かみさまの忘れ人

KMT

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第三章「世界の秘密」

第17話「拒絶」

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「くそっ、あいつらめ…」

バスタは肩に乗った落ち葉を振り払う。

「とにかく、早くガメロ様に報告だ」

森に墜落したもう一機の人力飛行機は木に引っ掛かった。帆も支柱もボロボロになり、もう役に立ちそうもない。バスタとザックは傷だらけのまま森を歩いていった。



   * * * * * * *



私はアンジェラと陽真君と一緒に深い森を進む。城まではだいぶ離れてしまったみたいだ。陽真君が先頭を切り、私とアンジェラはその後ろを着いていく。

「それにしても、よくあの飛行機の操縦できたね」
「ハンドル握って方向調整しながらペダルこぐだけだから、誰にだってできるわよ」
「そ、そう…」

アンジェラは自信満々に言うけれど、正直私にはできそうにない。不器用だもん。自転車だって、小学校入りたての頃にやっと乗れるようになったんだから…。それに、空高く体をむき出しにしながら飛ぶのが怖い。シートベルトか命綱が無いなんて危なすぎる。さっきはギャングが追いかけてきた恐怖で忘れてたけど、揺れる機体からいつ落ちてしまうかの恐怖がどこかにあった。アンジェラは怖くないのかな…?

「それに何度か操縦したことあるし。パパとママには内緒でね♪」

アンジェラはいたずらっ子のような無邪気な笑顔で言う。それを見ると、さっきまでの恐怖がなんだか不思議と楽しく思えてくる。

「あっ、また親に隠し事してる~」
「別にいいじゃない♪」
「ふふっ」
「あははっ」

アンジェラと揃って笑った。さっきからアンジェラと歩きながら、くだらない話で盛り上がる。さっきよりも多く笑うようになった気がする。きっとアンジェラは嬉しいんだろうな。ずっと一人で部屋にいんだもん。それでやっと話し相手ができたんだから。

「何だ?お前らいつ知り合ったんだ?」

陽真君が振り向いて訪ねる。先頭に立って歩いているのに、話にだけは置いてかれている。

「ついさっき」

アンジェラは真顔で即答した。これもアンジェラの性格が為せる技なのかもしれない。記憶を消す前の街の人と仲良くなる時にも、そう時間はかからなかったんだろうなぁ…。まるで幼い頃の陽真君みたいだ。私ともすんなりと仲良くなれた。

「アーサーこそ、凛奈と知り合いなんじゃないの?同じ世界から来たんでしょ?」
「いや、知らん」

陽真君も真顔で答える。やはり記憶は無いままらしい。そんなにきっぱり答えられると悲しくなる。私は落ち込んで下を向く。知り合いだと思っているのは私だけ…。

「あっ、その…すまん…」

陽真君は申し訳なさを感じていることに少し驚いた。私と同じような悲しい表情で、アンジェラは陽真君を見つめる。

「…」

頬に水滴がつたう。私ったら…また涙を…

ピチャンッ

「…あっ」

水滴は木の上から落ちてきた。涙ではなかった。

ザー
雨だ。いつの間にか森の木々の間から覗き込む空は灰色の雲に包まれていた。雨はすぐに本降りとなり、私達の汗を洗い流す。

「大変!」

私達は頭を押さえて駆け出す。ここから城まではまだ距離がある。どこかで雨宿りするしかない。私達は濡れて走りにくくなった草木の道をちゃぷちゃぷ音を立てながら走った。


ザーーー
雨は勢いを増していった。ラジオの雑音のようなかみさまの涙が外から聞こえてくる。

「本降りになってきたわね…」
「あぁ、雨宿りできる場所が見つかってよかった」

奇跡的に断崖にできた広い洞窟を発見した。しばらくの間雨宿りをすることになった私達。服に染み込んだ雨水を手ではたいて振り払う。

「パパとママ…大丈夫かな…」
「うん、哀香ちゃん達も…」
「早く戻らねぇといけねぇのによ…」

三人は洞窟内に置かれていた。平べったい岩に腰を下ろす。雨音だけが三人の間を敷き詰めていた。



「なぁ、お前…凛奈だっけ?」
「え?うん…」

陽真君が口を開いた。私の名前が陽真君の頭の中で曖昧になっていることに軽くショックを受ける。

「あの時は…悪かったな」

あの時…?

「覚えてないって言って殴っちまって…」

あぁ、フォーデイルナイトで陽真君と初めて再会した時のことだ。あの時は陽真君は完全に私のことを忘れていて、真っ向から拒絶されたっけ。そのことを謝ってくれた陽真君。

「ううん、大丈夫だよ」

やっぱり陽真君は優しい。私のことは覚えていなかったとしても、あの時私に暴力を振るったことに罪悪感を感じてくれていた。そして謝ってくれた。記憶が無くなっても、彼の中には確かに変わらないものがあると確信した。

「悪ぃが本当に覚えてねぇんだ。お前は誰なんだ?」

陽真君の真剣な目。ここで改めて自己紹介をして、陽真君が私のことを思い出してくれるかわからない。けれど…

「私は清水凛奈。あなたの幼なじみなの…」

かすかな願いに賭けて私は私を語る。フォーデイルナイトが繰り返してきた国の再生の歴史のように、私は私なりに陽真君との関係の再生を試みる。ついでにアンジェラの能力のことも私なりに話してみた。アンジェラも話すことを黙認してくれている。陽真君がずっと真顔で聞いてくるものだから、信じてくれているのかどうかがわからなかった。ただ、私の話は真剣に聞いてくれていることだけはわかった。





「私ね、陽真君に助けてもらって嬉しかった。ずっと一緒にいようって言ってくれたことも、すごく嬉しかったんだ…」
「凛奈…」

陽真君は私の話を静かに聞いてくれた。しかし…

「思い出せた…?」
「すまん。何も思い出せない…。どうしても他人事のように聞こえる」

陽真君は思い出してくれない。彼の心にはどうしても響かないようだ。やはり普通のやり方ではダメなのか。そもそも記憶を取り戻すこと自体始めから不可能なのか…。

「ごめんなさい…」

アンジェラが突然呟く。うつ向いて泣きそうな表情を浮かべる。

「アンジェラ?」
「そもそも、私がアーサーの記憶を消したんだもん。二人の関係を完全に消し去ったのは私。私がいけないんだわ…。本当に…ごめんなさい…」

私と陽真君は見つめ合う。責任感に押し潰されて嗚咽が溢れるアンジェラ。



「仕方ねぇよ、そういう世界なんだから…」

アンジェラの小さな頭に手を置く陽真君。アンジェラに優しく語りかける。

「だがな、俺も凛奈もお前のことを恨んだりしてねぇ。お前は女王として当たり前のことをしただけ。あの時、お前のお陰でこの国は救われたんだ。お前が能力を使ってくれたお陰でな。お前がいなかったら俺は死んでいたかもしれない。むしろ俺は感謝してんだぜ」
「アーサー…」
「だから、もう気にすんな」
「うん!アーサー、ありがとう!」

アンジェラは涙を拭い、いつもの笑顔に戻った。陽真君もアンジェラの前だと笑顔になる。アンジェラの頭を優しく撫でて励ます。

「…」

二人の仲睦まじい光景を、私は遠くの観客席から眺めているような気分になる。今の陽真君の視界に私はいない。記憶の中にだって。今の陽真君の中にあるのはアンジェラのことだけ。二人は目には見えない不思議な力で繋がっている。

“あぁ、お似合いだなぁ…この二人”

昔は悲しい時によく陽真君に頭を撫でてもらった。それだけで悲しみは消えていった。だけど、最近になって陽真君はしてくれなくなった。それもそうか、もう高校生なんだもん。いつまでも子どもみたいなことしてられないもんね。私だけが幼い心を捨て切れないで、過去の思い出に浸ってばかりいる。でも、かつての温かい手が、今度は別の女性に向けられていることに胸がズキンと痛む。どこからか寂しさがこみ上げてくる。これは一体何なんだろう…。





いつの間にか雨は上がっていた。私達は洞窟の外に出る。

「綺麗…」

水滴を乗せた木の葉っぱがきらびやかと輝いていた。木々の隙間から射し込む光が、まるで天国への道のように真っ直ぐ地面に向けて放たれていた。一番上に陣取る真っ白な太陽に、三人はしばらく目を奪われた。

「この世界も、悪くねぇな…」

陽真君がぼそっと呟く。発言の一つ一つが余計な不安を感じさせる。陽真君はこの世界にいたがってるんじゃないかと心配になる。

「よし、城に戻るぞ」
「うん…」
「えぇ!」

大丈夫、陽真君はきっと帰ってくる。私は信じる。陽真君、絶対一緒に帰るよ。



   * * * * * * *



時間をかけて城の門近くまでやって来た。城の入口に近い森の出入口付近で、三人は草村から城を睨み付ける。何やら騒がしい声が聞こえる。



「待て~!あの時はよくも~!」
「ったく!どんだけ根に持ってんのよ」

哀香達は城の正門目掛けて走る。どうやらギャングのしたっぱ達に追いかけられているようだ。哀香達のせいで、ユタのバーで暴れた罪で騎士に連行されたことを恨んでいるらしい。エリーは全力疾走し、正門付近に停車してある馬車に飛び乗り、すぐさま発進させる。

「うぉら!」

哀香を追いかけるしたっぱが、一剣を大きく横に一文字に振る。

「危ない!」

ザッ
とっさに蓮太郎が哀香に飛び付き、身を制して相手の剣の攻撃から身を守る。かすかに赤い血渋きが二人の視界を覆う。二人は真横に飛んでいった。

「へっ、ここで王族もろともお前らを始末してやる」
「ぐっ…」

蓮太郎は右腕を押さえながら倒れる。剣で切り裂かれたようだ。蓮太郎の服が少しずつ赤く染まっていく。

「はぁ~!」

ガキンッ
花音がギャングの後ろから小型ナイフで攻撃を仕掛ける。花音は自前の武器を持っている。花音はギャング相手に激しい斬り合いを繰り広げる。



「お前らはここで待ってろ!」
「え?ちょっとアーサー!」

陽真は草村から飛び出して城へ向かう。



ガキンッ ガキンッ
激しく剣がぶつかり合う。しかし、一度に四人を相手にするのはさすがに厳しい。花音がギャングの攻撃を受け止める間、哀香は瀕死の蓮太郎を背負ってエリーの馬車まで向かう。

「おい、こいつは俺が相手する!お前らはあの二人をやれ!」

ギャングはアルバートとカローナを指差す。他のギャングは花音の相手をやめ、すぐに二人に斬りかかる。

「死ねぇ~!」





ガキンッ
またもや剣がぶつかり合う音が響く。一人の騎士が二人をギャングの攻撃から守った。

「アーサー!」

陽真は自慢の聖剣を盾にギャングの攻撃を受け止めた。

「アーサー!」
「俺一人で十分だ!」

門番が陽真に駆け寄るが、陽真は一人でギャング達を片付けるという。

「くそっ!来やがった…」

ギャング達の中でも陽真は最重要の危険人物とされており、一番に警戒していた。その強さも把握しており、彼が攻撃を受け止めた瞬間、ギャング達は己の敗北を悟った。

「うぉぉ~!」

ガキンッ ガキンッ
それでも無駄な抵抗を続けるギャング。案の定陽真の攻撃を防ぐだけで精一杯だ。花音はギャング達が一斉に陽真の方へ向かい、呆然としている。

「君達!今のうちに逃げるんだ!」

アルバートが馬車に向かって叫ぶ。

「はい!」
「でも、まだ凛奈と陽真君が…」
「後で助けるしかないわ!早く行くわよ!」
「哀香…」
「エリー!」
「うん!」

エリーは手綱で馬を打ち、馬車を発進させる。

「花音!」

大きく手を伸ばす哀香。駿足で花音をかっさらう。花音を乗せると、馬車は森の入口に向かって走り出した。



「やっぱり私も行く!」
「凛奈が行くなら私も…」

凛奈とアンジェラは草村を掻き分けて道を出ようとする。その時…

ドドドドド…
目の前を馬車が通り抜けていった。哀香達を乗せた馬車だ。そのまま街のある方角へと遠ざかっていく。自分の存在を忘れられているとは…。

「みんな!ど、どうしよう…」

今すぐ馬車を追いかけるか、それとも陽真君を追って城に行くか。凛奈は悩んだ。

「…!」

迷いの末、凛奈は城に足を向けた。そのまま正門へと駆ける。アンジェラもその後ろを着いていく。



   * * * * * * *



「参った…」

私とアンジェラが到着する頃には、既に勝負はついていた。城に潜入したギャング達が騎士団に捕らえられ、幽閉場へと連行されていく。情けない後ろ姿を陽真君とアルバートさん、カローナさんは無言で眺める。

「パパ!ママ!」

アンジェラは両親を呼んだ。

「アンジェラ!」
「無事だったのね!」

二人はアンジェラを見つけると、一目散に駆け寄る。

「もう、外には出ちゃダメだって言ってるのに…」
「とにかく無事でよかった」
「うん、全然大丈夫だったよ。だって凛奈とアーサーが守ってくれたんだもん」
「あの二人が…」

アルバートさんがこちらを見て、視線で感謝の意を伝える。いや、私は特に何もしていない。アンジェラを守ったのは陽真君の方で、私はただ一緒にいただけ…。

アルバートさんはアンジェラの肩に手を置く。正門近くに集まっている人達に呼び掛ける。

「みんな中に入ろう。まだどこかに奴らの仲間がいるかもしれない。これ以上外にいたら危険だ」

アルバートさんに促され、カローナさんやアンジェラ、他の騎士達はみんな城の中へ戻ろうとする。



もちろん陽真君も…

「陽真君!」

城に戻ろうとする陽真君。私は両手で彼の腕を掴んで止める。陽真君が行くべきなのは、あっちじゃない。

「陽真君はこの世界の人じゃないんだよ。一緒に帰ろう。私達の世界に」

そうだ、陽真君は私と一緒に元の世界に帰る。今の彼は私のことを何も覚えていないけど、それでも私は陽真君と一緒にいたい。願いを込めるようにぎゅっと優しく陽真君の手を握る。今、連れ戻さなきゃ。



陽真君はしばらくの間考え込む。















バッ
陽真君は私の手を強く振り払う。



「俺は行かない」
「…え?」

一瞬時が止まったように感じた。あるいは、また私が聞き間違いをしているか、あるいは、陽真君が冗談を言っているか。

「言っただろ。俺はもう陽真じゃない、アーサーだ。さっきお前の言っていたことは嘘だとは思わない。だが、真実とも思えない。確信が持てねぇんだ。例え真実だとしても、もうお前の知っている俺はいない。帰るつもりはねぇんだ」
「何言ってるの…?陽真君」

陽真は凛奈に顔を向ける。その顔は真剣だった。とても冗談を言っている顔には思えない。でも酷いよ。流石に今回だけでも冗談ということにしてよ。

「それに…今はただ、守ってやりたいんだ。アンジェラを…」

その真剣な顔を、今度はアンジェラに向ける。アンジェラは心配そうにこちらを見返す。陽真君は私ではなく、アンジェラと一緒にいることを選んだ。

「今はアーサーでいる方が俺は居心地がいい。だから凛奈、一人で帰れ。俺はここで生きていく」

現実が受け付けられない。陽真君を連れ戻すつもりが、陽真君自身が元の世界に戻ることを真っ向から拒否した。目の前がだんだん真っ暗になっていく。暗黒に染まりつつある景色に陽真が消えていく。

「は…るま…君…」

嫌だ。嫌だよ…。どうしてなの…?なんで一緒に来てくれないの?私、嘘なんて言ってないよ…。

「陽真君、嘘じゃないよ!本当だよ!陽真君は私と同じ世界の人間で…」
「何度言えばわかる!俺は帰らない!さっさと出て行け!」

大声で怒鳴る陽真君。どこか苦しそうだった。でも、私だって苦しいよ…悲しいよ…嫌だよ…。

「陽真君…」

私は陽真君に歩み寄る。

バッ
突然目の前に拳が飛んできた。陽真君のパンチが寸止めで私の顔の前で止まる。。私は驚いて後退りする。

「…出て行け。次は当てるぞ」

陽真君は私を睨み付ける。ギャング達を相手にする時の眼差しだ。そんなものを私に向けるなんて…。どうしてなの…。

「さぁ、もう用は済んだだろ」
「城からお引き取り願おう」

門番が槍で私の前に立ちはだかり、行く手を塞ぐ。槍を押し付けて正門の外へと押し出す。

「待って!なんでよ陽真君!一緒に帰ろうよ!」

私は必死に抵抗する。

「あ、こら!」
「やめなさい!」

門番は二人係りの力で私を門の外へ押し出す。私はクロスした槍の奥から手を伸ばし、陽真君に向かって必死に叫ぶ。

「通して!陽真君!思い出して!ずっと一緒にいるって約束したじゃない!」

陽真君の顔は黒い前髪に隠れてよく見えなかった。ただ、どこか悔しそうな顔をしていたと思う。アンジェラは後ろからずっと心配そうに見つめてくる。

「嫌だよ!こんな終わり方なんて!陽真君!思い出して!思い出してよ!」

涙目になりながらも必死に叫ぶ。しかし、私の声は陽真君の耳に届いても、心には響かない。ついに正門の外側まで追いやられ、門がゆっくりと閉まる。

ギィー
陽真君の顔はもう表情が読み取れない程遠くにある。その顔が、門によって隠されていく。

「待ってよ…私、まだあなたから…」



バーン
城の門は閉じられた。










「返事もらってないのに…」

ここに来てやっと思い出した。なぜ私がここまで陽真君を連れ戻そうと奮闘してきなのかを。結局、私は陽真君から告白の返事が欲しかっただけなんだ。今まで乗り越えてきた困難に比べ、目指していた目的があまりにもちっぽけであることに後ろめたくなった。しかも、その目的ももう叶わない。私がしてきた努力は全て踏みにじられた。一番努力を見せたかった人によって。

これは罰なのか。今までずっと陽真君に頼りっぱなしで、彼がいないと何もできない私に対する罰。いつまでも弱いままの私に呆れたかみさまが、陽真君と私を突き放したのか。

「うぅぅ…」

こぼれた涙は地面の土に吸い込まれる。染みはあっという間に消える。陽真君に消された私の気持ちのように。



私はとぼとぼと、城を背に来た道を戻る。ユタさんのバーまでどれくらいかかるかわからないけど、街まで歩いて向かった。多分、この足取りじゃあ着くころには日が沈んでいるだろう。というか、もう今にも沈みかけている。もう夕方か。今日ほど全てが一瞬のように感じられる日は今まであったかな。赤く燃える美しい夕焼けも、今の私の目には血に染まった殺戮の空間にしか見えない。



ザザザザザ…
森の茂みから草が掻き分けられる音がして、誰かが目の前にに出てきた。

ザザッ

「ふぅ…ん?」




それはギャングだった。しかも、バーで私がビールを引っ掻け、先程人力飛行機で私とアンジェラを追いかけてきた紺髪のギャングだ。追いかけてきた時に見えたあの憎しみに満ちた表情を思い返す。嫌な予感しかしなかった。

「へっ、驚いたな。まさかこんなところで出くわすとは…」

ギャングは不適な笑みを浮かべながら私に近づく。

「お前、あの時はよくもやってくれたなぁ…。きっちりお返しさせてもらうぜ」

ポキポキと手を鳴らして私を見下ろす。

「もう誰も邪魔する者はいねぇ。今度こそぶっ潰してやる」
「あぁぁ…」

私の体はやはり恐怖で動けなくなった。目を閉じて、再び願う。

“助けて…陽真k…”



「あっ…」

私はハッと思い出した。もう陽真君は来てくれないことを。陽真君はアンジェラを守ると決めたんだ。もう私のことは助けてくれない。祈っても無駄だ。

私はこれから、一人でなんとかしなくちゃいけないんだ。

「くらえぇ~!」

目を開けると、真ん前にギャングの拳が迫っていた。それから私はギャングのされるがまま、殴られ、蹴られ、叩かれ、ひたすら暴行された。ただ、素手で攻撃するだけまだ優しい方かもしれない。

それに、陽真君に自分を拒絶された心の苦しみに比べたら、ギャングの暴行なんて大したことなかった。そんなことを思いながらも、私はいつの間にか気を失っていた。



   * * * * * * *



「私ったら、凛奈のこと忘れるなんて…!」
「奴らはまだ城にいるかもしれないんでしょ?凛奈が心配だ…」

ドドドドド…
エリーの馬車が暗くなった夜道の森を駆け抜ける。城に置いてきてしまった凛奈を助けに行く。

「エリー、もっとスピード上げて!」
「うん!…ん?」

手綱を振り下ろそうとしたエリーの手がふと止まった。暗闇の向こうに何かがいる。道端で何かが倒れている。エリーは目を凝らして見つめる。

「凛奈!?」

凛奈が道端で倒れている。まるで捨てられたゴミのように。更によく見ると髪がボサボサで、服もところどころ敗れている。哀香達はすぐに馬車から飛び降りて凛奈の元へ駆け寄る。

「凛奈!しっかりしなさい!」

哀香は凛奈を抱き起こす。どうやら気絶しているようだ。凛奈は体中ボロボロで、顔や腕、足にアザができていた。口からは血が少々吹き出ている。蓮太郎は茂みの方まで吹っ飛んだ凛奈のメガネを拾った。幸いにも割れてはいないようだった。

「うっ…」

気を失いながらも痛みに悶える凛奈。

「陽…真君…な…んで…」
「え!?」

凛奈が呟く。その目からは涙が流れる。哀香は何かを悟ったような素振りを見せ、暗闇の中ににうっすらと見える城を睨み付ける。

「…」
「哀香?」
「…帰るわよ」

気絶した凛奈を乗せ、馬車は街まで戻った。





「本当に帰るの?」
「えぇ…」

ユタのバーに着くと、哀香は自分達の荷物をまとめた。例の森に向かうことにしたのだ。ケイトがホーリーウッドの森と呼んでいて、哀香達が霧を通ってこの世界にやって来た森、そこへ向かう。つまり元の世界に帰るのだ。

「でも、戻り方わかるの?」
「うん。なんとなくだけど予想はできたわ」

心配気味に尋ねるエリーに、哀香は迷いのない顔で答える。しかし、その顔はどこか寂しさを抱えていた。

「それじゃあ、お世話になったわ」
「うん、気をつけて…」

哀香は背を向ける。






「元気でね、優衣…」
「え?」

エリーの反応を気にすることなく、哀香は荷物を抱えてバーを出た。蓮太郎と花音も後ろを着いていく。凛奈はまだ気を失っているため、花音が背負って運んだ。エリーには哀香達の表情が読み取れなかった。


エリーは四人の後ろ姿を、暗闇で見えなくなるまで見送った。

「優衣…」

口に出してその名前を呟く。それは自分に向けて呼ばれた名前のようだった。なぜ哀香は自分を「優衣」と呼んだのか、エリーにはわからなかった。謎を抱えながらも、エリーはユタの部屋へ向かう。

キー

「ユタさん、凛奈達…元の世界に帰ったわ」
「エリー、これ…」

ユタはエリーを机の前に誘い、あの新聞記事をエリーに見せた。蓮太郎が忘れていった行方不明者の情報が記載された新聞記事だ。

「これは…私?」

そこには、エリーそっくりの優衣という少女が行方不明になっていると掲載されていた。顔写真の顔に目を奪われる。まるで鏡で写したかのようにそっくりだった。

「…」

エリーはその記事をまじまじと読む。先程の哀香の呼び方とこの記事、何かがエリーの…いや、“優衣”の中で繋がった。優衣は窓から、真っ暗な外にたたずむホーリーウッドの森を見上げた。



「ねぇ、エリーってまさか…」
「そう、そのまさかよ」

坂道を登りながら蓮太郎は哀香に聞く。

「…いいの?」
「いいわよ。もう…何もかも無駄なんだから…」

哀香の心はいつになく沈んでいた。蓮太郎もそれ以上言葉を発さなかった。二人の後を花音も着いていく。





「…」

万里は自室の窓から魔王の城のような風格でそびえ立つプチクラ山を見つめる。凛奈、哀香、蓮太郎の三人が行方不明になってから今日でちょうど一週間経つ。陽真を探しに行くと言って、自分達まで行方不明になってしまうとは。まさにミイラ取りがミイラになるとはこのことだ。

「凛奈…」

万里は凛奈の生死が心配になる。万里は凛奈を尊敬していた。突然いなくなってしまった大切な人を、いつも諦めることなく根気よく探し続ける姿に心を打たれた。かつて行方不明になった兄を探すのを諦めた自分とは正反対だ。

「お願い…神様、凛奈達を助けて…」

だから、凛奈には奇跡が起きてほしい。絶対に陽真を見つけ出してほしい。そして、無事に帰ってきてほしい。また二人と部活をしたい。あの二人が笑い合う姿が見たい。

万里は、陽真と凛奈の関係を眺めるのが好きだった。





「着いた」

哀香達は最初にこの世界にやって来た時の森の入り口に着いた。ホリーウッドの森だ。夜はいつも邪悪な闇に包まれており、奥へ進むにはかなりの勇気がいる。

「でも、どうやって元の世界に戻るの?あの霧が出てこないと帰れないよ?」

哀香は質問には答えず、静かに手を組む。目を閉じ、祈りを捧げる。



シュー
すると森の奥から霧が出てきた。哀香の祈りに答えるように。霧はあっという間に森の入り口を覆い尽くした。蓮太郎と花音は驚愕する。

「わぁ~!」
「えぇ?どういうこと?今、何やったの?」
「ただ…少しの可能性に賭けてみただけよ」

哀香は相変わらず冷めた態度のまま霧の中へと入っていった。哀香の発言の意味がよくわからなかったが、蓮太郎と花音も後を追った。




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