AFTER ZERO:Crisis Ⅲ ~残される境界~

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第19章:消える人間

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――登録は救いのはずだった。
なのに、その瞬間だけ人が「いなかったこと」になる。

評価不能領域の奥は、静かだった。

静かすぎるほどに。

音が少ないのは、追跡が止んだからじゃない。
ここでは“余計な音”が最初から存在しない。

風が吹かない。
鳥が鳴かない。
遠くの街の轟音も届かない。

代わりにあるのは、
足元の瓦礫が擦れる音と、
自分の呼吸と、
誰かの心拍だけ。

そして、その心拍が――
時々、揃う。

揃うたび、
シオンは胸の奥に“熱の芯”を感じる。

燃える。
でも燃えない。

Δの火種。

発動ではなく、
世界が呼吸を合わせようとしている感覚。

それが怖い。

「ここ、ほんとに道なのか……?」

ミナトが小さく呟いた。

視界の先に、瓦礫の山がある。
旧時代の倒壊した高架の残骸。
崩れた鉄骨が、骨みたいに突き出ている。

その下を、
“人が歩いた跡”だけが続いていた。

セイルが淡々と答える。

「道は作るものだ」
「残るものじゃない」

ミサが言った。

「……誰が通ったの?」

ノクスが答える。

「生き残った者」
「そして、消えた者」

その言葉の重さに、誰も返せなかった。

レムはシオンの手を握ったまま歩いている。

震えは止まった。
でも目はずっと周囲を警戒している。

子どもなのに。

子どもにさせてしまったのは世界だ。

シオンは歩きながら、レムの札を見た。

Δ-17

焦げたような文字が、まだ残っている。

それは紙のはずなのに、
まるで金属に刻まれたみたいに固い。

(番号じゃない)

(狙いだ)

GENESISは偶然に番号を付けない。

ならこれは、
最初から“対象”だったということだ。

その時、前方でセイルが止まった。

腕を上げる。

「……人がいる」

全員が即座に身を低くした。

瓦礫の隙間の向こう。
薄暗い広場のような空間に、数人の影がある。

難民。

いや、違う。

“境界の住人”。

服はボロボロではない。
しかし、整ってもいない。

装備が揃いすぎているのに、
統一感がない。

盗品と手作りの混合。

それは、管理外の秩序。

ノクスが小さく囁いた。

「BORDERの集落だ」
「ここは……境界の中でも“残ってる”方」

ミナトが眉をひそめる。

「残ってるって……」
「他は消えたのか?」

ノクスは答えない。
答えられない顔だった。

シオンは立ち上がる。

「隠れてても意味ない」
「話す」

セイルが短く頷く。

「行け」
「だが距離は保て」

ミサがついてくる。

レムはシオンの背に隠れた。

ノクスは最後尾で影みたいに歩く。

ミナトは警戒しながら横に立つ。

彼らは、もうチームの形をしている。

正式に結成したわけじゃない。
名前を誓ったわけでもない。

でもこの瞬間、確かに――
BORDER REMAINSになっている。

集落の入口には、見張りがいた。

男。
年齢は若いが目は濁っている。
銃口を下げずに言った。

「止まれ」
「何を運んでる」

シオンは答える。

「子ども」
「回収から逃げてきた」

見張りの目が細くなる。

「……回収?」

その言葉が、この場所では普通に通じた。

セイルが一歩前に出る。

「追跡を切ってここまで来た」
「通してくれ」

見張りは黙り、仲間の方へ視線を送った。

その瞬間――
集落の奥から、一人が走ってきた。

女性。
顔が青い。
焦っている。

「また……また消えた……!」

その言葉が、空気を凍らせた。

シオンの背筋が冷たくなる。

(消えた……?)

女性は涙声で叫ぶ。

「登録したのに……!」
「保護されるはずだったのに……!」

登録。

ここにも登録が届いている。

管理は境界の内側にまで伸びてきている。

ミサが即座に聞く。

「誰が消えたんですか!?」

女性は振り返り、必死に言った。

「……兄が」
「登録端末に触った瞬間――」

「いなくなった」

その場の誰も、すぐに理解できなかった。

いなくなる?
死んだ?
拉致?
連れて行かれた?

違う。

女性の言い方は、もっと単純だった。

「いなくなった」
「そこにいたのに」
「次の瞬間、いなかった」

まるで最初から存在していなかったみたいに。

集落の中に入ると、空気が荒れていた。

泣き声。
怒号。
祈りのような独り言。

中央の空き地に、
旧型の登録端末が置かれている。

GENESISの物だ。

管理外の場所に、管理の手が伸びている。

端末の横には、
床に焦げた跡があった。

人が倒れた痕跡じゃない。

焼けた円。

その中心が空白。

そこに人がいたはずなのに、
そこだけ抜けている。

シオンは喉が鳴った。

(消失……)

(これは、回収じゃない)

回収なら痕跡が残る。
足音がする。
拘束具がある。
輸送跡がある。

でもこれは――
“消える”だけ。

世界から抜け落ちる。

セイルが端末を見て言った。

「この型番……」
「古い」
「だけど、仕様が変えられている」

ミサが画面を覗く。

端末は起動している。
しかし表示は“登録完了”ではない。

黒い背景に、白文字が浮いていた。

EVALUATION SUCCESS
RELOCATION COMPLETE
SUBJECT: ******
LOG: NONE

評価成功
再配置完了
対象:******
ログ:なし

ログ:なし。

“成功”なのに、ログがない。

それは第1幕から続く矛盾。

救われたのに記録がない。
配られたのに台帳がない。

そして今――

登録されたのに、存在がない。

ノクスが言った。

「これが、管理の“新しい救済”だ」

ミナトが怒りを抑えきれず吐き捨てる。

「救済じゃねぇ!」
「誘拐だ!」

ノクスは首を振る。

「誘拐なら痕跡が残る」
「これはもっと冷たい」
「人間を“別の場所に移す”だけだ」

ミサが震える。

「別の場所……」
「どこ……?」

セイルが短く言った。

「管理が届く場所」
「管理が“完全に観測できる場所”」

それはつまり――
“完全に管理できる檻”。

女性が泣きながら言った。

「兄は……良い人だった」
「登録すれば保護されるって……」

「信じたのに……!」

シオンは言葉を失った。

善意が、制度に飲まれる。

救いたい。
守りたい。
それが“正しい”と証明されるほど、
世界はそれを利用する。

第2幕で見た地獄が、
ここではさらに深い形で進行していた。

登録=保護。
そのはずだった。

でも今は――

登録=消失。

レムが小さく震え、言った。

「……わたしも、登録したら消える?」

シオンが反射で答えた。

「しない」
「絶対にさせない」

ミナトが拳を握りしめる。

「……こんなこと、許せるかよ」

ミサの視線が端末に釘付けになる。

そして端末の画面の右上に、
小さく点滅する文字を見つけた。

Δ TRACE

Δ痕跡

シオンの心臓が跳ねる。

(ここにも……Δ……)

Δはまだ現象名として表に出ていない。
でも“痕跡”としては、すでに多くの場所に付着している。

そしてそれは、
人が消える現象と繋がっている。

その時、端末が勝手に音を鳴らした。

ピッ。

ピッ。

何かを検出している。

ミサが叫ぶ。

「……待って!」
「この端末、また登録しようとしてる……!」

誰を?

何を?

視線が集まる。

端末の画面に表示された“対象”は――

SUBJECT: Δ-17

シオンの血が冷えた。

レムだ。

狙いは、最初からここだった。

ノクスが、静かに言った。

「だから消えたんだ」
「この端末は、保護じゃない」

「“回収不能領域からの抜き取り”だ」

セイルが目を細める。

「評価不能領域を消すための装置」
「アルトの判断が、こういう形で使われた」

ミナトが叫ぶ。

「クソが……!」

シオンはレムを抱き締めた。

端末の音が、また鳴る。

ピッ。

ピッ。

近づいている。

登録が“始まる”。

消失が“実行される”。

シオンの胸の奥が、燃える。

熱が、黒いノイズになる。

視界の端が暗くなる。

世界が歪む。

――ここでΔが発動したら、どうなる?

レムを守れるかもしれない。

でも同時に、
GENESISに“証明”してしまう。

Δの存在を。
発動を。

回収の理由を。

それでも――

守るしかない。

その意志が、臨界まで跳ね上がった瞬間――

端末の画面が、一瞬だけ真っ黒になった。

そして、白い文字が一行だけ浮いた。

Δ : SYNCHRONIZATION START

Δ:同期開始

――消えるのは命じゃない。
“存在”そのものだ。

登録端末の画面が、白く瞬いた。

Δ : SYNCHRONIZATION START

音は小さい。
機械の通知音程度。

なのにその瞬間、
空気が一段冷える。

集落の人間たちが一斉に距離を取った。

彼らは知っている。

この端末が作動した時、
誰かが消える。

そして今、対象に選ばれたのは――
レム。

シオンはレムを抱き込むようにして下がった。

「レム、こっち見て」
「私の声だけ聞いて」

レムは震えながら頷く。

しかし次の瞬間、
レムの目が一瞬だけ“焦点を失った”。

シオンは息を止めた。

(今……何か抜けた?)

レムの輪郭が、薄くなった気がした。

目の錯覚じゃない。
これは物理じゃない。

存在の濃度が、落ちた。

ミサが端末に駆け寄ろうとした。

「止める、止めるから……!」

セイルが腕を掴んで止める。

「近づくな」
「触れると登録対象が増える可能性がある」

ミサは歯を食いしばる。

「でも……このままじゃ……!」

端末の表示が切り替わる。

SUBJECT: Δ-17
STATUS: RELOCATION
LOG: NONE
PROTOCOL: BORDER CLEANUP

BORDER CLEANUP

境界清掃。

最悪の言葉だ。

境界を、消す。
誤差を、掃除する。

人間を――
ゴミみたいに。

ミナトが怒りで声を荒げた。

「人間を清掃扱いかよ……!!」

集落の女性が泣き崩れる。

「だから兄も……!」
「だから……!」

シオンはその言葉を聞きながら、頭が冷えていくのを感じた。

怒りじゃない。

恐怖が冷静に変わる。

(これは偶発じゃない)

(制度だ)

(最初から、境界を消すための救済)

レムが小さく呻く。

「……だれか、呼んでる」

シオンの胸が潰れそうになる。

「誰が?」

レムは首を振る。

「わかんない……」
「でも……“行こう”って」

その瞬間、レムの手がふっと軽くなる。

シオンの指の隙間から、体温が抜けた。

抱いているのに――
抱いていないみたいだった。

輪郭が薄い。
体重が曖昧。
存在が、ズレていく。

まるで「ここ」から剥がれていく。

シオンの喉が震える。

「レム……!」

レムは必死にシオンを見つめる。

「……こわい」
「消えるの、やだ」

シオンは答える。

「消えない」
「絶対、消させない」

その言葉に、ほんの僅かだけレムの輪郭が戻った。

(……私の声で戻る?)

(意志が繋がっている)

ここで、シオンは気づく。

同期。

Δ同期。

端末が同期しようとしているのは、レムだけじゃない。

レムを“消失先”へ移すために、
周囲の現実を整えている。

つまり、端末は――
この世界を作り替える。

それは危険だ。
そして、今この場にいる全員が巻き込まれる。

ノクスが静かに言った。

「時間がない」
「端末を壊すか、切るか」

ミナトは即答した。

「壊す」
「迷うな!」

ミサが叫ぶ。

「待って、壊すと逆に“確定”するかも……!」
「ログが無いなら、回収側は“結果だけ”見る……!」

セイルが目を細める。

「壊すなら完全破壊」
「中途半端は最悪だ」

ミナトは銃を構えた。

「なら撃てばいいだろ」

セイルが遮る。

「撃つな」
「端末が暴走する」

「回収端末は“入力”より“状態遷移”が危険だ」

ミナトが歯を食いしばる。

「じゃあどうすんだよ!」

セイルが腰のポーチから、鍵のような遺物を取り出した。

ORB-ORBIT-016|遺物起動鍵
(物語上のキーアイテムだ)

その鍵はただの金属じゃない。
古い文明の“起動”を引き起こす。

セイルは言う。

「端末を壊す前に」
「干渉して“同期”を切る」

ミサが焦る。

「そんなことできるの!?」

セイルは答えない。
できるかどうかじゃない。

やるしかないからだ。

シオンはレムを抱いたまま、端末から距離を取った。

それでも端末の同期は止まらない。

画面にカウントが走る。

SYNCHRONIZATION : 42%


レムがまた薄くなる。

シオンの胸の奥が燃える。

黒いノイズが、視界の端に広がる。

熱が偏る。

この前兆を、シオンはもう誤魔化せない。

Δが、出たがっている。

守るために。

“世界を歪める力”が。

(やめろ……)

(まだ……出るな……)

出たら、世界に証明される。
証明されたら、狙われる。

でも――
出さないならレムが消える。

その二択が、目の前に突きつけられていた。

セイルが端末に近づく。

その瞬間、集落の見張りが叫んだ。

「近づくな!!」
「また消えるぞ!」

セイルは視線を動かさず言う。

「消えるのは端末が“対象を選ぶ”からだ」
「今は対象が固定されている」

「Δ-17に」

言葉の冷たさが、逆に信頼になった。

感情で動いていない。
だからこそ、正確だ。

ノクスが見張りに言う。

「ここで止めなければ」
「次はお前たち全員が消える」

見張りは黙った。

恐怖が、理解に変わる。

ミサは端末の側面を覗き込み、息を呑んだ。

「……配線が違う」
「これ、GENESIS純正じゃない」

セイルが短く聞く。

「改造か」

ミサは頷いた。

「外から“もう一個”挿さってる」
「ログ出力を潰してる」

「だからログがNONEになるんだ」

ノクスが低く言った。

「つまり回収部隊は」
「記録を残さず、消す」

「誰も責任を負わずに済む形で」

ミナトが唸る。

「完全に……処理だな」

シオンは吐きそうになった。

救済でも秩序でもない。

ただの廃棄。

レムがシオンの腕の中で、また一瞬だけ目を閉じた。

次に開いた時――
視線が違った。

焦点が遠い。

まるで別の場所を見ている。

「……あそこに、いる」

シオンが声を震わせる。

「誰が?」

レムは小さく指を指した。

端末の奥。
瓦礫の影。

そこに――
“人影”が立っていた。

集落の誰も気づかない。

ミサも見ていない。
ミナトも見ていない。
セイルもノクスも反応しない。

シオンだけが、見えた。

いや違う。

シオンが見えたんじゃない。

レムが見せた。

影の輪郭は薄い。
色もない。

でも確かに、人だ。

その顔は――
さっき泣き崩れた女性に似ていた。

女性が泣き叫ぶ。

「……兄……?」

彼女も、見えている。

その瞬間、全員の背筋が凍った。

影が、動いた。

歩いた。

こちらに向かってくるのではない。

“向こう”へ向かっている。

影は、端末の裏側へ抜けるように消えていく。

そして、端末の画面がまた更新される。

SUBJECT: Δ-17
DESTINATION: RELOCATION ZONE 0


ゾーン0。

シオンの脳内で、第3幕の言葉がよぎった。

ドキュメント0番。

定義してはならない。
触れた瞬間に“制度になる”。

ゾーン0は、
“回収先”ではない。

存在を移すための場所。

観測できる檻。

それが怖すぎた。

セイルが鍵を端末に当てた。

金属と金属が触れる音はしない。
代わりに、空気がビリッと震えた。

端末の画面が乱れる。

ノイズ。
黒い帯。
見たことのない文字列。

ミサが叫ぶ。

「ちょ、これ……!」

セイルは低く言う。

「干渉する」
「同期を切るぞ」

カウントが上がる。

SYNCHRONIZATION : 71%


止まらない。

ミナトが耐え切れず叫ぶ。

「間に合わねぇ!!」

その瞬間――
シオンの胸の奥の熱が、限界を越えた。

世界が“歪んだ”。

瓦礫の破片が、ふわりと浮く。

空気が重力を忘れる。

そして、シオンの視界の中心にだけ、黒い揺れが走った。

――発動しかける。

だが、シオンは歯を食いしばり、抑え込む。

(まだだ……!)

(まだ出すな……!)

その意志が、逆に力になった。

Δは暴走ではない。
意志が方向を決める。

シオンは、“破壊”ではなく“遮断”を選んだ。

守るために、世界を裂くのではなく、
世界を止める。

その瞬間。

端末の画面が、一行だけ吐き出した。

Δ : INTERFERENCE DETECTED

Δ:干渉検知

セイルの鍵が反応したのか。
シオンの抑え込みが反応したのか。

どちらにせよ、
端末は“Δ”を認識した。

それは最悪に近い。

でも同時に――
切れる可能性が生まれた。

レムが叫んだ。

「……ひっぱられる!!」

シオンの腕の中で、レムの輪郭が一気に薄くなる。

ここで本当に消える。

シオンは叫びながら抱き締めた。

「レム!!」

その瞬間、
ミサの端末が勝手に起動する。

画面には、心拍同期率。

全員の同期が急上昇。

そして、最後に表示される。

SYNC RATE : 100%
TARGET LOCK : Δ-17
NETWORK : BORDER REMAINS

ネットワーク。

BORDER REMAINS。

この瞬間、世界が――
彼らを“チームとして定義した”。

名前を誓っていないのに、
現実が先に名付けた。

それは希望にも見えるし、呪いにも見える。

ノクスが静かに言った。

「繋がった」
「これが……境界の第三の形だ」

セイルが歯を食いしばる。

「切る」

鍵が強く光った――
光ではない。

“白いノイズ”が走った。

そして端末の画面が、完全に真っ黒になった。

一秒、沈黙。

二秒、沈黙。

三秒――

レムの輪郭が戻った。

体温が戻る。
重さが戻る。
息が戻る。

レムが泣きながら、しがみついた。

「……いた……」
「わたし、まだいる……!」

シオンは息を吐いた。

膝が崩れそうになる。

ミナトが叫ぶ。

「止まった……!?」

ミサが端末を確認し、震える声で言った。

「同期……0%になった……」

助かった。

一瞬、そう思ってしまう。

だが――

端末の黒い画面に、最後の一行が浮かび上がった。

Δ : TRACE STORED

Δ:痕跡保存

保存された。

つまり、見つかった。

終わってない。

まだ終わってない。

――助かった。
そう思った瞬間が、一番危ない。

端末が落ちた。

黒い画面のまま沈黙し、機械音も消えた。

レムはまだシオンの腕の中にいる。
温度も重さも戻った。
泣き声も、ちゃんと“ここ”に響いている。

それだけで、世界が少し戻った気がした。

けれど――
集落の空気は、誰ひとり安堵していなかった。

全員が知っている。

この端末は、壊れたんじゃない。
止まっただけだ。

そして最後の表示は、確かに残っている。

Δ : TRACE STORED
Δ:痕跡保存

保存された。

“見つかった”証拠が、
管理側に渡った合図。

見張りの男が、声を震わせて言った。

「……お前たち、何をした」

ミナトが食ってかかる。

「助けたんだよ!」
「消される寸前だったんだぞ!」

だが男は叫び返す。

「助けた!? ふざけるな!」
「これでまた来る!!」

空気が割れる。

怒りは、恐怖の裏返しだ。

集落の人間たちが次々叫び始めた。

「もう終わりだ……!」
「また消える……!」
「次は誰だ……!」

泣き崩れる者。
端末に石を投げる者。
祈る者。

シオンは立ち尽くしたまま、レムを抱き締める。

助かったはずなのに。
救えたはずなのに。

救ったことが、
“次の回収”の理由になる。

それが、この世界の地獄だ。

ノクスが、低く言った。

「……落ち着け」

声は小さいのに、集落の怒号が少しだけ沈む。

夜盗の頭領ではない。
夜の秩序の仲介者としての声。

「端末はもう同期できない」
「だが“痕跡”が残った」

「だから次は、端末じゃない方法で来る」

見張りの男が顔を引きつらせる。

「……来るって、誰が」

ノクスの答えは短い。

「GENESIS」
「回収班だ」

その言葉に、集落の空気が死んだ。

ミサが端末の裏側を覗き込み、唇を噛んだ。

「……やっぱり」
「改造モジュールが残ってる」

セイルが即座に言う。

「抜けるか」

ミサは首を振る。

「無理」
「これ、外すと“痕跡送信”が確定で走る」

「今は止まってるだけで、外したら最後に送る」

ミナトが舌打ちした。

「じゃあ燃やすしかねぇだろ」

セイルは冷静に返す。

「燃やしても送信は止まらない」
「むしろ“破壊ログ”が残る」

その瞬間、シオンは理解した。

(詰んでる……)

(この装置は、救済を装った罠じゃない)

(“境界の消去”を正当化するための儀式だ)

登録=保護ではなく、
登録=対象化。

守るために触れた瞬間、
消される側になる。

レムが小さく言った。

「……おにいちゃん、まだいる」

シオンが息を止めた。

「誰の?」

レムは集落の女性を見た。

女性の目は泣き腫れている。

レムは指を指す。
端末の影。

そこに――
さっきの影がまた立っていた。

今度は一人じゃない。

二人。
三人。
四人。

薄い輪郭の人間たちが、端末の周囲に“立っている”。

集落の人間たちがざわめく。

「……見える」
「いた……」
「消えたはずなのに……」

見えている。

全員が見えている。

つまりこれは、レムだけの幻覚じゃない。

“消失者”が、境界に残像として残っている。

存在が移ったのに、
影だけがここに残る。

その光景は、救いではなく――
呪いだった。

ノクスが呟く。

「境界が薄くなってる」
「ここはもう、二層世界の“継ぎ目”だ」

セイルが言う。

「Δの痕跡が濃い」
「端末の同期が切れたことで、逆に“穴”が固定された」

ミサが震える。

「……そんな」
「助かったのに、悪化したの……?」

シオンは答えられなかった。

助けた。
でも世界は、助けを許さない。

ここでは“救い”は制度に回収される。
善意は資源になる。

それが第2幕の本質。

その時だった。

遠くで、金属が鳴った。

カン――

カン……カン……

一定の間隔。
規則的。
人間の歩き方じゃない。

集落の見張りが叫ぶ。

「来た……!」

誰かが泣き叫ぶ。

「回収班だ……!」

シオンの心臓が跳ね上がった。

速い。
早すぎる。

痕跡保存から、もう来た。

それはつまり――

この端末は、元から“誘導灯”だった。

瓦礫の向こうに、白いライトが走る。

光が直線で、境界を切り裂く。

そして見えた。

ドローンだ。

GENESISの監視機。
でも普通の監視ドローンじゃない。

動きが、滑らかすぎる。
静かすぎる。

空を飛んでいるのに、羽音がしない。

まるで“影”だけが飛んでいるみたいに。

次の瞬間、スピーカー音声が響く。

冷たい、無機質な声。

「評価不能領域の異常を確認」
「対象:Δ-17」
「再配置を実行する」

名前じゃない。
番号でもない。

対象。

集落の女性が叫ぶ。

「やめて!!」
「その子は……!」

ドローンは返さない。

言葉を理解していないのではなく、
理解する必要がないからだ。

ミナトが銃を構える。

「撃ち落とす!」

セイルが言う。

「撃つな」
「これは監視だけじゃない」

ミサが叫ぶ。

「じゃあどうするの!?」

ノクスが言った。

「動くしかない」
「ここに留まれば、“集落ごと消される”」

シオンは喉が震えた。

集落を見た。

泣き叫ぶ人々。
逃げ場のない者たち。
消失者の影。

ここで逃げたら、
彼らは――

でもここに残れば、
レムは消える。

選べない。

選べないのに、
世界は選ばせてくる。

その瞬間、シオンの背後で、端末が勝手に点いた。

黒い画面に、白い文字。

Δ : RESONANCE
Δ:共鳴

共鳴。

そして空気が、また歪んだ。

今度はシオンの胸の奥だけじゃない。
集落全体の空間が、震えている。

消失者の影が、揺らめく。

影が、叫んでいる気がした。

声にならない声。

“こっちに来るな”
“戻るな”
“ここは檻だ”

その感覚が、
シオンの脳を焼く。

(あれは……移送先の残響……)

(ゾーン0の匂いだ……)

セイルが遺物起動鍵を握り直した。

「シオン」
「抑えるな」

シオンの呼吸が止まる。

「……え?」

セイルは言う。

「今抑えれば、次で消える」
「この場を抜けるには、“境界を割る”しかない」

ミサが青ざめた。

「割る……って」

ノクスが静かに補足する。

「現実の“継ぎ目”をこじ開ける」
「逃げ道じゃない。避難孔だ」

ミナトが叫ぶ。

「そんなの出来んのかよ!?」

セイルは冷たく言う。

「出来るかではない」
「出来ないなら、終わりだ」

その時、レムがシオンを見上げた。

涙で濡れた目で、でもはっきり言う。

「……シオン」
「さっき、わたし消えそうだった」

「でも、あなたが抱いてくれたら戻った」

「わたし、わかった」

「それ、あなたの力だよ」

シオンの胸の奥の火種が、
静かに、確信に変わった。

(私の……Δ)

(怖いだけの異常じゃない)

(守るための、“分岐”)

ドローンが光を集める。

白いラインが、レムに照準を合わせる。

「再配置準備」
「同期開始」

空気が重くなる。
レムの輪郭が、また薄くなり始める。

シオンは叫んだ。

「やめろ!!」

そして――

抑えていたものを、解放した。

Δ(デルタ)――微発動

爆発じゃない。
炎でも雷でもない。

“境界の切り替え”だ。

シオンの足元から黒いノイズが広がり、
空間に薄い裂け目が走る。

裂け目は光らない。
闇でもない。

ただの“ズレ”。

世界のページが、少しだけめくれるような感覚。

ミサが息を呑む。

「……なに、これ……」

セイルが言った。

「道だ」

ノクスが言う。

「境界の逃げ道」
「存在が消える前に、存在ごと移る」

ミナトが叫ぶ。

「走れ!!」

シオンはレムを抱えて裂け目へ走った。

セイルが続く。
ミサが続く。
ミナトが続く。
ノクスが最後に入る。

集落の人間たちは、動けなかった。

恐怖で。
驚きで。
あるいは――
自分たちには無い力だから。

裂け目が閉じる直前、集落の女性が叫んだ。

「その子を……助けて……!」

シオンは振り返り、叫び返した。

「助ける!」
「必ず戻る!!」

その言葉が、約束になる。

約束が、重さになる。

そして裂け目は閉じた。

次の瞬間、空間が変わった。

温度が違う。
音が違う。

さっきまでの集落の匂いが消えた。

代わりにあるのは、
湿ったコンクリートの匂い。

地下。

古い地下道。

――ユウが歩いたような場所。

ミナトが息を切らしながら言った。

「……逃げ切ったのか?」

セイルが即答しない。

耳を澄ませる。

その後、短く言った。

「追跡は……切れた」

ミサが震えながら笑った。

「……生きてる……」

レムが小さく言った。

「ここ……」
「知ってる気がする」

シオンはその言葉に背筋が冷えた。

知ってる?

レムはまだここに来たことがないはずだ。

でも――
Δは“知らない記憶”を引っ張ってくる。

未来のルート。
消失者の影。
拾われた痕跡。

そこに、ユウの影が混じる。

そして遠くの闇の奥で、誰かの声がした。

男の声。

低く、静かで、はっきりとした声。

「……境界の穴を開けたのは誰だ」

全員が固まる。

姿は見えない。

でもその声は、
“現場”の声だった。

管理局の声じゃない。
回収班の声でもない。

生き残りの声。

拾う側の声。

シオンは唇を震わせながら答えた。

「……私です」

闇の奥の男は、少しだけ笑った気配を見せる。

「そうか」

「なら聞け」
「ここを通った奴がいる」

「名前は――ユウだ」

その瞬間、世界が繋がった。

ユウ本人はいない。
でも、ユウのルートが残っている。

拾われた未来が、
またひとつ拾われる。
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