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店主の怒り
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大学生だった頃、行きつけの定食屋があった。
お金がないくせに外食することが多かった僕には、千円もしないメニューもあるこの店がまるで天国だった。
当然、引っ越してからこの店の常連になるのに一か月もかからなかった。
商店街と住宅街の人気の少ない狭間という微妙な位置にあり、オーナーの代替わりを感じさせるビル。
普通の人より歴史のある家具、何度入っても、懐かしさと暖かさを感じずにはいられなかった。
これは、秋の終わりと冬の到来を同時に告げる、紅葉が枝より地面を飾っている時期の話。
発見してから三ヶ月。講義帰りがてら遅めの昼食を食べに立ち寄った僕。そしていつも店番をしているおじさん。二人しかいなかった。
その日は奮発することにして、ペコペコだった僕はトレイが置かれるとすぐさまカツ丼セットを平らげた。
その後ぼーっとしながら店を見渡したら、いつも冷静で気楽なおじさんが目を細めて掛け時計を見て、態度が一変して、そわそわし始めた。
好奇心がくすぐられて、尋ねてみた。
「おじさんってさ、なんでいつも急にせかせかし出すんっすか? なんか、柄にないなと思って」
「それがね、もうすぐ店主が帰って来るから、なんかじっとしてられなくてね」
「え? 店主が怖いってことっすか? てゆーかてっきり一人で店をやってると思ってたんっすけど」
「ある意味そうだけど、ある意味そうでもないね」とあやふやな生返事。
謎解きの気分がなかった僕は、その辺にしておいた。
帰り道におじさんの言ったことが引っ掛かり、反芻した。
店主って、一体どんな人なんだろう。なんか、会いたくないな。
例の一件の次の週、とある午後の話。
空っぽだと知りながらもう一度冷蔵庫を確認して、どうせでかけるなら外食しよう、と自分に言い聞かせた。
おじさんはいつも昼より夕方の方が客が多いと言っていたから、僕が来店するなら昼に行くようにしていた。
なので、おじさんを除いて家の冷蔵庫と並ぶほどガラガラだった店に入って、思わずビックリした。
「おお、いつもより遅いね、君」となぜか不安じみた声のおじさん。
適切な返事を見つけられなかった僕は小さな笑みを浮かべてから上着を椅子に掛けて適当に温かい何かを頼んだ。
また何も起こらない夕食になりそうだと思った、その時・・・
「あんたまた座り込んでいるの? お医者さん言っていたでしょう? ちゃんと立って足を動かしなさい!」
亡くなったおばあちゃんが言いそうな発言にふと立ち上がりそうになったが、我に返り席の位置を調整するフリをして誤魔化した。
玄関へと目をやって。見知らぬおばさんが知らない間に玄関に突如現れて、おじさんに向けて強い目つきで睨んでいた。
座り心地が悪そうにしている僕と平然を装いながら目が泳ぐおじさん、目が合うとそこに気まずい空気が流れた。
それから、追い詰めるようにカウンターに迫って、健康とそれ以外の全然関係のない説教がぐだぐだと三分以上続いた。
いつの間にか、僕は客から眼中ですらにない虫に降格されたようだった。
いよいよ食べ終わって、もう逃げ場はなくなっていた。
おじさんの怯えが僕に移ったかのように、おずおずとレジへと足を運んで、いつにもまして礼儀正しく
「お会計したいですが・・・」
「うちの旦那さんからあなたのこと聞いたわよ。まいどあり、また来てくださいね」
店主の言葉が恐怖心を払拭するには及ばず、前と同じ慌てぶりで返事を
「はい、します!」
自分のカッコ悪さに肩身の狭い気分を味わった。
老人とはこれほどの強敵なのだと、その時分かった。
その週の週末、買い物のついでに、珍しく神社にお参りをしに行った。
普段は賽銭箱の前に立ってから適当に典型的な願掛けを思いつくけど、その日は事前に決めておいたのがあった。
今日も、これからも、おじさんが店主の怒りを免れられますように。
お金がないくせに外食することが多かった僕には、千円もしないメニューもあるこの店がまるで天国だった。
当然、引っ越してからこの店の常連になるのに一か月もかからなかった。
商店街と住宅街の人気の少ない狭間という微妙な位置にあり、オーナーの代替わりを感じさせるビル。
普通の人より歴史のある家具、何度入っても、懐かしさと暖かさを感じずにはいられなかった。
これは、秋の終わりと冬の到来を同時に告げる、紅葉が枝より地面を飾っている時期の話。
発見してから三ヶ月。講義帰りがてら遅めの昼食を食べに立ち寄った僕。そしていつも店番をしているおじさん。二人しかいなかった。
その日は奮発することにして、ペコペコだった僕はトレイが置かれるとすぐさまカツ丼セットを平らげた。
その後ぼーっとしながら店を見渡したら、いつも冷静で気楽なおじさんが目を細めて掛け時計を見て、態度が一変して、そわそわし始めた。
好奇心がくすぐられて、尋ねてみた。
「おじさんってさ、なんでいつも急にせかせかし出すんっすか? なんか、柄にないなと思って」
「それがね、もうすぐ店主が帰って来るから、なんかじっとしてられなくてね」
「え? 店主が怖いってことっすか? てゆーかてっきり一人で店をやってると思ってたんっすけど」
「ある意味そうだけど、ある意味そうでもないね」とあやふやな生返事。
謎解きの気分がなかった僕は、その辺にしておいた。
帰り道におじさんの言ったことが引っ掛かり、反芻した。
店主って、一体どんな人なんだろう。なんか、会いたくないな。
例の一件の次の週、とある午後の話。
空っぽだと知りながらもう一度冷蔵庫を確認して、どうせでかけるなら外食しよう、と自分に言い聞かせた。
おじさんはいつも昼より夕方の方が客が多いと言っていたから、僕が来店するなら昼に行くようにしていた。
なので、おじさんを除いて家の冷蔵庫と並ぶほどガラガラだった店に入って、思わずビックリした。
「おお、いつもより遅いね、君」となぜか不安じみた声のおじさん。
適切な返事を見つけられなかった僕は小さな笑みを浮かべてから上着を椅子に掛けて適当に温かい何かを頼んだ。
また何も起こらない夕食になりそうだと思った、その時・・・
「あんたまた座り込んでいるの? お医者さん言っていたでしょう? ちゃんと立って足を動かしなさい!」
亡くなったおばあちゃんが言いそうな発言にふと立ち上がりそうになったが、我に返り席の位置を調整するフリをして誤魔化した。
玄関へと目をやって。見知らぬおばさんが知らない間に玄関に突如現れて、おじさんに向けて強い目つきで睨んでいた。
座り心地が悪そうにしている僕と平然を装いながら目が泳ぐおじさん、目が合うとそこに気まずい空気が流れた。
それから、追い詰めるようにカウンターに迫って、健康とそれ以外の全然関係のない説教がぐだぐだと三分以上続いた。
いつの間にか、僕は客から眼中ですらにない虫に降格されたようだった。
いよいよ食べ終わって、もう逃げ場はなくなっていた。
おじさんの怯えが僕に移ったかのように、おずおずとレジへと足を運んで、いつにもまして礼儀正しく
「お会計したいですが・・・」
「うちの旦那さんからあなたのこと聞いたわよ。まいどあり、また来てくださいね」
店主の言葉が恐怖心を払拭するには及ばず、前と同じ慌てぶりで返事を
「はい、します!」
自分のカッコ悪さに肩身の狭い気分を味わった。
老人とはこれほどの強敵なのだと、その時分かった。
その週の週末、買い物のついでに、珍しく神社にお参りをしに行った。
普段は賽銭箱の前に立ってから適当に典型的な願掛けを思いつくけど、その日は事前に決めておいたのがあった。
今日も、これからも、おじさんが店主の怒りを免れられますように。
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