不安な記憶

不安な記憶

「少し寒いな」
無機質な部屋に蝉の音が私の耳を劈くように響いている、ここはどこで男は誰だろうか。
「最近調子はどうだ?」
「ええ、まあそれなりに」
彼の粘着質な声と少し肌寒いこの部屋のせいで思考がうまくまとまらない。
「今は何月か分かるか？」
「12月です」
「今何時か分かるか?」
「10時です」
男の目は真っ黒で、どこか冷たい印象を私に抱かせた。
「好きな食べ物は?」
「特にありません」
イライラしてくる、このくだらない質問はいつ終わるのだろうか、そんな私の気持ちとは裏腹に彼は優雅にブラックコーヒーを飲んでいた。
「君も飲むか?」
「飲みます」
男が真っ黒な液体をコップに注ぐ。
「ミルクをお願いしてもいいですか?」
「…ああ」
男は一瞬たじろぎ驚いた顔をした、まるで私がこの真っ黒な液体に色を付けるのがおかしいかのようだった。
男は少し黙りそして静かに口を開いた。
「私が嫌いか?」
「はい」
別にその男になんの感情も抱いてはいなかった、ただとっさに答えが出た私はその質問に意味があるようには思えなかった、彼の声が震えていてまるで私の答えが分かっているようだったからだ。
男の真っ黒で冷たそうな瞳が陽炎のようにユラユラと揺らいだ。
「君は私が作ったんだよ」
「そうですか」
驚きはしなかった、何となく分かっていたからだろうか、いや、男の目から流れる涙に思考を奪われてしまったからかもしれない。
「君はセミが好きだっただろう？」
「…」
「そしてブラックコーヒーも好きだった」
「…」
男が私を作ったというのはどうやら本当らしい、父さん。懐かしい記憶が蘇ってくる。
「父さん」
「ああ父さんだよ」
よほど父さんと言われたのが嬉しかったのか男は私の手を握ってきた、いつの間にか男の真っ黒な目があたたかみを帯びていた
「僕は蝉もブラックコーヒーも好きじゃないよ」
僕はただ
「蝉を見せれば父さんが構ってくれると思ったから」
僕はただ
「ブラックコーヒーも父さんがいつも飲んでたから真似してた」
僕はただ
「父さんに好かれたかったんだ」
いつの間にか泣いていた、セミの音は鳴り止み雪の音が耳に入ってきたことで僕は今が12月であることをやっと理解した。
「好いていたさ、ずっと」
男は私の手を離し冷たく言い放った、男の目はいつの間にか冷たさを取り戻していた。
「また失敗作だった?」　
男は何も答えなかった、私はこの後どうなるかを理解していた。
「君を早く成功させなきゃいけないんだ、母さんが次に待っているからね」
僕は思った母さんだって父さんのこと…僕の思考はここで途切れた。