きている。君の笑顔を見て、初めて……生きたいって思えた」
言いながら、心が熱くなる。何もかもなくしたと思っていた中、彼女だけが残ってくれたのだから。
「それでも、もし許してくれるなら、君と人生をやり直したい。王子でもない、何の肩書きもない今の俺が、君にもう一度、人生を共にしてほしいって願うことは、図々しいことだと思う。でも、ここははっきりと言いたい。……結婚してほしい。エレーヌ」
沈黙が落ちた。
外から聞こえる、小鳥のさえずり、子供たちの声。すべてが止まって見えるほど、彼には彼女の返事だけがすべてだった。
しばらく後、エレーヌはそっと口を開いた。
「レオはずっとマリアンヌさんを優先して、私を蔑ろにしてた。私はそのことで、すごく傷ついたの。そして、まだその傷は癒えていないわ」
「……だよな。悪かった。今言ったことはもう……」
「でもね」
エレーヌは、そっとレオニスの手を取った。
「私は、そのことに拘ってレオを失いたくないの。今の私は、公爵令嬢でも、王太子の婚約者でもない。ただの町娘よ」
そう言って、微笑む。
「だから、遠慮も、礼儀もなしに、ストレートに答えるわ――あなたと結婚する。好きよ、レオ。大好き。レオ以外はいらないわ」
エレーヌの瞳からこぼれ落ちてきた涙が頬を流れた。
「レオが何を失っても、私にとってあなたは世界でただ一人の人よ。レオと一緒にずっとずっと、生きていきたい」
彼女はレオニスの首に腕を回して抱き着いた。
レオニスは「ありがとう」と言ってその身体を抱きしめた。
「町娘は大胆だな。でも、これ以上のことは……結婚してからだ。……そ……その辺りは王侯貴族の慣習通り、結婚後……にしよう」
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