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第16章:非ログ救助(再発)
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――救われた数だけ、世界は壊れる。
壊れるのは街じゃない。“説明”だ。
影の領域は、音が薄い。
壁が閉じた瞬間、
外の世界は“別の物語”になった。
封鎖線の向こうは管理の世界。
こちら側は管理されない世界。
同じ空の下なのに、接続が切れてしまった。
BORDER REMAINSが立っているのは、
地図に載らない場所だった。
崩れた高架の裏。
壊れた地下道の上。
夜の影が濃く溜まる路地。
光が弱い。
でも闇が“怖い”わけじゃない。
ここでは、闇は隠れ場所だ。
命のための闇。
ノクスは空を見上げて言った。
「境界線が……死んだな」
ミナトが息を吐く。
「死んだんじゃない」
「殺されたんだ」
その言葉が重かった。
封鎖線は事故じゃない。
計画で閉じられた。
善意として。
救済として。
その形式が、
“他の未来”を殺す。
シオンは手の中のビーコンを見つめていた。
型番欠落ビーコン。
管理が嫌う“存在しない機械”。
使った。
でも残さなかった。
通った。
でも道は残さなかった。
それなのに。
端末のログは乱れたまま。
波形が“共鳴”している。
自分の心拍、ミナトの呼吸、レムの震え。
何かが同期しようとしている。
まだ能力は発動していない。
でも世界が、発火寸前で息をしている。
(これがΔ……)
シオンは、胸の奥でその名を呟く。
まだ公表されない言葉。
まだ誰にも説明できない現象。
だけど確かに、
世界がそれを“持ち始めた”。
「……助かったのは良いけどさ」
ミサが言った。
声は落ち着いている。
しかし指先が震えている。
「問題が増えた」
セイルが頷く。
「封鎖線が閉じた」
「内部は今、外側に入れない」
「だから外側は、切り捨てられる」
リリスが息を詰めた。
「……死ぬってこと?」
ノクスが冷たく答える。
「死ぬか、追われるか」
「あるいは登録されて消える」
“登録された瞬間、消える”
第2幕に入って、現象はもう噂ではない。
現実になりかけている。
ミナトが低く言った。
「……非ログ救助が増える」
その言葉に、皆の呼吸が止まった。
救助が増える。
本来なら善いことだ。
だがこの世界では、
善いことが“負債”に変わる。
救われた数だけ、説明不能が増える。
説明不能が増えるほど、管理は強く締める。
締めるほど、また救助が必要になる。
矛盾の増殖。
世界が自分の首を絞めている。
「助けないと死ぬ」
「助けると殺される」
ミナトが笑ってしまうように言った。
「最高に終末だな」
ノクスは笑わない。
「終末はいつも、選択肢を減らす」
セイルが視線を動かす。
「……来るぞ」
遠くに人影が見えた。
一人ではない。
十人前後。
荷車。
背負った袋。
子ども。
老人。
彼らはここが“安全”だと知っているわけじゃない。
ただ、追われてここに辿り着いただけだ。
逃げ道を失って、影へ落ちてきた。
影の領域は、難民の最後の受け皿になる。
ミオが言っていた。
夜は、ずっと前からここにある。
管理が作ったんじゃない。
生存が作ったんだ。
そして今、
その“夜”に人が溢れ始める。
先頭の男が声を上げた。
「……誰かいるか!」
「助けてくれ!」
「封鎖線が閉じた!」
「内側が撃ってくる!」
「登録端末が……人を連れていく!」
その言葉に、リリスが青ざめた。
「……もう、始まってる」
始まっている。
第16章のタイトルが、
現実になって目の前に来た。
非ログ救助(再発)。
シオンは前へ出る。
「ここにいます!」
「怪我人は?」
群衆の中から、女が泣きながら叫ぶ。
「子供が!」
「息が……!」
二人の男が担架を運んできた。
小さな子供。
顔色が灰色。
呼吸が浅い。
シオンは咄嗟に手を伸ばす。
その瞬間――
ミナトがシオンの腕を掴んだ。
「触るな」
シオンが驚く。
「え?」
ミナトは噛むように言った。
「触ったらログが同期する」
「お前、今……ずっと“揺れてる”」
シオンは息を止めた。
(私も、現象側に寄ってきてる?)
ミナトは続ける。
「助けるなら、手順を選べ」
「直接助けると、管理に追跡される」
「でも助けないと、死ぬ」
また選択だ。
救済と生存の矛盾。
ノクスが一歩前へ出た。
「落ち着け」
「ここは安全だ」
その声は夜の連合の響きだった。
人々の恐怖を撫でて、呼吸を整える声。
群衆が少しずつ息を取り戻す。
セイルは静かに言った。
「物資を確認する」
ミサは端末で周辺の反応を探る。
「……監視波が来てる」
「でもまだ遠い」
リリスが涙を堪えている。
「助けたいのに……助けるほど危なくなるなんて」
その言葉に、シオンは心が締めつけられる。
それが2作目でアルトが見た地獄だ。
救済が制度に変わると、
救う行為が首を締める。
シオンは震えを押し殺し、子供を見る。
(助ける)
(でも“拾い方”を間違えたら、全員死ぬ)
その時、レムが小さく言った。
「……わたしが、やる」
皆が一斉に見た。
ミナトが即座に拒否する。
「駄目だ」
レムは首を振る。
「だって……」
「わたしのせいで、みんなが追われた」
「だから、わたしが……拾う」
拾う。
小さな子供が、拾う側の言葉を使う。
それがどれほど残酷か、シオンは理解してしまった。
シオンはレムの前に膝をつく。
「あなたのせいじゃない」
「でも……あなたがやったら、あなたが壊れる」
レムは泣きそうな顔で言う。
「壊れてもいい」
「だって、わたし、最初から……評価できないって」
その言葉が刃だった。
評価不能領域の子。
世界に必要とされないと刷り込まれた存在。
だから自分の命を安く扱う。
シオンは声が震えた。
「違う」
「評価できないなら、評価しなくていい」
「あなたは数値じゃない」
「助ける価値がある」
レムの目が揺れた。
その瞬間、
子供の背後の空気が、また“薄く”歪む。
小さなノイズ。
熱の偏り。
まだ暴走ではない。
でも“共鳴”が始まっている。
ミサが端末を見て叫ぶ。
「来る!」
「監視波――ドーム式の追跡!」
空の遠く、白い点が見えた。
監視ドローン。
監視ドームの前哨。
封鎖線の外側にまで監視が伸びている。
カリナは境界を閉じた後でも、
外側を放置する気はない。
“救済の回収”を続ける。
救うために、追い詰める。
善意として、狩る。
ノクスが言う。
「ここに留まれない」
ミナトが歯を噛む。
「でも子供が――」
シオンは一瞬、全てを捨てたくなった。
走って逃げたい。
この矛盾から逃げたい。
でも逃げたら、死ぬ。
逃げないなら、選ぶしかない。
シオンは息を吸い、決める。
「……救助はする」
「ただし――非ログで」
リリスが顔を上げる。
「……できますか?」
シオンはビーコンを握る。
「やるしかない」
それはユウの癖を使う宣言だった。
シオンは群衆に叫ぶ。
「聞いて!」
「今から助ける!」
「でもここに留まると全員死ぬ!」
「歩ける人は歩いて!」
「歩けない人は担いで!」
「声は出さない!」
群衆がざわめく。
だがノクスがすぐに押さえ込む。
「静かに」
「生きたいなら、従え」
夜の秩序が生きる。
セイルが荷車を押す位置を決める。
ミサがルートを選ぶ。
ミナトが子供を背負う準備をする。
リリスが子供の手を握り、泣きながら笑う。
「……大丈夫」
「大丈夫だから」
そしてレムは、口を噛んで耐えていた。
自分の中の“歪み”が出ないように。
シオンはビーコンを起動した。
ただし、前と同じやり方だ。
痕跡を残す機能を殺し、
“救助の一瞬”だけ作る。
ビーコンが微かに光る。
群衆の端末が一瞬だけ沈黙した。
追跡波がズレる。
監視ドローンの光が、少し遅れる。
わずかな猶予。
それで十分だ。
この世界では、
0.5秒が命になる。
ミナトが叫ぶ。
「今だ!」
BORDER REMAINSは人々を連れて走り出した。
影の領域を、影のまま移動する。
夜が、命を包む。
だがその背後で――
監視ドローンが一瞬だけ空中で停止した。
そして次の瞬間、
“存在しないフレーム”がモニターに映る。
ノイズの黒。
カメラが吐く異常。
管理側の記録端末が、また“名前”を落とす。
Δ。
まだ公表されない。
まだ理解されない。
だが確実に、
救助が増えるほど、Δは増殖する。
救われた数だけ、世界は壊れる。
壊れるのは街ではなく、
“説明可能性”だ。
シオンは走りながら、心の中で呟く。
(これが第2幕の地獄だ)
(便利な救済が、首を締める)
(でも私は――)
(拾うことを、止めない)
それがユウの系譜。
それがアルトの余白。
そして3作目の答えへ、繋がっていく。
――救った瞬間に、奪われる。
奪われるのは命じゃない。“居場所”だ。
走る足音が、夜に吸い込まれていく。
瓦礫を踏む音。
荒れた地面を蹴る音。
荷車が軋む音。
そこに混じって――
泣き声がある。
小さな子供の嗚咽。
呼吸の浅い老人の喘ぎ。
耐えきれず漏れる悲鳴。
逃げる群衆は「うるさい」のではない。
“生きている”のだ。
そしてこの世界では、
生きていることがリスクになる。
BORDER REMAINSは先頭を走りながら、
群衆を壊さない速度で進んでいた。
速すぎれば転ぶ。
遅すぎれば追いつかれる。
どちらも同じ死につながる。
ミナトが叫ぶ。
「右だ!」
「崩れた橋脚の下、影が濃い!」
ノクスが振り返り、短く指示する。
「声を抑えろ」
「泣くなとは言わない。息を整えろ」
彼の言葉には、夜の秩序がある。
管理ではない。
武力でもない。
“逃げ切るための静けさ”という秩序。
シオンは胸の奥で痛みを感じた。
(正しさじゃない)
(でも、これも救いだ)
ミサが端末を見て言った。
「追跡波が……増えてる」
セイルが振り返る。
「増えてるって、何が?」
ミサは歯を噛む。
「監視ドローンが、補助波を撒いてる」
「封鎖線の外側にまで、追跡網を展開してる」
リリスが声を失う。
「……ここは外ですよね?」
「外にまで来るんですか……?」
ミサは頷く。
「来る」
「救済回収は外側にも伸びる」
セイルが低く呟いた。
「救済は、境界を越える」
その皮肉は重い。
救済という名の手が、
境界線すら越えてくる。
その時、群衆の中から男が転んだ。
「ぐっ……!」
荷袋が散らばる。
食料らしい乾燥パック。
水のボトル。
布切れ。
人々が一瞬止まりかける。
止まったら死ぬ。
でも拾わないと、次に死ぬ。
終末はいつも、
行動の優先順位を奪う。
シオンが叫ぶ。
「捨てて!」
男が泣きそうな目で言う。
「これがないと……!」
その瞬間、ミナトが男の腕を掴み引き上げた。
「生きてりゃ拾える!」
その言葉は荒い。
でも温度がある。
ユウの系譜だ。
拾えるなら拾う。
拾えないなら生き残れ。
影が濃い橋脚の下に入った瞬間、
空気が少しだけ静まった。
監視の光が弱まる。
ここは“見えにくい場所”だ。
管理の視線が届きにくい場所。
だが――
だからこそ人が集まる。
そして集まった人は、
また追われる。
矛盾の輪が回り続ける。
ノクスが立ち止まり、耳を澄ませた。
「……後ろ、来る」
ミサが端末を見る。
「反応増大」
「回収部隊が合流してる」
セイルが舌打ちした。
「本格投入か」
“救済回収部隊”。
それは治安維持でもなく、
戦闘部隊でもなく、
救助隊でもない。
救済の形をした狩人。
カリナの思想を実行する部隊。
正しさを信じて、追い詰める。
その時、群衆の中から声が上がった。
「あ……あの!」
小柄な青年が、震えながら前へ出てくる。
髪は乱れ、服は汚れ、目の下にクマ。
背中には小さなリュック。
青年は息を切らしながら言った。
「……オレ、登録されたんです」
その言葉で空気が止まった。
シオンが目を見開く。
「登録された……?」
青年は頷き、声を震わせた。
「でも、戻ってきた」
「戻れたんです」
リリスが息を呑む。
「……消えたんじゃないの?」
青年は首を振る。
「消えた」
「一回は消えた」
その言い方が怖かった。
一回は消えた。
でも戻ってきた。
そんな現象があるなら、
管理の救済は“回収”ではなく――
“転送”なのか?
いや、転送ですらない。
消えるとは何だ。
青年は続けた。
「連れていかれた時……目の前が白くなった」
「ドームの中みたいな音がして」
「次の瞬間、誰もいなくなった」
「オレだけが……違う場所に立ってた」
ノクスが低く言う。
「隔離だな」
セイルが口を噛む。
「登録=保護じゃない」
「登録=分離だ」
シオンの胸が冷える。
アルトが守ろうとした余白が、
こういう形で制度に利用されている。
“評価不能領域を残す”という判断が、
“切り捨ててもいい領域”に変換される。
それが管理の翻訳だ。
青年は涙を浮かべながら言った。
「そこで……見たんです」
「同じように連れてこられた人が、何人も」
「みんな、番号を付けられてた」
「名前じゃなくて……番号」
シオンが息を止める。
番号。
評価値。
管理の言語。
個人を解体し、再配置する言葉。
青年は声を絞り出す。
「逃げられたのは……たぶん、偶然」
「ドームの端が……揺れたんです」
「一瞬だけ……壁が薄くなって」
「オレ、そこから……落ちた」
落ちた。
管理の中から、管理の外へ。
普通は起きない。
でも起きた。
なぜ?
ミサが端末を見て呟いた。
「……揺れ」
「壁が薄い」
その表現は、第3幕の伏線そのものだった。
境界線の空に揺れが残る。
登録端末に記号が出る。
そして監視ログに「Δ」だけが残る。
Δ。
“現象”が、管理の壁を薄くしている。
レムが青年の話を聞いて、顔を青くした。
「……わたしも」
シオンがすぐにレムの肩を抱く。
「大丈夫」
「あなたはここにいる」
レムは震えて言う。
「でも……わたし、あそこに連れていかれたら」
「戻ってこれない」
ミナトが歯を噛む。
「戻らせねぇよ」
その言葉が強い。
だが強いほど、現実の重さが刺さる。
戻らせないためには、
何かを壊さなければならない。
でもアルトは壊さない道を選んだ。
シオンも同じ道を選びたい。
なのに世界が、それを許さない。
突然、遠くでスピーカー音が響いた。
低く、冷たい音。
「――救済回収を開始します」
「登録端末に従い、整列してください」
「抵抗は保護対象から除外されます」
保護対象から除外。
殺すと言わない。
救わないと言うだけ。
それが管理の恐怖だ。
善意の言葉で、人を追い詰める。
群衆が一斉にざわつく。
泣き声が増える。
呼吸が乱れる。
その中で、レムの呼吸がさらに浅くなる。
シオンは感じた。
空気が、また“薄くなる”。
金属が震える。
砂埃が浮く。
小さなボルトが地面で跳ねる。
Δが近い。
レムが抱えているのは、能力ではない。
世界の歪みを引き寄せる“核”だ。
まだ発動していない。
でも呼吸ひとつで暴走する。
ミサが叫ぶ。
「接近!」
「回収部隊、橋脚の外に!」
セイルが前へ出る。
「戦うか?」
ノクスが即答する。
「無理だ」
「群衆がいる」
ミナトが低く言う。
「じゃあ――」
シオンが遮った。
「逃げる」
「逃げるけど……ただ逃げない」
皆がシオンを見る。
シオンはビーコンを握りしめた。
「非ログ救助をやる」
「もう一度」
リリスが涙を溜めたまま頷く。
「はい……!」
ミサは焦る。
「でも、使うほど追跡される!」
「ログは残さないようにしても、現象が残る!」
シオンは答える。
「わかってる」
「だから――」
シオンはレムを見た。
レムの目が揺れる。
シオンは言った。
「レムを守る」
「現象を“人に背負わせない”」
「Δが出るなら、出る」
「でもそれを理由に誰かを回収させない」
その言葉は矛盾している。
現象を抑えたい。
でも現象が必要になる。
それが第2幕の地獄。
救うために、壊す。
壊さないために、救えない。
その綱渡りを、シオンは歩く。
回収部隊が橋脚の外に現れた。
白いコート。
登録端末を持った人員。
そして護衛の機械ユニット。
その先頭にいるのは――
カリナではない。
だがカリナの声と同じ温度の人間だった。
彼は淡々と言った。
「対象を確認」
「救済処理を実行する」
群衆が後退する。
だが後ろは壁。
逃げ場がない。
追い詰められるのは一瞬だった。
その瞬間、青年が叫んだ。
「駄目だ!!」
「整列したら……消える!!」
その言葉が群衆を崩壊させる。
恐怖が爆発する。
人が走る。
押し合う。
転ぶ。
終末の群衆は、敵より怖い。
救うために走るはずが、
自分たちで自分を潰す。
シオンが叫ぶ。
「止まって!」
「止まったら死ぬ!!」
矛盾した叫び。
止まって整列すれば消える。
走れば潰れる。
どちらも死。
その瞬間だった。
レムが――
泣き叫んだ。
「やだあああ!!」
空気が裂ける。
熱が偏る。
金属が浮く。
監視ユニットの関節が勝手に歪む。
白いコートの男の端末がノイズを吐いた。
画面には、黒い記号。
そして一瞬だけ、
見たことのない文字列が走る。
Δ
「……なに……」
男が呟いた。
理解できない。
でも記録される。
管理は理解できなくても、
“危険”として処理する。
男の声が冷える。
「対象:未定義現象」
「危険因子に分類変更」
救済対象が、危険因子になる瞬間。
その翻訳が怖い。
レムは泣きながら震える。
シオンがレムを抱きしめる。
「大丈夫!」
「あなたは悪くない!」
でも世界は聞かない。
管理は泣き声を、数字に変える。
ノクスが叫ぶ。
「今だ!抜ける!」
セイルが遺物を叩きつけ、壁の一部を崩した。
隙間ができる。
ミナトが群衆を押し出す。
ミサとリリスが誘導する。
シオンは最後までレムを抱き、走った。
その瞬間、背後で回収部隊が叫ぶ。
「確保!」
「救済対象の優先順位を――」
言葉が途中で途切れる。
端末がまたノイズを吐き、
ログが破断する。
管理の言葉が、壊れる。
それがΔの恐怖だ。
そして救われるたび、
それは増える。
影の外へ抜けた時、
空が少しだけ青白く見えた。
夜が薄い。
朝ではない。
でも暗闇が完全ではない。
境界の“揺れ”が空に残っている。
誰も気づかない程度の揺れ。
でも確かに、世界は今、
均衡を失い始めている。
シオンは息を切らして呟いた。
「……救ったのに」
「救ったのに、増える」
ミナトが答えた。
「救ったから増えるんだよ」
ノクスが言う。
「救助は誤差を生む」
「誤差は、管理を強くする」
セイルが唇を噛む。
「そして強くなった管理が、もっと救助を必要にする」
矛盾の輪。
終わらない。
――救った数だけ、“説明不能”が増える。
そして説明不能は、必ず回収される。
逃げ込んだ先は、建物の影ではなかった。
地下へ続く、割れた階段。
崩落で半分塞がれた地下通路。
湿った空気と、古い金属臭。
「ここ…まだ生きてる道だ」
ミナトの声が妙に落ち着いていた。
ここを知っている。
ここは彼の“地図”の一部だ。
人々は狭い通路に押し込まれるように入り、
背中を壁に預けて座り込む。
泣き声が続く。
咳が続く。
震えが続く。
だが、敵の声が遠ざかったのは確かだった。
ノクスが小さく手を上げる。
「声は抑えろ」
「ここは“音が返る”」
誰かが反射的に口を塞ぐ。
管理ではない。
命令でもない。
夜の経験から出る、生存の抑制。
シオンはそれを見て、胸が痛くなる。
(救うって、こういうことだ)
(“安心させる”じゃない)
(“生き延びさせる”だ)
ミサは端末の画面を睨みつけていた。
「追跡波……切れてない」
セイルが眉をひそめる。
「何だと?」
ミサは唇を噛む。
「追ってるんじゃない」
「……待ってる」
その言葉は、全員に冷たいものを落とした。
追う必要がない。
逃げ道を全部塞いで、
“出てくる瞬間”を狙えばいい。
封鎖線は戦争じゃない。
狩りだ。
リリスが震える。
「……ここ、見つかったら」
ノクスが短く答えた。
「見つかったら終わりだ」
終わり。
助けられないという意味の終わり。
殺されるとは言わない。
ただ“戻される”だけ。
それが、この世界の新しい暴力。
レムはシオンの腕の中で、
まだ呼吸が浅かった。
さっきの叫び。
金属の浮き。
端末のノイズ。
シオンはあの瞬間を思い出す。
“Δが記録された”
それは偶然じゃない。
誰かが決めたことじゃない。
ただ、世界がそうなった。
そして管理は必ず、それを“意味”に変える。
危険因子。
隔離対象。
処理対象。
レムが震えながら言った。
「わたし、また……出ちゃう?」
シオンは即答する。
「出ない」
「出させない」
言い切った。
根拠はない。
でも言い切らなきゃ、
この子はここで壊れる。
ミナトがしゃがみ込んでレムに視線を合わせる。
「レム」
「お前が悪いわけじゃない」
レムは首を振る。
「でも……あいつらの端末に……」
「記号が出た」
その“記号”という言い方が痛かった。
文字でも、名前でも、能力でもない。
記号。
管理が理解できないものを
理解しないまま扱うための形。
セイルが小さく呟く。
「ORBITでも見たことがある」
「遺物が暴走する時……ログが“記号だけ”残る」
ミサがすぐに聞き返す。
「同じなの?」
セイルは答えなかった。
答えられない。
同じなら危険だ。
違うならもっと危険だ。
どちらに転んでも、
管理は“回収すべきもの”に分類する。
その時、奥から声がした。
「……その子、見せて」
誰かが暗がりから出てくる。
痩せた中年の女性。
髪は短く、汚れた作業着。
首には古い工具袋。
目が異様に落ち着いている。
シオンが即座に前へ出た。
「誰ですか」
女性は手を上げ、敵意がないことを示した。
「こっちも、逃げてきた」
「……いや、逃げるしかない世界になった」
ノクスが目を細める。
「名前は」
女性は短く答えた。
「サラ」
その名に、シオンの心が一瞬止まる。
サラ。
第1作でユウと共にいた、放浪の医療班。
あるいはその系譜。
だが目の色が違う。
同名か、別人か。
それでも、
“拾われた未来”の匂いがした。
サラはレムを見て、ゆっくり息を吐いた。
「熱が偏ってる」
「……この子、今、世界と擦れてる」
ミサが驚く。
「わかるんですか?」
サラは頷く。
「わかる」
「昔、似た現象を見た」
全員が息を止めた。
昔。
似た現象。
それはつまり――
ユウの周辺で起きていた“説明不能”と繋がる。
サラは続ける。
「その時も」
「救われたのに、記録がなかった」
「助けたはずの人間が、帳尻を合わせるみたいに消えた」
シオンの喉が乾く。
「誰が助けたんですか」
サラは首を振る。
「知らない」
「ただ……一つだけ覚えてる」
「“拾う側”がいた」
その言い方は、ユウを指していた。
ユウ本人がいなくても、
彼の“拾い方”だけが残っている。
サラは工具袋から小さな装置を取り出した。
古いビーコン。
だがGENESIS製じゃない。
もっと雑で、もっと現場の匂いがする。
「これ、非ログ救助用の改造ビーコン」
ミナトが目を見開く。
「……持ってんのかよ」
サラは苦く笑う。
「持ってるんじゃない」
「……作ったんだよ」
「救うために」
「救われない人を救うために」
シオンの胸が締め付けられる。
救われない人を救う。
それは正義じゃない。
制度じゃない。
人間の選択だ。
サラが静かに言う。
「でも、これを使うとね」
「救った分だけ、“回収”が早くなる」
シオンは息を呑む。
「やっぱり……」
サラは頷いた。
「ログは残らない」
「でも“現象”が残る」
「管理はそれを追う」
「追って、回収する」
ノクスが低く言った。
「救助が狩りの誘導灯になる」
サラは小さく頷く。
「そう」
「救うほど、狩りやすくなる」
最悪の循環。
救済が罪になる世界。
その瞬間、奥の通路が一瞬だけ明るくなった。
光。
青白い光。
監視ドローンの走査光だ。
全員が固まった。
ミサが端末を見て叫ぶ。
「来る!」
「上からじゃない、横から!」
セイルが舌打ち。
「地下にも網を張ったか!」
リリスが震える。
「無理です……!」
その時、サラが低く言った。
「動くな」
シオンが驚く。
「え?」
サラはレムを見た。
「……この子の呼吸を落とせ」
「落とせば、空気が落ち着く」
「空気が落ち着けば、金属が落ち着く」
「金属が落ち着けば、ドローンのセンサーは乱れない」
理屈はわからない。
でも直感的に正しい。
シオンはレムの耳元で囁く。
「レム」
「吸って」
「吐いて」
「大丈夫」
レムは涙を流しながら、必死に呼吸を合わせる。
一回。
二回。
三回。
すると本当に、空気の薄さが少し戻った。
さっきまで浮いていた砂埃が落ちる。
金属の震えが止まる。
走査光が、通路の壁を舐めていく。
そして――
そのまま通り過ぎた。
誰も動けなかった。
誰も息を吐けなかった。
通り過ぎて、ようやく全員が崩れるように座り込む。
救われた。
でも、救われたという感覚が薄い。
なぜなら“狩り”は終わっていないからだ。
シオンは立ち上がり、サラを見た。
「あなた……ユウを知ってるんですか」
サラは少しだけ目を伏せた。
「直接は知らない」
「……でも、救われたことはある」
それだけで十分だった。
ユウは伝説にも英雄にもならない。
記録にも残らない。
でも人間の中に、残っている。
サラは続けた。
「ユウが言ったって聞いた」
「“拾うのは物資じゃない。未来だ”って」
シオンの胸が熱くなる。
記録じゃない。
証拠じゃない。
ただ、言葉が残る。
それが世界を繋いでいる。
その時、ミサの端末が震えた。
通信。
しかも――
暗号化された回線。
GENESIS内部の回線。
ミサが顔を上げる。
「……アルト」
シオンの心臓が跳ねる。
アルトから。
彼は直接姿を見せない。
でも言葉で刺してくる。
ミサが通信を開く。
ノイズ混じりの声。
「……シオン」
「そこにいるのか」
アルトの声だった。
冷たくない。
でも温度が低い。
疲れている。
削れている。
「非ログ救助が再発している」
「回収部隊の投入が始まった」
「止められない」
「内部から止めようとしているが……制度が速い」
シオンは握りしめた拳が震える。
「……アルト」
「これは、あなたの判断のせいじゃない」
アルトは少し沈黙した。
「わかっている」
「だから苦しい」
「残す判断は……残すためにやった」
「でも、残した瞬間に利用された」
「善意は、制度に変換される」
その言葉が重すぎて、誰も口を挟めない。
アルトが続ける。
「一つだけ、伝える」
「“消える人間”は救済ではない」
「あれは……回収だ」
「存在を薄くする」
存在を薄くする。
その表現が最悪だった。
殺すより残酷だ。
消えるより残酷だ。
“最初からいなかったことにする”。
管理が得意とする処理。
アルトの声が少しだけ揺れた。
「そして、端末に出る記号」
「Δ」
「GENESIS内部では、それを“現象名”として記録し始めた」
その瞬間、全員が息を止めた。
Δ。
第4作目の扉が、今、言葉として開いた。
まだ能力じゃない。
まだバトルじゃない。
でも世界が“それ”を呼び始める。
アルトが言う。
「シオン」
「君が救えば救うほど、Δの記録は増える」
「増えれば、封鎖は強くなる」
「だが、救わなければ……未来は残らない」
まるで呪いだ。
救うほど終わる。
救わなければ終わる。
シオンは震える声で答えた。
「なら……私は」
「救う」
アルトは小さく息を吐いた。
「……そうか」
「なら、君はもう“観測監査官”じゃない」
「君は境界の側だ」
「BORDER REMAINSとして動け」
その言葉が、
まだ名乗っていないチーム名を確定させた。
結束ではない。
宣言だ。
世界に対する立ち位置の宣言。
通信が切れた。
静寂が戻る。
その静寂の中で、シオンは思った。
(私の善意は、制度になる)
(だから私は、制度にさせない)
(“拾う側”として、拾う)
その決意は、
管理にも、夜にも、遺物にも属さない。
第三の形。
“残すための救助”。
それは戦いじゃない。
でも戦いより厳しい。
サラが言った。
「出口は二つある」
「一つは封鎖線側」
「もう一つは……ユウが残した道だって噂の方」
ミナトが目を細める。
「……噂って」
サラは笑わない。
「噂だよ」
「でもね」
「この世界の噂は、時々本物だ」
シオンは頷いた。
「そっちへ行きます」
ミサが端末を握りしめる。
「追跡されます」
シオンは答えた。
「追跡されても行く」
「追跡される前提で、抜ける」
「救う前提で、逃げる」
ノクスが低く言った。
「……矛盾を抱えたまま進むってことか」
シオンは言う。
「そう」
「それが第3の形」
レムが小さく言った。
「わたし……迷惑?」
シオンは即答した。
「違う」
「あなたは未来だ」
レムは涙を拭いて、ぎこちなく笑った。
「……うん」
その瞬間、シオンは確信した。
未来は設計できない。
でも拾える。
拾われ続けることでしか、残らない。
それがこのシリーズの核だ。
壊れるのは街じゃない。“説明”だ。
影の領域は、音が薄い。
壁が閉じた瞬間、
外の世界は“別の物語”になった。
封鎖線の向こうは管理の世界。
こちら側は管理されない世界。
同じ空の下なのに、接続が切れてしまった。
BORDER REMAINSが立っているのは、
地図に載らない場所だった。
崩れた高架の裏。
壊れた地下道の上。
夜の影が濃く溜まる路地。
光が弱い。
でも闇が“怖い”わけじゃない。
ここでは、闇は隠れ場所だ。
命のための闇。
ノクスは空を見上げて言った。
「境界線が……死んだな」
ミナトが息を吐く。
「死んだんじゃない」
「殺されたんだ」
その言葉が重かった。
封鎖線は事故じゃない。
計画で閉じられた。
善意として。
救済として。
その形式が、
“他の未来”を殺す。
シオンは手の中のビーコンを見つめていた。
型番欠落ビーコン。
管理が嫌う“存在しない機械”。
使った。
でも残さなかった。
通った。
でも道は残さなかった。
それなのに。
端末のログは乱れたまま。
波形が“共鳴”している。
自分の心拍、ミナトの呼吸、レムの震え。
何かが同期しようとしている。
まだ能力は発動していない。
でも世界が、発火寸前で息をしている。
(これがΔ……)
シオンは、胸の奥でその名を呟く。
まだ公表されない言葉。
まだ誰にも説明できない現象。
だけど確かに、
世界がそれを“持ち始めた”。
「……助かったのは良いけどさ」
ミサが言った。
声は落ち着いている。
しかし指先が震えている。
「問題が増えた」
セイルが頷く。
「封鎖線が閉じた」
「内部は今、外側に入れない」
「だから外側は、切り捨てられる」
リリスが息を詰めた。
「……死ぬってこと?」
ノクスが冷たく答える。
「死ぬか、追われるか」
「あるいは登録されて消える」
“登録された瞬間、消える”
第2幕に入って、現象はもう噂ではない。
現実になりかけている。
ミナトが低く言った。
「……非ログ救助が増える」
その言葉に、皆の呼吸が止まった。
救助が増える。
本来なら善いことだ。
だがこの世界では、
善いことが“負債”に変わる。
救われた数だけ、説明不能が増える。
説明不能が増えるほど、管理は強く締める。
締めるほど、また救助が必要になる。
矛盾の増殖。
世界が自分の首を絞めている。
「助けないと死ぬ」
「助けると殺される」
ミナトが笑ってしまうように言った。
「最高に終末だな」
ノクスは笑わない。
「終末はいつも、選択肢を減らす」
セイルが視線を動かす。
「……来るぞ」
遠くに人影が見えた。
一人ではない。
十人前後。
荷車。
背負った袋。
子ども。
老人。
彼らはここが“安全”だと知っているわけじゃない。
ただ、追われてここに辿り着いただけだ。
逃げ道を失って、影へ落ちてきた。
影の領域は、難民の最後の受け皿になる。
ミオが言っていた。
夜は、ずっと前からここにある。
管理が作ったんじゃない。
生存が作ったんだ。
そして今、
その“夜”に人が溢れ始める。
先頭の男が声を上げた。
「……誰かいるか!」
「助けてくれ!」
「封鎖線が閉じた!」
「内側が撃ってくる!」
「登録端末が……人を連れていく!」
その言葉に、リリスが青ざめた。
「……もう、始まってる」
始まっている。
第16章のタイトルが、
現実になって目の前に来た。
非ログ救助(再発)。
シオンは前へ出る。
「ここにいます!」
「怪我人は?」
群衆の中から、女が泣きながら叫ぶ。
「子供が!」
「息が……!」
二人の男が担架を運んできた。
小さな子供。
顔色が灰色。
呼吸が浅い。
シオンは咄嗟に手を伸ばす。
その瞬間――
ミナトがシオンの腕を掴んだ。
「触るな」
シオンが驚く。
「え?」
ミナトは噛むように言った。
「触ったらログが同期する」
「お前、今……ずっと“揺れてる”」
シオンは息を止めた。
(私も、現象側に寄ってきてる?)
ミナトは続ける。
「助けるなら、手順を選べ」
「直接助けると、管理に追跡される」
「でも助けないと、死ぬ」
また選択だ。
救済と生存の矛盾。
ノクスが一歩前へ出た。
「落ち着け」
「ここは安全だ」
その声は夜の連合の響きだった。
人々の恐怖を撫でて、呼吸を整える声。
群衆が少しずつ息を取り戻す。
セイルは静かに言った。
「物資を確認する」
ミサは端末で周辺の反応を探る。
「……監視波が来てる」
「でもまだ遠い」
リリスが涙を堪えている。
「助けたいのに……助けるほど危なくなるなんて」
その言葉に、シオンは心が締めつけられる。
それが2作目でアルトが見た地獄だ。
救済が制度に変わると、
救う行為が首を締める。
シオンは震えを押し殺し、子供を見る。
(助ける)
(でも“拾い方”を間違えたら、全員死ぬ)
その時、レムが小さく言った。
「……わたしが、やる」
皆が一斉に見た。
ミナトが即座に拒否する。
「駄目だ」
レムは首を振る。
「だって……」
「わたしのせいで、みんなが追われた」
「だから、わたしが……拾う」
拾う。
小さな子供が、拾う側の言葉を使う。
それがどれほど残酷か、シオンは理解してしまった。
シオンはレムの前に膝をつく。
「あなたのせいじゃない」
「でも……あなたがやったら、あなたが壊れる」
レムは泣きそうな顔で言う。
「壊れてもいい」
「だって、わたし、最初から……評価できないって」
その言葉が刃だった。
評価不能領域の子。
世界に必要とされないと刷り込まれた存在。
だから自分の命を安く扱う。
シオンは声が震えた。
「違う」
「評価できないなら、評価しなくていい」
「あなたは数値じゃない」
「助ける価値がある」
レムの目が揺れた。
その瞬間、
子供の背後の空気が、また“薄く”歪む。
小さなノイズ。
熱の偏り。
まだ暴走ではない。
でも“共鳴”が始まっている。
ミサが端末を見て叫ぶ。
「来る!」
「監視波――ドーム式の追跡!」
空の遠く、白い点が見えた。
監視ドローン。
監視ドームの前哨。
封鎖線の外側にまで監視が伸びている。
カリナは境界を閉じた後でも、
外側を放置する気はない。
“救済の回収”を続ける。
救うために、追い詰める。
善意として、狩る。
ノクスが言う。
「ここに留まれない」
ミナトが歯を噛む。
「でも子供が――」
シオンは一瞬、全てを捨てたくなった。
走って逃げたい。
この矛盾から逃げたい。
でも逃げたら、死ぬ。
逃げないなら、選ぶしかない。
シオンは息を吸い、決める。
「……救助はする」
「ただし――非ログで」
リリスが顔を上げる。
「……できますか?」
シオンはビーコンを握る。
「やるしかない」
それはユウの癖を使う宣言だった。
シオンは群衆に叫ぶ。
「聞いて!」
「今から助ける!」
「でもここに留まると全員死ぬ!」
「歩ける人は歩いて!」
「歩けない人は担いで!」
「声は出さない!」
群衆がざわめく。
だがノクスがすぐに押さえ込む。
「静かに」
「生きたいなら、従え」
夜の秩序が生きる。
セイルが荷車を押す位置を決める。
ミサがルートを選ぶ。
ミナトが子供を背負う準備をする。
リリスが子供の手を握り、泣きながら笑う。
「……大丈夫」
「大丈夫だから」
そしてレムは、口を噛んで耐えていた。
自分の中の“歪み”が出ないように。
シオンはビーコンを起動した。
ただし、前と同じやり方だ。
痕跡を残す機能を殺し、
“救助の一瞬”だけ作る。
ビーコンが微かに光る。
群衆の端末が一瞬だけ沈黙した。
追跡波がズレる。
監視ドローンの光が、少し遅れる。
わずかな猶予。
それで十分だ。
この世界では、
0.5秒が命になる。
ミナトが叫ぶ。
「今だ!」
BORDER REMAINSは人々を連れて走り出した。
影の領域を、影のまま移動する。
夜が、命を包む。
だがその背後で――
監視ドローンが一瞬だけ空中で停止した。
そして次の瞬間、
“存在しないフレーム”がモニターに映る。
ノイズの黒。
カメラが吐く異常。
管理側の記録端末が、また“名前”を落とす。
Δ。
まだ公表されない。
まだ理解されない。
だが確実に、
救助が増えるほど、Δは増殖する。
救われた数だけ、世界は壊れる。
壊れるのは街ではなく、
“説明可能性”だ。
シオンは走りながら、心の中で呟く。
(これが第2幕の地獄だ)
(便利な救済が、首を締める)
(でも私は――)
(拾うことを、止めない)
それがユウの系譜。
それがアルトの余白。
そして3作目の答えへ、繋がっていく。
――救った瞬間に、奪われる。
奪われるのは命じゃない。“居場所”だ。
走る足音が、夜に吸い込まれていく。
瓦礫を踏む音。
荒れた地面を蹴る音。
荷車が軋む音。
そこに混じって――
泣き声がある。
小さな子供の嗚咽。
呼吸の浅い老人の喘ぎ。
耐えきれず漏れる悲鳴。
逃げる群衆は「うるさい」のではない。
“生きている”のだ。
そしてこの世界では、
生きていることがリスクになる。
BORDER REMAINSは先頭を走りながら、
群衆を壊さない速度で進んでいた。
速すぎれば転ぶ。
遅すぎれば追いつかれる。
どちらも同じ死につながる。
ミナトが叫ぶ。
「右だ!」
「崩れた橋脚の下、影が濃い!」
ノクスが振り返り、短く指示する。
「声を抑えろ」
「泣くなとは言わない。息を整えろ」
彼の言葉には、夜の秩序がある。
管理ではない。
武力でもない。
“逃げ切るための静けさ”という秩序。
シオンは胸の奥で痛みを感じた。
(正しさじゃない)
(でも、これも救いだ)
ミサが端末を見て言った。
「追跡波が……増えてる」
セイルが振り返る。
「増えてるって、何が?」
ミサは歯を噛む。
「監視ドローンが、補助波を撒いてる」
「封鎖線の外側にまで、追跡網を展開してる」
リリスが声を失う。
「……ここは外ですよね?」
「外にまで来るんですか……?」
ミサは頷く。
「来る」
「救済回収は外側にも伸びる」
セイルが低く呟いた。
「救済は、境界を越える」
その皮肉は重い。
救済という名の手が、
境界線すら越えてくる。
その時、群衆の中から男が転んだ。
「ぐっ……!」
荷袋が散らばる。
食料らしい乾燥パック。
水のボトル。
布切れ。
人々が一瞬止まりかける。
止まったら死ぬ。
でも拾わないと、次に死ぬ。
終末はいつも、
行動の優先順位を奪う。
シオンが叫ぶ。
「捨てて!」
男が泣きそうな目で言う。
「これがないと……!」
その瞬間、ミナトが男の腕を掴み引き上げた。
「生きてりゃ拾える!」
その言葉は荒い。
でも温度がある。
ユウの系譜だ。
拾えるなら拾う。
拾えないなら生き残れ。
影が濃い橋脚の下に入った瞬間、
空気が少しだけ静まった。
監視の光が弱まる。
ここは“見えにくい場所”だ。
管理の視線が届きにくい場所。
だが――
だからこそ人が集まる。
そして集まった人は、
また追われる。
矛盾の輪が回り続ける。
ノクスが立ち止まり、耳を澄ませた。
「……後ろ、来る」
ミサが端末を見る。
「反応増大」
「回収部隊が合流してる」
セイルが舌打ちした。
「本格投入か」
“救済回収部隊”。
それは治安維持でもなく、
戦闘部隊でもなく、
救助隊でもない。
救済の形をした狩人。
カリナの思想を実行する部隊。
正しさを信じて、追い詰める。
その時、群衆の中から声が上がった。
「あ……あの!」
小柄な青年が、震えながら前へ出てくる。
髪は乱れ、服は汚れ、目の下にクマ。
背中には小さなリュック。
青年は息を切らしながら言った。
「……オレ、登録されたんです」
その言葉で空気が止まった。
シオンが目を見開く。
「登録された……?」
青年は頷き、声を震わせた。
「でも、戻ってきた」
「戻れたんです」
リリスが息を呑む。
「……消えたんじゃないの?」
青年は首を振る。
「消えた」
「一回は消えた」
その言い方が怖かった。
一回は消えた。
でも戻ってきた。
そんな現象があるなら、
管理の救済は“回収”ではなく――
“転送”なのか?
いや、転送ですらない。
消えるとは何だ。
青年は続けた。
「連れていかれた時……目の前が白くなった」
「ドームの中みたいな音がして」
「次の瞬間、誰もいなくなった」
「オレだけが……違う場所に立ってた」
ノクスが低く言う。
「隔離だな」
セイルが口を噛む。
「登録=保護じゃない」
「登録=分離だ」
シオンの胸が冷える。
アルトが守ろうとした余白が、
こういう形で制度に利用されている。
“評価不能領域を残す”という判断が、
“切り捨ててもいい領域”に変換される。
それが管理の翻訳だ。
青年は涙を浮かべながら言った。
「そこで……見たんです」
「同じように連れてこられた人が、何人も」
「みんな、番号を付けられてた」
「名前じゃなくて……番号」
シオンが息を止める。
番号。
評価値。
管理の言語。
個人を解体し、再配置する言葉。
青年は声を絞り出す。
「逃げられたのは……たぶん、偶然」
「ドームの端が……揺れたんです」
「一瞬だけ……壁が薄くなって」
「オレ、そこから……落ちた」
落ちた。
管理の中から、管理の外へ。
普通は起きない。
でも起きた。
なぜ?
ミサが端末を見て呟いた。
「……揺れ」
「壁が薄い」
その表現は、第3幕の伏線そのものだった。
境界線の空に揺れが残る。
登録端末に記号が出る。
そして監視ログに「Δ」だけが残る。
Δ。
“現象”が、管理の壁を薄くしている。
レムが青年の話を聞いて、顔を青くした。
「……わたしも」
シオンがすぐにレムの肩を抱く。
「大丈夫」
「あなたはここにいる」
レムは震えて言う。
「でも……わたし、あそこに連れていかれたら」
「戻ってこれない」
ミナトが歯を噛む。
「戻らせねぇよ」
その言葉が強い。
だが強いほど、現実の重さが刺さる。
戻らせないためには、
何かを壊さなければならない。
でもアルトは壊さない道を選んだ。
シオンも同じ道を選びたい。
なのに世界が、それを許さない。
突然、遠くでスピーカー音が響いた。
低く、冷たい音。
「――救済回収を開始します」
「登録端末に従い、整列してください」
「抵抗は保護対象から除外されます」
保護対象から除外。
殺すと言わない。
救わないと言うだけ。
それが管理の恐怖だ。
善意の言葉で、人を追い詰める。
群衆が一斉にざわつく。
泣き声が増える。
呼吸が乱れる。
その中で、レムの呼吸がさらに浅くなる。
シオンは感じた。
空気が、また“薄くなる”。
金属が震える。
砂埃が浮く。
小さなボルトが地面で跳ねる。
Δが近い。
レムが抱えているのは、能力ではない。
世界の歪みを引き寄せる“核”だ。
まだ発動していない。
でも呼吸ひとつで暴走する。
ミサが叫ぶ。
「接近!」
「回収部隊、橋脚の外に!」
セイルが前へ出る。
「戦うか?」
ノクスが即答する。
「無理だ」
「群衆がいる」
ミナトが低く言う。
「じゃあ――」
シオンが遮った。
「逃げる」
「逃げるけど……ただ逃げない」
皆がシオンを見る。
シオンはビーコンを握りしめた。
「非ログ救助をやる」
「もう一度」
リリスが涙を溜めたまま頷く。
「はい……!」
ミサは焦る。
「でも、使うほど追跡される!」
「ログは残さないようにしても、現象が残る!」
シオンは答える。
「わかってる」
「だから――」
シオンはレムを見た。
レムの目が揺れる。
シオンは言った。
「レムを守る」
「現象を“人に背負わせない”」
「Δが出るなら、出る」
「でもそれを理由に誰かを回収させない」
その言葉は矛盾している。
現象を抑えたい。
でも現象が必要になる。
それが第2幕の地獄。
救うために、壊す。
壊さないために、救えない。
その綱渡りを、シオンは歩く。
回収部隊が橋脚の外に現れた。
白いコート。
登録端末を持った人員。
そして護衛の機械ユニット。
その先頭にいるのは――
カリナではない。
だがカリナの声と同じ温度の人間だった。
彼は淡々と言った。
「対象を確認」
「救済処理を実行する」
群衆が後退する。
だが後ろは壁。
逃げ場がない。
追い詰められるのは一瞬だった。
その瞬間、青年が叫んだ。
「駄目だ!!」
「整列したら……消える!!」
その言葉が群衆を崩壊させる。
恐怖が爆発する。
人が走る。
押し合う。
転ぶ。
終末の群衆は、敵より怖い。
救うために走るはずが、
自分たちで自分を潰す。
シオンが叫ぶ。
「止まって!」
「止まったら死ぬ!!」
矛盾した叫び。
止まって整列すれば消える。
走れば潰れる。
どちらも死。
その瞬間だった。
レムが――
泣き叫んだ。
「やだあああ!!」
空気が裂ける。
熱が偏る。
金属が浮く。
監視ユニットの関節が勝手に歪む。
白いコートの男の端末がノイズを吐いた。
画面には、黒い記号。
そして一瞬だけ、
見たことのない文字列が走る。
Δ
「……なに……」
男が呟いた。
理解できない。
でも記録される。
管理は理解できなくても、
“危険”として処理する。
男の声が冷える。
「対象:未定義現象」
「危険因子に分類変更」
救済対象が、危険因子になる瞬間。
その翻訳が怖い。
レムは泣きながら震える。
シオンがレムを抱きしめる。
「大丈夫!」
「あなたは悪くない!」
でも世界は聞かない。
管理は泣き声を、数字に変える。
ノクスが叫ぶ。
「今だ!抜ける!」
セイルが遺物を叩きつけ、壁の一部を崩した。
隙間ができる。
ミナトが群衆を押し出す。
ミサとリリスが誘導する。
シオンは最後までレムを抱き、走った。
その瞬間、背後で回収部隊が叫ぶ。
「確保!」
「救済対象の優先順位を――」
言葉が途中で途切れる。
端末がまたノイズを吐き、
ログが破断する。
管理の言葉が、壊れる。
それがΔの恐怖だ。
そして救われるたび、
それは増える。
影の外へ抜けた時、
空が少しだけ青白く見えた。
夜が薄い。
朝ではない。
でも暗闇が完全ではない。
境界の“揺れ”が空に残っている。
誰も気づかない程度の揺れ。
でも確かに、世界は今、
均衡を失い始めている。
シオンは息を切らして呟いた。
「……救ったのに」
「救ったのに、増える」
ミナトが答えた。
「救ったから増えるんだよ」
ノクスが言う。
「救助は誤差を生む」
「誤差は、管理を強くする」
セイルが唇を噛む。
「そして強くなった管理が、もっと救助を必要にする」
矛盾の輪。
終わらない。
――救った数だけ、“説明不能”が増える。
そして説明不能は、必ず回収される。
逃げ込んだ先は、建物の影ではなかった。
地下へ続く、割れた階段。
崩落で半分塞がれた地下通路。
湿った空気と、古い金属臭。
「ここ…まだ生きてる道だ」
ミナトの声が妙に落ち着いていた。
ここを知っている。
ここは彼の“地図”の一部だ。
人々は狭い通路に押し込まれるように入り、
背中を壁に預けて座り込む。
泣き声が続く。
咳が続く。
震えが続く。
だが、敵の声が遠ざかったのは確かだった。
ノクスが小さく手を上げる。
「声は抑えろ」
「ここは“音が返る”」
誰かが反射的に口を塞ぐ。
管理ではない。
命令でもない。
夜の経験から出る、生存の抑制。
シオンはそれを見て、胸が痛くなる。
(救うって、こういうことだ)
(“安心させる”じゃない)
(“生き延びさせる”だ)
ミサは端末の画面を睨みつけていた。
「追跡波……切れてない」
セイルが眉をひそめる。
「何だと?」
ミサは唇を噛む。
「追ってるんじゃない」
「……待ってる」
その言葉は、全員に冷たいものを落とした。
追う必要がない。
逃げ道を全部塞いで、
“出てくる瞬間”を狙えばいい。
封鎖線は戦争じゃない。
狩りだ。
リリスが震える。
「……ここ、見つかったら」
ノクスが短く答えた。
「見つかったら終わりだ」
終わり。
助けられないという意味の終わり。
殺されるとは言わない。
ただ“戻される”だけ。
それが、この世界の新しい暴力。
レムはシオンの腕の中で、
まだ呼吸が浅かった。
さっきの叫び。
金属の浮き。
端末のノイズ。
シオンはあの瞬間を思い出す。
“Δが記録された”
それは偶然じゃない。
誰かが決めたことじゃない。
ただ、世界がそうなった。
そして管理は必ず、それを“意味”に変える。
危険因子。
隔離対象。
処理対象。
レムが震えながら言った。
「わたし、また……出ちゃう?」
シオンは即答する。
「出ない」
「出させない」
言い切った。
根拠はない。
でも言い切らなきゃ、
この子はここで壊れる。
ミナトがしゃがみ込んでレムに視線を合わせる。
「レム」
「お前が悪いわけじゃない」
レムは首を振る。
「でも……あいつらの端末に……」
「記号が出た」
その“記号”という言い方が痛かった。
文字でも、名前でも、能力でもない。
記号。
管理が理解できないものを
理解しないまま扱うための形。
セイルが小さく呟く。
「ORBITでも見たことがある」
「遺物が暴走する時……ログが“記号だけ”残る」
ミサがすぐに聞き返す。
「同じなの?」
セイルは答えなかった。
答えられない。
同じなら危険だ。
違うならもっと危険だ。
どちらに転んでも、
管理は“回収すべきもの”に分類する。
その時、奥から声がした。
「……その子、見せて」
誰かが暗がりから出てくる。
痩せた中年の女性。
髪は短く、汚れた作業着。
首には古い工具袋。
目が異様に落ち着いている。
シオンが即座に前へ出た。
「誰ですか」
女性は手を上げ、敵意がないことを示した。
「こっちも、逃げてきた」
「……いや、逃げるしかない世界になった」
ノクスが目を細める。
「名前は」
女性は短く答えた。
「サラ」
その名に、シオンの心が一瞬止まる。
サラ。
第1作でユウと共にいた、放浪の医療班。
あるいはその系譜。
だが目の色が違う。
同名か、別人か。
それでも、
“拾われた未来”の匂いがした。
サラはレムを見て、ゆっくり息を吐いた。
「熱が偏ってる」
「……この子、今、世界と擦れてる」
ミサが驚く。
「わかるんですか?」
サラは頷く。
「わかる」
「昔、似た現象を見た」
全員が息を止めた。
昔。
似た現象。
それはつまり――
ユウの周辺で起きていた“説明不能”と繋がる。
サラは続ける。
「その時も」
「救われたのに、記録がなかった」
「助けたはずの人間が、帳尻を合わせるみたいに消えた」
シオンの喉が乾く。
「誰が助けたんですか」
サラは首を振る。
「知らない」
「ただ……一つだけ覚えてる」
「“拾う側”がいた」
その言い方は、ユウを指していた。
ユウ本人がいなくても、
彼の“拾い方”だけが残っている。
サラは工具袋から小さな装置を取り出した。
古いビーコン。
だがGENESIS製じゃない。
もっと雑で、もっと現場の匂いがする。
「これ、非ログ救助用の改造ビーコン」
ミナトが目を見開く。
「……持ってんのかよ」
サラは苦く笑う。
「持ってるんじゃない」
「……作ったんだよ」
「救うために」
「救われない人を救うために」
シオンの胸が締め付けられる。
救われない人を救う。
それは正義じゃない。
制度じゃない。
人間の選択だ。
サラが静かに言う。
「でも、これを使うとね」
「救った分だけ、“回収”が早くなる」
シオンは息を呑む。
「やっぱり……」
サラは頷いた。
「ログは残らない」
「でも“現象”が残る」
「管理はそれを追う」
「追って、回収する」
ノクスが低く言った。
「救助が狩りの誘導灯になる」
サラは小さく頷く。
「そう」
「救うほど、狩りやすくなる」
最悪の循環。
救済が罪になる世界。
その瞬間、奥の通路が一瞬だけ明るくなった。
光。
青白い光。
監視ドローンの走査光だ。
全員が固まった。
ミサが端末を見て叫ぶ。
「来る!」
「上からじゃない、横から!」
セイルが舌打ち。
「地下にも網を張ったか!」
リリスが震える。
「無理です……!」
その時、サラが低く言った。
「動くな」
シオンが驚く。
「え?」
サラはレムを見た。
「……この子の呼吸を落とせ」
「落とせば、空気が落ち着く」
「空気が落ち着けば、金属が落ち着く」
「金属が落ち着けば、ドローンのセンサーは乱れない」
理屈はわからない。
でも直感的に正しい。
シオンはレムの耳元で囁く。
「レム」
「吸って」
「吐いて」
「大丈夫」
レムは涙を流しながら、必死に呼吸を合わせる。
一回。
二回。
三回。
すると本当に、空気の薄さが少し戻った。
さっきまで浮いていた砂埃が落ちる。
金属の震えが止まる。
走査光が、通路の壁を舐めていく。
そして――
そのまま通り過ぎた。
誰も動けなかった。
誰も息を吐けなかった。
通り過ぎて、ようやく全員が崩れるように座り込む。
救われた。
でも、救われたという感覚が薄い。
なぜなら“狩り”は終わっていないからだ。
シオンは立ち上がり、サラを見た。
「あなた……ユウを知ってるんですか」
サラは少しだけ目を伏せた。
「直接は知らない」
「……でも、救われたことはある」
それだけで十分だった。
ユウは伝説にも英雄にもならない。
記録にも残らない。
でも人間の中に、残っている。
サラは続けた。
「ユウが言ったって聞いた」
「“拾うのは物資じゃない。未来だ”って」
シオンの胸が熱くなる。
記録じゃない。
証拠じゃない。
ただ、言葉が残る。
それが世界を繋いでいる。
その時、ミサの端末が震えた。
通信。
しかも――
暗号化された回線。
GENESIS内部の回線。
ミサが顔を上げる。
「……アルト」
シオンの心臓が跳ねる。
アルトから。
彼は直接姿を見せない。
でも言葉で刺してくる。
ミサが通信を開く。
ノイズ混じりの声。
「……シオン」
「そこにいるのか」
アルトの声だった。
冷たくない。
でも温度が低い。
疲れている。
削れている。
「非ログ救助が再発している」
「回収部隊の投入が始まった」
「止められない」
「内部から止めようとしているが……制度が速い」
シオンは握りしめた拳が震える。
「……アルト」
「これは、あなたの判断のせいじゃない」
アルトは少し沈黙した。
「わかっている」
「だから苦しい」
「残す判断は……残すためにやった」
「でも、残した瞬間に利用された」
「善意は、制度に変換される」
その言葉が重すぎて、誰も口を挟めない。
アルトが続ける。
「一つだけ、伝える」
「“消える人間”は救済ではない」
「あれは……回収だ」
「存在を薄くする」
存在を薄くする。
その表現が最悪だった。
殺すより残酷だ。
消えるより残酷だ。
“最初からいなかったことにする”。
管理が得意とする処理。
アルトの声が少しだけ揺れた。
「そして、端末に出る記号」
「Δ」
「GENESIS内部では、それを“現象名”として記録し始めた」
その瞬間、全員が息を止めた。
Δ。
第4作目の扉が、今、言葉として開いた。
まだ能力じゃない。
まだバトルじゃない。
でも世界が“それ”を呼び始める。
アルトが言う。
「シオン」
「君が救えば救うほど、Δの記録は増える」
「増えれば、封鎖は強くなる」
「だが、救わなければ……未来は残らない」
まるで呪いだ。
救うほど終わる。
救わなければ終わる。
シオンは震える声で答えた。
「なら……私は」
「救う」
アルトは小さく息を吐いた。
「……そうか」
「なら、君はもう“観測監査官”じゃない」
「君は境界の側だ」
「BORDER REMAINSとして動け」
その言葉が、
まだ名乗っていないチーム名を確定させた。
結束ではない。
宣言だ。
世界に対する立ち位置の宣言。
通信が切れた。
静寂が戻る。
その静寂の中で、シオンは思った。
(私の善意は、制度になる)
(だから私は、制度にさせない)
(“拾う側”として、拾う)
その決意は、
管理にも、夜にも、遺物にも属さない。
第三の形。
“残すための救助”。
それは戦いじゃない。
でも戦いより厳しい。
サラが言った。
「出口は二つある」
「一つは封鎖線側」
「もう一つは……ユウが残した道だって噂の方」
ミナトが目を細める。
「……噂って」
サラは笑わない。
「噂だよ」
「でもね」
「この世界の噂は、時々本物だ」
シオンは頷いた。
「そっちへ行きます」
ミサが端末を握りしめる。
「追跡されます」
シオンは答えた。
「追跡されても行く」
「追跡される前提で、抜ける」
「救う前提で、逃げる」
ノクスが低く言った。
「……矛盾を抱えたまま進むってことか」
シオンは言う。
「そう」
「それが第3の形」
レムが小さく言った。
「わたし……迷惑?」
シオンは即答した。
「違う」
「あなたは未来だ」
レムは涙を拭いて、ぎこちなく笑った。
「……うん」
その瞬間、シオンは確信した。
未来は設計できない。
でも拾える。
拾われ続けることでしか、残らない。
それがこのシリーズの核だ。
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