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第7話

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 風呂から上がりベッドへと舞い戻ってすぐに気を失うように眠りに落ちたウィリアムは、腰に走った鈍痛で目が覚めた。贅を凝らした見慣れない部屋に一瞬体を強張らせたが、すぐに気を失う前のことを思い出して体から力を抜く。
 物心ついた頃から騎士だった父から教わり体を鍛え、今は下っ端の兵士とはいえ甲冑姿で長時間門番としての仕事を勤めていることもあり体力には自信があったが、今はすっかりと喪失した。意識こそ失わなかったが、最後はもう何を口走ったのかさえ覚えていない。記憶にあるのは口移しで水を飲まされ、気づけば風呂場にいたことぐらいだ。
 金貨7枚で再び買ってもらえることになったのは正直なところありがたくはあるが、腰と腹の奥が重い。ベッドに横たわったままでもズキズキと痛む。無尽蔵な体力と絶倫ぶり、それと噛み癖さえなければ態度の悪さを咎められることもなく金払いの良さもあって最高の客だった。
 うっすらと明るくなっていた窓の外は眩しそうな光が差し込み、今が昼間であることを教えてくれる。再び気を失う前に好きなだけ休んで良いと言われたこともあり特に急ぐ必要もないが、そろそろ帰らなければ妹が心配する。

 そろそろと体を起こせば腰や腹の奥だけではなく、体全体が悲鳴を上げる。記憶にはないが、じくじくとした痛みでどこを噛まれたのかは分かった。無尽蔵な体力と絶倫振りを諦める代わりに、噛み癖だけはどうにかならないものかとウィリアムは本気で悩む。
 王宮内の兵舎に隣接された風呂場を使って仕事終わりに汗を流しているが、個室などというものは存在しない。10人ぐらいが入れる浴槽と30個のシャワーが付いた大浴場1つだけだ。兵士の数の割に風呂場が小さいのは下級兵士となれば簡単に洗うだけで良いという奴が多いというのもあるが、平民のための予算で作られたものなどそんなものだ。兵士であれば使用は自由というだけでも平民にしてみれば十分と言えた。
 背中に爪痕を作っただけで色々とからかわれると言うのに、至るところに歯形、しかも女性ではなさそうな大きなものを付けられたと知られたときの周囲の反応が非常に面倒臭い。からかわれるだけならまだ良い。色々と理由を付けて誘いを断り続けている同僚や上官、果てはかつて帝都の学園で共に学んだ級友たちや先輩たちの耳に噂が届いたときが厄介だった。

「あ~、面倒くせえ」

 心の底からの叫びをウィリアムはため息をつきながら吐き出す。

「何が面倒くさいんですか?」
「あっ?」

 誰もいないと独り言を言ったはずなのに返ってきた声にウィリアムは振り向く。部屋の扉の前、昨夜散々風呂場で世話になった男が両手でトレーを持って立っていた。

「あんたか」
「そろそろ目が覚める頃合いかと、軽食と水を持ってきました」
「気が利くじゃねえか」

 言われれば喉は渇き、腹も減っていた。昨夜は酷い目に遭わされたが、タイミングの良さもあってウィリアムは気をよくする。

「昨夜も思いましたが、もう少し品良くできませんか?」
「面倒だ」
「あなたね……」
「言っておくが、俺はまだマシだぞ。食い扶持のためだけに兵士になった下っ端は、ガラが悪いどころかお上品にしろって言われただけで鳥肌が立つような奴らばっかりだ」
「下を見てどうするんですか。成り上がりたいのなら上を見なければ」
「違いない」

 くつくつと喉で笑う。

「ただまあ、平民の兵士が出世したところで大抵は上に叩きつぶされるだけだ。なら平穏無事に暮らすためにも下を見ておいた方が良い」

 後ろ盾がある平民なら良いが、そうでなければ兵士としての道を閉ざされることもある。何事もほどほどが生きていく上で重要だ。その後ろ盾も善意であれば良いが、大半は愛人関係なのだから上を目指すのも考え物だった。

「肉はねえのか」

 手渡されたトレーには黒パンとリンゴが半切れ載った皿、野菜が少し入ったスープ、水が置かれていた。軽食と言われれば軽食だが、肉がないことがウィリアムは不満だった。

「男娼は客に勧められない限り、お肉は食べませんから」
「なんで」
「体臭がキツくなるというのもありますが、成長しきると需要がなくなるんですよ。それと消化にも悪いですから。あなただって昨夜散々揺すぶられて内臓にダメージを負っているんですから、今日は肉断ちしたほうが良いですよ」
「げえ」
「起きてすぐに肉を食べたいっていう感覚が分かりませんけどね」

 ベッドの上であぐらをかいてその上にトレーを置いたウィリアムはスープが入ったカップを手に取る。スープを少し飲めば、やさしい味がした。塩味が少々物足りなく感じるがパンの他にスープがあるだけで十分だった。

「体が資本の兵士だからな。食わなきゃやっていけない。キツい訓練のあとに飯が食えない奴は兵士には不向きだ」

 食べられるときに食べる。これが意外と難しい。訓練で食べられるようになる者もいるが、できずに兵士を辞める者もいる。幼少の頃から父親の手によって訓練されてきたウィリアムにとって、厳しい訓練のあとでも寝起きでも肉を食べられるように慣らされたこともあり当たり前のことだった。食べなければせっかく鍛えた体が痩せ細る。

 こぶし大の黒パンをちぎりながら口の中に放り込む。慣れ親しんだ味ということもあり味わうことなく次々口に放り込んだウィリアムは、あっという間に黒パンを完食した。そのまま野菜が少ししか入っていないスープも飲み干す。最後にリンゴも3口で食べきってしまったウィリアムは水も飲み干した。軽食とはいえ早々に完食したウィリアムに男は呆れ果てる。

「次回があればもう少し多めに用意しておきます」
「そうしてくれ」
「もう一休みしていきますか? それとも」
「いや、帰る」

 奇麗に食べきったトレーを返したウィリアムはベッドから立ち上がったが、腰に力が入らずにふらつく。歩けないほどではないが、明日からの仕事を考えると憂鬱だった。

「馬車の用意もできますが、乗っていきますか?」
「んなものに乗って帰ったら御貴族様の手つきになったって話題になるだろうが。歩いて帰る」

 怪我人や妊婦が荷台で運ばれることはあっても、平民が馬車に乗るなど街から街へと移動するぐらいだ。街中で馬車に乗るなどそれこそ貴族や大商人しかあり得ない。馬車での移動に心惹かれるが、馬車で帰ったときの騒ぎを考えただけで徒歩で帰る選択肢しか残らなかった。

「ここに来たときに着ていた服は?」
「こちらです」

 ベッドから少し離れていた棚の上に置かれたカゴを差し出される。そこには確かに昨日着ていた服が奇麗に畳まれていた。着ていたバスローブを脱ぎ捨て、ウィリアムは着替える。
 そういえばと昨夜無理矢理ねじ込まれた金貨はと、ポケットへと手を入れて金貨を取り出したウィリアムは枚数を確認する。昨夜は突然詰まれた金貨にきちんと枚数を数えていなかったが、金貨7枚で次を約束したぐらいだ。それより少ないということはないだろうと金貨を数えたウィリアムは立ちすくんだ。

「どうしました?」
「……御貴族様ってのは怖いね」

 顔を強張らせたウィリアムに、男はいぶかしげな顔をしながら問いかける。それに答えることなくウィリアムは金貨をポケットに戻した。

「そういえばあんた、名前は?」
「今さらですか。アダンです」

 呆れながらも答えた男――アダンに、ウィリアムは向き直る。

「ウィリアムだ。いつまでの付き合いになるかは分からないが、次もよろしく」
「あなたとは長い付き合いになりそうです」
「はっ」

 兵士と男娼。しかも下っ端兵士とおそらくは高級男娼の付き合いなどディーノの関心が消えれば即途絶えるような関係だ。物珍しさもあって数度呼ばれることはあるだろうが、そう長く続くことはないというのがウィリアムの判断だった。長くても精々数ヶ月。あっという間の付き合いが果たして長いと言えるのか。思わず鼻で笑ったウィリアムにアダンはにっこりと笑う。

「鼻で笑ったこと、精々後で目一杯悔やんでください」
「……冗談だよな?」
「本気です」

 真剣なアダンに気圧されてか、体が小さくブルリと震えた。






「――お兄ちゃん!!」

 いつもより時間をかけて自宅にたどり着けば、ただいまと言う前に帰宅に気づいた妹に飛びつかれ、いつものように抱き留めたウィリアムは腰に走った鈍痛に玄関の取っ手を握りしめたまま呻き声を上げる。慌ててウィリアムから離れたリタはオロオロする。

「えっ、ちょっと、お兄ちゃん大丈夫!?」
「大丈夫だ。昨日ちょっと腰を強打しただけだから……」

 平気だと言い切りたかったが、油断しきっていた最中の追い打ちに体があちこち悲鳴を上げる。普段弱った姿を滅多に見せない兄の珍しい姿にリタは慌てる。

「大変!! エマおばさん呼んでくる!?」
「少し横になって休んでいれば大丈夫だから。それより昼は食べたのか?」
「お昼の鐘が鳴ってからどれぐらい経ったと思ってるの。エマおばさんのところでご馳走になった」
「あとでエマおばさんにはお礼しなきゃな」
「うん」

 近所に住む中年夫婦はなにくれとなく世話を焼いてくれる。特に妻であるエマは娘が欲しかったとリタのことを可愛がってくれていた。ウィリアムが16歳、リタが10歳の時に両親が亡くなりここへと引っ越してきて以来、一番世話になったのがエマ夫婦だ。体が弱くよく寝込んでしまうリタを仕事で休めないウィリアムの代わりに嫌な顔1つせずに面倒を見てくれてもいた。息子3人いるがすでに独立していることもあり、夜勤や夜遅くなりそうな時、外泊しそうな時はリタを度々預かって貰ってもいた。お陰でエマ夫婦には頭が上がらない。

「リタ、今日体は大丈夫なのか?」
「今日はね、平気。ご飯もいつもより食べられたんだよ」

 えへへと笑いながら褒めてと言うリタの頭をウィリアムは撫でる。
 両親が亡くなってから3年。13歳となったリタは幼少の頃から病弱なせいか、同年代の子より頭半分ほど小さい。19となったウィリアムとは頭2つ分近く小さなリタはウィリアムにとって、いくつになってもかわいく、守らなければいけない妹だった。

「リタ」
「なあに、お兄ちゃん」
「腹が減った」

 言葉にすればお腹もそれを訴えるかのようにぐうっと鳴る。それに目を瞬かせたリタは、仕方がないなあと笑う。

「何か用意するね」
「肉も用意してくれ」
「分かった」

 パタパタと駆け出したリタの後ろ姿を眺めてから、ウィリアムは玄関の扉を閉めキッチリと鍵をかける。
 ポケットに手を入れれば、カチャカチャと音が鳴る。カウンターに乗せられた金貨は多くても10枚だったはずだ。それが15枚ここにある。いつの間にか増えていた金貨に恐ろしくはあったが、これでもまだダラム病の治療費には足りない。あと何度呼ばれるか分からないが、大金を支払ってくれるならウィリアムは拒否しない。

「お前のことはちゃんと兄ちゃんが守ってやるからな、リタ」
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