表裏一体物語

智天斗

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三章 なごみ編

三章6 面をつけた天狗

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「た、助かったの…?」

妖花は身体をようやく起き上がらせた。
それは烏天狗が立ち去ってからすぐのことだった。

「うぅ…まだ痛む」

口の中は血の味がする。吐血した自分の血がそこら中に散らばっている。

「これ、私の血なの…?」

血の量に驚いた。それに身体の痛みが酷い。
身体中が悲鳴を上げている。あの一突きの痛みは思い出すだけでも痛く、考えようとするのを拒ませた。
しかし、まずは思う。

「でも…」

ぎゅっと自分の体を抱きしめる。

「生きてる…私生きてる…」

生きている。心臓が動いている。鼓動を感じる。それだけで嬉しかった。あれだけの相手を前にして生きていたことが奇跡。
周りを見渡すとそこらは先ほどの烏天狗とのやり取りでめちゃくちゃになっていた。

「それよりも…先輩!」

重たい体を動かし、丸太の上で倒れ込んでいる新道のところへと向かう。

「大丈夫ですか!?」

体を揺さぶるも反応がない。

「せ、先輩…!」

心配になり、口元に耳を持っていくと息をしている。
生きている。よかった。

「気を失ってるだけか…あの烏天狗の言っていたことは本当だったみたいね」

最後、あの烏天狗が私たちのもとから去る時に言っていた。
『運のいい奴め。意識を失ってギリギリのところで交わすとはな』と。

 「結局あの烏天狗は何があって私たちのもとから去ったのだろう。追手?それとも…」

「もしかして…!」

妖花は一つだけ可能性を考えた。

「赤理さんのような"怪者払い"の人が近くに来てたのかな?」

その可能性もあると考えた。赤理の言っていた"怪者払い"の仕事は妖怪を倒す仕事らしい。ならばここにいた烏天狗を倒すのが目的で来ていたのかもしれない。
烏天狗が逃げる理由は敵わない敵が来たからだろう。ただの一般人が来ていたのなら私たちを殺したあとその一般人を殺せばいいだけなのだから。

「本当に怪者払いの人が来ているなら今の私たちは足手まといにしかならないしここから去るのが一番いいかな」

少しだけ不安な点もあった。"怪者払い"の人が来ているなら私たちのところに来る可能性が高い。記憶を消すなりなんなりするはずだからだ。もしかすると仕事を終えてから来るのかもしれない。
それはそれで困る。

「それに記憶を消される可能性もある。先輩の方はほとんど無傷だからとりあえず神社へ向かおう」

妖花は気を失った新道を担ぎ上げる。

「よいしょっと」

新道の体を持ち上げるとぐったりとしていて全体重が私にかかってくる。しかし、妖花もそれなりにトレーニングはしてきたので人を一人持ち上げるのぐらいは楽だった。
しかし、一歩踏み出した瞬間だった。

「ぐっ…」

その一歩で自分がどれだけ傷ついているかがわかった。

「これは…辛い。辛いけど、頑張れ、私!」

そう強く思いながら妖花は神社の方へと向かった。
一歩、一歩、重い体を動かす。
妖花といえど中学生が中学生を持ち上げながら歩くのは時間が経つにつれて力を失う。出来る限り早くあの神社へと辿り着かなくてはならなかった。
それに烏天狗受けた攻撃で体が悲鳴を上げている。足が軋む。

「はぁはぁはぁ」

そういえばあれからあの烏天狗はどこに行ったのだろうか。記憶があまりない。どちらの方向に逃げたんだっけ。

「次にあったら本当に殺される」

恐怖を感じつつもなぜ私たちが助かったのか理由が知りたかった。
だけど今は逃げることが先決。

「まずは神社に!」

少しずつ、少しずつ歩く。
ぐったりとしている新道をなんとか今もてる力を振り絞って支える。

「多分こっちのはずなんだけど」

おそらくこちらだろう、その自分の直感を信じるしかない。今は頭も回らないし考えようとしても頭痛が邪魔をする。
 
それにしても運が悪い1日だ。まさか探索初日に烏天狗という妖怪に出会うとは。それに襲われてこの怪我…。私は何のために鍛えていたのだろうか。
赤理さんに憧れて鍛え始めた。あんな風になりたかった。だけど結果はこの様だ。
受け身も取れずたまたま背負っていたバッグのおかげで急死に一生を得た。
これではダメだ、あの時の赤理さんの動きを見たからこそ今の自分の力のなさを感じる。

「あれ…」

涙が流れていた。
悲しいわけではない。もうよくわからなかった。

「あぁ…。なんだろう、この涙。あの人のようになれたらと思っていただけだったのに」

唇を噛み締めた。

「何が鍛えてる…だ。たかが女子中学生が何をやっても妖怪にかなうわけがない」

ただの運動神経の良い中学生なんてそこら中にいる。
私はそのうちの一人でしかない。

「実際に妖怪を前にしてこんなにも力がないなんて…。夜市での件もあったから少し自分に自信はあったけどただの自信過剰だったみたいね」

傷だらけの体を見てため息を吐く。

これまでの時間は無駄ではないということを証明したかった。
しかし、そううまくいくようなものでもなかった。

「このままではだめな気がする」

それでも一つだけ違うことならある。妖怪を見て、出会い、そして今も…

「でも妖怪に出会わなければ私は多分普通に暮らしていくだけだった。少しでも変われた…そんな気はしてるから」

妖花は涙を拭って呟いた。

「私なりにやってみるしかない。私にしか出来ないことがあるかもしれないから」

少し気持ちを立て直した妖花は新道を運びながら森の中を歩く。

その時、音が聞こえてきた。

「この音…」

妖花は新道を木にもたれるようにそっと置いて、音のする方に近づく。

なんだろうか。聞いたことのある音だ。

「この音はさっきの烏天狗…?すごく弱ってるみたいな音」

音、心音。それが聞こえた。
しかしこんな近くに来ているとは思わずそっと身を隠して覗き込む。
すると烏天狗の姿が目に映った。

「あっ、いた!」

小声でそう思わず言ってしまい、慌てて木陰に隠れて様子を伺う。そこには倒れている烏天狗と烏天狗の腕を踏みつけている妖怪がいた。

「怪者払いではなかった。他の妖怪みたい」

しかし、妖花にはその妖怪が何かはわからなかった。それはその妖怪の顔がよく見えなかったからだった。ちょうど葉っぱが邪魔をして顔だけが見えない。その顔を一目見ようと体をずらしてその顔を見た。

「ん?面…?」

妖花が見たその妖怪の姿は天狗の面を付けていた。皆が思う天狗とは違って鼻が長くなく、顔の横に真っ赤な天狗の面をつけているため顔は確認できない。
烏天狗と同じように山状の服装に翼が生えている点は同じだった。

「あれではどんな妖怪かわからない。それに妖怪が妖怪を襲っていたのね」

妖怪が妖怪を襲うことは夜市での経験でも知っていた。まぁあの時は私を狙っていたという理由もあったがあの妖怪達も何かしらあったのだろうか。
そんなことを考えていると声が聞こえてきた、その声を耳をすませて聞く。

『そ、その面は…、見覚えがあるぞ。私を捕まえにきたのか?天狗の里の者だろう。貴様』

それを聞いて妖花は思う。

「あれが天狗?それに天狗の里ってことはこの世界にあるってこと?」

疑問に思うが詳しいことを聞けるはずがないのでとりあえず妖怪の言葉に耳を傾ける。
口を閉じて妖怪のやりとりを見ていると面を付けた天狗が話を始める。

『えぇ、そう。それにしてもこんなところに隠れているとは。罪を犯し、逃げた宝寓坊ほうぐうぼうよ』

宝寓坊?それがあの烏天狗の名前なのか。
それにあの天狗の面を付けた妖怪…。なんだろう、何処かで会った気がするのは気のせいだろうか。
妖花は会ったことがないはずの妖怪を見てなぜか何度もあったように思ってしまう。
それがなぜなのかは分からないけれど。

『その面にその顔。お前は里の疎まれ者?』

『だとしたら…?』

その声には圧がかかっていた。妖花は自分が言われているはずがないのに身体中から汗がにじむ。一度妖怪達を見るのはやめて、前を向いた。

「はぁはぁ…」

深呼吸をして自分の息を保つ。
触れてはならないものに触れた気分になった。バレていないのか心配ではあるが今は自分の気持ちを落ち着かせることの方が大事だろう。
もう一度覗いてみるとこちらには気が付いていないようだったがもう足がすくんで動かなくなっていた。

「あの感じ…。どこかで」

そんなことを思っていると宝寓坊、そして面を付けた天狗が話し始めていた。

『お前があの疎まれ者か。そうか、お前がか』

『そう。だとして、何か言いたいことでもある?』

『"半端者はんぱもの"が…。この私がお前などに遅れをとるとはな』

仰向けで横たわる宝寓坊ほうぐうぼうこと烏天狗は荒く息を吐いている。そんなことは気にせずに面を付けた天狗はその言葉に静かな怒りを覚えていた。

『どうとでも言いなさい。しかし気に触るからその嘴をへし折っても構わない?』

踏んでいた腕に力が加わり、烏天狗が叫ぶ。

『ぐぁ…』

『お、俺は間違ったことを言っていないだろう。お前の家系の中でお前は"異分子"、"半端者"と罵られているだろう、知っているんだぞ』

『それがどうした。それは今のあなたには関係ないだろう』

『いや、関係あるに決まっている。貴様などにやられたとなれば我が一族の恥となる』

宝寓坊は体に力を入れて言い張った。
そう言われた面を付けた天狗は嘲笑うかのごとく宝寓坊を見つめた。

『掟を破ったお前に一族などと言う資格はない。私が半端者だろうがあの方々に認められるためならなんだってやっている』

『あの方々?そうか、"八地天狗"か!それだと、どうだかな。たかが私を捕らえたところで認められると思っているのか?』

『思う?別にあなたを捕えることは踏み台でしかない』

『くっ、そうかそうか。だがな、お前は絶対に認められるわけがない!お前の母親は外に出られず軟禁状態。そして父親は人間との子供が白日の下に晒され処罰。そして最後には父も母もどうなったか…なんて考えただけですぐにわかる。なんという愚かな者たちだ』

そしてそのあと口にした苗字に妖花は何かを感じ取った。

『優秀だった天野一族の末裔よ』

天野…?いや、まさか。でも初めにあの天狗を見たときに感じた初めて会った感じはしなかったけど…。
すると面を付けた天狗の抑えていた怒りが噴き出した。

『私が何を言われても別にいい。だが!!』

面をつけた天狗の方が思いっきり足で宝寓坊の腕を踏みつけ、鈍い音が聞こえた。

『ぐぁぁぁぁ!!!!!!』

『父様と母様を愚弄することは許さない!』

顔が見えるわけではないが怒りの表情で宝寓坊を睨んでいるということは妖花には分かった。その姿に妖花は顔を背ける。そのため宝寓坊と面を付けた天狗の声だけが聞こえていた。

『だがな、事実は事実。お前という異分子をあの方々が認めてくれるはずがないだろう!』

はぁはぁと痛みを堪えながらも宝寓坊は面を付けた天狗に向けて言葉をぶつける。

『それはそれで構わない。もう、構わない。認められるなどは正直自分のためではないからな』

『どういうこと…だ?』

すると面を付けた天狗は苦しそうな声で告げる。

『母様と父様のためだ。私が認められない限り二人が汚名を背負ったままになる』

『親のために認められたいだと…?笑わせてくれる。そんな言い訳などききとうないわ。結局は自分のためだろう?』

痛みを必死に押さえながら自分の思ったことを殺されそうになる今でも宝寓坊は告げる。

『違うが違わない。自分が認められることが必要なのだ』

『それとこれは個人的な話だが、あなたに聞きたいことがあるが答えてくれるか?いや、答えろ』

『今の状況で答えないわけがないだろう』

痛みに耐えながら面の天狗に告げる。すると少しだけ足の力を緩めた。

『私はな、私が今生きながらえている理由が分からない。あなたも天狗の掟を知っているのなら分かるだろう?』

その言葉を聞いて宝寓坊は答える。

『あぁ。なぜお前が生きているのか…。そんなことは知らない、位の上のものだけが知っているだろうからな…』

なんの話をしているのだろうか。妖花は聞いていてもあまり良く分からなかった。
天狗の掟なるものを知っていないかぎりその話を充分に理解はできなかったからだ。

『罪を犯したものも知らないか。聞きたいことは聞けた。私は認めてもらい自分がなぜ生きていられるのか、それを知ることだけが私の目的。しかし、位の低い、それに私のような者に耳を傾けてくれるものなどおらんからな。それにもう一つの目的…』

少しいうのを躊躇していたが結局目的は答えなかった。

『目的は言わない。それは私の心のうちに秘めているものだからな』

もう一つの目的を言おうとはしなかった。何か言えない理由でもあるのだろう。

『別に構わん。お前のことなど興味がない。あの日から俺は変わった。お前ら同胞を地獄に送ってからというもの追われ、逃げ、そんな日々だった』

『そうか、運が悪かったようだな。見つかってしまうとは』

『あぁ。それで…私はどうなる?殺すのか?殺さないのか?殺すなら今殺せ。私は同胞を何体も地獄に送ってきたからな』

『そうだな…』

『殺すなら殺せ』

疲れ切った表情の中に腹を決めたような覚悟がその瞳に見えていた。


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