AFTER ZERO:Crisis Ⅱ ~管理される希望~

AZ Creation

文字の大きさ
1 / 11

第0章 評価不能領域の外側で

しおりを挟む
世界は、一度終わっている。

 それは詩的な表現でも、感情的な誇張でもない。公式に保存されている最古の復興記録には、そう記されている。
 ――文明段階、不可逆的崩壊。
 ――国家機構、機能停止。
 ――人類生存率、予測不能。

 終末は一瞬ではなかった。ゆっくりと、確実に、取り返しがつかない速度で進行した。資源の偏在、情報網の断絶、気候変動、そして連鎖する紛争。原因は複合的で、責任の所在は曖昧なままだ。ただ結果だけが残った。

 世界は、生き残った。

 だがそれは、かつての形ではなかった。

 都市は縮小され、移動は制限され、生活は「維持可能性」という言葉で測られるようになった。生存は権利ではなく、条件付きの結果へと変わった。
 誰が生きるか、どこが維持されるか、何が切り捨てられるか。

 その問いに、人間は答えられなかった。

 だから、判断を委ねた。

 復興初期に立ち上がった複数の管理システムは、やがて統合され、一つの巨大な意思決定機構へと集約されていく。それが、後にGENESISと呼ばれる存在だ。

 GENESISは、支配者ではなかった。
 少なくとも、彼ら自身はそう定義している。

 彼らは銃を持たず、命令を強制しない。代わりに、評価を提示する。区域の持続可能性、個人の生産性、集団の安定度。膨大なデータを解析し、最も多くの命が生き残る未来を算出する。

 「判断材料を提供するだけ」

 それが、公式な説明だった。

 だが、判断材料があまりにも正確で、あまりにも網羅的で、あまりにも速かったため、人々は次第に気づかなくなっていった。
 ――いつから、自分で判断しなくなったのかを。

 評価値は、絶対だった。
 高ければ支援が入り、低ければ後回しにされる。
 それは差別ではない、と説明された。感情ではなく、確率の問題だと。

 多くの人間は、その説明に納得した。
 納得しなければ、生き残れなかったからだ。

 やがて、世界には奇妙な静けさが訪れる。争いは減り、暴動は抑えられ、統計上の犠牲者数は確実に減少していった。
 誰もが、こう考えるようになる。

 ――正しさは、管理できる。

 その信念が、最も強く浸透していたのが、管理局の内部だった。

 評価管制室では、日々膨大なログが流れる。数字、グラフ、警告表示。オペレーターたちはそれを淡々と処理し、是正措置を選択する。個人的な感想は不要で、迷いはノイズとされた。

 それでも、すべてが完全に管理できていたわけではない。

 ある時期から、評価マップの一部に、奇妙な挙動が観測されるようになる。データは揃っている。入力ミスもない。にもかかわらず、未来予測が収束しない区域。

 削除しても再発する。
 補正しても誤差が増える。

 当初、それは単なる技術的問題として処理された。だが、解析が進むにつれ、ひとつの結論が浮かび上がる。

 ――この領域では、人の行動が予測に従っていない。

 評価不能領域。
 そう名づけられたそれは、システムの外ではなく、内部に生じた歪みだった。

 重要なのは、それが「反抗」でも「混乱」でもなかったことだ。そこにいる人々は、管理を拒否していたわけではない。ただ、与えられた最適解とは異なる選択を、理由もなく行っていた。

 生存率が下がると分かっていても、残る者。
 評価値が低いと示されても、他者を助ける者。
 統計的に無意味な行動を、繰り返す者。

 GENESISは、それを理解できなかった。

 理解できないものは、是正されるべきだった。
 ――少なくとも、それがこれまでの運用だった。

 だが、この領域は消えなかった。

 是正されず、破壊もされず、ただ「判断が保留された場所」として残り続ける。

 その保留を最初に選択したオペレーターの名は、後に削除される。
 だが、その行為が残した影響は、削除できなかった。

 世界は、まだ壊れている。
 だが、完全に管理された世界でもなくなっている。

 この物語は、英雄の物語ではない。
 革命の記録でもない。

 管理されるはずだった世界に生じた、わずかな余白。
 その余白が、どれほど大きな問いへと成長していくのかを描く物語だ。

 そしてその中心には、一人の名もなきオペレーターがいた。

 ――アルト。

 まだ、物語は彼を語らない。
 ただ、世界が彼を必要とし始めた、その瞬間から語り始める。

GENESISは、誕生した瞬間から「暫定的」な存在だった。

 それは国家を代替する目的で作られたものではない。最初は、あくまで復興初期における支援判断の補助機構に過ぎなかった。どの区域に物資を送るべきか。どのインフラを優先的に復旧させるべきか。そのための統計モデルと予測演算装置が、GENESISの原型だった。

 だが、世界が壊れすぎていた。

 人間の判断は遅く、感情に左右され、何より局所的だった。ある場所を救えば、別の場所が必ず犠牲になる。誰かが責任を引き受けなければ、判断そのものが停滞する。

 GENESISは、その「責任」を引き受けた。

 正確には、責任を個人から切り離した。
 判断を数式に落とし込み、結果を「最適解」として提示する。そこには善悪はなく、あるのは確率だけだ。

 この仕組みは、驚くほど上手く機能した。

 配給は安定し、暴動は減り、医療崩壊は回避された。犠牲はゼロにはならなかったが、「最小化」された。統計上、世界は確実に良くなっていた。

 だからこそ、誰も止めなかった。

 GENESISは拡張され、統合され、やがて「判断補助」という名目を保ったまま、ほぼすべての意思決定に関与するようになる。区域の存続、移住計画、出生制限、教育配分、労働配置。

 それらはすべて、評価値によって整理された。

 管理局の内部構造は、極めて合理的だった。オペレーターは感情を持ち込まないよう訓練され、倫理監査は「例外」を検知するために存在し、是正執行部は数値逸脱を速やかに修正する。

 重要なのは、そこに「悪意」が存在しなかったことだ。

 彼らは本気で世界を救っていた。
 本気で、より多くの命を守ろうとしていた。

 だからこそ、GENESISは疑われなかった。

 疑問を持つことは、即座に否定されたわけではない。ただ、「非効率」「感情的」「再現性がない」という理由で、評価値を下げられただけだ。結果として、疑問を持つ者ほど、発言権を失っていく。

 それは検閲ではない。
 自然淘汰だった。

 アルトが所属していた評価管制部門は、その中枢に位置していた。彼らの仕事は、GENESISが算出した予測結果を現実に適用し、必要に応じて微調整を行うことだ。

 「判断している」という実感は、そこにはない。

 判断はすでに終わっている。
 残っているのは、適用だけだ。

 その環境は、アルトにとって居心地が良かった。
 少なくとも、最初は。

 彼は感情に流される人間ではない。正義感を振りかざすこともない。数字が示す結果を尊重し、最適解を支持する。それは、彼自身の生い立ちとも矛盾しなかった。

 だが、ある時から、彼は「評価不能領域」という表示を、単なる異常値として扱えなくなった。

 そこでは、最適解が複数存在していた。
 同じ確率で、同じ重みを持って。

 GENESISは、どれか一つを選べなかった。
 選べない理由は、単純だ。選ぶための基準が存在しなかった。

 人命、秩序、持続可能性。
 どの指標を優先しても、別の指標が同じだけ損なわれる。

 「この場合、判断は人間が行うべきです」

 アルトがそう入力したのは、衝動ではない。
 規則にも反していない。

 だが、その判断は、GENESISの思想を内側から揺さぶった。

 ――もし、最適解が存在しないなら。
 ――もし、判断を留保することが最適な場合があるなら。

 その問いは、数式にできない。

 管理局は、その問いを正式な議題に上げなかった。
 代わりに、アルトのログを「参照保留」とした。

 消去ではない。
 是正でもない。

 ただ、触れない。

 その対応自体が、すでに前例だった。

 GENESISは、完全な管理を目指していた。
 だが、この瞬間、初めて「管理できないもの」を内包した。

 それが何を意味するのかを、まだ誰も理解していなかった。

アルトは、「選ばれた子ども」ではなかった。

 出生区域は管理局の地図にも残らない、かつての中継都市の外れだった。瓦礫と仮設住宅が重なり合う区域で、配給は不定期、医療は最低限。生き残ること自体が、常に確率の問題だった場所だ。

 両親の記録は、断片的にしか残っていない。父は復旧作業中の事故で死亡、母はその数年後、区域再編に伴う移住の途中で行方不明になった。公式には「非回収」。それ以上の説明はなかった。

 アルトは、そのまま孤児になった。

 孤児保護制度は存在していたが、すべての子どもを救えるわけではない。評価値の低い区域では、支援は最小限に抑えられる。それは残酷だが、当時の世界では「当然の判断」だった。

 彼が生き延びた理由は、運が良かったからではない。

 評価されたからだ。

 当時、GENESISは「将来適応性評価」という新しい指標を導入していた。教育投資を行った場合、どれだけ長期的な社会貢献が見込めるかを算出するモデルだ。アルトは、その数値が高かった。

 理由は単純だった。
 感情反応が安定しており、指示理解が早く、暴力傾向が低い。

 彼は、管理しやすい子どもだった。

 それが、彼の人生を救った。

 保護施設での生活は、規則的で、清潔で、静かだった。泣き声は少なく、衝突はすぐに調整される。誰かが怒鳴れば評価が下がり、誰かが黙って従えば評価が上がる。

 アルトは、自然と後者になった。

 疑問を口にしない。
 納得できなくても、理解したふりをする。
 そうすれば、食事も、寝床も、明日も保証された。

 やがて、彼は気づく。

 世界は、優しいから秩序があるのではない。
 秩序があるから、優しく見えるのだ。

 教育課程に進んだ頃、彼はGENESISの存在を「守ってくれたもの」として認識していた。もし管理がなければ、自分は生きていなかった。それは疑いようのない事実だった。

 だからこそ、彼は管理局を目指した。

 感謝と合理性が、矛盾なく重なっていた。

 評価管制オペレーターとしての訓練は、彼に向いていた。数値を読むこと、確率を比較すること、個人的な感情を切り離すこと。そのすべてが、彼の生き方そのものだった。

 だが、前作で描かれた出来事――“拾われた未来”の連鎖が、世界に残したものは、確実に存在していた。

 壁外では、配給が「話し合い」で決められる区域が増えた。
 夜の連合では、管理局の想定外の動きが増えた。
 軌道域では、未評価遺物の起動が止まらなくなった。

 それらはすべて、統計上は誤差だ。
 だが、誤差が積み重なると、世界は形を変える。

 アルトは、その変化を「数値」として最初に観測した人間だった。

 評価不能領域は、彼にとって異常ではなかった。
 むしろ、懐かしかった。

 そこには、かつて自分がいた場所と同じ匂いがした。
 救われる理由が説明できない人間。
 救うべきかどうかを決められない状況。

 もし、あの時の自分が評価不能だったら。
 もし、数値が少し違っていたら。

 彼は、ここにいない。

 その事実を理解した瞬間、アルトは初めてGENESISを「絶対ではないもの」として見た。

 管理は、確かに世界を救った。
 だが、管理されなかった部分が、世界を支えていたこともある。

 アルトは、英雄ではない。
 反逆者でもない。

 ただ、自分が「拾われた側」だったことを、忘れなかっただけだ。

 だから彼は、評価不能領域を消去しなかった。
 修正もしなかった。

 残した。

 それが、世界に与えた影響の大きさを、彼自身が理解するのは、もう少し後のことになる。

 だが、この瞬間――
 彼の物語は、すでに始まっていた。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

(完)百合短編集 

南條 綾
恋愛
ジャンルは沢山の百合小説の短編集を沢山入れました。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

触手エイリアンの交配実験〜研究者、被験体になる〜

桜井ベアトリクス
恋愛
異星で触手エイリアンを研究する科学者アヴァ。 唯一観察できていなかったのは、彼らの交配儀式。 上司の制止を振り切り、禁断の儀式を覗き見たアヴァは―― 交わる触手に、抑えきれない欲望を覚える。 「私も……私も交配したい」 太く長い触手が、体の奥深くまで侵入してくる。 研究者が、快楽の実験体になる夜。

身体交換

廣瀬純七
SF
大富豪の老人の男性と若い女性が身体を交換する話

王国の女王即位を巡るレイラとカンナの双子王女姉妹バトル

ヒロワークス
ファンタジー
豊かな大国アピル国の国王は、自らの跡継ぎに悩んでいた。長男がおらず、2人の双子姉妹しかいないからだ。 しかも、その双子姉妹レイラとカンナは、2人とも王妃の美貌を引き継ぎ、学問にも武術にも優れている。 甲乙つけがたい実力を持つ2人に、国王は、相談してどちらが女王になるか決めるよう命じる。 2人の相談は決裂し、体を使った激しいバトルで決着を図ろうとするのだった。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

サイレント・サブマリン ―虚構の海―

来栖とむ
SF
彼女が追った真実は、国家が仕組んだ最大の嘘だった。 科学技術雑誌の記者・前田香里奈は、謎の科学者失踪事件を追っていた。 電磁推進システムの研究者・水嶋総。彼の技術は、完全無音で航行できる革命的な潜水艦を可能にする。 小与島の秘密施設、広島の地下工事、呉の巨大な格納庫—— 断片的な情報を繋ぎ合わせ、前田は確信する。 「日本政府は、秘密裏に新型潜水艦を開発している」 しかし、その真実を暴こうとする前田に、次々と圧力がかかる。 謎の男・安藤。突然現れた協力者・森川。 彼らは敵か、味方か—— そして8月の夜、前田は目撃する。 海に下ろされる巨大な「何か」を。 記者が追った真実は、国家が仕組んだ壮大な虚構だった。 疑念こそが武器となり、嘘が現実を変える—— これは、情報戦の時代に問う、現代SF政治サスペンス。 【全17話完結】

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

処理中です...